北京オリンピックが中国国家を挙げての「国威発揚」「対外PR」事業であり、多くの国民に少なくない「犠牲」を強いたことは、例えば、些細なことであるが、4月に刊行されるはずだった僕の中国語訳『村上春樹論』が未だに刊行されない、という事実からも垣間見ることができる。
当初、拙著『村上春樹論』の中国語訳は、以前その刊行をお知らせした『大江健三郎伝説』と旬日をおかず刊行されるはずで、どんなことがあっても北京オリンピックの開催前にということで翻訳者にもその旨が伝えられ、急がされたのだが、翻訳者の一人が北京外国語大学の日語系の先生であったことから(もう一人は、筑波大学大学院に留学中の山東芸術大学講師王海藍)、準備段階からオリンピック関連に動員され(『大江健三郎伝説』の訳者である北京大学日語系講師の翁家慧によれば、北京の大学は普通の年より2週間ないし20日ほど前倒しで夏休みになり、外国語ができる教師や学生は皆オリンピックに動員されたとのことである)、そのため拙著の翻訳の仕上げに時間を割くことができず、そのために次第次第に刊行が遅れ、今になってもいつのなるのかわからない、という状態にある。版元は、できるだけ早くに、と言っているのだが、僕にはいかんともし難い状態にある、ということである。
そんな私事に関わるオリンピックの「余波」は、僕にとっては重要だが、全体的には些細なことである。しかし、昨年6月に北京に行ったときに各所で目撃した、オリンピック施設だけでなくその他の関連事業のために「地方」から出稼ぎにきた(動員された)労働者たちは、「宴」が終わった後のこれからどうするのだろうか、バブル経済の「うまみ」を一度味わってしまった地方出身の労働者たちが、「宴」が終わったからと言って、素直に「地方」へ帰るとは思われない。それは、日本列島改造論(72年)以来日本の各地から「出稼ぎ」に来た人々がその後どのような軌跡を辿ったかを知れば、自ずと想像できる。中国各地から北京や上海などの大都会に集まってきた多くの出稼ぎ農民たちは、その多くがきらびやかな都会の表層とは無縁な下層民としてこれからの時間を過ごすようになるのではないか(中国当局は認めていないが、イエロー・ペーパーに拠れば、大都会では既に「ホームレス」が出始めているという。)。「高度経済成長」がいつまでも続かないというのは、日本の例を持ち出すまでもなく、世界経済(資本主義体制)の鉄則である。ならば、「オリンピック景気」が去った後の中国経済がどうなるか、拙著の刊行によって関係が蜜になった中国だからではないが、いささか気になる。
また、国内に目を転じると、相変わらず野球チームの星野監督が「敗者の弁」を(要求されての結果だと思うが)語っていたが、およそ自己の責任において「敗因」を分析して「次」(オリンピックとは限らない)に生かそうとする気持ちが全く感じられない「弁解」に、僕としては辟易せざるを得なかった。そして、僕が一番気になったのは、他の競技のオリンピック選手はみんな「選手村」で生活していたのに、野球チームだけは全員ホテル住まいだったという。これで果たしてチームワーク(結束力)を手に入れることができたのか。確かに、全員がプロ野球で高額な年俸をもらっている選手ばかりであったかも知れないが、どんなスポーツでも必要な「ハングリー精神」が野球チームにはないということを、各国のチームに知らしめることになり、それで後れを取ったのではないか、とも考えられる。そんなチームの根本的な在り方さえ正すことのできなかった星野監督(以下、星野監督の「お友達」で組織された首脳陣)に、他チームを圧倒する戦術(作戦)が取れようがなく、負けるべくして負けたのが野球だったのではないか、と思う。星野監督は「頭を丸めて」(実際にしろと言っているのではない、比喩である)、いくつものテレビ・コマーシャルに出て「金稼ぎ」をするのを辞め、真剣に反省した方がいいでしょう。
もう一つ、僕らがオリンピックのメダル獲得に一喜一憂している間に、どうも「閉塞感」が漂っていた政局が動き出したようで、解散・総選挙が早まるのではないか、と思われる。「数の横暴」を阻止し、「停滞感」を打破するために、ようやく「民意」を示す機会を私たちは持つことになるが、ここで大切なのは、目先のことではなく、長いスパンでこの国のことを考え、それで「民意」を示すことだと思う。このことについては、また改めて書くことになるだろう。
