前回から今日まで、何をしていたのか。
もちろん、何もしていなかったわけではない。授業はもちろん、毎日、決められた仕事(それ以外の仕事も)は、それなりにこなしてきた。例えば、中秋節(19日~21日)の最後の日には、外国語学院の「招待」に応じ、アメリカからやって来たKenny・Gというサックス奏者のコンサートに行ってきたし(久しぶりにジャズを聞いたが、僕らが学生だった頃は、楽器にしろ歌にしろ「生な音」が中心だったが、今は「電子音」(電気で増幅された音)が中心になっているようで、やたら「大きな音」がホールに響き渡り、耳障りで仕方がなかった。若い人が結構目についたが、彼らは演奏に驚喜していて、世代の差を感じざるを得なかった。それにしても、高度経済成長を象徴するような巨大なコンサート・ホール(しかも、ツイン)、しかし椅子はちゃちで、前の席に100キロを超すであろう女性(ソプラノ歌手のようであった)が座っていたが、彼女が身じろぎするたびに、ぎしぎしという音と共に椅子が揺れていた)、3月26日(木)には、今年の3月に行われた修士論文の「着手発表会」に参加できなかった大阪大学に留学していた3人の「着手発表」があり、きちんと対応してきた。
そして、今日(29日)は午後5時30分頃から湖北省の「国慶節」祝賀会があり、去年もそうであったが、今年も楚天学者(湖北省が給料を払っている特別招聘教授)として招待されているので、参加することになっている(その模様については、また次の機会に報告したいと思う。日中関係が一向に改善されない現在、地方や民間ではどのようになっているのか、祝賀会で知ってきたいと思っている)。
その間、現在「大法輪」に連載中(10月号から上・中・下・下の2の4回、興味のある人は見てください)の「中国体感・大観」(下の2)を書き上げ、添付写真も必要ということで、学生の手伝ってもらって編集部の所に送る、という作業もしてきた。この連載は、いずれふくらませ、また別な記事も加わえて1冊の本にする予定があり(出版社は決まっている)、その軸となる文章になるのだが、第1回を読んだ知り合いからは、普段の文芸評論とは違う感じで、読みやすいという評をもらっているので、このままこちらにいる内に書きためていこうと思っているのだが、連載の副題に「葦の髄から中国を感じる・考える」としたように、出歩くのが余り得意でない僕としては、武漢という「定点」に居続けての観測ということになり、それで果たして読者は満足するのか、いささか「不安」でもある。
というような10日間を過ごしてきたのだが、10日間もこのブログを書かなかった「別な理由」は、こちら(武漢)から日本の状況を眺めていて、「アベノミクス」なる虚像に踊らされている経済界とそれに追随している日本国民の現在、あるいはフクシマの「汚染水問題」や原発再稼働問題、等々、何とも「虚しく」思え、僕が何を言っても「負け犬の遠吠え」と同じなのではないか、という思いが強まり、その結果、ブログに向かう「気力」が失せていたからであった。それと、昨日中国のテレビと日本のテレビ(何とNHK総合を除いてすべてのテレビが、ネット状況が良ければ視聴できる)を見ていて、防衛省が中国の無人偵察機が領空侵犯した場合、撃墜するプログラムを検討中、ということを知り、中国について、安倍首相はじめ日本政府及び防衛省は「甘く」見ているのではないか、アメリカ(日米安保条約)に頼りすぎているのではないか、と思ったからである。
前から言ってきているように、中国のテレビを見ている限り、中国政府(人民解放軍)は「日中戦争も辞せず」という態度で、尖閣諸島問題に対処してきている。どこから来た「自信」なのか分からないが(いや、高度経済成長の成功がもたらしたのだろう)、汚職問題や貧富の格差問題などの「内憂」を抱える中国は、領土問題(外患)に対して相当「敏感」になっている。その点は、虎の威(アメリカ)を借りて威勢のいいことを言っている安倍首相は、もっと現実を見るべきである。核兵器も最新式ミサイルも持っている中国の軍事力を「なめて」はいけないのではないか、とこちらに来て痛切に感じた。先に記した「中国体感・大観」でも書いたのだが、日本の指導者や「南京大虐殺はなかった」「支那に馬鹿にされるな」などと未だ嘯いている、例えば石原慎太郎など、もっと真摯に現代中国の「現実の姿」を見るべきである。
そうでないと、僕らは自己陶酔的な指導者によって「また再びの道」を歩まされることになるのではないか、と思う。
