黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

何に期待すればいいのか?

2011-08-30 04:51:07 | 近況
 民主党の代表が決まった。野田佳彦、代表選のスピーチで自分のことを「ドジョウ」になぞらえていたが、ずいぶん太ったドジョウで、思わずドジョウ鍋にしたら食べ応えがあるのではないかと思ってしまったが、ドジョウのことはさておき、これまでの報道や昨日のスピーチから伝わってくるこの人の「政策=基本的政治姿勢」は、「大連立」であり、「増税」であり、しかし「脱原発」にはきちんとした考えを出さず、同じく「普天間基地移設問題」に集約される沖縄問題(つまり日米同盟)についても、どのような考えを持っているのか、こちらには伝わって来ず、いわゆる「小沢問題」に関しても、「怨念を超えて」とか「ノーサイドにしましょう」と言うだけで、2年前の現実的でなく「理想」だけを掲げたような「マニフェストの遵守」を主張し、「政権交代時の精神に戻れ」という観念論しか唱えない小沢一郎や鳩山由紀夫にどう対処するのか、正直言って、野田さんの政治姿勢がはっきり伝わってこない。
 ただ、唯一の取り柄は、菅首相のように「おっちょこちょい」ではなさそうだ、ということぐらいかも知れない。折角政権交代したのに、調子に乗って「行政改革」や「議員定数削減」などを十分に行わないうちに「消費税を10パーセントにアップ」とぶち上げ、その結果参院選で惨敗し、今日の混乱の原因となった「ねじれ国会」を招来した菅首相の轍を、野田さんは歩まないだろうと思うが、いかんせん彼は「増税論者」、今後どのように大震災とフクシマの復興・復旧財源ををひねり出してくるのか、もうこれは見守るしかないが、家人の「華がない」という評を今後の施策でどう覆してくれるか、果たして本当に期待していいのか。
 それにしても、今度の民主党代表選で、またもやはっきりした小沢一郎という政治家の「権力欲」のすさまじさと、鳩山由紀夫の自己反省なきの「お坊ちゃん性」、この二人の存在が民主党に「暗い影」を投げかけていると思うのだが、何とかならないのだろうか。「古い政治」と言ってしまえばそれまでであるが、彼らから原発をどうするのか、大震災の復興・復旧をどうするのか、という具体的な提言が聞こえてこない。あるのは、「数の力」を頼りに、いかに「権力と金」の中枢を握るか、といった欲望だけのようで、何とも情けない。そんな小沢さんや鳩山さんに唯々諾々と従っている人たち、彼らには「自立」という言葉の意味をもう一度じっくり考えてもらうしかないが、「野田新政権に協力するか否かは、人事次第だ」と相変わらず怪気炎を上げている小沢さんには、自分に盲従している人たちと脳天気な鳩山さんを連れて、民主党を「分裂」させ、「小沢新党」でも作ったらどうだろうか。そうなれば、そうなれば当然「解散・総選挙」になるだろうから、その時には本当に小沢的政治手法が現在もなお有効か、がはっきりする。
 そして、そうなれば、どの政党も過半数に及ばない(かつてのイタリアのように)「連立政権」時代を迎えるようになり、「二大政党制」を目論んで選択された「小選挙区制」の欠陥が明らかになる。それを永田町の住人たちは「政界再編」の好機と捉えるかも知れないが、迷惑を被るのは国民であることを考えると、民主党は分裂すべきだと思いながら、もし政界再編にでもなったらフクシマ(原発)はどうなるのか、これも心配である。
 いずれにしても、石原慎太郎や橋下徹といった「ファシスト」ばりの言動で人々の歓心をかっている政治家が一定程度(というより、かなり)の支持を得ている危うい現代にあって、真の「憂国の士」はいないのだろうか(出てこないのだろうか)。僕には、どうも国民全体が「ニヒリズム」に陥っているように思えてならず、ここで踏み止まるしかないのかな、とも思う昨日今日である。

