黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「政治」不信?

2009-03-31 23:42:57 | 近況
 弁解から始めたくないのだが、PCにはもういい加減馴れたはずなのに、また失敗してしまった。昨日(30日)の朝早くに書いたこの欄の文章がどこかに消えてしまったのである。理由は全く不明。我がことながら情けなく、ちょっとへこんでしまった。
 書いた内容は、「反論」ではないのだが、このブログのコメント欄に表れる「匿名性」の陰に隠れながら(自分を安全地帯において)、高見から他者(黒古や他のコメンテーター)を批判して自己満足している人や、本音は「ジェラシー」に支えられた怨念めいたものでしかないのに(実情について何も知らない癖に)、他者がその地位や職業(例えば黒古が大学教師であるというようなこと)に就いていることがあたかも「罪」であるかのように言い募る人に対して、もういい加減にして、僕らのこの現在を苦しめている元凶に対して共に撃つようなことができないのか、ということが一つ。
 もう一つは、前のこの欄で民主党について書いたら、あたかも僕が民主党(小沢一郎党首)に期待しているかのように、(悪意を込めて)読み取った人がいたようなので、再度僕は民主党支持者ではないし、ましてや小沢一郎が自民党時代に著した「日本改造計画」(93年 講談社刊)を読んで以来、この保守政治家の「危険」な体質に日本を託すことはできないと思ってきたこと、現在僕が言いたいのは、どのような形であれ、解散・総選挙を断行して「民意」を問うこと、そのことをしなければこの淀んだ(停滞した)空気を一掃することはできないし、雇用不安をはじめとするこの社会の問題は何一つ解決の糸口を見つけることができないのではないか、ということである。そのようなことを書いたのだが、残念ながらその記事は見事に消えてしまった。
更にもう一つ、今僕らに必要なのは機会ある毎に自身の意見を表明することであり、それは例え「床屋談義」の域を出ないものであっても、自分たちの意見を表明しない限り、いつまで経ってもこの社会は「付和雷同」的にしか動かず、きちんとした「未来への展望」を切り開くことができないのではないか、ということを書いたのである。それは、その日(30日)に投開票されることになっていた千葉県知事選で、元タレントの森田健作が優位に選挙戦を進めてきたというニュースを考慮してのコメントであったのだが、結果として森田氏が大量得点で千葉県知事に選ばれた。民主党の小沢問題があったとは言え、東国原宮崎県知事、橋下大阪府知事にあやかろうとしたイメージ選挙(東国原らは、それなりに「政策」=マニフェストを提出して県政・府政「改革」を宣言していたが、森田氏の場合、当選直後の言葉からは全く具体的な政策を聞くことができなかった。)が奏功して、見事に当選したわけだが、「無所属」と称しながら、れきっとした「自民党議員」(東京のどこかの支部長)である森田氏、1兆数千億円の借金を抱えているという千葉県で、具体的な政策を示さないで何ができるというのか、僕には全く分からなかった。
 にもかかわらず、千葉県民は森田氏を選んだ。千葉県民の選択を批判するつもりはないが、森田氏を自分たちの知事として選択することで、この国の「苦境」(例えば、年金問題、等々)や混迷・混乱を切り抜けることができるというのか、インタビューを聞く限り森田氏は相変わらずの「補助金(交付税)頼りの政治」を行うようだが、果たしてうまくいくかどうか。千葉県民は森田氏に何を期待して1票を投じたのか。
 僕らは、こうも「風見鶏」でいいのか、と思わざるを得ない。