元気になりました。また書いていきます。
もちろん、何もしていなかったわけではない。授業はもちろん、毎日、決められた仕事(それ以外の仕事も)は、それなりにこなしてきた。例えば、中秋節(19日~21日)の最後の日には、外国語学院の「招待」に応じ、アメリカからやって来たKenny・Gというサックス奏者のコンサートに行ってきたし(久しぶりにジャズを聞いたが、僕らが学生だった頃は、楽器にしろ歌にしろ「生な音」が中心だったが、今は「電子音」(電気で増幅された音)が中心になっているようで、やたら「大きな音」がホールに響き渡り、耳障りで仕方がなかった。若い人が結構目についたが、彼らは演奏に驚喜していて、世代の差を感じざるを得なかった。それにしても、高度経済成長を象徴するような巨大なコンサート・ホール(しかも、ツイン)、しかし椅子はちゃちで、前の席に100キロを超すであろう女性(ソプラノ歌手のようであった)が座っていたが、彼女が身じろぎするたびに、ぎしぎしという音と共に椅子が揺れていた)、3月26日(木)には、今年の3月に行われた修士論文の「着手発表会」に参加できなかった大阪大学に留学していた3人の「着手発表」があり、きちんと対応してきた。
そして、今日(29日)は午後5時30分頃から湖北省の「国慶節」祝賀会があり、去年もそうであったが、今年も楚天学者(湖北省が給料を払っている特別招聘教授)として招待されているので、参加することになっている(その模様については、また次の機会に報告したいと思う。日中関係が一向に改善されない現在、地方や民間ではどのようになっているのか、祝賀会で知ってきたいと思っている)。
その間、現在「大法輪」に連載中(10月号から上・中・下・下の2の4回、興味のある人は見てください)の「中国体感・大観」(下の2)を書き上げ、添付写真も必要ということで、学生の手伝ってもらって編集部の所に送る、という作業もしてきた。この連載は、いずれふくらませ、また別な記事も加わえて1冊の本にする予定があり(出版社は決まっている)、その軸となる文章になるのだが、第1回を読んだ知り合いからは、普段の文芸評論とは違う感じで、読みやすいという評をもらっているので、このままこちらにいる内に書きためていこうと思っているのだが、連載の副題に「葦の髄から中国を感じる・考える」としたように、出歩くのが余り得意でない僕としては、武漢という「定点」に居続けての観測ということになり、それで果たして読者は満足するのか、いささか「不安」でもある。
というような10日間を過ごしてきたのだが、10日間もこのブログを書かなかった「別な理由」は、こちら(武漢)から日本の状況を眺めていて、「アベノミクス」なる虚像に踊らされている経済界とそれに追随している日本国民の現在、あるいはフクシマの「汚染水問題」や原発再稼働問題、等々、何とも「虚しく」思え、僕が何を言っても「負け犬の遠吠え」と同じなのではないか、という思いが強まり、その結果、ブログに向かう「気力」が失せていたからであった。それと、昨日中国のテレビと日本のテレビ(何とNHK総合を除いてすべてのテレビが、ネット状況が良ければ視聴できる)を見ていて、防衛省が中国の無人偵察機が領空侵犯した場合、撃墜するプログラムを検討中、ということを知り、中国について、安倍首相はじめ日本政府及び防衛省は「甘く」見ているのではないか、アメリカ(日米安保条約)に頼りすぎているのではないか、と思ったからである。
前から言ってきているように、中国のテレビを見ている限り、中国政府(人民解放軍)は「日中戦争も辞せず」という態度で、尖閣諸島問題に対処してきている。どこから来た「自信」なのか分からないが(いや、高度経済成長の成功がもたらしたのだろう)、汚職問題や貧富の格差問題などの「内憂」を抱える中国は、領土問題(外患)に対して相当「敏感」になっている。その点は、虎の威(アメリカ)を借りて威勢のいいことを言っている安倍首相は、もっと現実を見るべきである。核兵器も最新式ミサイルも持っている中国の軍事力を「なめて」はいけないのではないか、とこちらに来て痛切に感じた。先に記した「中国体感・大観」でも書いたのだが、日本の指導者や「南京大虐殺はなかった」「支那に馬鹿にされるな」などと未だ嘯いている、例えば石原慎太郎など、もっと真摯に現代中国の「現実の姿」を見るべきである。
そうでないと、僕らは自己陶酔的な指導者によって「また再びの道」を歩まされることになるのではないか、と思う。
元気になりました。また書いていきます。