黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

壊れているのは、何?

2007-05-28 10:27:06 | 近況
 既に新聞報道などでご存じの人も多いのではないかと思うが、僕らが学生だった時代に思想・市民運動の領域で最前線を走っていた小田実が「末期癌」の状態にあり、私信(200人に送った手紙の一人)によれば、3ヶ月か6ヶ月か、長くても1年という「余命」を宣告されている、という。
 1982年に起こった「文学者の反核運動」以来、作家と批評家として親しくお付き合いをしてきた僕としては、4月のはじめに送られてきたその「私信」を読んだとき、暗澹たる思いにとらわれ、心穏やかではなかった。どういうものか、みんな「癌年齢」になっているのに、親しい人や余り親しくなくても年上の尊敬する人たちは、決して「癌」になったり、死んだりしないものだと、根拠もなく思い続けるという傾向に、僕もいつの間にか陥っていたのかもっしれないが、小田さんの「癌宣告」はショックだった。
 戦後派文学の正統を継ぐ小田さんの癌罹病は、戦後派文学者の精神を現代にどうつないでいくのかを批評の基軸(の一部)にしてきた僕としては、また戦後派の「良心」が一つ消えていくような気がして、何ともやりきれない思いである。特に、安倍某という政治指導者に代表されるネオ・ナショナリストたちが、数を頼りにここぞとばかり「戦後の価値」を根こそぎ否定するような言動を繰り返している昨今にあっては、小田さんのような人間は今こそ必要とされていると思うが、何とも言いようがない。1昨年久し振りに長崎で「林京子全集刊行記念講演会」で会い、そのとき体力がだいぶ弱ってきたなという印象を持ったのだが、精神の方は相変わらず意気軒昂で、「全共闘世代はだめだ」という口癖のようになっているお叱りを受けるということがあった。
 小田さんは、その外貌に似合わず心根の「優しい」人で、そのことをよく知っているのは、「ベ平連」時代を共にした人や身内の方々に限られているのではないかと思うが、「優しい」が故に、時の政治指導者や権力者に対して、あるいはそれに追随するマスコミやジャーナリズムに強面で接してきたのである。また、小田実は、その作品でも戦後派の「正統」を継いでおり、その点について十分に評価されない嫌いがあり、その意味では「不幸な文学者」だと言うこともできる。かつて、小田さんは僕に向かって、「黒古さんよ、僕らは日本では少数派だけど、国際的には多数派に属する仕事をしているのだから、そんなにがっかりすることはないよ」と励ましてくれたことがある。現に小田さんの「HIROSHIMA」や「玉砕」は英訳され、各国から高い評価を受けている。その意味では、国際的に認知されている日本の作家は大江健三郎や村上春樹だけではないのである。小田さんは、「政治と文学」との関係について本気で考え続けてきた作家なのである。にもかかわらず、近代文学や現代文学の学会でほとんど触れられることもなく、毎年小説作品を刊行しているのに、無視され続けてきた。1970年前後に「小田実全作品」(河出書房新社)が出ており、その後も「ベトナムから遠く離れて」などという7500枚を超える大作を発表し、また陸続とかつてを上回る作品を書いてきたにもかかわらず、である。だから、まとまった「作家論」も拙著の「小田実ータダの人の思想と文学」(勉誠出版 2001年)以外に出ていない。このことは、研究者・批評家の怠慢としか思われない。
 故に、こんな「嫌な時代」だからこそ、小田実の「仕事」(小説・評論)について、じっくり読み込み、おのれの進むべき道を考える必要があるのではないか、と痛切に思う。小田さんの快復を祈るばかりである。