迷走する民主党、そして私たち

2009-03-28 09:25:23 | 近況
 最初に言っておきたいのは、昨今の「民主党」問題が僕の内部から消えない「閉塞感」の一因をなしている、ということである。もちろん、「民主党」問題は、それと表裏一体の関係にある「自民党」(解散・総選挙を忌避し続ける麻生政権)問題でもある。
 そして、それは小沢民主党党首が「金と政治」の問題に関して潔く党首を辞任しない、具体的に言えば準大手ゼネコンの西松建設から「違法献金」を受け取ったかどうか嫌疑を受けた段階で辞任表明をすべきである、というようなことに発するものではない、ということである。分かりにくい言い方をしているかも知れないが、「早期解散・総選挙実施」を主張し続けてきた僕としては、西松建設の「裏金」問題に発する一連の「政治献金」疑惑(政治資金規正法違反容疑)は、「正義の味方」と思われてきた検察が仕掛けた「権力維持」のための方策であり、その「罠」にまんまと引っかかるほど小沢一郎の脇が甘く、そのことはまた首相の座(権力)に固執し続ける(居座り続ける)麻生太郎に対する国民の失望感=ニヒリズムと連動し、私たちに無力感=閉塞感をもたらす結果になっていること、ぼくらは検察の目論見に見事にはまってしまったのではないか、そのことに僕は苛立っている、と言い換えることもできる。さらに言うならば、あれほど不人気だった麻生首相が小沢問題が起こったら(それに加えて「給付金」や「高速道路料金の値下げ」ということもあったろうと推測できるが)、いとも簡単に評価を変えてしまうような国民の在り方にも心穏やかではない、ということもある。
 なお、ここで明言しておくが、僕はかつても今も民主党支持ではない。ましてや小沢一郎がずっと前刊行した「日本改造論」に書かれていた「普通の国」構想は、小泉純一郎や安倍晋三などよりは危険な「ナショナリズム」論なのではないか、という思いを持っており、この小沢が率いる民主党にこの国の未来を託していいのか、という危惧は消すことができない。ただ、「政権交代」しないとこの国の汚濁は浄化されないのではないか、国民の審判を得ない政党の首相が国民に非利益を強いる政策が次々と出されることに閉口し、もういい加減「国民の意見を聞けよ」という思い、つまり解散・総選挙を早期に実施すべき、と考えており、その意味では、自民党より増しな民主党、という意識しか持っていない。それ以上でも以下でもない。そして、そんな民主党にも政権奪取の機会が巡ってきたのではないかと思われた矢先の「小沢・政治献金疑惑」である。多くの人が直感したように、検察の今回の動きが「胡散臭い」ものであることは、疑い得ない。その証拠に、後処理はうやむやになってしまったが、漆間官房副長官がもらした「自民党にこの件は及ばない」こそ、権力者の本音と見るべきである。昨今の二階大臣に対する献金疑惑捜査も、その意味では、この権力(それに阿る検察)の本音が国民に分かってはまずいから、というスケープゴートなのではないか、と思えてならない。
 官僚達の危機感(民主党が政権を取ったときの官僚体制の無力化を恐れる気持)が、先の漆間発言の全てであり、その官僚達が担ぐ御輿に乗っているのが麻生首相だとしたら、今度の小沢問題の構図は一目瞭然である。
 それにしても、「政治」のえげつなさを毎日見せられている僕らは、どのようにして憂さを晴らせばいいのか。解散・総選挙しかないと思うのは、僕だけか。

閉塞感から無力感へ

2009-03-27 09:43:01 | 近況
 これが「加齢」ということなのか、あるいは先週のジャガイモ植えの時汗を掻いたのがたたって風邪気味になったのが原因なのか、ジャガイモ植えをした翌日(日曜日)の夕方から猛烈な歯痛に襲われ(1月にも経験しているので歯槽膿漏が悪化したのだろうと見当はついたのだが)、翌日友人の歯科医の下に飛び込んで「何とかしてくれ」と頼んだのだが、件の悪化した歯槽膿漏の奥歯(1本)を抜くかどうかで彼を悩まし、結局「もう少し様子を見よう。鎮痛剤と消炎剤(抗生物質)を出しておくから、2,3日で何とかなるだろう」という結論を得て、卒業式(25日)に出向いていったのが24日。しかし、24,25日は一向に痛みが取れず、右の奥歯で噛むことが全くできない状態が続くことになった。食欲は全くなし、ただし、薬を飲むために何かを口にしなければ、とパンを食べて凌いだ2日間だった(25日の祝賀会で空腹に耐えられず寿司を痛みをこらえながら少し食べることができたのが幸いだった)。
 当然、思考力も鈍り、何かを書く意欲も全く沸かず、という状態に陥ってしまった。「村上龍論」は停滞し、北朝鮮の「人工衛星打ち上げ実験」(弾道ミサイル発射実験)や小沢投手を巡る民主党のごたごたについても私見を述べたいと思っていたのだが、それらのことに対する思いよりも、歯痛を何とかしたいという気持の方が勝り、身体と精神(思考)がバラバラになったことによる何とも不可思議な気持を持て余した1週間であった。それが、昨夜遅く、「あれ」と思えるほど劇的に歯痛が消えたのだが、それまでの睡眠不足がたたって昨夜はダウン。今朝起きたら、やはり歯痛は消滅していたので、一安心して机に向かっているという次第です。
 
