黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

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スロベニアにて(17)

2006-04-14 16:35:33 | 近況
 現在、現地時間午前9時20分、あと40分で、1ヶ月暮らした客員教授宿舎を出なければならない。
 1ヶ月、あっとうまであった。到着した翌日から講義をして昨日まで、講義もようやく軌道に乗ってきたと思ったら、もう帰らなくてはならない。いささかなりとも「沖縄文学」を当地の学生たちに伝えられたか、文学のおもしろさを理解して貰えたか、確信はないが、なんとか責務だけは果たせたのではないかと思っている。昨日は朝から、二人の卒業発表があり、一人は近代日本の「神話」構造、もう一人は「日本のおける女性雇用の問題」、どちらも客員教授として意見を求められたが、いずれも外国でこれだけの卒業研究ができるのかと感心させられた。勿論、いろいろ欠陥もないわけではないが、それでも努力賞もので、一人の学生の論文は、本当によくできていた。
 そんなことがあって夜は、僕の歓送会。トルコ料理店で、ベリーダンスのおまけ付き。何も遊びをしない僕のために、日本研究科の先生方が最大限のサービスをしてくれたのかも知れない。トルコの強い酒を飲み、いささか酩酊。
 また、この日は、筑波であった留学生のエヴァさんと再会。彼女とはメールで卒論に対する意見を求められていたのだが、いよいよ仕上げと言うことで、直接意見を聞きたいと訪問してくれたのである。彼女は「日本における被差別部落の問題」という大きなテーマで卒論を書く予定で、僕のできる限りの助言をしたのだが、どうなるのだろうか。
 というようなわけで、あと25分で出発。最後の荷物整理をして、このパソコンをしまって。
 スロベニアからは、さようなら。
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スロベニアにて(16)

2006-04-13 07:46:17 | 近況
 スロベニア滞在も、あと1日。急に思い立って、もう一度食べたかった「ヨタ」という煮込み料理を食べに行った。こちらで食したボスニア料理、セルビア料理、イタリア料理、等の中で一番スロベニアらしい料理で、僕の口にあった料理だと思い、スロベニアでの思い出を確かなものにするため、どうしてももう一度食べたかったのである。豆やザワークラフト(キャベツの酢漬け)、肉などが入ったちょっと酸っぱい煮込みで、今度食べたものも、おいしかった。どのように作るのか興味があったが、レシピを聞くことはできなかった。
 さて、14日間に渡って講義してきた「沖縄文学」だが、果たしてこちらの大学生に十分に僕の意図することが伝わったか。正直に言うと、日本人学生ならば「常識」と思える基礎知識のない外国人学生にとって、「沖縄」という地域の特殊性をスロベニアの現実と重ねながら理解するのは、大変だったのではないかと思う。小国(少数民族)であるが故に、古代から幾多の戦乱に巻き込まれ大国に支配されてきた歴史をもつスロベニアと沖縄とは重なる部分がずいぶんとあるはずなのだが、言葉の「壁」があって、理解が妨げられたのではないかという感想を持たざるを得なかった。「文学」理解に国境はないはず、と思って望んだのだが、初めての経験(2000年のアメリカでは大学院生対象だったので、今回の学部生とは異なる)だったせいもあって、不十分だったのは教師の側の責任が大半だったかも知れない。また、「異文化」(文学)を伝えるには、1ヶ月は短く、せめてあと1ヶ月は欲しいというのも、正直な感想である。あるいは何年か続けて講義する、というのも解決策の一つかも知れない。今は、来年も可能ならば来たい、という気持になっている。せっかく学生たちとも馴染んできたので、「継続は力なり」を信じて、連続することで今回の不十分さをカバーしたい、のである。
 それにしても、日本とスロベニアの彼我の違い、旅行ではなく仕事で滞在すると、そのことを余計に感じるようである。毎日のバスでの通勤途中で、あるいは買い物をしたスーパーで、はたまた食事した店で、学生たちとコーヒーを飲んだ大学近くのカフェで、先生たちとの会話で、様々な「違い」を感じた1ヶ月だった。それが今後の我が仕事にどれぐらい反映するかは全く不明だが、できればこの貴重な体験をぜひとも生かして仕事をしたい、と思う。
 最後の今日は、卒論発表に臨席させて貰えることになっているが、「日本における女性の雇用」と「日本の神話構造」というテーマのレジュメ(日本語による要約)を目の前にして、あるいは別な学生から聞いた卒論のテーマ「日本人の反ユダヤ主義」や「戦後日本と『楢山節考』」のことを考えると、その内容は別にして構えの大きさに感心させられた。大きく構えることで、『日本』を改めて認識し直そうというのだろうが、そのモチーフの強さは日本人学生も見習うべきかも知れない。ちまちました重箱の隅をつつくような研究、それも必要なのかも知れないが、考えさせられることである。
 帰りが遅くなって、すぐ帰国の準備をしなければならないので、この『スロベニアにて』も今回で最後になると思うが、日本でも毎日というわけにはいかないが、ブログは定期的に書いていきたいと思っているので、また次回を!