また、初稿ゲラが。

2007-05-26 01:33:25 | 仕事
 依頼された書評用の本を読んでいる最中だというのに(1冊は読み終わり、2冊目にかかっている途中)、9月に刊行される予定の「村上春樹」の初稿ゲラが上がってき始めた。この「村上春樹」は18年前(1989年)に出して、僕の本としては異例の1万冊を超える部数が出た「村上春樹ーザ・ロスト・ワールド」(六興出版、この講談社系の吉川英治ゆかりの出版社はバブルで躓き倒産した)と書き下ろしの140枚ほど(と、留学生の王海藍の「中国における村上春樹の受容」50枚、合計200枚弱)を加えて1冊にして出すもので、この出版形態からもわかるように面白い本になるのではないか、と思っている。
 では何故このような本の形を取ろうとしたのか、ということになるが、それは版元(勉誠出版)の社長から「村上春樹について1冊書いて欲しい」と言われたのがきっかけで、18年前の拙著を読み返したところ、ほとんど書き改める必要を感じなかったために、ではその後から今日の最新刊(と言っても、「神の子はみな踊る」までだが)までを論じた文章を付け足して一冊にしよう、またこの際だから今ブームになっている中国での村上春樹現象について研究している留学生(博士課程後期)の文章も「付録」として付け、刊行しようということになったのである。
 結果的には、現在の村上春樹論や作家論の在り方、文芸批評の方法に対して「異議申し立て」するような内容を付け足すことができ、意味のある著作になったのではないかと思っている。テクスト論の流行以来、「作者」の問題や時代(歴史)や社会との関わりを捨象した作家論や批評が花盛りだが、そのような方法で近代文学がその本質としてきた「生き方のモデルを提出すること」(大江健三郎)について、批評家としての責務を全うできるのか、と思っていたので、そのような疑問を心底に置いて新稿140枚を書いたのである。そのような批評方法に対する批判は、本が出てから受けるとして、著者としても楽しみにしている一冊になった。九月が待ち遠しい。
 6月下旬に出る「林京子論」も、実は「村上春樹」の新稿と同じ批評方法で書いたつもりなので、著者として今年の2冊を本当に楽しみにしている。
 文学に興味を持っている読者の皆様、お買い得ですので、よろしく。

また、初稿ゲラが。

2007-05-26 01:32:21 | 仕事
 依頼された書評用の本を読んでいる最中だというのに(1冊は読み終わり、2冊目にかかっている途中)、9月に刊行される予定の「村上春樹」の初稿ゲラが上がってき始めた。この「村上春樹」は18年前(1989年)に出して、僕の本としては異例の1万冊を超える部数が出た「村上春樹ーザ・ロスト・ワールド」(六興出版、この講談社系の吉川英治ゆかりの出版社はバブルで躓き倒産した)と書き下ろしの140枚ほど(と、留学生の王海藍の「中国における村上春樹の受容」50枚、合計200枚弱)を加えて1冊にして出すもので、この出版形態からもわかるように面白い本になるのではないか、と思っている。
 では何故このような本の形を取ろうとしたのか、ということになるが、それは版元(勉誠出版)の社長から「村上春樹について1冊書いて欲しい」と言われたのがきっかけで、18年前の拙著を読み返したところ、ほとんど書き改める必要を感じなかったために、ではその後から今日の最新刊(と言っても、「神の子はみな踊る」までだが)までを論じた文章を付け足して一冊にしよう、またこの際だから今ブームになっている中国での村上春樹現象について研究している留学生(博士課程後期)の文章も「付録」として付け、刊行しようということになったのである。
 結果的には、現在の村上春樹論や作家論の在り方、文芸批評の方法に対して「異議申し立て」するような内容を付け足すことができ、意味のある著作になったのではないかと思っている。テクスト論の流行以来、「作者」の問題や時代(歴史)や社会との関わりを捨象した作家論や批評が花盛りだが、そのような方法で近代文学がその本質としてきた「生き方のモデルを提出すること」(大江健三郎)について、批評家としての責務を全うできるのか、と思っていたので、そのような疑問を心底に置いて新稿140枚を書いたのである。そのような批評方法に対する批判は、本が出てから受けるとして、著者としても楽しみにしている一冊になった。九月が待ち遠しい。
 6月下旬に出る「林京子論」も、実は「村上春樹」の新稿と同じ批評方法で書いたつもりなので、著者として今年の2冊を本当に楽しみにしている。
 文学に興味を持っている読者の皆様、お買い得ですので、よろしく。

著者校(再校)