瞋恚(いかり)は、どこへ

2011-08-28 05:31:12 | 近況
 別にサボっていたわけではないのだが、前回から今日までちょうど10日、この間、グループホームにいる88歳の義母が原因不明の嘔吐を繰り返し家人の同級生が勤務医をしている病院に入院したり、梅雨時のような雨で急激に伸びた畑の雑草を抜いたり(近所の農家は、みな除草剤をまいて対処しているが、「無農薬・有機農法」を目指す僕としては除草剤は使わないので、夏場は狭い畑だが雑草との闘いになる)、そしてようやく調子が出てきた『辻井喬論―「修羅」を生きる』の執筆に拍車をかけたり、ともかく「忙しさ」は相変わらずだったのだが……。
 しかし、本当は、いよいよ菅首相の「退陣」が具体化し、民主党の代表選の顔ぶれが決まって来るに従って、またぞろ「小沢一郎」やら「鳩山由紀夫」やらといった権力亡者たちが暗躍するようになり、「ダメな菅首相」の唯一成果と言っていい「脱原発」方針がうやむやになっていく様を、「政権小唄」が実現していくらかましな政治が行われるかも知れないと思った「はかない期待」も、ついに根底から覆されるような気持ちにさせられ、何だか去来するのは「無力感」ばかり、という日々だったので、ブログの記事を書く意欲が失せていたのである。
 「政治」に疎ましさや胡散臭さは付きものであるが、僕が一番分からないのは、「3・11」(フクシマを含む)を経験した日本は、その在り方を根本から変えなければならないこと(その最大のものは「脱原発」を実施、新たなエネルギー政策を採ること)を知らされたはずなのに、財源不足をいやになるほど知らされたのも関わらず、莫大な財源を必要とする「マニィヘスト」を相変わらず「遵守せよ」と言ったり、空疎な「国民生活第一」というスローガンを錦の御旗のように掲げて事足れりと思っているような政治家たち(特に小沢派の属するといわれる人たち)という存在は、一体何なのか、あなた達は「寄らば大樹の陰」で、現実が全く分かっていない、などと思わず悪態を付きたくなるような惨状だが、「理念=思想」や「理想」を失った政治というのは、本当に始末が悪い。
 こんな体たらくだから、民主党の代表選は政策論抜きで「脱小沢」か「親小沢」かというような構図で語られることになるのだが、問題は東日本大震災とフクシマに対してどう具体的に対応するのか、「脱原発」を含めて菅政権とどのように違った対応をするのか、の2点を軸に、「円高」で苦しむ日本経済をどう立て直すのか、といったところにあるはずなのに、小沢一郎や鳩山由紀夫の言動からは全くそのようなことが見えず、どうしょうもないな、と思うしかない。僕としては、一人でも「オルタナティブ」(もう一つの生き方・生活)を唱える政治家が出てくれば、ほのかであっても、先が見えてくるような気がするのだが、それも絶望的なようで、何ともやりきれない。
 かと言って、かつて政権を担っていた自民党や公明党に再び政権を委ねるのがいいか、と言えば、原発を容認・推進してきた過去があり、現在もなお原発推進派が多数を占める、という1点を考えただけでも、彼らに政権を委ねることなどできはしない。悩ましい限り、としか今のところ言えないが、早くスカッとした気分にしてくれるような状況にならないか、と思う。
 それにしても、最近のデータでフクシマから排出されたセシウムが、なんと広島原爆の186個分というのには、改めて驚かされた。フクシマが起こった当初、政府・東電・御用学者たちが口をそろえて「当面は問題ない。放射能も含めて安全だ」と言っていたことが、何ともむなしく思い出されるデータである。多くの人(林京子さんや大江健三郎などの文学者をはじめとする)が「内部被曝」のことを問題にし、賢いお母さんやお父さんたちが我が子を放射線量の高い地域から遠ざけている現実を、例えば小沢一郎や「博愛」を掲げていた鳩山由紀夫に連なる政治家たちはどう考えるのか。
 「瞋恚(いかり)」は、内に籠もって、爆発しそうである。

