黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「原則」はどこへ行ったか(その2)

2008-08-30 10:31:58 | 仕事
 久し振りに本屋へ行き、注文しておいた本や新たに初段から抜いた本、併せて2万数千円を支払い、その後今書いている「村上龍論」にどうしても必要な資料をコピーするために県立図書館に寄ったのだが、そこで旧知の図書館員に捕まり、30分ほど話しをして帰路についたのだが、家に帰ってコーヒーを飲みながらテレビのニュースを見ていて、思わず「なんじゃ、こりゃ」と叫んでしまった。
 昨日飛び込んできた民主党離党―新党(改革クラブ)結成という、現在を覆っている諸問題をどこかに置き忘れたような「政変劇」(過大評価かな?)について、「原理・原則」はどこにあるのだと言ったばかりなのに、政党助成金狙い(及び政治の舞台における「主役」願望)の新党結成を瓦解させる「姫井議員の翻意」、思わず笑ってしまったのは、彼女が民主党からの離脱を思いとどまったのは、民主党から立候補して当選した自分への選挙民の付託に気が付いたからだという弁明である。しかし、笑いが終わった後、猛烈に腹が立ってきた。というのも、この姫井議員の弁明は、彼女の地元である岡山県民を愚弄する発言であり、同時に国民と国会議員との関係全体(つまり、民主主義の制度)に対する「無知」をさらけ出した発言に他ならないと思ったからである。
 国会議員ともあろう者が、選挙民(国民)と議員との関係も知らず、従って公党を離脱することの意味もわからず、(たぶん、与党自民党から相当「甘い汁」が約束されての行動だろうと思うが)いかにも「目立ちがり」的な行動を取って、「不倫騒動」などで下落した自分の存在を、何とか失地挽回しようとしたのだろうが、彼女の一連の行動は、他の4人による「新党結成」と同じように「茶番劇」でしかなかった(それにしても、その茶番に加担した民主党の幹部たち、この茶番劇も含めて新党結成問題そのものが、解散・総選挙を睨んだ与党自民党の策略だったとしたら、見事に踊らされたとしか思えないが、どう思っているのだろうか)。
 敢えて差別的な言い方をするが、昨日記者会見した新党結成組も彼らを「裏切った」姫井議員も、共に「政治=政局」に踊らされ「原理・原則」をどこかに置き忘れてきた「阿呆・バカ」としか、僕には思えなかった。彼らは、どんな「理念」があって国会議員になったのか。「理念」なんて関係ない、自分たちは「金」と「名誉」のために国会議員になったのだと言うのであれば、もう何をか況やである。速やかに表舞台から退場してくれることを願う他ない。
 そして、「原理・原則」を忘れて国民(選挙民)を愚弄しているという点では、太田農水大臣の「事務所費問題」も酷い。公設秘書宅を事務所代わりにして諸経費を計上していた問題、誰が見てもこれは税金から支払われる国会議員の経費(歳費も含む)を「証せない理由」によって「ネコババ」したということ以上のことではない。この問題でこれまでにも自殺した大臣や辞任した大臣が何にもいるというのに、本当に「懲りない面々」だと思う。加えて、記者会見での領収書片手の「弁明」で、「人件費はプライバシーに関わる問題なので公表できない」だと言っていたが、「弁明」とは言え、この人の人権感覚(国民をどう思っているのか)はどうなっているのか、先に問題になった「消費者はやかましい」発言と併せて考えると、大臣はもちろん国会議員に最も相応しくない人物としか言いようがないが、福岡県民の皆さん、あのような人を選挙で選んだあなた方がバカにされるのですよ、と言いたくなってしまう。
 本当に現政権は「末期症状」を呈し始めたな、と思う。僕らは今「よりマシな」政治しか選択できないが、その「よりマシな」政治の早く到来することを願うばかりである。
 と言いながら、我が身は果たして「原理・原則」を守っているのか、という思いのあることも記しておかないとバランスが取れないだろう、と思っているのも事実である。