黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

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明日、武漢に戻ります。

2014-02-28 21:19:50 | 仕事
 明日の早朝、武漢に向けて自宅を出発します。今度もまた2ヶ月ほどの滞在になります。
 直前まで、結婚式があったり、14年前にアメリカのワシントン大学で教えていたときの学生(今では、ヴァージニア州の大学で准教授をしている)が2月25日、26日と1泊2日で拙宅に来たり、めちゃくちゃ忙しい時間を過ごさざるを得なかった。
 武漢(華中師範大学外国語学院日本語科)の学生からも、直前まで修論やら今後の研究についての問い合わせや資料の請求があり、その準備でずっとあたふたせざるを得なかった。
 何よりも、大雪のため、家庭菜園の春からの栽培にとって重要な意味を持つ「土作り」の計画が大幅に狂い、アメリカからのお客が帰ったあとの27日に朝から夕方まで掛かって、肥料(有機)散布、耕耘、と慌ただしい日々を過ごした。これで、家人も安心してお彼岸にジャガイモの植え付けができる、徒喜んでいた。
 そんな日々にあって何度この欄で一路「戦争のできる国造り」に猛進する安倍内閣に対して、苛立ちと腹の底からの怒りを覚えたが、それらについては武漢という地で、少し冷静になって考えてみたいと思っている。
 武漢で少ない情報を元にということになるが「武漢便り」(新々武漢便り」を再開したいと思うので、代わらずご支援ください。
 では、次は武漢から。
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「暴走」を支えるジコチュウ――記録的大雪の中で考える

2014-02-17 15:51:40 | 仕事
 先週金曜日の拠るから降り始めた雪は、土曜日いっぱい降り続け、あれよあれよという間に長靴で歩くことさえままならぬような深さになり、気が付いてみたら、庭の直径10センチほどの幹を持つ「グミの木」が地上から1メートルほどのところでポキリと折れ、2階の書斎からいつも白い花を眺めていたボタンキュウの大枝が1本、幹から折れて垂れ下がり、初夏にはおいしい実を付ける桃の木の大枝が2本折れ、その他にもツツジやシャクナゲ、サツキ、松などの小枝が雪の重みに耐えられずに何本も折れ、昨日から今日まで、「大雪対策」に追われてきた。
 今度の大雪は、その前の週末に降った雪が溶けきらない時に降ったということもあって、なかなか溶けず、孫たちの通う小学校(隣接する中学校も)は、今日(月曜日)に引き続いて明日も休みとのこと。幹線道路の車は走っているのだが、除雪車(工事用ブルトーザー)が除雪した道路の雪が歩道の上で固まり、子供たち(もちろん、大人も)の歩く場所がないという状態を踏まえての処置なのだろうが、異亜mだんいわの雪が50センチほど残っている状況を見ると、人間の文明(近代文明)が自然の前で如何に脆いものであるか、思い知らされる。
 3年前の東日本大震災(とフクシマの出来事)の時も、地震と津波による大被害と科学の粋を集めたはずの原発が脆くも大自然の驚異によって破壊された現実を目の当たりにして、人間の「小ささ」と「大きさ」を同時に感じたものだが、このどの大雪でも同じようなことを感じざるを得なかった。新聞も配達されず、スタッドレスタイヤを履いた車で近くのコンビニに孫に頼まれたアイスクリームを買いに行っておにぎりや弁当類、パンの棚が空っぽであることを知ったとき、「3・11」後の東北各地の光景を思い出し、改めて脆い現代文明を感じてしまったのだが……。
 そんな「雪に閉じこめられた生活」の中で、テレビを付けると、安倍首相の「暴走発言」や政治姿勢――選挙に勝てば、つまり政権を握れば、憲法解釈)憲法改正)も自在であるというような発言、および安倍首相寄りといわれるNHK会長や経営委員たちの発言を擁護する態度、社民党元党首福嶋瑞穂の予算委員会での質問に対する「人を小馬鹿にした」ような「何度も何度も答えている」答弁、等々――が問題視されているのはその通りだと思いながら、例えばJNN(TBS系)の世論調査の「安倍内閣支持62%、不支持32%」と「原発ゼロ賛成60%以上」、あるいあh「アベノミクスによって景気がよくなった15%以下」という結果の不整合について、何故そのような結果になったのか、それはたぶん日本人総体が「ジコチュウ」人間になってしまったからではないのか、と思ってしまったり、戦後「平和と民主主義」の下で培われてきた「倫理(モラル)」が破壊されつつある結果なのではないか、と思ったりする状況にある。 特に、先の東京都知事選で「国粋・軍国主義者」の田母神俊雄が20代の若者たちに多くの支持を得たという事実は、僕らの世代では当たり前だった「殺すな!」(殺されたくない!)という論理と倫理が「風前の灯火」になっているのではないかという思いを誘い、少なくない「危機感」を覚えている。安倍首相も田母神俊雄も「同じ思想=日本主義(悪しきナショナリズム)」に染まっており、それを若者たちが支持するという、まさに「戦争前夜」のような危険を兆候、ここで何とか巻き返しを図らなければとんでもないことになるのではないか、と思うが、彼らの言動に対して過敏になっているのは僕だけなのか、という極端な寂しい気持にもなっている。
 しかし、あと3年近く国政選挙がないという現実は、何とも口惜しい気持があと3年続くということでもあるが、その間にどうしたら巻き返すことが可能か、と「しがない口舌の徒」でしかない僕は今必死に考えているのだが……。
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残念な結果だが、しかし……、