 さて、書きたいと思っていた北朝鮮による「人工衛星打ち上げ実験」(弾道ミサイル発射実験)であるが、まずこれほど現在の世界情勢(世界・アジアにおける力関係)を体現している事柄はないのではないか、という思いがある。具体的に言うと、北朝鮮は国際的に認められている(日本を含む多くの国が実施している)「人工衛星打ち上げ実験」を明言している(建前ではあるが)にもかかわらず、何故日本もアメリカ、韓国もそれを認めず、「弾道ミサイル実験は許さない」という大合唱をマスコミを巻き込んで続けているのか、それがわからない。アメリカは、「スパイ衛星」を含めて世界で一番(?)人工衛星を打ち上げている国だし、日本も種子島の宇宙開発センター(ロケット発射実験場)で多くの人工衛星を打ち上げている(これだって、見方を変えれば「ミサイル発射実験」である。2000年に半年ほどアメリカで生活していた折に訪れた「NATIONAL ATOMIC MUSEUM」で、アポロ計画に使われた「タイタン型ロケット」の実物を見たが、その説明には「ICBM](大陸間弾道弾)としても使われている、と明記してあった。宇宙開発と兵器開発は裏表の関係にあるのだと、この時実感したのを思い出す)。
 もちろん、核開発疑惑を払拭できない北朝鮮による「人工衛星打ち上げ実験」(実は「弾道ミサイル発射実験」)は、それが「核弾頭」開発に繋がるものである以上、許されないことである。ただし、それはアメリカや日本における「ミサイル発射実験」も兵器開発に繋がるものであるから許されるべきではない、という立場を保持しての論理でなければならない。アメリカと日本(北朝鮮以外の他の国も含めて)の「ミサイル発射事件」は認めて、北朝鮮のだけ認められないというのは、単なる「好き・嫌い」のレベルの問題でしかなく、思想(反戦・反核思想)の問題として十分ではない。
 ましてや、今度の「弾道ミサイル発射実験」問題に関して、体制(自衛隊マニア)的な人は別にして多くの軍事評論家や「政府筋」が指摘しているように(本音を漏らしてしまったように)、もし北朝鮮のミサイルが日本本土に何らかの影響を与えるようなことが生じた場合、「ミサイル防衛システム」として準備してきたはずのイージス艦(SM3ミサイル)やパトリオット(PAC3)による「迎撃」は(機能・装備から考えて、つまりSM3の射程は100キロほどで、PAC3に至ってはその射程が20キロであり、何百キロの高々度を飛ぶ北朝鮮が実験するとされている「テポドン2」の本体はもちろん、切り離されてふらふらしながら落ちてくる第1段ロケットのブースターなど、当てることさえできないと言われている)何の役に立たず、それでも大騒ぎするのは、防衛省や防衛(軍需)産業(日本だけでなくアメリカの)が「これではダメだ。もっと性能のよい装備が必要だ。だから、予算をよこせ」という魂胆があるからに他ならない、というのである。もしそうであるならば、今の大騒ぎは先のアジア・太平洋戦争時の「大本営発表」と何ら変わらず、戦後の日本(日本人)はそのような付和雷同方の在り方を反省するところから出発したはずなのに、どうなってしまったのか、と思わざるを得ない。
 なお、ここで思い出すのは、中東戦争でイスラエル側(アメリカ)が用意したパトリオット迎撃ミサイルの命中率が非常に悪く、ほとんどのミサイル(北朝鮮開発のスカッド・ミサイルやロドン・ミサイル)を打ち落とすことができなかったということ(という説と結構成果を上げたという説がある)と、イージス艦搭載のSM3という迎撃ミサイルも、何度か実験しているのについ先日初めて打ち落としに成功した、と報じられたばかりであるということがある。政府は、日本海にイージス艦を2隻出し、パトリオットを秋田や山形に用意すると言っているが、どうも国民にやたら「見えない恐怖」を煽って行うデモンストレーション、と考えられなくはない。
 穿った言い方をすれば、WBCで燃えあがった「ナショナリズム」を利用して(我が娘が好きなイチロー選手が優勝祝賀会で「日本のために戦いました」と大声を上げていたのに、異様さと嫌悪感を感じたのは僕だけだったのか)、この際膨大な予算が必要な「ミサイル防衛システム」に対する国民的合意を画策しているのではないか、ということもある。マスコミ・ジャーナリズムの対応(迎撃態勢の準備など意味がないという軍事評論家がテレビに一人も出ないという奇妙さ)を見ていると、やはりおかしい、と思わざるを得ない。
 ここまで書いてきて、急用ができた。
 小沢民主党党首の問題(金と政治の関係)については、またあとで。

ジャガイモの種植え

2009-03-22 10:38:13 | 仕事
 当地の「農事暦」によると、ジャガイモの種植えに最適な時期は「お彼岸頃」となっているので、暦に従って毎年この時期に種植えをしているのだが、今年は僕がジャガイモ作りに熱心であるということを聞き及んだ友人から、「できたら送って欲しい」と言われていたので、70坪弱のささやか家庭菜園に17キロもの種を植える羽目になってしまった。
 それに先立つ2週間前、前年の秋に近くの市民公園から拾ってきた落ち葉(落ち葉の詰まったゴミ袋に水を入れて放置したもの)を15袋ぐらい畑に蒔き、それに牛糞、豚糞、鶏糞を加え、ホンダのコマメちゃんで鍬込んでおいたのだが、種を蒔く前にもう一度耕し、その上でサクを切り、そこに植え込む作業、不断あまり行わない中腰の姿勢を長時間するので、結構疲れる(実は、作業中はそれほど苦痛は感じないのだが、作業が終わった段階で、股、腰の筋肉痛が始まり、今これを書いている1日後、2日後にその痛みはピークを迎える)。
 今年は、近所のお百姓さんのアドバイスを受け、今まで作っていた「男爵」(5キロ)「メークイン」(6キロ)に加え、今まで作ったことのない比較的新しい品種の「キタアカリ」(6キロ)を作ることにしたのだが、幸いお彼岸でお墓参りに帰郷していた二女が手伝ってくれたので(二女も今朝起きたときから、腕が痛い、足が痛いと筋肉痛を訴えていた)、家人と僕の二人でやるよりは相当時間的には効率よくできた。
 収穫は6月頃になるのだが、今から楽しみであるが、これから暖かくなってからの草取り、土寄せ作業のことなどを考えると、スーパーや八百屋で買う方が見映えも良く値段(経費)も安いのかも知れないが、一応完全な形での「無農薬・有機農法」栽培で作るので(と言いつつ、鍬入れた牛糞や豚糞などの大元で農薬やその他の薬品が使われていたら、そこまでは探索できないので、「一応」という言い方しかできないのが、残念である。100%「無農薬・有機栽培」で野菜ができたら本当に嬉しい)、できたものも「おいしい」はずだ、と思って作っているのだが、幸い、お世辞かも知れないが、おいしいから「わけて欲しい」「送って欲しい」という人が増えているので、何だか張り切ってしまうのである。
 それにしても、20日のお彼岸(中日)に僕の実家と家人の実家の二軒分のお墓参りをしてきたのだが、その途次目についたのは、荒れた梅林であり、枯れた雑草に覆われた休耕田があったりして、農村が確実に疲弊してきていることを実感した。この間ずっと「ノー政」と言われる「農政」に振り回されてきた農民たち、全国的には元気な人もいるようだが、北関東(群馬)の様子を「外」から見る限り、農村は疲弊しているのではないかという実感を強めるばかりであった。こんな現状では、「食糧自給率40パーセント」を改善することはできないのではないかと思った。繰り返すことになるが、僕らはもう一度「食」の原点に立ち戻り、輸入した食料の悪口(例えば、中国産の餃子や野菜などについて)を言う前に、自分たちの食のことを真剣に考えなければ行けないのではないか、と思う。
 閑話休題。
 これからは、「晴耕雨読」的に、狭い家庭菜園の中で、いろいろな野菜類を作るのが楽しみである。4月始めの里芋の種植え、そしてその後のビタミン菜など諸々の野菜が続く。今年はきちんとニンジンを作って欲しい、と言われているので、頑張らねば。