跋扈する魑魅魍魎

2011-08-17 08:54:44 | 近況
 旧盆で父母(と祖父母)の眠る墓と妻の実家の墓に参り、帰郷した娘たちを手打ち蕎麦で歓迎し、兄姉と飲めない酒を飲んで何日かのんびり過ごし、しかしその間に「うみ かわ やま」という季刊雑誌に書いた「ささやかな抵抗」と称する太陽光発電の実際に関する文章のゲラ校正と、近畿大学国際人文科学研究所の紀要「述」の座談会「反核・反原発運動の総括」(A5版で約50枚)のやはりゲラ校正を行い、それなりに忙しい毎日だったのだが、落ち着いて新聞やテレビの報道を見てみると、何だか気が抜けてしまった。
 菅首相が「退陣」するのは既定の路線だったので、別に驚くことではなかったが、菅首相の退陣に伴う次の首相選び(民主党代表選挙)に名乗りを上げた候補の顔を見て、何じゃこれは?! と思わざるを得なかった。何よりも菅首相が声高に宣言した(公約した)「脱原発」について、菅首相の発言は最終的には後退してしまったが、次の民主党の代表を目指す人の大部分が「脱原発」(100歩譲って「減げんぱつ」でもいいが)を宣言しないというのはどういうことなのか。そしてそれに加えて、「政権交代」を無にするような「大連立」を唱える候補者たち、彼らには人々(庶民・国民)が何を求めているのか、全く理解できていないのではないかと思う。これまでの自公政権が「原発推進派・容認派」によって支えられてきたことを考えれば、「大連立」構想を唱える候補者たちには、例え「震災復興のため」という大義名分を掲げたとしても、「脱原発」宣言はできないということなのだろうが、そんな発想では「フクシマ」に対処できないのではないか、と思わざるを得ない。事故の収束も全く見通しが付かず、体内被曝をはじめとする放射能汚染についても遅々として進まず、避難民はじめ多くの人の「不安」や「不満」が全く解消されていないにもかかわらず、今や民主党内部からは「脱原発」の声が消えそうになっている状況だが、どうしようもないな、としか思えない。
 そんな民主党のていたらくだから、今朝(8月17日)の東京新聞が特ダネ的に報じていたが、フクシマが「レベル7」を宣した直後に、経産省は「原発推進」を意図した自治体への補助金の増額や新設に対する優遇を、海江田経産省大臣と高木文科省大臣の連名で通達するなどということを、平気でするのである。また、どう考えても、議員削減と公務員改革を断行して財源を捻出する以外に方法がないにもかかわらず(それをしても足らないだろう)、「マニフェストを守れ」としか言わない小沢一郎や鳩山由起夫に与する人たちの存在、小沢が今度の民主党代表選のキャスティングボードを握っているということ、これもどうなっているのか。「フクシマ」が世界レベルの問題であることを考えれば、この際「脱原発」の1点だけでいいから、そのイシューによって政界再編を起こし、たぶんそれが震災復興や政界の改革につながるのではないかと思われるので、新しい政党ができないだろうか。
 「脱原発」ということであれば、自民党や公明党の大半、民主党の約半数近くが結集しないだろう。かつてのように「保守」革新」の色分けが明確でない現在、「脱原発」か「原発容認」が国民に最大の違いを見せられるのではないか。そうすれば、誰が「魑魅」で誰が「魍魎」であるかが、はっきりする。
 経済も先行き不透明な現在、僕らはもっとはっきりした世界で生きたいものである。識者の中に今日の状況と1930年代の軍部とファシストが台頭してきた時代とが似ていると言う人がいるが、橋下徹大阪府知事や石原慎太郎東京都知事、及び彼らに賛同する人たちの言動を見ていると、僕も同じような危惧を持つ。一見すると「平和」そうだが、その中では何やら訳の分からない魑魅魍魎が跋扈しているのが現在。例えば、北海道の高橋はるみ知事、北海道の泊原発の運転再開を急ぐ経産省に対して「異議申し立て」をしているのかと思ったら、「地元の了解が得られたから」などというある種の嘘(一部の人しか運転再開を了承していないはず)までついて、泊原発の運転再開を認める方針という。種を明かせば、彼女は元経産省の官僚で、「原発容認派」であったという。フクシマを受けて運転再開の反対運動が盛り上がっているので、パフォーマンスを行ったのだという悲しさ。
 そんな状況だからこそ、僕らは目を見張って生きていく必要があるのだろう。

