黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

覚悟を決めて(2)――考えてきたこと(その1)

2017-01-11 09:58:56 | 仕事
 昨年、2年越しの課題だった『立松和平の文学』(2016年10月 A5版360頁 3500円+税 アーツアンドクラフツ刊)を上梓し、お陰様で、昨日の版元からの連絡では、今年になっても少しずつではあるが書店や図書館から購入申し込みがあって、「硬く高価な本」にもかかわらず順調に売り上げを伸ばしているとのことで、少し安心しているのだが、それはそれとして、『立松和平の文学』の草稿を版元に手渡した後、実はすぐに次の31冊目の自著になる『「原発文学」史・論』(仮題 今年刊行予定)の執筆に着手したのだが、原爆文学論を書く過程で集めた関連書やフクシマ後に購入した書籍約100冊を読み直し、また新たに読み、かつ下書きを書く過程で改めて気付かされたことがある。
 それは、まず何よりもヒロシマ・ナガサキを経験した日本人が培ってきた「反核」感情や思想を、政府や産業界は一部保守的なメディアを巻き込んで如何に「原子力の平和利用=原発」推進派に転換させてきたか、また戦後の政治史及び経済史がいかにアメリカの政界・軍隊(世界の警察官・安全保障の担い手であるとの自負と共に)・経済界の意向を直接的に反映した「原発」の歴史を中心に展開してきたか、ということの再認識を強いるものでもあった
 このことは、前にも書いたが、日米の「公開」された日本米の公文書(資料)を精緻に分析した上で書かれた2冊の本『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(2014年10月 集英社インターナショナル刊)と『日本はなぜ、「戦争のできる国」になったのか』(2016年5月 同)から教えられること大だったのだが、安倍首相やその仲間たちがいくら『日米関係は対等・平等の互恵関係にある』と言っても、「原発」の設置に関しても、また「独立」後(サンフランシスコ条約締結後)にも沖縄だけでなく青森県の三沢基地、東京の横田基地、神奈川県の横須賀基地、山口県の岩国基地、長崎県の佐世保基地、等々、「日米地位協定」という名の「日本の属国化」を確認する組織に象徴されるように、世界に類を見ないほどに――同じ第二次世界大戦の「敗戦国」であるドイツやイタリア、あるいは大戦前はアメリカの植民地であったフィリピンなどと比べても――、日本は占領期(1945年~1952年)と変わらず、アメリカの「植民地」と同じような、つまり属国としての地位・情況を受け入れ、歴代の保守政権はそのような「アメリカの属国」であることに甘んじ、時には積極的にそのような日米関係を利用して、現在まで延命してきたということである。
 もちろん、アメリカは自国の「核」体制、つまりアジアにおける軍事的優位を守るために、日本が原発を次々と建設し、その結果として核兵器の材料であるプルトニウムを大量に保持する「潜在的核保有国」になったことも、「許容の範囲」であるとしてきたのである。このことは、国連総会において日本がアメリカなどの核保有国と共に「各先生攻撃の禁止条約」締結に「反対・棄権」をしてきたことの理由であり、それほどまでに日本はアメリカによって首根っこを押さえられていると言うことである。
 僕は決して「反米主義者」ではない。アメリカには友人もたくさんいるし、僕がアメリカの大学院で日本文学を講じたときの「教え子」や僕の教室に「日本文学研究」のために留学した学生も数多くいる。しかし、安倍首相が「自画自賛」風に、現在における日米関係の「不平等」状態をあたか無きが如くに、日米関係の「和解」やアメリカの「寛容」を褒め上げたりするのを見ていると、何とも胸糞が悪く、「ヤンキー・ゴーホーム」と叫びたくなる。
 閑話休題。
 「原発文学」のことに戻ると、フクシマ以前までに54基の原発が建設され、フクシマ後も「エネルギー(電力)が足らないと言うことがあるにもかかわらず、あるいは僕の住む群馬県などでは毎日のように休耕田や山野を利用した小規模の太陽光発電が設置されているということなどが象徴するように、「電力の供給」という意味では電発など必要ないにもかかわらず、安倍自公政権によって原発の再稼働が推進されていることからも、原発は「国策」として推進されてきたということであり、その再稼働の狙いは、この欄で繰り返し強調してきたように、プルトニウムの確保=潜在的確保有国であり続けたい、というまさに政治的・軍事的な理由以外の何ものでもない、ということをこの間の原発関係の資料を読むことによって、改めて認識し直したのである。
 そして思ったのは、僕らは基本的なことをもっともっと知らなければならない、ということであった。どうしても僕らは目先のことや自分自身のことにしか目を向けがちだが、そのような目先主義=刹那主義・エゴイズムが何をもたらすか、本気で考えなければいけないのではないか、とも思った

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5 コメント

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『立松和平の文学』 (黄英治)
2017-01-13 00:06:54
昨年のブログでも紹介されており、気になっていたのですが、先生の年賀状で背中を押され、版元に注文して、先日、本書を落掌しました。
いま読んでいる、中野重治の評伝を読了したら、本書にとりかかります。
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ファンさん、ありがと。 (黒古一夫)
2017-01-13 05:54:08
 ファンさん、拙著の購入、ありがとうございます。
 読み終わった後の感想を楽しみに待っています。
 では、また。
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Unknown (sica)
2017-02-10 02:13:08
「同じ第二次世界大戦の「敗戦国」であるドイツやイタリア」は、アメリカから核弾頭を借りています
憲法も改正していますし、アメリカ一辺倒にならないように軍備にも力を入れていて、最近まで徴兵制の国でした
さらにドイツはアフガニスタンでテロとの戦争をアメリカと共に戦っています

それと「ヤンキー・ゴーホーム」はヘイストピーチです
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何が言いたいのですか? (黒古一夫)
2017-02-10 06:25:26
sicaさん

 貴方は何を言いたいのですか? 日本と同じような第二次世界大戦の「敗戦国」であるイタリアやドイツも「アメリカの核弾頭を借りている」(「借りている」のではなく、NATO軍を主導しているアメリカ軍がヨーロッパ各地に設置しているミサイル(核弾頭付き)の国内設置を認めているだけでしょう)のだから、日本がアメリカの「傘の下」にいるのはとうぜんだし、情況さえ許せば「核武装も可能だ」とでも言いたいのですか。
 貴方と僕とでは、政治や軍事に対する考え方が根本的に違います。貴方は、「現実(現状)がこのようになっているのだから、「核兵器」の問題に関しても現実に合わせるべきだ」とお考えのようですが、僕は違います。実際は難しいかも知れないが、アメリカの核戦略を容認している(言いなりになっている)としか思えない「現実(現状)」を、何としても根本から変えるようにすべきである、そのために僕らは権力(政府)に対して「異議あり」を言い続けなければならない、と僕は考えています。
 何故なら、「世界の警察」を気取っているアメリカによってこれまでどれだけ多くの国家や人々は酷い目に遭ってきたか。現にと乱歩大統領によってイスラム圏の7カ国が「差別」的な扱いを受けているが、アメリカ築地外交を加速させている安倍自公政権は、世界各国の首脳がトランプ批判をしているのに、「コメントする立場にない」などといって、トランプのイスラム教差別を是認している。
 貴方は、このようなことも「それが現実だ」と言って用にするのでしょうか。
 僕には、理解できません。
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Unknown (横松平和)
2021-07-03 22:05:41
サンケイ新聞・聖教新聞・立正佼成会には寄稿・投稿・出版しながら、民主的・進歩的・全共闘的・反スタ的言辞を弄する愚物!
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