 写真は我が家のじゃがいも畑です。

「希望」(?)のキューバ

2009-03-20 05:11:33 | 文学
 今やマスコミ・ジャーナリズムは、何かというと「WBC」一色に染まっているようで、なるほど昔から言われているように、このWBC一色に染まった今日の状況は、スポーツが「政治」の一部であることを如実に証しつつあるように思われる。何故なら、どう考えても「庶民・民衆」のためではなく、ただ首相の座にしがみついているだけとしか思われない政治指導者の下で、私たちは「100年に一度の大不況」に対処しなければならない状況下にあるというのに、「WBC狂想曲」はそれらの現実を隠蔽しているのではないか、と思われるからである。
 というように書くと、またぞろ「スポーツ(野球)愛好家」からそのような考え方は「中立」(政治と無関係)を旨とするスポーツに対する冒涜であり、偏向した考えである、とお叱りを受けるかも知れないが、先の北京オリンピックや石原慎太郎東京都知事が音頭取りで騒いでいる「東京オリンピック」のこと、あるいは1964年に開かれた東京オリンピックのことを考えれば、スポーツが「政治」と密接な関係にあることは、誰もが承認するのではないか。現代(近代)スポーツは、素朴に競技を楽しんだり体を鍛えるためのものと、「政治」(あるいは、ナショナリズムと言い換えてもいい)を背景とした「勝ち・負け」にこだわるものとに二分されている、と考えるべきではないか。僕は、ボロ布を巻いたボールと薪を削ったバットで行われた三角ベースボールに始まって、柔道、ラグビー、バスケット・ボールに興じてきた経験を持ち、そうであるが故なのか、現在でも家人がいぶかるほどにテレビで柔道やラグビーの試合があると見入ってしまうが、昨今のお金がかかるスポーツの在り方を見ていると、余計そのように思えてならない。
 改めてそんなことを考えたのは、いつどこであったか忘れてしまったが、「優勝候補」と言われていた(もう敗退したが)キューバの選手を取り巻く状況は余りに厳しく、ボールやバットなどの道具やユニホームは日本の某メーカーからの寄付で賄い、年収にいたっては数万円で、日本選手の何百分の一にすぎない、という報道に接し、なるほどここにも「政治」が微妙に絡んでいる、と思ったからである。周知のように、キューバは今日本で再評価されているチェ・ゲバラ(故人)とカストロ元首相に率いられた革命勢力によって「革命」が成し遂げられ、喉に刺さった棘としてアメリカから敵対視され(経済封鎖をされ)、長い間同盟国であり援助されてきたソ連が崩壊した後も、「農業」を中心とした独自な社会主義社会を建設してきた国である。日本に比べたら、本当に「貧乏」な国である。
 しかし、これは主に今書いている「村上龍論」のために読んだ村上龍の著作から教わったことだが(村上龍の場合は、もっぱらラテン音楽<サラサ>の魅力を中心に語られている)、それにキューバに入れあげている友人の情報などを加味して考えると、キューバでは人々が「希望」を持って生きており、そのことが日本と異なる最大の特徴、ということになりそうである。「絶望」「喪失感」を基底にした村上春樹の文学が相変わらず大人気を博し、最近の芥川賞作品が象徴しているように「社会」が遠景となった文学が大手を揮っている現在、それはまさにこの日本社会に「希望」がないことを象徴していると言ってもいいと思うが、目先のことに戦々恐々とし、「自分さえよければ」という風潮が相変わらず続いている状況をそのままに、WBCの1戦1戦に一喜一憂しているこの社会、本当にどうかしているのではないか、と思わざるを得ない。
 それにしても、「最大のライバル」などと言いながら、アナウンサーも解説者も、はたまたニュース・キャスターたちも誰一人、キューバや韓国といったライバル国の現在を伝えないというのは、彼らに知識がないためなのか、それとも別な意図があってそうしないのか分からないが、大きな声で絶叫する割には、余りにも貧寒とした言語風景だな、と思うのは僕一人だけか?せめて、NHKの高校野球放送時における「故郷紹介」ぐらいしても罰は当たらないと思うのだが……。でも、所詮は大新聞読売(渡辺恒雄会長)の肝煎りで始まったWBCである、自ずと限界があるのかも知れない。