金権主義と原発

2011-08-12 08:49:45 | 近況
 いよいよ菅首相の退陣が迫ってきたようだが、政権交代が行われて以後の民主党の歩みを見ていると、「マニフェスト」に足を引っ張られて右往左往するだけで、民主党は「政権」を握る、つまり国家権力を吾がものにするということの意味がよくわかっていない人たちの集団でしかなかったのではないか、と思われてならない。長い間、自民党政権、あるいは自公政権の横暴さを見てきたはずなのに、自分たちが政権を握った途端に、何をトチ狂ったのか、国民が何を望んでいるかがわからないまま、「マニフェスト」(選挙公約)を実施するための財源確保ということで、「消費税を10パーセントにする」ということを公言し、案の定参院選に惨敗し、そのために生じた「ねじれ国会」によって、鳩山政権も(この場合、鳩山由紀夫というキャラクターが問題だったということもあるが)、また現在の管政権も、思い半ばに政権を投げ出さざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
 「マニフェスト」の全てを絶対に遵守するなどということは、初めからできないことだと誰もが知っていながら、例えば民主党の最大派閥である小沢派に集まる政治家たちは、「権力闘争」のために「マニフェスト厳守」を叫んでいる。増税せずに(消費税を上げずに)「マニフェスト」に掲げたことを全て実現しようというのは、公務員の削減や国会議員の削減をはじめ多くの行政改革(無駄遣いをなくす)を行われなければ、先頃の行われた「仕分け作業」によって明らかになったはずなのに、それでも「マニフェスト厳守」を言い続けることの愚かさ、こんなことをしていたらまた元の木阿弥(自公に政権を明け渡すこと)になるのが分かっているのだろうか。あきれてものが言えない、とはこのことを言うのだろうが、それにしても、民主党の政治家の中に、自公だって同じだが、「知」を感じさせる人がほとんど見あたらない、というのはどういうことなのか。
 それは、今日の東京新聞にも大きく報じられていたが、「フクシマ」を経験し、未だ「フクシマ」がどのように収束するかも分かっていない現時点で、既定の路線(経産省主導の)だからといってヨルダンへ原発を輸出するとのこと。何を考えているのか、全世界的に「脱原発」の方向を模索している最中だというのに、全くふざけた話だと思う。たぶん、これは菅首相の「脱原発」がだんだん後退して「減原発」になったことなどとも連動した動きなのだろうと思うが、「フクシマ」という原発大事故を起こしながら、何らかの事故が起これば爆発の可能性をいつでも持っている原発を他国に輸出して「金儲け」をたくらむ、果たしてこれは人間として許される行為なのか。
 また、これは昨日の「報道ステーション」(この司会をしている古館という人の「思わせぶり」な言動が気になり、最近は見ていなかったのだが、昨夜は「紹介」に惹かれて見ることになった)で明らかになったのだが、北海道の幌延に高濃度放射能廃棄物処理の「研究施設」ができているという。幌延といえば、80年代に高濃度放射能廃棄物処理場「建設」の候補地として上がり、三浦綾子さんを含めた多くの人たちの反対で、処理場建設の話は「白紙」になった場所である。そこに「研究施設」という名目で、地下150~200メートルのトンネルを掘り、高濃度放射能廃棄物の「処分」について「研究」しているのだという。胃あっ間での原子力政策や政府のやり方を見ていれば、たぶんこの施設は「研究」が終わった後、巨額の金(400~500億円)をつぎ込んだという理由で、高濃度放射能廃棄物の「最終処分場」になるのではないか、と危惧する。そんな「詐欺」まがいのことはいくらでもするのが、「カネ」のことを第一義的に考えてきた権力である――核廃棄物の最終処分場をモンゴルの草原に、とう発想も、原発を輸出する思想と同じものである。
 何を考えているのかなー、阻止することはできないのかなー、と慨嘆してばかりしても仕方がないのだが、とりあえずは「核」が人間と共存できないということを言い続けるしかない、と思っている。

