既に新聞報道などでご存じの人も多いのではないかと思うが、僕らが学生だった時代に思想・市民運動の領域で最前線を走っていた小田実が「末期癌」の状態にあり、私信(200人に送った手紙の一人)によれば、3ヶ月か6ヶ月か、長くても1年という「余命」を宣告されている、という。
1982年に起こった「文学者の反核運動」以来、作家と批評家として親しくお付き合いをしてきた僕としては、4月のはじめに送られてきたその「私信」を読んだとき、暗澹たる思いにとらわれ、心穏やかではなかった。どういうものか、みんな「癌年齢」になっているのに、親しい人や余り親しくなくても年上の尊敬する人たちは、決して「癌」になったり、死んだりしないものだと、根拠もなく思い続けるという傾向に、僕もいつの間にか陥っていたのかもっしれないが、小田さんの「癌宣告」はショックだった。
戦後派文学の正統を継ぐ小田さんの癌罹病は、戦後派文学者の精神を現代にどうつないでいくのかを批評の基軸(の一部)にしてきた僕としては、また戦後派の「良心」が一つ消えていくような気がして、何ともやりきれない思いである。特に、安倍某という政治指導者に代表されるネオ・ナショナリストたちが、数を頼りにここぞとばかり「戦後の価値」を根こそぎ否定するような言動を繰り返している昨今にあっては、小田さんのような人間は今こそ必要とされていると思うが、何とも言いようがない。1昨年久し振りに長崎で「林京子全集刊行記念講演会」で会い、そのとき体力がだいぶ弱ってきたなという印象を持ったのだが、精神の方は相変わらず意気軒昂で、「全共闘世代はだめだ」という口癖のようになっているお叱りを受けるということがあった。
小田さんは、その外貌に似合わず心根の「優しい」人で、そのことをよく知っているのは、「ベ平連」時代を共にした人や身内の方々に限られているのではないかと思うが、「優しい」が故に、時の政治指導者や権力者に対して、あるいはそれに追随するマスコミやジャーナリズムに強面で接してきたのである。また、小田実は、その作品でも戦後派の「正統」を継いでおり、その点について十分に評価されない嫌いがあり、その意味では「不幸な文学者」だと言うこともできる。かつて、小田さんは僕に向かって、「黒古さんよ、僕らは日本では少数派だけど、国際的には多数派に属する仕事をしているのだから、そんなにがっかりすることはないよ」と励ましてくれたことがある。現に小田さんの「HIROSHIMA」や「玉砕」は英訳され、各国から高い評価を受けている。その意味では、国際的に認知されている日本の作家は大江健三郎や村上春樹だけではないのである。小田さんは、「政治と文学」との関係について本気で考え続けてきた作家なのである。にもかかわらず、近代文学や現代文学の学会でほとんど触れられることもなく、毎年小説作品を刊行しているのに、無視され続けてきた。1970年前後に「小田実全作品」(河出書房新社)が出ており、その後も「ベトナムから遠く離れて」などという7500枚を超える大作を発表し、また陸続とかつてを上回る作品を書いてきたにもかかわらず、である。だから、まとまった「作家論」も拙著の「小田実ータダの人の思想と文学」(勉誠出版 2001年)以外に出ていない。このことは、研究者・批評家の怠慢としか思われない。
故に、こんな「嫌な時代」だからこそ、小田実の「仕事」(小説・評論)について、じっくり読み込み、おのれの進むべき道を考える必要があるのではないか、と痛切に思う。小田さんの快復を祈るばかりである。
1982年に起こった「文学者の反核運動」以来、作家と批評家として親しくお付き合いをしてきた僕としては、4月のはじめに送られてきたその「私信」を読んだとき、暗澹たる思いにとらわれ、心穏やかではなかった。どういうものか、みんな「癌年齢」になっているのに、親しい人や余り親しくなくても年上の尊敬する人たちは、決して「癌」になったり、死んだりしないものだと、根拠もなく思い続けるという傾向に、僕もいつの間にか陥っていたのかもっしれないが、小田さんの「癌宣告」はショックだった。
戦後派文学の正統を継ぐ小田さんの癌罹病は、戦後派文学者の精神を現代にどうつないでいくのかを批評の基軸(の一部)にしてきた僕としては、また戦後派の「良心」が一つ消えていくような気がして、何ともやりきれない思いである。特に、安倍某という政治指導者に代表されるネオ・ナショナリストたちが、数を頼りにここぞとばかり「戦後の価値」を根こそぎ否定するような言動を繰り返している昨今にあっては、小田さんのような人間は今こそ必要とされていると思うが、何とも言いようがない。1昨年久し振りに長崎で「林京子全集刊行記念講演会」で会い、そのとき体力がだいぶ弱ってきたなという印象を持ったのだが、精神の方は相変わらず意気軒昂で、「全共闘世代はだめだ」という口癖のようになっているお叱りを受けるということがあった。
小田さんは、その外貌に似合わず心根の「優しい」人で、そのことをよく知っているのは、「ベ平連」時代を共にした人や身内の方々に限られているのではないかと思うが、「優しい」が故に、時の政治指導者や権力者に対して、あるいはそれに追随するマスコミやジャーナリズムに強面で接してきたのである。また、小田実は、その作品でも戦後派の「正統」を継いでおり、その点について十分に評価されない嫌いがあり、その意味では「不幸な文学者」だと言うこともできる。かつて、小田さんは僕に向かって、「黒古さんよ、僕らは日本では少数派だけど、国際的には多数派に属する仕事をしているのだから、そんなにがっかりすることはないよ」と励ましてくれたことがある。現に小田さんの「HIROSHIMA」や「玉砕」は英訳され、各国から高い評価を受けている。その意味では、国際的に認知されている日本の作家は大江健三郎や村上春樹だけではないのである。小田さんは、「政治と文学」との関係について本気で考え続けてきた作家なのである。にもかかわらず、近代文学や現代文学の学会でほとんど触れられることもなく、毎年小説作品を刊行しているのに、無視され続けてきた。1970年前後に「小田実全作品」(河出書房新社)が出ており、その後も「ベトナムから遠く離れて」などという7500枚を超える大作を発表し、また陸続とかつてを上回る作品を書いてきたにもかかわらず、である。だから、まとまった「作家論」も拙著の「小田実ータダの人の思想と文学」(勉誠出版 2001年)以外に出ていない。このことは、研究者・批評家の怠慢としか思われない。
故に、こんな「嫌な時代」だからこそ、小田実の「仕事」(小説・評論)について、じっくり読み込み、おのれの進むべき道を考える必要があるのではないか、と痛切に思う。小田さんの快復を祈るばかりである。