 では、今度は日本でお目にかかりましょう。
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スロベニアにて(番外編)

2006-04-12 09:36:27 | 文学
 スロベニアに来て1週間ほど経った頃、「アートン」の編集者からメールが来て、今度刊行する立松和平の『不憫惚れ-法昌寺百話』の「解説」を書いて欲しいと依頼された。立松のこの連作集については、少なからぬ因縁-徳間書店の宣伝部長をしている教え子に頼まれて、立松を同社の編集者に紹介し、同社が発行している『問題小説』に1年間連載された-があり、徳間が会社の都合で単行本を断念したということから、何処かで本になればいいな、と思っていたということがある。
 内容は、立松が旧知の早稲田の先輩福島泰樹(歌人:絶叫コンサートの歌人として余りにも有名)が住職を務める法昌寺で毎月3日に開かれている「毘沙門講」に集う人々の話を基(勿論、架空の人物でフィクション)に、庶民の哀感をつづったつづったもので、深沢七郎の『庶民列伝』を彷彿とさせるものである(立松の作品系列からいえば、02年に出た『下の公園で寝ています』の続編的性格を持つものと言っていいだろう)。好きな作品である。
 8枚ほどという事で引き受けたのだが、刊行日が迫っているので、帰国早々に書いて欲しいということで必要な資料をメールで送ってもらったのだが、参照しなければならない資料は帰国してから確認するということで、当地で原稿を送った。帰国したらすぐにゲラの校正をしなければならない羽目になったが、帰国してからのことを考えると、物書きとしての日常を取り戻すよい機会になったのではないか、と思っている。同世代の作家として、あるいは先般刊行された『立松和平 日本を歩く』(全7巻 勉誠出版)の編者として、またまたこれまでの長い付き合いを考えると、立松のこの久し振りの連作集、沢山の人に読んで欲しいと、心から思った。
 小泉首相の劇場型政治とそれを反映した世相を考えるとき、立松がこの連作集で描く人々は、そのようなパフォーマンスとは無縁な、この世を必死で生きている人たちである。現代文学が表層の「豊かさ」の中で失った物がここにはある、と言い換えてもいい。何よりも立松の目線の在り方が、現代文学の方途を失ったような混乱と較べて、全く別物であると思わせてくれるところがいい。立松は、この出版社から昨年『軍曹かく戦わず』という、戦場にあって敵に対しても味方に対しても「殺すな!」を実戦した人物の物語を刊行したが、今度の本も根本では繋がっているな、と思われた。このような本が沢山売れる時代が来ることこそ望むものであるが、果たして僕の「解説」がその一助になっただろうか。
 なお、この「解説」とは別に、こちらで1本エッセイを書いた。スロベニアでのことを当地の文学事情と絡めて「北海道新聞」に書いた物だが(掲載日は不明)、当地での経験は以前(2000年のアメリカでの半年)とは全く異なるもので、帰国してから再検証しなければならないと思っている。こちらのスタッフ(先生方)は「来年も、ぜひ」と言ってくれているが、事情が許すかどうか?やり残したことが余りにも多い気がするので、今はまた来たい、と思っているのだが、帰国したらどうだろうか。
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スロベニアにて(15)

2006-04-11 14:30:16 | 近況