村上龍論を書きながら

2009-03-18 08:30:21 | 文学
 いよいよ残すところ1章と少しという状態になり、大学も春休みになったので(と言っても授業がないというだけで、会議は相変わらず集に何回も行われている)書くことに専念しているのだが、なかなかはかどらず、1日に10枚から12,3枚しか書けない。10年ほど前だったら1日に15枚をノルマにして、多いときは20枚も書いていたことを思うと、これも「老い」のせいかなとも思うが、それだけではなく、書いている最中に「村上龍」を今書くことの意味は何か、彼の文学史上の位置は何か、というようなことを考える時間が多くなって、闇雲にキーボードをたたけなくなったというのも、1日に書く量が減った理由の一つなのではないかと思っている。
 それで改めて「村上龍」のことであるが、村上春樹などと比べて多作であり、発表媒体も選ばない作家である彼の作品をざっと眺めてみると、正直言って「玉石混淆」という書き始める前の印象を現在の時点で改める必要はないと思っているが、その全体像はともかくとして、結論的に言えば、現代作家の中で村上龍ほど「社会」や「世界」の在り方に強い関心を持っている作家はおらず、その自分の指向性を作品の中に生かしている作家も以内のではないか、と思っている。
 村上龍は、1970年代にこの国の「近代化」は終焉し、それ以後現在まで私たちは誰からも「未来への指針」が示されない「希望なき時代」を生きているのだ、という時代認識を持って創作を続けているが、「内部」への志向(嗜好)を強めているように僕には思える現代文学の風潮に対して、彼の文学は明らかに対峙するものだと言っていいだろう。先に芥川賞を受賞した津村記久子の「ポトスライムの舟」について、派遣社員が主人公でありながら、現在の「派遣義理」や「雇用問題」に切り込んでいないと批判したが、村上龍の小説は、彼女の「内部=心理」に傾きがちな作風と違って、明らかにこの時代の問題点にその筆は届いており、何とかしてこの状況を切り開いていきたい、という作家の「願い」が込められている、と読むことができる。
 もちろん、一方で村上龍の「絶望」(「喪失感」から生じたもの、と言うこともできる)の深さは半端ではなく、彼の作品が多様なのは、彼の絶望の深さと関係しているのではないかと思っている(詳細については、今月中には書き上げられ、6月頃には上梓される予定の拙著を見ていただきたい)。
 そして、村上龍論を書きながら、日ごとにたまっていくその草稿の数を横目にしつつ思うのは、「100年に一度の不況だ」と言われながら、一向に先が見えない状況に苛立つ自分と「凪」状態にあるように思える社会総体とのギャップについてである。我が世代の性かな、とも思うのだが、倦んだような日々に苛立ちを押さえることができない。
 そんな日々を幾らかでも慰めてくれるのが、芽吹き始めた木々と同調して進めなければならない「ジャガイモの植え付け」の準備である。先週、秋に集めておいた落ち葉(腐葉土)と牛糞や豚糞を入れた土を耕したばかりで、お彼岸の3連休の1日を使って植え付けを行う予定。今年は立松和平にも所望されたので、例年より少し多めに植え付けするつもりであるが、ジャガイモの後は里芋と続き、今しばらくは気分転換が可能な季節になる。
 でも、「村上龍論」は早く仕上げないと、次の仕事も待っている。慌ただしさが一向に変わらない日々が続く。

いよいよ、海外派兵が本格化か?

