民主党の代表が決まった。野田佳彦、代表選のスピーチで自分のことを「ドジョウ」になぞらえていたが、ずいぶん太ったドジョウで、思わずドジョウ鍋にしたら食べ応えがあるのではないかと思ってしまったが、ドジョウのことはさておき、これまでの報道や昨日のスピーチから伝わってくるこの人の「政策=基本的政治姿勢」は、「大連立」であり、「増税」であり、しかし「脱原発」にはきちんとした考えを出さず、同じく「普天間基地移設問題」に集約される沖縄問題(つまり日米同盟)についても、どのような考えを持っているのか、こちらには伝わって来ず、いわゆる「小沢問題」に関しても、「怨念を超えて」とか「ノーサイドにしましょう」と言うだけで、2年前の現実的でなく「理想」だけを掲げたような「マニフェストの遵守」を主張し、「政権交代時の精神に戻れ」という観念論しか唱えない小沢一郎や鳩山由紀夫にどう対処するのか、正直言って、野田さんの政治姿勢がはっきり伝わってこない。
ただ、唯一の取り柄は、菅首相のように「おっちょこちょい」ではなさそうだ、ということぐらいかも知れない。折角政権交代したのに、調子に乗って「行政改革」や「議員定数削減」などを十分に行わないうちに「消費税を10パーセントにアップ」とぶち上げ、その結果参院選で惨敗し、今日の混乱の原因となった「ねじれ国会」を招来した菅首相の轍を、野田さんは歩まないだろうと思うが、いかんせん彼は「増税論者」、今後どのように大震災とフクシマの復興・復旧財源ををひねり出してくるのか、もうこれは見守るしかないが、家人の「華がない」という評を今後の施策でどう覆してくれるか、果たして本当に期待していいのか。
それにしても、今度の民主党代表選で、またもやはっきりした小沢一郎という政治家の「権力欲」のすさまじさと、鳩山由紀夫の自己反省なきの「お坊ちゃん性」、この二人の存在が民主党に「暗い影」を投げかけていると思うのだが、何とかならないのだろうか。「古い政治」と言ってしまえばそれまでであるが、彼らから原発をどうするのか、大震災の復興・復旧をどうするのか、という具体的な提言が聞こえてこない。あるのは、「数の力」を頼りに、いかに「権力と金」の中枢を握るか、といった欲望だけのようで、何とも情けない。そんな小沢さんや鳩山さんに唯々諾々と従っている人たち、彼らには「自立」という言葉の意味をもう一度じっくり考えてもらうしかないが、「野田新政権に協力するか否かは、人事次第だ」と相変わらず怪気炎を上げている小沢さんには、自分に盲従している人たちと脳天気な鳩山さんを連れて、民主党を「分裂」させ、「小沢新党」でも作ったらどうだろうか。そうなれば、そうなれば当然「解散・総選挙」になるだろうから、その時には本当に小沢的政治手法が現在もなお有効か、がはっきりする。
そして、そうなれば、どの政党も過半数に及ばない(かつてのイタリアのように)「連立政権」時代を迎えるようになり、「二大政党制」を目論んで選択された「小選挙区制」の欠陥が明らかになる。それを永田町の住人たちは「政界再編」の好機と捉えるかも知れないが、迷惑を被るのは国民であることを考えると、民主党は分裂すべきだと思いながら、もし政界再編にでもなったらフクシマ(原発)はどうなるのか、これも心配である。
いずれにしても、石原慎太郎や橋下徹といった「ファシスト」ばりの言動で人々の歓心をかっている政治家が一定程度(というより、かなり)の支持を得ている危うい現代にあって、真の「憂国の士」はいないのだろうか(出てこないのだろうか)。僕には、どうも国民全体が「ニヒリズム」に陥っているように思えてならず、ここで踏み止まるしかないのかな、とも思う昨日今日である。
ただ、唯一の取り柄は、菅首相のように「おっちょこちょい」ではなさそうだ、ということぐらいかも知れない。折角政権交代したのに、調子に乗って「行政改革」や「議員定数削減」などを十分に行わないうちに「消費税を10パーセントにアップ」とぶち上げ、その結果参院選で惨敗し、今日の混乱の原因となった「ねじれ国会」を招来した菅首相の轍を、野田さんは歩まないだろうと思うが、いかんせん彼は「増税論者」、今後どのように大震災とフクシマの復興・復旧財源ををひねり出してくるのか、もうこれは見守るしかないが、家人の「華がない」という評を今後の施策でどう覆してくれるか、果たして本当に期待していいのか。
それにしても、今度の民主党代表選で、またもやはっきりした小沢一郎という政治家の「権力欲」のすさまじさと、鳩山由紀夫の自己反省なきの「お坊ちゃん性」、この二人の存在が民主党に「暗い影」を投げかけていると思うのだが、何とかならないのだろうか。「古い政治」と言ってしまえばそれまでであるが、彼らから原発をどうするのか、大震災の復興・復旧をどうするのか、という具体的な提言が聞こえてこない。あるのは、「数の力」を頼りに、いかに「権力と金」の中枢を握るか、といった欲望だけのようで、何とも情けない。そんな小沢さんや鳩山さんに唯々諾々と従っている人たち、彼らには「自立」という言葉の意味をもう一度じっくり考えてもらうしかないが、「野田新政権に協力するか否かは、人事次第だ」と相変わらず怪気炎を上げている小沢さんには、自分に盲従している人たちと脳天気な鳩山さんを連れて、民主党を「分裂」させ、「小沢新党」でも作ったらどうだろうか。そうなれば、そうなれば当然「解散・総選挙」になるだろうから、その時には本当に小沢的政治手法が現在もなお有効か、がはっきりする。
そして、そうなれば、どの政党も過半数に及ばない(かつてのイタリアのように)「連立政権」時代を迎えるようになり、「二大政党制」を目論んで選択された「小選挙区制」の欠陥が明らかになる。それを永田町の住人たちは「政界再編」の好機と捉えるかも知れないが、迷惑を被るのは国民であることを考えると、民主党は分裂すべきだと思いながら、もし政界再編にでもなったらフクシマ(原発)はどうなるのか、これも心配である。
いずれにしても、石原慎太郎や橋下徹といった「ファシスト」ばりの言動で人々の歓心をかっている政治家が一定程度(というより、かなり)の支持を得ている危うい現代にあって、真の「憂国の士」はいないのだろうか(出てこないのだろうか)。僕には、どうも国民全体が「ニヒリズム」に陥っているように思えてならず、ここで踏み止まるしかないのかな、とも思う昨日今日である。