 昨日(10日)、どうしても行きたかったポストイナというカルスト台地の真ん中にある都市(リュブリャーナ市から50キロほど離れている)に行ってきた。ここは、世界的に有名な「鍾乳洞」(スロベニヤ語でyama,「ヤマ」という。山の中の穴に入るのに、「ヤマ」とは、面白いね)のあるところで、群馬大学に留学経験のある学生に連れて行って貰った。現地には、地元出身の、これも群馬大学に留学したことのある学生が待っていてくれて、彼はここで3年間アルバイトの経験があるということで、彼に案内して貰った。
 入り口からはトロッコに乗るのだが、まさに「インディージョーンズ」の世界で、トロッコを降りたところから、約1時間余り、巨大な鍾乳石や石筍が林立する間を歩いて、最後はそこで合唱のコンサートが開かれるという天井まで60メートルもある広場を通って、トロッコで出口へ。出口の近くは、かつて第二次世界大戦の時、占領していたドイツ軍が備蓄していた石油(ガソリン)を、鍾乳洞の別な入り口から入ったパルチザンが爆破したため、天井の鍾乳石が真っ黒に煤で汚れていたが、現代史の一こまを見せられたようで、感慨ひとしおだった。
 帰りに、二人の案内で、これまた現代史の現実が一目で見渡せる古城に行った。そこは地中海の二つの都市を眼下に見下ろせる場所で、二つの都市とは一つがスロベニアのコペル市、もう一つがイタリアのトリエステ市。かつてトリエステ市はスロベニア領だったのだが、旧ユーゴのチトー大統領が、イストラ半島の一部と交換したため、今はイタリア領なのだそうだ。そこには当然スロベニア人が相当数住んでいるが、イタリア人から「差別」を受けているとのこと。目の下の光景の何処かに「国境線」が引かれ、そのためにそんなこととは関係なく大昔から生きてきた人々が苦しむ。来年正月から貨幣が「ユーロ」に切り替えられ、数年後には「EC」に完全加盟するスロベニアだが、パスポート・チェックなどが緩和されるというような外見だけでなく、本当に「国」と「国」の境が真の意味でなくなるのか?単に経済的・政治的な統合だけで、人々の生活と関係ないものであれば、何のための「統合」かと思う。
 夜は、日本研究科の先生のご主人手作りのピザ・パーティーに招かれた。先生がご自慢するだけあって、本当においしかった。特にピザ生地の味と焼き具合が絶妙で、普段は余り飲まないワインと共に、腹一杯食べてしまった。こちらにいる間にダイエット、と思っていたのだが……。
 あと今日を含めて4日、最後の授業のために、頑張らねば。
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スロベニアにて(14)

2006-04-10 12:30:52 | 近況
 久し振りに何もない日曜日。昨日のドライブと「穴」の周辺でのアップ・ダウンの激しいウオーキングの疲れもあって、終日読書と授業の準備(「水滴」目取真俊)、そして原稿書き(立松和平の「不憫惚れー法昌寺百話」の解説)、日本にいるときのような「日常」に戻ったような気分であったが、夕方、思い立って今まで言ったことのない方面へ散歩に行った。宿舎のある校舎(建築学部と教育学部)の東側には、道路を挟んで広大な農地が広がっているので、それがどのようなものなのか、「探索」したい気持もあって出かけていったのである。行ってみると、畑の中の道を結構沢山の人が歩いていて、自然にその中の一人になることができた。若いカップル、中年のカップル、犬を連れている人、ジョギングしている人、皆さんが黙々と畑の中の道を歩いている様は、微笑ましいものである。