2014-02-10 06:38:47 | 仕事
 昨日の東京都知事選、結果は投開票前から分かっていたこととは言え、形式的には「原発再稼働・原発輸出」を推進する自公連立政権が都民(国民)に認められたようなことになってしまって、至極残念である。
 しかし、前日の大雪のため、組織動員に関係ない人々が投票所まで足を運ばなかったということもあったのだと思うが、投票率が50パーセントにも満たない低投票率であったこと、またそんな低投票率の中でのやはり50%に満たない支持によって舛添要一が東京都の新たな顔になったということを、僕らはどう考えればいいのか。現在の安倍政権が、国民の4分の1以下の支持によって成立したことに象徴されるように、民主主義を実現するための基本的要件でもある「選挙」というものの摩訶不思議さ、投票率が50パーセント以下であったら「無効」→「やり直し」という決まりを作りたいぐらいの気持である
 それにしても、今度の50%を切った東京都知事選、雇用(経済格差)、年金、生活保護、等々の社会保障問題や東京オリンピックの開催など、そして「原発」問題という大きな政治的テーマがあったにもかかわらずのこの低投票率、どうやら国民(都民)にとって最早「政治」というものが自分たちとは関係ないものになってしまったことを意味している、つまり国民(都民)の多くは「絶望」していると言っていいのかも知れないが、もう一度「しかし」と言わせてもらえば、原発を容認する舛添要一と田母神俊雄の得票を合わせた数と、「脱原発・原発ゼロ」の宇都宮・細川候補の得票数を比べると、約280万と193万という数になり、決して「反原発」派が大敗したわけではない、ということがわかる。それに、あたらしい都知事になった舛添要一も、自民党の応援を得るために「脱原発」の施政を後ろに引っ込めたが、元々は「脱原発」を主張していたはずで、朝日新聞などのマスコミが都知事選の結果を踏まえて「これで、原発再稼働に拍車が掛かる」といった主旨の記事を載せているが、本当にそうか。投票した東京都民の5分の2が原発に反対している現実を無視して、果たして権力は原発の再稼働や原発輸出をごり押しできるかどうか、僕らはここで諦めることなく、「脱原発・原発ゼロ」の旗を掲げつつ、安倍政権に「異議申し立て」をし続けなくてはならない、と思う。
 とは言うものの、正直言って、現在は何だか「虚しさ」だけが周りに漂っているような感じで、どのような形で「異議申し立て」をしていけばよいのか、思案中である。
 ただ、一つだけ分かったことは、権力を持たないものは、「協同=共生」によってしか十分に力を発揮できないということである。そうしないと、少ない支持にもかかわらず一つ(複数)の政党が権力を縦にする、という民主主義の「悪弊」が何時までも続くことになる、ということである
 
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あと1日、「民意」は何処へ?