1945年8月9日11時02分

2011-08-10 03:24:20 | 文学
 1945年8月9日11時02分、僕はこの時間、今までとは違って逗子に住む林京子さん宅に向かう途中の電車の中で迎えた。電車の中ではあったが、いつものように山端庸介さんが撮った被爆直後のナガサキの写真を思い浮かべながら、「核と人間は共存できない」という思いを再確認したのだが、それにしても夜帰宅して長崎市長の「平和宣言」を聞いて、すでに知っていたことではあるが、長崎市長も広島市長と同じように明確に「脱原発」を宣言できない(しない)ことに、そうだろうなと思いつつ、改めてがっかりせざるを得なかった(追記:広島市長の「平和宣言」よりも長崎市長の方がよろ「脱原発」に近いものになっていたが、しかし「脱原発」と明確に宣言しないことで、残念ながら「原発容認派」による巻き返しの余地を残してしまったのではないか、と思う)。
 というのも、この日の午後1時30分から5時頃まで、間にサンドイッチ休憩を挟んで3時間以上、「ヒロシマ・ナガサキ」や「フクシマ」のことについて話をし、そこで「ヒロシマ・ナガサキ」を経験した日本人なのに「脱原発」宣言できない(「脱原発」思想を手に入れることのできない)のは何故か、について意見を交換し、その時、長年にわたって日本人は為政者(権力者)が垂れ流し続けてきた「核の平和利用」「原発の安全神話」に慣らされてきてしまったのではないか、というようなことについて議論したばかりだったからに他ならない。
 「喉元過ぎれば、熱さを忘れ」というのは、日本人の悪い癖(性質)であり、今度の「フクシマ」もそのようになる可能性がないわけではないが、しかし、この間の、例えば福島から避難した子育て中の若い母親たちの動きを見ると、「ヒロシマ・ナガサキ」当時の人たちとは違う「自立した個」としての動きをしているので、指導者たち(菅首相や長崎市長たち)の思惑とは違った「脱原発」思想が生み出されるのではないか、ということも考えられる。林さんもそのようなことを強調しておられた。
 林さんとの「対談」(インタビュー)は、林さんが8月9日に三菱兵器大橋工場(爆心から約1.4キロ)で被曝して家族が疎開していた諫早市の叔父の家まで12時間以上かけて徒歩で帰宅するまでの経緯を皮切りに、アメリカでの生活や被曝した同級生たちのこと、内部被曝のこと、そして「フクシマ」のことなど多岐にわたったが、詳しいことは9月に刊行される予定の『「ヒロシマ・ナガサキ」から「フクシマ」へ―「核」時代を考える』を見てもらうしかないが、大学を定年退職した後、群馬の田舎に引っ込んでいるということもあるが、久し振りに本物の「知性」に会ったという思いを強くした。今月末には、同じ本のために辻井喬氏と角度を変えて「対談」(インタビュー)することになっているが、林さんと同じように、本物の「知性」に会えると思うと、楽しみである。

 逗子への行きと帰りの電車の中で、前にも紹介した『あの戦争を伝えたい』(東京新聞社会部編 岩波現代文庫)のこれまで読んでいなかった部分を読んだのだが、若い新聞記者たちが戦争体験者たちに「自分の体験したこと」を聞いて構成したこの本、元々が新聞記事と言うこともあって、易しい文章で書かれているので小学校高学年から読めるのではないかと思い、是非多くの人に読んでもらいたい、と思った。内容は、「沖縄戦」に始まって、「集団自決と日本軍」「『差別』の島」「原爆投下」「「東京大空襲」「山の手空襲」「空襲と『戦争受忍論』」「キリスト教徒弾圧」「サイパン陥落」……と続き、先のアジア太平洋戦争のあらゆる面における「証言」を元に構成されているので、教科書代わりにもなり、例えば小林よしのりという漫画家などのような「大東亜戦争肯定論者」の戦争観とは真逆な戦争がこの本にはある。
 暑い夏、扇風機の風を受けて毎日何ページかを読んで過ごすのも、いいかな、と思う。