 所々、耕されている畑もあり、これから春の植え付けが始まるのだろうが、その畑の土を見てびっくりした。こぶし大の石がごろごろしているのである。畑の周りを見るとそれらの石を取り除いた形跡がないから、毎年その無数にある石はそのままに、ジャガイモやトウモロコシの種が植え付けられるのだろう。日本とは大違いである。開墾したばかりの土地ではなく、何百年も耕かされてきた畑だと思うと、農業の仕方一つとっても国民性、生活スタイルの違いを感じる。面白いものである。
 40分ほど歩いた帰りに畑の縁にある「家庭菜園」を覗いてきた。5坪ほどの小さいものから30坪ほどの大きいものまで、興味を引かれたのはそれらが皆、有刺鉄線や植木で囲まれ、中にいずれも「掘っ立て小屋」があり、入り口には鍵がかけられているということであった。野菜泥棒がいるのだろうか?サラダ菜、ネギ(だ郎と思う)、なんだか分からない野菜の芽、などを見ることができ、その外観からは、持ち主の熱心さを感じられた。僕の留守中に、ささやかな菜園に家人や娘夫婦が植え付けてくれたジャガイモは、春を迎えてどうなっただろうか、芽が出ただろうか。
 帰ってきて、スパゲッティーを作り、夕食。そして、何日かぶりに「林京子論」を再開。現在300枚余り、ようやくめどが付いてきた。連休前に仕上がるだろうか?明日は、学生と一緒に、ポストイナ(大学から高速で40分ほどの都市)の鍾乳洞見学の予定。
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スロベニアにて(13)

2006-04-09 10:50:42 | 近況
 残り少なくなった日々を心配してくれたのか、ベケッシュ教授が「知られざるスロベニア」を紹介してくれるというので、快晴の空の下、南部のクロアチア国境沿い(イストラ半島)に広がるカルスト台地を案内してくれた。最初に行ったのか、ユネスコの世界遺産にも登録されている(といっても、観光施設らしきものはほとんど無い)巨大な「穴」。何千万年もかけて削られた深い穴に、カルスト台地を流れる水量の多い川が吸い込まれていくような光景は、圧巻だった。がけの上に立つ教会の近くにも底なし穴と称される穴があり、上から覗いたのでは底が見えないほど深かった。ベケッシュ教授曰く「この近くでサッカーはできないね。穴にボールが落ちたら拾えないから」。確かに、垂直に落ち込んでいる穴の壁をはい上がるのは、大人だって無理、そんな穴の周りにも集落が存在するのだから、人間というのは不思議な生き物だと、改めて感心させられた。
 次に行ったのは、日本で言う「河岸段丘」を何十倍にもしたような、石灰岩の崖が何段にもなっている場所、崖の途中には大きな穴が空いていたり、今にも落ちそうな岩が乗っていたり、そんな崖の斜面に広がるブドウ畑(ワイン用)と畑、そして集落、おまけに中世に建てられたという監視用の城、崖の真下から眺め、そして反対側の斜面から眺めると、その光景の圧巻さが倍増した。崖には割れ目があるようで、リュブリャーナ市とコペル市を結ぶ鉄道が、崖の途中を縫うようにはい上がっていくのが遠望できた。自然の営みの結果だということなのだろうが、何十キロも続くこの石灰岩の崖と周辺の風景は、見事としか言いようがなかった(アダプターを忘れたので、デジカメで撮った写真を見せられないのが残念だが、帰国したら適宜写真を入れて「再編集」したいと思うので、乞うご期待)。