2007-05-23 00:12:30 | 文学
 昨日の夕方に担当編集者から連絡があったとおり、午前11時半に6月25日に出る『林京子論ー「ナガサキ」・上海・アメリカ」』の「再校ゲラ」が届き、25日(金曜日)の午前中までに返却して欲しい旨がメモされていた。明日からの予定を考えると、このまま大学(つくば)に持って行っても校正する時間を生み出すことが難しいyと思ったので、昼食の後、早速校正に取りかかる。
 毎回、著者校の度に思うのだが、編集者(校正者)は細かいところまでよく見ていて、著者がどうしても見過ごしてしまう点に対してまで、厳密に指摘してくれるので驚かされる。今回も、著者(僕)は年譜などで作品の出版年など確認したはずなのに、間違っている箇所が何カ所か在り、冷や汗ものだった。また、脱字もいくつかあり、著者は「校正」するのではなく、「読んでしまっている」(一つ一つの文字や単語に注意せず、文章として読んでしまう)のだとつくづく思う。他人の文章だと「校正者」として振る舞うのに、自著だと読み飛ばしてしまう。同業者に聞くと、みな同じだというので、いくらか安心しているのだが、「校正」は本当に難しい。校正者が「専門家」だということを、今回も思い知らされた。
 それにしても、本を書く(本を作る)ということの、何という難しさよ。400字詰め原稿用紙に約420枚の文章を書き、そして編集者(出版社)の手を経て、読者の手に渡るまでの長い道のり、デジタル時代の今日ではそのような過程について、ついつい安易に考えがちだが、基本的に「手作り」である書籍を生み出すことの意味をもう一度僕たちは考えなければならないのではないか。
 どこぞの国の首相が何の意図があってか現場を無視して上滑りな「教育再生」などを唱える風潮と、「手作り」の大切さを忘れたように見える昨今の風潮は、どこかで通底しているように思えてならない。2人の子育てをしながら一生懸命「子供」のことを考えて教師をしている娘の生活を端から見ていると、「教育三法」が画餅に過ぎず、為政者(与党・権力)の意図は別のところにあり、それは結局ニヒリズムを底意に持つ「破滅」への道なのではないか、と思わざるを得ない。そんなこんなで、昨今は「多数決」を原理とする民主主義の暗い裏面を見せつけられるばかりであるが、今度の『林京子論』はそんな風潮への僕なりの「異議申し立て」を底意に持つ作家論であることを、宣伝をかねて言っておきたいと思う。
 司修さんの装幀でとてもすてきな本になります。是非、読んで欲しいと思う。版元は「日本図書センター」(文京区大塚3-8-2)なので、ブログを読んだと言って注文してくれれば、便宜を図る予定でいる。よろしく。

書評2本

2007-05-21 09:53:05 | 文学
 1昨日(土)、1年1回の慣例行事になっている「山菜採り」に、雨降りが予想される中(案の定、ずっと雨だった)、新潟(湯沢)まで行ってきた。そして、帰宅してから昨日まではその処理(きゃらぶき造り・ワラビのアク抜き)に追われ、疲れて痛む足腰をさすりながら今日に備えてきた。
 というのも、先週立て続けに「北海道新聞」と「週刊読書人」から書評の依頼があって、今日から読み始めなければならないからであった。「北海道新聞」の方は、河野多恵子の短編集「臍の緒は妙薬」(新潮社刊)。河野さんの小説を読むのは久し振りだが、河野さんには「林京子全集」の編集委員就任でお世話になっているし、体調を崩されているということだったので、どんな状態なのか、作品を通して現在がわかればと思い、引き受けたのである。
「週刊読書人」の方は、著者はほとんど知られていない橋本安央という関西学院大学の若い先生なのだが、タイトルが「高橋和巳 棄子の風景」(試論社刊)ということで、今時の若い人が高橋和巳をどう読むのか興味があって引き受けたのである。僕たち「政治の季節」に青春時代を送った者にとって、高橋和巳は特別な存在だった。39歳という若さで、戦い半ばに斃れた戦士、とうイメージが強く、亡くなる直前の著書「わが解体」は、僕の鞄の中にいつも収まっていた本であった。
 昨年末に出した「魂の救済-文学と宗教との共振」(佼成出版刊)にも1章をもうけて高橋和巳の「邪宗門」を取り上げたのも、もちろん、作品の内容が本のテーマに沿っていたということもあるが、60年代末から70年代に青春を過ごした僕自身がこの長編から何を受け取っていたのか、そこに見える「世直しの思想」について検証したかったからでもあった。
 ともかく、2作とも読むのが楽しみである。掲載されたら、件の書評は本ブログでも紹介したいと思っている。著者(の思想・文学観や感受性)と書評者のそれとが格闘する書評という批評の形、楽しみにしてもらえば幸いである。
 ではまた。