1945年8月6日8時15分

2011-08-06 06:10:22 | 近況
 今日は8月6日、66年目の「ヒロシマ・デー」。
 あと2時間ほどで、66年前の広島市に人類初の原子爆弾が投下された時間になるが、3月12日に起こった福島第1原発の爆発事故以来この国に起こった「核」論議を思い起こすと、まず思い出すのは「当面は危険ではありません」「放射能漏れはたいしたことありません」「原子炉は損傷したけれど、メルトダウンなど起こっていません」、などという事故を小さく見せようとする政府(経産省)・東電・学会(学者・研究者)が三位一体となってデマゴギー(嘘)を振りまき、「真実」を隠蔽し続けてきたことである。
 次は、林京子さんが語った「何も学ばなかったのね」という言葉が如実に物語るように、最近こそ「ヒロシマ・ナガサキ」と「フクシマ」を結びつけるのは当たり前のようになっているが、当初は「被爆(核兵器による被害)」と「被曝(原発による被害)」は違うのだとばかりに、「ヒロシマ・ナガサキ」と「フクシマ」とを切り離して考えようとする「悪しき習慣」が関係者はもとよりマスコミの間でも当たり前のようになっていて、いかに「原子力の平和利用」という教育・宣伝が行き届いていたか、歯ぎしりする思いで動きを追わざるを得なかった。
 3番目は、村上春樹の「ヒロシマ・ナガサキを経験した日本人は、核について『NO』を叫び続けるべきであった」という発言が驚きと納得を持って迎えられたことが物語るように、極端な言い方をすれば、日本人は被爆者を中心に1945年の8月6日のすぐ後から「反核」を訴え続け、原水爆禁止世界大会も内外から多くの人を集めて何十回となく開催されてきたにもかかわらず、多くの人が「日本人は核に対して『NO』を叫んでこなかった』という印象を持ってきたということ、原爆文学の研究から必然的に「反核・反戦」へと至り、日本人が「反核」思想を持つのは当たり前と思っていたが、実はそこに「落とし穴」があって、世に言う、例えば今日広島で行われる「平和記念日の式典」などで言われる「反核」には、この国の指導者たちが口をそろえて公言してきた「非核三原則」が名ばかりで、「核の持ち込み」はベトナム戦争時の沖縄を始め、原潜や原子力空母が寄港する横須賀や佐世保などの港では空文化していたことと同じように、実は「反原発」が含まれていなかったこと、このことを痛烈に思い知らされたのが、3月12日から今日までの日々であった。
 原子炉の内部や周辺がとんでもない高濃度の放射能に汚染されていることが判明し、放射能に汚染された牛の数が毎日毎日増え続ける今日、「フクシマ」はいつ「収束」するのか全く見通しが立たないような状況にあり、苛立ちは一向に収まらないのだが、今日(8月6日)から8月9日の「ナガサキ・デー」まで(本当はこの間だけでなく、ずっと続ける必要があるのだが)、もう一度「ヒロシマ・ナガサキ」のこと、つまり核兵器による「被爆」のことと、「フクシマ」のこと、つまり原発による「被曝」のことを真剣に考える必要があるのではないか。
 今月は、前にもお知らせした僕が編集として刊行する『「ヒロシマ・ナガサキ」から「フクシマ」へ―「核」時代を考える』のために、9日に林京子さんと、月末の31日に辻井喬さんと「対談」(インタビュー)する。内外の20数人が執筆するこの「核」問題について考えるアンソロジー、林さんと辻井さんとの「対談」はおそらく大変中身の濃いものになるのではないかと思っているが、そのためには僕自身の考えを総点検して明確にしておかなければならない。心して「対談」に臨もうと思うと同時に、お二人が「ヒロシマ・ナガサキ」や「フクシマ」についてどのような発言をなさるのか、胸がわくわくする。
 と言いながら、昨夜も家人と「フクシマがこんな状態になっているのに、まだ原発を容認する人がいるというのは、どういうことなのだろう。広島でも長崎でも「平和宣言」の中で明確に「脱原発」を言わないという、おかしいね」というようなことを話したのだが、この「おかしさ」はいつになったら是正されるのだろうか。