当初、拙著『村上春樹論』の中国語訳は、以前その刊行をお知らせした『大江健三郎伝説』と旬日をおかず刊行されるはずで、どんなことがあっても北京オリンピックの開催前にということで翻訳者にもその旨が伝えられ、急がされたのだが、翻訳者の一人が北京外国語大学の日語系の先生であったことから(もう一人は、筑波大学大学院に留学中の山東芸術大学講師王海藍)、準備段階からオリンピック関連に動員され(『大江健三郎伝説』の訳者である北京大学日語系講師の翁家慧によれば、北京の大学は普通の年より2週間ないし20日ほど前倒しで夏休みになり、外国語ができる教師や学生は皆オリンピックに動員されたとのことである)、そのため拙著の翻訳の仕上げに時間を割くことができず、そのために次第次第に刊行が遅れ、今になってもいつのなるのかわからない、という状態にある。版元は、できるだけ早くに、と言っているのだが、僕にはいかんともし難い状態にある、ということである。
そんな私事に関わるオリンピックの「余波」は、僕にとっては重要だが、全体的には些細なことである。しかし、昨年6月に北京に行ったときに各所で目撃した、オリンピック施設だけでなくその他の関連事業のために「地方」から出稼ぎにきた(動員された)労働者たちは、「宴」が終わった後のこれからどうするのだろうか、バブル経済の「うまみ」を一度味わってしまった地方出身の労働者たちが、「宴」が終わったからと言って、素直に「地方」へ帰るとは思われない。それは、日本列島改造論(72年)以来日本の各地から「出稼ぎ」に来た人々がその後どのような軌跡を辿ったかを知れば、自ずと想像できる。中国各地から北京や上海などの大都会に集まってきた多くの出稼ぎ農民たちは、その多くがきらびやかな都会の表層とは無縁な下層民としてこれからの時間を過ごすようになるのではないか(中国当局は認めていないが、イエロー・ペーパーに拠れば、大都会では既に「ホームレス」が出始めているという。)。「高度経済成長」がいつまでも続かないというのは、日本の例を持ち出すまでもなく、世界経済(資本主義体制)の鉄則である。ならば、「オリンピック景気」が去った後の中国経済がどうなるか、拙著の刊行によって関係が蜜になった中国だからではないが、いささか気になる。
また、国内に目を転じると、相変わらず野球チームの星野監督が「敗者の弁」を(要求されての結果だと思うが)語っていたが、およそ自己の責任において「敗因」を分析して「次」(オリンピックとは限らない)に生かそうとする気持ちが全く感じられない「弁解」に、僕としては辟易せざるを得なかった。そして、僕が一番気になったのは、他の競技のオリンピック選手はみんな「選手村」で生活していたのに、野球チームだけは全員ホテル住まいだったという。これで果たしてチームワーク(結束力)を手に入れることができたのか。確かに、全員がプロ野球で高額な年俸をもらっている選手ばかりであったかも知れないが、どんなスポーツでも必要な「ハングリー精神」が野球チームにはないということを、各国のチームに知らしめることになり、それで後れを取ったのではないか、とも考えられる。そんなチームの根本的な在り方さえ正すことのできなかった星野監督(以下、星野監督の「お友達」で組織された首脳陣)に、他チームを圧倒する戦術(作戦)が取れようがなく、負けるべくして負けたのが野球だったのではないか、と思う。星野監督は「頭を丸めて」(実際にしろと言っているのではない、比喩である)、いくつものテレビ・コマーシャルに出て「金稼ぎ」をするのを辞め、真剣に反省した方がいいでしょう。
もう一つ、僕らがオリンピックのメダル獲得に一喜一憂している間に、どうも「閉塞感」が漂っていた政局が動き出したようで、解散・総選挙が早まるのではないか、と思われる。「数の横暴」を阻止し、「停滞感」を打破するために、ようやく「民意」を示す機会を私たちは持つことになるが、ここで大切なのは、目先のことではなく、長いスパンでこの国のことを考え、それで「民意」を示すことだと思う。このことについては、また改めて書くことになるだろう。