 三番目は、先の崖の反対側にある中世の城塞教会、教会の周りを5メートルほどの城塞(銃眼というか、弓を射る穴が所々に空いている)が囲む教会の中は一面聖書物語が壁画として描かれており、無名の画家が描いたというそれは、見事なものであった。城塞は、攻め込んできたトルコ軍と戦うために作られたと言うが、村人が籠城して敵と戦う様を想像すると、一気に頭の中は「中世」になっていた。
 最後に訪れたのは、ピラン市の海沿いに広がる広大な塩田、である。塩田というとすでに消滅してしまった瀬戸内地方のもの、あるいは今も観光用として存在するのと地方の塩田を想起するが、そんなものではない。見渡す限り4画に仕切られたマスで天日干しして塩を作るという施設(その半分以上は今では使われておらず、現在は鳥の楽園としてラムサール条約に登録されている。そこの売店で売っている自然塩を買ってきたが、試食して全く味がちがうことを認識させられた。
 帰参して夕食をした店で、全くの偶然で、柄谷行人にあったが、お互い初対面、昨年暮に彼の新刊「近代文学の終わり」を書評したことを思いましたが、お互い連れがあったので、そんなことも話さず、別れた。彼の「トランス・クリテーク」がクロアチア語とスロベニア語に訳されるという。ご同慶の至りである。
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スロベニアにて(12)

2006-04-08 05:26:35 | 近況
 緯度が北海道の稚内と同じだということ、昨日(6日)は証明してくれた。朝から雨が降っていたのだが、寒いと思ったらお昼前から霙(みぞれ)になり、午後にはその霙が本格的な雪になったり、本当に寒い1日だった。
 雨が降ったり、雪が降ったりすると休むのは、どこの大学でも同じなようで、これまで一度も休まなかった何人かが欠席した。今は、大城立裕の「亀甲墓」を読んでいるのだが、中に出てくる沖縄語(ウチナーグチ)が難しいようで、学生たちは困惑していた。ここ、スロベニアでは、聞くところによると、「作家」を職業にしている人は1人で、従ってスロベニア文学を読む人は少なく、多くの学生はフランス文学やイギリス文学(先日、バス停でシェークスピアーの「ハムレット」を読んでいる学生を見かけた)、ドイツ文学、ロシア文学の類を読んでいるということで、アジア(日本)の文学も村上春樹のファンという学生はいたが、総じて余り読まれておらず、ましてや「沖縄文学」は初めての経験ということになる。難しいのははじめからわかっていたが、こちらに来て3週間、ようやく日本の現代文学(沖縄文学)の入り口に入った、という感じです。
 それにしても、キャンパスを行き来する学生たちを見ていると、髪の毛の色が(中には染めている女の子もいるとのことだが)白(灰色)からブロンド、茶(薄いのから濃いのまで)、黒、等々さまざまで、この国の歴史がそこには反映しているらしい。ヨーロッパの小国のため、大国に侵略され続けてきた歴史が様々な人種や民族との混淆を生じさせ、それが髪の毛の色に反映されたということなのだろうが、さすがイタリアやフランスに近い国、ファッションへの関心は強いらしく、みんな素敵な格好で大学に来る。朝の8時から始まる大学の授業に、ほとんど欠席がないというのだから驚く。当然、教える方も真摯にならざるを得ない。僕なども、始業時間前に教室の前に行き、教室が空くのを待って入室、授業の準備をする。日本では考えられないことだが、学生の真面目さに、そうせざるを得ない心境にさせられてしまうのである。日本に帰ったらどうなるのだろうか?