「読書と豊かな人間性」

2007-05-18 14:54:10 | 仕事
 新館の紹介、といっても、これは文学関係の本ではありません。同僚の山本順一先生の要請で、共編著という形で出した「読書と豊かな人間性」(学文社 1800円)のことです。山本先生が以前から監修なさっている「司書教諭養成講座」のための教科書といった趣の本です。
 山本先生は、僕が6年ほど前に急遽司書教諭講座「読書と豊かな人間性」を担当した崔に参考にしようとした「読書論」の類に面白いものがない、という不満を漏らしたことを記憶していて、今度の本の分担執筆を要請したのだと思うが、結果的には僕の考えてきた「読書論」、それはつまり現在司書教諭養成のために用意されている参考書・教科書の類に対する批判でもあるのだが、存分に書かせてもらったので、それなりに満足している。異論や批判のあることは重々承知しながら、どぎつい言い方をすれば「挑発」をもくろみながら書いた読書論であるが、読書とは言葉(日本語)を読むことである、という大前提の下で、いかに現在の学校現場における読書指導が「本嫌いの子供」を作っているか、を誰に遠慮することもなく書いた文章(80枚ほど)、興味のある人はぜひ読んでほしいと思う。本を読むということに対して、某かの刺激は受けるのではないかと思っている。
 今週末には「林京子論」の第2校が出る。6月24日の発売は決定なので、いよいよ押してきたという感じになっている。司修さんの装丁見本も先週末に送られてきて、青色を基調としたすばらしいもので、目を引く本になったのではないかと思う。

中村克郎平和文庫

2007-05-11 18:23:26 | 仕事
 頼まれて協力している「中村克郎平和文庫」の設立準備であるが、10万冊を越える蔵書の整理は、思ったより大変だし、費用もかかると思われるので、前途多難な感じがしなくはない。連休中にゼミの学生や院生の協力を得て「整理」にかかったのだが、1日平均5人が7日間作業して整理できたのが約5000冊、単純に計算して20倍の人数と日にちがかかることになる。学生たちはアルバイトとして行っているので、その費用も馬鹿にならない。
 本来は行政がそれこそ「援助」してくれればいいのだが、財政難を理由に一向にその気になってくれない。「文化」は票に結びつかないからかも知れないが、この国の民度の低さを改めて痛感せざるを得ない。
 寄付を募ろうということで、NPO法人設立も同時に考えているのだが、その手続きのわずらわしいこと、想像を絶する。これからは施主の中村さんとも協力して根本から構想を立て直さなければならないかもしれないが、「文庫」に収蔵されるはずの文献(書籍)が貴重なものであればあるほど、民間でどこまでやれるか、試されているような気がしてならない。
 そんな前途を抱えていても、大学の授業を恙無くやりながら、自分の仕事(研究)もこなさなければならない。幸い、「林京子論」は再校が出るまでに進み、6月25日の発売は間違いないとの版元からの通知、一安心である。
 また、再刊を望まれていた「村上春樹―座・ロスと・ワールド」も書き下ろし部分を140枚ほど加え、また院生の留学生・王海藍の「中国における村上春樹の受容」も収録して、近いうちに刊行されるめどが立った。
 働き過ぎかな、とも思うが、これも宿命、やれるところまでやるしかない、と今では心に決めている。心から、温泉でも行ってのんびりしたいなと思う今日この頃である。