2014-02-08 10:41:53 | 仕事
 今日はあいにくの大雪、現在10時45分だが、赤城山麓に建つ我が家周辺の積雪は、約10センチ。本来なら、今日は「第2回 遠雷忌」(故立松和平の業績を偲ぶ会)なので、会場のある東京(上野・法昌寺)へ行かなければならないのだが、帰りに高崎線が動いているか、また道路が凍結するのではないかを考え、まだ出欠の決断がついていない。あと1時間ほど様子を見て、それから決断しようと思う(これを書き終わって、11時30分、未だ降り止まない雪を見て、結石の決断を世話役に伝える)。
 こういうとき、東京から離れている田舎に住んでいることの悲哀(?)を感じるが、いよいよ降り積もる雪の前で何もできない自分の姿を鏡に写し、">つくづく自然の猛威に対して人間がいかに「無力」であるかを思い知らされる。そして、思うのは、科学の粋を集めて建設された原発が、マグニチュード9の大地震とそれに伴う大津波によって、もろくも破戒され、揚げ句の果てにメルトダウン・メルトスルーという世界でも例を見ない大きな原発事故を起こしてしまったことである。フクシマの約1年後になくなった吉本隆明は、「科学神話」の信者として、原発事故は克服できるものとの考えを最期まで主張し続けてきたが、フクシマから3年経って未だ収束にはほど遠い現実、例えば汚染水の漏洩、あるいは原発敷地内の井戸から何万ベクトルかのストロンチウムが検出されたとか、全く事故の後処理ができていない(放射能汚染がコントロールされていない)状態を見ると、僕らは科学の限界性を見極める必要があるのではないか、そしてその最たるものは原発だから、国の方向性は「脱原発・原発ゼロ」に持って行かないと大変なことになる、と思うべきである
 折しも、ここ300年間「音無しだった」富士山が近いうちに大爆発を起こすのではないか、と言う予測が現実味を帯びてきたと報道していたが、富士山の大爆発が静岡県の浜岡原発に与える影響のみならず、科学の結果である現代建築や河川整備がどのような影響を受けるか、そのことを考えると、もう一度僕らは「科学の進歩」とは何かや近代とは何かにについて根本から考え直さなければならないのではないか、と思った。こんなことを書くと、ずっと昔(文学者の反核運動が盛んだった80年代の初め頃)、先の吉本隆明に「黒古のような奴は、近代を否定する原始回帰主義者だ」(『反核異論」)と言われたことを思い出すが、僕が原始回帰主義者であるかどうかは別にして、原発(もちろん、核兵器も)が人間の存在と相容れないものだということは、紛れもない事実(現実)である。 だから、そのことを無視して、オリンピックだの経済発展だのというのは、現実を無視した根底にニヒリズムを胚胎した考えに他ならない。目先の利益に目をくらまされることなく、長い目で人類(地球)の未来を考えるべきである。そうすれば、現代の日本にとって最大の政治的テーマは「核問題」に他ならない、ということになる。つまり、何度でも言うが、「核と人間は共存できない」という思想をどれだけ敷衍させるか、このテーマは全ての政治テーマ(経済や歴史認識、オリンピック、格差問題、等々)の根っこにあるもので、日本の一地方でしかない「首都」の公約(テーマ)には馴染まない、などという論理は、まさに「逃げ=ニヒリズム」そのものであり、認めることはできない。
 今日の大雪、明日も東京には多くの雪が残り、外出が億劫になるのではないか、と思う。それでも、日本の行く末を決める大切な選挙、東京都民の皆さんは、こぞって投票に行って欲しいと思う。「勝手連的に脱原発派を応援する」と、北海道札幌市長の上田文夫氏や作家の小檜山博さんたちが、知り合いの東京都民に投票行動を促すという北海道からのニュースが伝わってきたが、僕ももう一度「脱原発・原発ゼロ」を掲げる候補への投票を促したいと思う。 
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残念至極だけど……安倍政権「暴走」阻止の意思表示を!