 昨日の帰りに群馬大学に1年間留学していたという学生と話したのだが、彼女は「私の人生で一番素敵な時間だった」と言っていた。よほど充実した留学生生活をおくったのだと思うが、僕のゼミに来ている留学生たちは、果たして僕のゼミでの生活をどのように思ってくれているのだろうか、自信がない。一生懸命しているつもりなのだが。
 今朝は、昨日の雨(雪)のせいか、濃い霧に包まれていたが、いつの間にか晴れて、春らしい気候になっていた。「?心と春の空」。明日は、ベケッシュ教授が地中海巡りに連れて行ってくれるという。楽しみである。
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スロベニアにて(11)

2006-04-06 16:19:46 | 近況
 当地に来て、大学で講義する以外、これと言って何もない「自由な時間」を大量に貰ったような生活を20日余り続けていたが、帰国が近づいてきたら、日本にいるときのような「仕事」が舞い込むようになった。
 まず、皮切りは6月に刊行される立松和平氏の連作集「不憫惚れー法昌寺百話」(アートン刊)の「解説」の依頼、帰国して早々の締め切りなので、こちらで少し準備していかなければならないと思い、依然雑誌に連載していたときに読んでいたので、収録作品の一覧と書き下ろしの1編だけを版元から送ってもらうことにして(それにしても、順調に作動しているときのインターネット・メールのすごさよ)早速書き下ろしを読んだが、やはり和平さんらしさがよく出ている作品で、面白かった。
 さらに、連休明けに刊行が予定されている(「解説」の入稿が遅れたため、当初は4月に予定していたのが、1ヶ月遅れてしまったようだ)僕と磯貝治良さんが編集した「<在日>文学全集」(全18巻 勉誠出版)のパンフレットについても、その構成や仕上がりについて目を通さなければならない。この全集は、これまで幾度となく企画されながら、様々な事情で実現しなかった、それこそ我が国初の試みで、意味のある仕事だと思っている。戦後の文学史を見通したとき、そこに綺羅星の如く輝く「在日」文学、自画自賛になるが「快挙」だと思う。
 それに、スロベニアで客員教授をした感想を、エッセイとして書いて欲しいという依頼が2本、こちらは今書いている「スロベニアにて」を資料に、もう少しこちらの文学事情や見聞した人々の暮らしを加味して書けばいいのではないか、と思うと気が楽なのだが。
 帰国すれば、すでに新学期がスタートしている大学の仕事も忙しくなるし、こちらに来て仕上げようと思っていた「林京子論」も、まだあと7,80枚残っていると思うと、少々ブルーになってくる。それに明日(7日)記者発表の「萩原朔太郎生誕120年記念・前橋文学館賞」も、その制定過程に関わってきた者として、大いに気になる。これについては、文学館のスーパーバイザーである司修さんが全面的にやってくれると思うと、安心なのだが、それでも司さんに協力できないのが残念。この文学賞は「公募制」なので、ただ多くの詩人たちが応募してくれることを祈るばかり。正賞50万円、佳作20万円、奨励賞10万円、詩以外に「映像部門」の公募も行う、ある意味ユニークな文学賞なので、ふるって応募して欲しいと思う。因みに、選考委員は、安藤元雄、島田雅彦、立松和平、黒古の4人、女性の委員がいないのがちょっと寂しいが、詩人たちだけの文学賞ではなく、広い視野から新しい才能を顕彰できればいいな、と思っている。
 話題を替えて、今講義している「沖縄文学」について、もうあとのこり少なくなって思うのは、せめてあと1ヶ月ぐらい続けられたら、十分な効果が得られるのではないか、ということです。「日本研究科」に文学を主に教える先生がいないと言うこともあるのだが、基礎的な日本文学の知識がないために、そちらの法に時間が取られてしまい、正直言って作品を読む時間が足りないのです。ちょっと焦り気味ですが、残された時間を有効に使う以外にないかな、と思っています。
 晴れていたと思ったら、急に雨が降り出し、こちらの春は、「女心(男心?)と何とか」やらで、みんな傘を必要としています(傘をささないで歩いている人も沢山いますが)。でも確実に春は近づいているようで、降る雨を滋養とするのか、木々は芽吹きはじめ、庭先の水仙などはつぼみを大きくふくらませています。
 今日(6日・午前9時)も雨、でも学生たちは、朝8時の授業に間に合うように、宿舎裏の社会学部の教室に急ぎ足で入っていった。
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スロベニアにて(10)

2006-04-04 05:02:59 | 近況
 今日(3日)は、口座を開きに銀行に行った。報酬や経費が大学から振り込まれるので、どうしても銀行口座が必要なのだという。こちらの通貨は「トラル」というのだが、ユーロをトラルに換算して、そしてまた円に、なんだかよくわからないが、ともかくいくら貰えるにしろ、そんなことよりこちらの銀行員(30代ぐらいの知的な女性だった)は、大変親切で、丁寧な応対だった。カネに関して細かいことはすぐ忘れる僕だけど、帰国する日までには日本に送金しなければならないので、また彼女に会えると思うと、ちょっぴり楽しみが増えた、かな?