2009-03-14 09:08:16 | 近況
 いつでも「野望」は、美名を伴って「袖の下に鎧を隠し」ながら私たちの前にその姿を現す。
 昨年の秋頃からマスコミ・ジャーナリズムの表舞台にしばしば登場するようになった「ソマリアの海賊」にどう対応するかという論議は、予測されていたこととは言え、「自国船舶の保護」という名目=大義名分を得て、海上自衛隊(日本海軍)の艦船2隻が出動するということで結論を得たような形になった。アフガン戦争において「反テロ戦争」に参加している艦船への「給油」という形で海上自衛隊が出動し、イラク戦争にあっては陸上部隊だけでなく航空自衛隊も米軍の空輸作戦に参加したことから、「憲法」の「前文」や「第9条」等は無視して(等閑にして)今後は次々と自衛隊が海外へ出て行くだろうと予測していたのだが、今度の「ソマリアの海賊」対策のために自衛艦が出動するというのは、軍事大国化を願う人々にとっては願ったり適ったりのことで、憲法の「垣根」はいよいよ低くなったと思わざるを得ない。
 誰かが言っていたことだが、このようなアフガン戦争への参加から始まる(それ以前の「シーレーン防衛」や「PKO]への参加論議の時代に遡るという考えもあり、僕はそうだなと思っている)自衛隊の「海外派兵」は、戦前の日本(軍)による中国侵略の軌跡と似ている面が多分にある。最大の相似点は、軍隊の海外進出(侵略)論を下支えする議論として、そこに「ナショナリズム」が前面に押し出されていることである。「満州は日本の生命線」という言葉と「ソマリア沖を通過する日本の船舶は、日本の産業や生活に必要な物を積載している」という言い分の何と似ていることか。さらにそれに加えて「邦人保護」という大義名分を掲げれば、国民に軍隊の海外派兵を認めさせるのに十分だろう。
 折しも、北朝鮮が「衛星打ち上げ」(ミサイル発射実験)を声明した。「拉致問題」をきっかけにナショナリズムを刺激し続けてきた保守勢力(自衛隊の海外派兵を目論んできた勢力)にとって、渡りに舟であった。北朝鮮のミサイルが日本の上空を通過するような事態になったら、(日米が共同して)そのミサイルを撃墜するという。恐ろしい事態になったな、と思うだけでなく、この「北のミサイル撃墜」宣言には、二つの意味が隠されているように、僕には思える。一つは、小泉元首相・安倍元首相時代から顕著になってきていた「ネオ・ナショナリズム(ネオ・ナショナリスト)」を刺激し、そのような形で「挙国一致」体制を形成できないか、という狙いであり、もう一つは日本の防衛力は、(アメリカの協力を得て)北朝鮮のミサイルを打ち落とすだけの能力を持っている、ということを内外に宣言するという狙いである。海外(アジア)へ行くとよく分かるのだが、アジアの人々がいかに日本の軍事力(武力)を、中国のそれと並べて脅威に感じているか、肌で感じることがあるのだが、今も日米の間で着々と進められている「ミサイル防衛計画」の実態が、もし北朝鮮のミサイルが日本上空に迫ってきたら明らかになるのではないか。「軍事大国・日本」の脅威、これは絵空事ではない。
 「100年に一度」と言われる大不況にもかかわらず、今年度の予算でもアメリカ軍への「思いやり予算」はほとんど削減されていないし、防衛予算も他の予算と比べてそんなに減額されていない。
 それやこれやを考え合わせると、何でこれほどまでに権力の座にしがみついているのか理解に苦しむ「支持率1割台の首相」の下に繰り広げられた「特別給付金」狂想曲が巷に流れる間に、この国の「未来」を左右するような法案が、ろくに論議されないまま国会を通過してしまい、またまた次世代に大きなツケを残すような事態になったことを、僕らはどのように考えればいいのか。
 この不況の時代、公務員への就職を望む者が異常に多くなっているという。その公務員の中には「自衛官」も含まれる。先頃、田母神某とかいう航空自衛隊のトップにあった人間が、「先の戦争は侵略戦争ではなかった」と言って物議を醸したが、その自衛隊を退官した人物が講演で引っ張りだこだという。そんなご時世である。偏狭な「ナショナリズム」が跋扈するのに都合のいい土壌が出来ている、といったら言い過ぎか。
 かつて勝新太郎が演じた「座頭市」の名台詞に「嫌な時代になったなあ」というのがあったと記憶しているが、毎日の生活の中でふと頭に浮かぶのは、この座頭市の台詞である。

村上春樹の「エルサレム賞」について(その2)