2014-02-07 09:55:46 | 仕事
 いよいよ東京都知事選の投票日が2日後に迫ってきた。
 昨日の新聞の小さな記事は、「脱原発・原発ゼロ」を掲げる宇都宮健児陣営と細川護煕陣営との「統一候補」化を模索していた文化人たちの努力が実らなかった、と報じていた。各種の世論調査が伝えるのは、フクシマから3年、未だ「脱原発・原発ゼロ」を支持する国民(都民)は60%近く存在するということである。これはフクシマが未だ人々の間では風化しておらず、フクシマが決して過去の出来事ではなく、僕たちの現在と未来を掣肘する重要な問題であることを示し、それだけ国民(都民)の意識は鮮明であるということでもある。そのことを考えれば、「脱原発・原発ゼロ」を公約に掲げる宇都宮陣営と細川陣営が「分裂」して選挙戦を戦う現状を解消できなかったのは、残念至極と言わねばならない。
 しかし、数日前に「東京新聞」の連載コラムで文芸評論家の斉藤美奈子が、もし仮に分裂選挙になっても、現在世論調査で他の候補を押さえて首位に立っている舛添要一が当選したとしても、宇都宮健児と細川護煕の二人が集めた票が舛添要一を上まわったとしたら、それはそれで国民(都民)の「脱原発・原発ゼロ」の意思を表明したことになり、原発再稼働や原発輸出に躍起となっている安倍晋三政権に一定程度の打撃を与え、多少の「歯止め」にもなるのではないかと書いていたが、今となっては宇都宮健児でも細川護煕のどちらかに勝ってもらいたいと思うが、最終的には斉藤美奈子が言うように、二人合わせて舛添要一の得票数を上まわることを願うばかりである
 なぜなら、通常国会が始まって以来の安倍首相の言動(かつて自党を除名した舛添要一を「勝つ」ことだけが目的で、なりふり構わず応援することも含めて)が、憲法改正や集団的自衛権の容認など、ますます「戦争のできる国」へと一直線に進んでおり、様々な論者が言っているように、そのうち向きのナショナリズムは「危険な状態」になりつつある。NHK会長の従軍慰安婦や特定秘密保護法などに関する発言やNHK経営委員の作家百田某の南京大虐殺はなかった発言、あるいは同じく委員の埼玉大学名誉教授の長谷川某の「右翼礼賛」「男は仕事、女は家庭に」などという発言など、今までは決して表に出なかった「右派」的言動が堂々とマスコミの前面に出てきているのも、安倍政権が「危険な」ものであることを表しており、僕らはもしかした現在らとんでもない状況に遭遇しているのではないか。
 前に僕は現状が「嫌な感じ」になっていると、再三再四言ってきたが、どうやら「嫌な感じ」どころではなく、僕らは現在「戦争」という火薬庫の上を歩かされているのではないか、と思える
 しかし、これら第二次安倍内閣の発足以来顕著になった「右傾化=ウルトラ保守化=戦前回帰」傾向の理由を考えてみると、その大本にマスコミなどで言われている「歴史認識」――この「歴史認識」という言葉のあいまいさ、客観的な言い方を心がけた結果なのだろうが、安倍首相の先のアジア太平洋戦争における「侵略」を巡って、「侵略」の定義は学問的にも国際的にも決まっていないというセリフに象徴されているように、日本の「加害者性」を無いものとするレトリックであって、日本が近代化された明治期の日清・日露戦争以来、アジア(中国)・太平洋地域に対して、「大東亜共栄圏」などという幻想を掲げて「侵略=加害」したことを正当化したことを捨象する論理を隠蔽するものである――の問題が存在することを忘れてはならない。
 安倍首相の靖国参拝問題も、まさに先のアジア太平洋戦争における日本の「加害者性」を無化しようとする勢力を代弁するもので、36年間植民地にされてきた韓国(朝鮮)や、日清戦争以来、武漢<漢口>、上海、などに「租界」という名の植民地的地域を強いられてきた中国の「被害者」としての恨み・辛みを無視した、それこそ「間違った歴史認識」の発露と言わねばならない。
 そんなことを考えれば、この国の首都である東京都の首長(知事)を選ぶ選挙は、個別「東京都の問題」もあるかも知れないが、「右傾化」を強めつつある安倍政権への異議申し立てでもあること、そのことを僕らは肝に銘じなければならない
 残念ながら僕は東京都民でないので選挙権はないが、このブログを見ている東京都民の皆さんは、是非とも投票に行って、「危険な状況」に異議申し立てるような投票行動をして欲しいと思います。
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