 明日は、「石原和三郎」について午後2時から、群馬県立文学館で講演する。興味のある方は、是非。

「国民」は造られていく

2011-08-04 05:05:57 | 文学
 この1週間ほど(大阪へ行った2日間を除いて)集中して「石原和三郎」のことを調べ直していたが、つくづく「国民」とか「市民」とか「民衆」とか言われるものがアプリオリ(先験的)に存在するものではなく、時代や社会、もっと具体的に言えば「権力」によって造られるものだということを痛感した。
 かつて柄谷行人が『日本近代文学の起源』(80年)において、僕らが当たり前のように存在すると思ってきた「風景」とか「内面」とか「児童」だとかが、実は明治維新によって実現した近代市民社会(民主主義社会)によって初めて「発見」されたのだ、という主旨のことを発表し大きな議論を巻き起こしたことがあったが――細かい点で錯誤や勘違いのある論であったが、「風景」や「児童」などが近代社会をまって初めて成立した概念である、という主張は新鮮だった――、明治20年代の終わりから30年代にかけて活躍した「唱歌」の作詞家・石原和三郎に関わって、大学院時代に「北村透谷論」を書く際に使った資料である明治初期の思想や近代詩の歴史について書かれた文献(「明治文学全集」等)などを調べ直して、改めて柄谷の発想は「正しかった」と思うと同時に、例えば「児童の発見」ということは実は「児童の形成」なのだ、と痛感せざるを得なかった。
 つまり、「唱歌=文部省唱歌」というのは、作り手の意識とは別に、「軍歌」が近代的な軍隊(国民皆兵制度)に欠かせないものであったことや、「賛美歌」がキリスト教(プロテスタント)の布教に欠かせないものだったのと同じように、明治近代国家の「国民」を造るため欠かせない1つの手段だった、ということを、この1週間ほどの「勉強」で確信したということである。
 これ以上の詳しいことは、8月7日(日)午後2時から群馬県立土屋文明記念文学館で行う記念講演(現在文学館では「童謡のふるさと―石原和三郎の世界(「うさぎとかめ」発表から10年」)」展が開かれている)に差し支えるので、関心のあるお近くの人はそちらの方にお出かけいただければと思います。ただ一つだけ会場に来られない人のために、今回の調査で判明した「造られた事実」についてお知らせしておけば、いま世間を騒がせている「君が代」問題に関して、明治の中頃までこの「君が代」は「国歌」ではなく、単なる「唱歌」の一つでしかなかったということ、この事実を僕らはどう考えるか。東京都知事の石原慎太郎や大阪府知事の橋下徹は、この「事実」を知った上で、式典での起立や斉唱を強制しているのだろうか。彼らが「ファシスト」と言われるのも、ヒットラーのユダヤ人大量虐殺の思想とやり方(デマゴギーを振りまいて国民を動員する)と同じようなものを感じるからに他ならない。
 しかし、石原和三郎や唱歌のこととは別に、原発を巡る官庁(経産省)と業界が癒着した形の「やらせ」問題が明らかにしたのは、「国民は造られる」というのと同じような「世論は造られる」といった古くて新しい事実であった。思い起こせば、「王道楽土の満州」「鬼畜米英」「勝利また勝利(大本営発表)」というような言葉に踊らされてあの無謀なアジア太平洋戦争に突入し、悲惨な結末を迎えたのもまた、私たちが主体性を持たず、絶対主義天皇制という強健の下にいたとは言え、マスコミをも動員した「世論操作=やらせ」の本質を見抜けなかった側面もあったのではないか。ことに、若かりし頃(公立小学校の教師をしていた頃)社会科の教科書に載った「原子力の平和利用」という単元を、いささかな疑念を持ちながら子供たちにそのまま教えていたという経験のある僕としては、本来は「中立」(などという立場は、どんなときでも存在しないのだが)であるべきはずの原子力安全・保安院や地方自治体の首長(知事や市町村長)が主導した原発の「安全神話」作り=「やらせ」には、忸怩たる思いと共に、フクシマによる被害者がますます増大している現状を鑑みると「怒り」が沸々と沸いてくる今日この頃である。
 人は誰でも、おのれ以外の存在によって「造られる」といった側面を持つが、それと同時に自らが自らを「造る」という側面も持つ。あなた任せにしないで、「情報」を十分に収集して自分自身の頭と心で判断することを積み重ねる、そのような日々を送る以外に「造られる」側面を少なくすることはできないのかも知れない。しかし、原子力安全・保安院と首長たちによる「やらせ」は、何とも胸糞が悪い。