ゴールデンウイーク後半戦

2007-05-07 00:34:41 | 文学
 山梨から帰ってきて、すぐに着手したのは、5月10日頃の締め切りで頼まれていた定道明さんの2冊目の短編集『立ち日』(樹立社刊)の帯文を書くことだった。定さんは詩人であり中野重治の研究者でもあるのだが、昨年短編集『暦日』を出し、今年は『立ち日』を出すので、ぜひ帯文をと担当の編集者から頼まれたのである。北陸の田舎に住む初老の夫婦の「何気ない日常」を描いた短編集は、独特な味わいを醸し出しており、380字~400字という長さでいかにこの短編集の「良さ」を書くことができるか、ちょっと大変だった。
 この作業は一日で終わらせ、次にしなければならなかったのは、6月末に刊行が決まった『林京子論ー「ナガサキ」・上海・アメリカ』(日本図書センター刊)のゲラ直しで、原稿は3ヶ月ほど前に渡してあったのだが、時間が経つと直さなければならないことが増えるようで、思わぬ時間がかかってしまった。当たり前のことであるが、引用箇所を原本に当たって確認し、かつ誤植や転換ミス、あるいは意味が通じにくい箇所や説明不足の箇所に文章を書き加える作業は、著者として厳密にしなければならないこととわかっていながら、しんどかった。原稿を書いているときは「これでいい」と思って書いたことが、時間が経って読み返すと不十分さに気付く。毎度のことながら、しんどい。
 特に今度の20冊目の自著になる『林京子論』は、ずっと温めてきた企画で、僕の「原爆文学論」の集大成を意図したものでもあったので、余計に神経を使ってしまった。対象とした林京子さんとは、校正している間に「気分転換」をはかるために電話で30分ほど話したのだが、とても元気で、一番最初に読んでもらいたい人が元気だったので、僕も元気をもらったようで、仕事がはかどった。このときの電話で、林さんがとても気にしていたのは、現在の社会が「憲法改正論議」などに見られるように、どうもおかしな方向に向かっているように思えることで、どうも安倍首相という人は「歴史」から何も学ばなかった「エリートお坊ちゃん」なのではないか、ということだった。
 ゲラは、版元の請求通り、5月7日に着くように宅配便で送ったのだが、昨日届いた郵便物の中に、「社会文学」に依頼されて書いた「在日文学論」のゲラがあり、明日の朝までに終えなければならない状況に追い込まれてしまった。
 何だか連休の疲れがどっと出たようで、これから寝ようと思う。来週から大学が再開されるが、その準備と「村上春樹」の書き下ろし(140枚)の見直しも待っている。本当に、こんな生活でいいのだろうか?

ゴールデンウイーク前半戦

2007-05-01 08:54:07 | 仕事
 毎年のことながら、ゴールデンウイークは世の習いと異なり自宅に「幽閉」される予定であったが、今年は初日の28日と翌日の二日間、山梨の塩山(甲州市)で、例の「中村克郎平和文庫」の整理に行くことになり、大変だった。学生を4人乗せて車で行ったのだが、路線を間違えたのか、東京(環八)が異常に渋滞していて「つくば」から塩山まで3時間半もかかってしまった。着いてすぐ「文庫」予定の家屋を改装するために本を移動しておいた空きショッピングセンターに行ったのだが、フロアーいっぱいに広げられた夥しい本の数を見て、改めて中村克郎氏の蔵書数に驚いた。以前は8万冊から10万冊と思っていたのだが、もしかしたら10万冊を越えているかも知れないその数に前途暗澹たる思いにさせられた。それにしても、個人の蔵書でこのような数は効いたことも見たこともなく、その内容の豊かさもさることながら、この蔵書が「公開」されるようになったら、一大事件なのではないかと改めて思った。学生たちも唖然としながら、いい勉強になるのではないかとも思った。yはり、「知」の中核は「本」だと思わざるを得ない。「文庫」はその証明でもある。
 ともかく作業ということになったのだが、午後いっぱいかかっても整理できたのは微々たるもの、翌日も昼まで塩山にいたのだが、全体的には遅々とした歩みという印象で、本格的な整理にかかる夏休みの体制を考えなければならないことを痛感した。
 連休中の仕事(6月に刊行される自著のゲラ校正、原稿3本)のことを考え、後ろ髪を引かれる思いで塩山を後にしたのだが、雁坂峠越えー秩父経由ー前橋の計画が失敗で、秩父市内が大勢の人で全く動かず、そばでも食べようという思いは店の前の数十人の行列で萎え、コンビニの握り飯で代替し、結局4時間近くかかって帰宅する羽目になった。帰宅したら、予定外のゲラ(解放文学賞の選評対談)がFAXで送られてきており、すぐに直して返送してほしいとの伝言、しかしその日はさすがにできず、翌朝返送することにしたが、疲れて早々に寝た。
 そして昨日(30日)、連休明けに渡す予定の北海道新聞の書評(「星新一 1001話をつくった人」最相葉月著)の下書きをして、今日は以前から頼まれていた短編集の帯文を書く予定。
 この連休中には父の命日(4日)があるので墓参りもしなければならず、明日からはゲラ校正、ともかくとんでもない連休である。