 銀行からの帰りに、出国前から気になっていた髪を切りに、床屋さんに行った。目立たないが、日本と同じようにくるくる回っているものがあり、女性の床屋さんが、猛烈な早さではさみとバリカンを使って、仕上げてくれた。2.400トラル(日本円で1.300円ぐらい)だったが、首筋の処理が大雑把で、ちくちくしたので、帰ってシャワーを浴びたら、沢山の短い毛がシャワー室に落ちた。こちらの人は余り気にしないのかもしれないが、髪が短くなった分だけ若くなったような気がして気分爽快。
 午後3時頃から豪雨。突然だったので、みんなあわてていた。こんな雨が何回かあって、本格的な春になるという。そう言えば、昼食を食べに行ったリュブリャーナ川のほとりの柳が薄緑色の芽を出しており、あと1週間もすれば木々が一斉に芽吹き、景観も一変するとか。そんな気持で街を眺めていると、スカートをはいている女性が急に多くなったような気がする。みんなスタイルが良いから、圧倒される。
 あと10日余り、本格的に「沖縄文学」を読むことになっているが、「作家」と呼ばれる専門的に小説を書いている人がたったの一人という状況の下で、何ができるのか、正直言って少々不安になる(ただ、こちらの学生は、母国語以外にフランス語、ドイツ語、英語、等ができるので、外国文学はよく読んでいるという)。いつものようにやるしかないが、「沖縄」という場の特徴は繰り返し講じてきたので、その特徴が日本の現代文学を撃つものであることを知って貰えれば成功かな、とも思っている。
 日本研究科の学生は、ともかく真面目だが、カリキュラムに「日本文学」がないので、せめて文学史ぐらいは知っていれば、もっと違った講義になるのだが、と思わざるを得ない。いちいち説明しないとわかって貰えないので、その点は時間のロスがあり、日本の講義と違うな、と痛感する。
 とは言え、明日からが楽しみでもある。今日は、司修さんをはじめ、沢山の人からメールが来た(重要な用件も含まれていた)。返事を書くのに時間がかかったが、久し振りに緊張して日本語を使った感じがする。のんびりしすぎないように、注意しなければならないかもしれない、と思った。
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「立松和平 日本を歩く」発刊される

2006-04-02 15:07:56 | 文学
 以前にお知らせした僕の編集になる「立松和平 日本を歩く」(全7巻 勉誠出版刊)がいよいよ刊行された。これは、版元からスロベニアに連絡があってわかったのだが、普通の人々の目線で日本の各地を歩いた立松和平の紀行文全集で、「開設」にも書いたのだが、立松文学と「旅」との関係がよくわかる全集に編んだつもりである。立松が「生きる」ことの意味を追い続けてきた作家であることは、周知のことに属するが、彼の「旅」もまた、「生きること」に深く関わっていることが、この全集を読むとわかる。
 昨今の現代文学が、表層の流行や風俗に足下をすくわれ、深いところでの人間の在り様を捨象している状況を鑑みるとき、立松の営為が小説であれ、紀行文であれ、現代の閉塞状況に抗する内容を秘めたものであることを、僕らはもう一度見直さなければならないのではないか、と思っている。
 海で、山で、川で、そして人々が暮らす町中で、立松が何を感じ、考えたか、方途を失ったまま右往左往している私たちに、この紀行文全集は何かヒントを与えてくれるのではないか、とも思う。何よりもこの全集を編集していて感じたことは、人間はどこにいても皆「必死」で生きている証が、この全集に収められた立松の文章のどこからでも伝わってくることである。それに、何よりも立松が「自然」を愛し、その自然を破壊するものに怒りを隠さないことが、この全集を魅力あるものにしている、と編者として痛切に今思う。
 いい仕事をしたのではないか、と満足もしている。
……スロベニアから、遠く日本を思って。
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