2009-03-10 09:17:39 | 文学
 当然のことだが、別に画策したわけではないのに、村上春樹の「エルサレム賞」について書いたら、タイミングよく朝日新聞の外信部欄のコラム「風」に「カイロ発」として平田篤央という特派員が、「アラブのハルキ・ムラカミ論」なる文章を寄せ、アラブ諸国における村上春樹の今回の「エルサレム賞」受賞に関する反応について書いていた。
 その記事によれば、授賞式(2月15日)後の2月23日にレバノンの作家・詩人であるアブド・ワジンという人が「本格的な論評」をアラブ圏の新聞に寄稿し、そこで氏は「我々アラブ文化人は村上春樹がエルサレム賞を拒絶することを願った」にもかかわらず、(ガザ攻撃で千数百人の殺した最高責任者である―黒古注)イスラエルのペレス大統領から賞を受け取った。村上春樹は、「イスラエルが世界的文学賞(ノーベル賞)の通り道だということをよく知っていた。」「イスラエルは、ボーボワールやミラン・クンデラが受賞したこの賞を村上春樹に与えることによって、自分たちが文明国であると世界に占めそうとしたのだ。」「村上春樹は、アラブの本屋や図書館に存在しており、多くのアラブ人に読まれ、最も輝かしい日本の作家として人気がある。(たぶん)イスラエルではこれほどの人気がないはずだ」。
 そして、結論としてアブド・ワジン氏は次のように書いていた、とする。「仮に今回の小さな過ちを許さないとしても、我々は村上春樹を愛し、読み続けるだろう。彼だって、誰もが知っている目的のためにちょっとした間違いを犯したことは分かっている。アラブがこの偉大な作家に「免罪符」に当たるような賞を与えることを望みたい」
 アラビア語→英語→日本語(要約)という形なので、アブド・ワジン氏の本意がどこにあったのか、ちょっと分かりにくい部分もなきにしもあらずであるが、今回の村上春樹の「エルサレム賞」受賞を、アラブ人が「小さな過ち」であり、「ちょっとした間違い」であると思っていることだけは確か、と言っていいだろう。圧倒的な武力の前にほとんど抵抗できないまま多くの無辜の民が殺傷されていくのを連日目撃し続けたアラブ人にとって、この「エルサレム賞」が例え「人間解放のために戦い続けた文学者である)ボーボワールやミラン・クンデラが受賞した賞であっても、ガザ攻撃があったばかりの今年のそれはイスラエルの「蛮行」を糊塗する何物でもなく、村上春樹はイスラエルの「宣伝」に使われたのではないか、という疑いを消すことができないということなのだろう。
 先にこの欄で「村上春樹はエルサレム賞を受賞すべきではなかった」と書いた僕にしてみれば、このアラブ人のここに紹介した論評は「我が意を得たり」という質のものと思っている。多くの評家が村上春樹の「壁と卵」の比喩を使った受賞スピーチを高く評価しているが、当事者でない人間にとって「政治=戦争」と「文学」は直接関係しないという立場を承認してもなお、村上春樹が「卵=弱い人間」の立場に立つと思っているのなら余計に、「文学」は「千数百人」の死者の側に立たなければならないのではないか、と思わざるを得ない。今回、「世界的な人気を誇る」村上春樹が、このイスラエルが与える国家的文学賞を受賞したことによって、ガザにおいて(あるいは、建国以来ずっと続いている中東戦争において)多くの無辜の民を殺傷したイスラエルの「犯罪」を遠景に退ける役割を果たしてしまったのではないか、という危惧を感じるのは僕だけか。つまり、イスラエルは自分たちの「犯罪=蛮行」を「世界的に人気のある」「ノーベル文学賞候補でもある」村上春樹に与えることで、「免罪符」を得ようとしたのではないか、という勘繰りを可能にしたのが、今回の「エルサレム賞」常勝だった、というわけである。
 また、今度の「事件」(と、敢えて言う)によって、「文学」と「政治=戦争」は関係ない、とする俗流芸術主義的文学論を勢い付かせてしまうのではないか、という懸念も持つ。どのような文学観を持とうが、その人の自由である。しかし、文学が人の「生き死に」に関係し、その根底に「人間、いかに生きるべきか」という問いを潜ませているとしたら、ガザの1000人を超える死者への「想像力」を欠いた文学は、やはりどこかおかしい、と思うべきなのではないか、と思う。特に、昨今の「外部=社会や世界」との回路を持たない文学が横行している状況を考えると、余計にそう思う。
 

村上春樹の「エルサレム賞」について

2009-03-08 05:06:15 | 文学
 周知のように、村上春樹が建国以来=半世紀以上にわたってイスラム勢力(就中パレスチナ)と「戦争」をし続けてきたイスラエルが、「社会における個人の自由」に貢献した文学者に与えてきた賞である「エルサレム賞」を受賞し、その賞を受けるのか否か、また受けるとして授賞式に出席するのかどうか、またこの「エルサレム賞」受賞はノーベル文学賞受賞へのステップなのではないか、等々、喧しい論議が起こったが、村上春樹についていささかの著作を持つ僕が沈黙していたのには、理由があった。
 理由は単純である。どのような美名(「社会における個人の自由」に貢献した文学者)の下であろうが、いささかなりとも「戦争」を正当化するような行為に個人としては決して加担してはならない、と思ってきたからに他ならない。つまり、この「エルサレム賞」が発表される少し前まで圧倒的な武力でもってパレスチナ・ガザ地区の「無辜の民」を1500人以上殺したイスラエルに対して、どんな些細なことでも「加担」するような言動には賛成できない、ということである。
 もちろん、これは近代文学評価の一種のアポリア(難問)にもなっていることだが、「政治=戦争」と「文学」は別なものだ、それを一緒に取り扱うのはかつてのプロレタリア文学運動時と同じではないか、いかにも政治主義的であり過ぎる、芸術(文学)の自立性を理解しない議論である、等々の意見があることは百も承知である。しかし、先のアジア・太平洋戦争に「無名兵士」の一人として参加した父親を持ち、かつ学生時代に「殺すな!」の論理と倫理を生き方の根底に置いてきた僕としては、いかなる理由があろうとも、繰り返すが「戦争」に加担する行為は現に慎まなければならない、と考えてきたということがある。
 というようなことで、村上春樹の「エルサレム賞」受賞については何も語らなかったのだが、何人かの人からこの件について「どう思いますか」と問われたということもあり、また既に去る「2月15日」の授賞式に村上春樹が出席し「スピーチ」(英語で)も行い、そのスピーチの内容も明らかになった現在、僕自身の考えを述べるてもいいのではないか、と思い、簡単に記すことにする。
 まず、この賞の受賞及び授賞式出席については、今でも村上春樹の選択は間違っていたのではないか、と思っている。理由は、僕の見るところ村上春樹は結果的にイスラエルのガザ攻撃の正当化に手を貸してしまったのではないか、と思うからである。もし、多くの論者(具体的に僕がその文章に接した物書きは、『週刊朝日』に載った内田樹と清水良典)が「高く評価した・認めた」比喩の多い「スピーチ」で明らかにした、(戦争を行ったイスラエル、あるいは国家・システムと言っていい)「高い壁」に対して、自分はその壁にぶつけられれば簡単に割れる「卵」に比せられる「人間」の側にたつ者である、という村上春樹の論理に賛成であっても、あるいは賛成であるが故に、やはり授賞式には出席せず(受賞を拒否して)、この「スピーチ」と同じものを「受賞拒否」の理由として発表すればよかったのではないか、と思う。
 また、「スピーチ」で語られた父親と戦争(アジア・太平洋戦争)とのこと――村上春樹は、これまでく父親のことやその父親が兵士として参加させられた中国大陸での戦争(戦死者)を語ってこなかったので、このスピーチにはびっくりさせられた――にしても、そうであればこそ建国以来続いてきた「イスラエルの戦争」について「批判」すべきだったのではないか、と思う。
 大雑把な言い方になるが(詳しくは拙著『村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ』07年6月 勉誠出版刊を参照してください)、村上春樹は自ら河合隼雄との対談で、1995年に起こった阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件を契機に、それまでの「デタッチメント」(社会的なことへの「無関心」)から「コミットメント」(社会的なものとの関わり)へ「転換」した、と言ってきたはずである――しかし、それが確固たる路線にならず「迷走」しているのではないか、というのが拙著の主張である――。にもかかわらず、「エルサレム賞」を受賞してしまった。
 以上は、大方の批評家とは見解を相違することを承知で書いたが、一言書いておく必要を感じた結果である。もしこのブログの読者に「村上春樹フリーク」の人がいたら、ごめんなさい。でも、よく考えてね、とだけ言っておきたい。

春の息吹を感じながら

2009-03-07 08:49:29 | 近況
 氷雨に打たれながら、それでも庭先の紅葉やツツジ、柿、白蓮、等の木々は確実に芽を膨らませており、春が近くにきていることを告げている。冬の間、春が来れば状況は好転するのではないか、と何となく期待もせず思っていたのだが、世の中はそんなに甘くなく、こちらが自分のこと(仕事、等)に忙殺されている間に、民主党の代表・小沢一郎の第一公設秘書が逮捕される、というような「大事件」が起こり、政界だけでなくこの「日本」という国家・社会そのものが、「発展途上国」と同じように、「近代化=民主化の途上」にある現実をまざまざと見せつけてくれた。
 今執筆している「村上龍論」は、いよいよ最後の段階に入ったのだが、その村上龍が1990年代の後半にあってしきりに口にしていたのが、「日本は1970年代において<近代化の終焉>を迎えたが、そのことに気付かない(あるいは、気付かないふりをしている)大人達の生き様しか模倣できない子ども達が、援助交際を行ったり神戸の酒鬼薔薇聖斗少年のような事件を起こしているのだ」(主旨)というようなことであった。この村上龍の時代認識に従えば、今度の民主党小沢一郎やその後続々と明らかになった自民党「大物議員」への「政治献金」や「パーティー券購入」という事実は、紛れもなくこの国の政界が「近代化の途上」(あるいは近代化以前)という状況にあることを物語っている、としか思えない。
 もちろん、村上龍の時代認識が絶対的に「正しい」とは言えない。というのも、村上龍の見解が「ポスト・モダン」論に立脚したものであり、僕が「ポスト・モダン」論議において決定的に欠如しているのではないかと思っている「未来へのビジョン」の未提示、および第三世界(発展途上国)の現状をどのように考えるか、というようなことを欠落させているのではないか、と思えるからである。それに、これは拙論「村上龍論」の中にも書いたことであるが、果たしてこの国の「近代化」は本当に1970年代に「終焉」したのか、という根本的な疑問が個人的にはある。「近代化」が不十分であり、まだまだそれを実現するための方策は様々に考えられるのではないか、と僕が考えているということがある。つまり、仮に「近代化」とは封建制(身分制社会)からの脱却・克服だとするならば、まだまだこの社会は充分に「近代化」されておらず、今はその途上(方向が定まらず、右顧左眄している時代)にある、とも考えられるのではないか。小沢一郎への「献金」疑惑のみならず、昨今のマスコミ・ジャーナリズムを騒がせている「企業の倫理=派遣切り、等の雇用問題」や相変わらずテレビや新聞を賑わしている「親殺し・子殺し」事件、等々、も皆この国がまだまだ「近代化」していない証拠であり、もしかしたら「近代化」というのは、僕らの「見果てぬ夢」であって、生きるということはその「夢」に向かって進んでいくことの謂いなのではないか、とも思われる。
 そんな現状にあって、どうにかこの困難な状況を抜け出すには、どうすればいいのか。最近考えているのは、今は詳述できないが、この国のバブル期に論議されたと記憶している「オルタナティヴ=もう一つの生き方」という考え方である。ずっと言い続けている「共生」の思想ともどこか通じ合うこの「オルタナティヴ」という考え方、いい意見を聞かせていただけないだろうか。