黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

どうしようもない! 他2つ。

2010-05-31 05:22:24 | 近況
 予想していたこととはいえ、鳩山首相の普天間基地移設問題の結論が「辺野古沖」という報道に対しては、だれもが驚きと怒りを禁じえなかったのではないか。「(移設は)最低でも県外」とか「辺野古沖の海を埋め立てるのは自然への冒とく」とか言っていたことをあたかも忘れたかのように、自民党政権時代と変わらぬ「辺野古沖への移設」決定、鳩山さんに「言葉の重み」を説くのは無駄だというのは、昨年9月に政権交代が起こってからのこの9ヶ月間でいやというほど思い知らされたわけだが、今度の場合は現代の「政治」がいかに疲弊しているか、制度疲労を起こしているか、を如実に示したという点で、笑っている場合ではなく、深刻に受け止める必要があるのではないか、と思う。このことは、高度経済成長時代を彷彿させる参議院選挙への大量のタレント候補の出馬と相まって、たぶん現代政治が修復不可能なほどに壊れかけていることの兆候なのではないか、と思わざるを得ない。
 特に「民意」を無視して「日米合意」(アメリカへの従属)を最優先させたその政治感覚は、思わず村上龍のこの時代への「危機意識」を土台とした「英雄待望論」の危険性を訴えた『愛と幻想のファシズム』を彷彿とさせ、「ヤバイんじゃない」と思わざるを得なかった。世界の冷戦構造が解体して20年余り、字理者の経済危機を発信源とする世界的危機が如実に示すように、世界はますますグローバル化しているというのに、東アジアだけが未だに「冷戦状態」にある、という前提での鳩山さん(民主党政権)の政治判断、社民党(福島党首)だけが「筋を通した」ように見えるが、日米安保を容認し、自衛隊を合憲だと判断した村山富一社会党の流れを継ぐ社民党に過大な期待をかけるわけにはいかない。ましてや自分たちが何十年にわたって行ってきたアメリカ追随の政治を何ら反省することもなく民主党批判だけを声高に叫んでいる自民党(および、そこから離れた「みんなの党」や「立ち上がれ 日本」、「改革日本」など)に、今更期待するわけにもいかないとしたら、「民意」はどこにその発露を求めたらいいのか。

 そんないら立ちを抱えたまま、1昨日(土)恒例の「蕗(わらび)採り」へ行ってきた。関越自動車道を利用して友人夫婦と4人で新潟(湯沢)まで、谷川岳はまだ雪化粧していたので時期的には少し早いかなと思ったのだが、毎年訪れている現地に到着したら、ちょうど良い加減に蕗は育っており、ワラビも食べごろの大きさに育っていた。朝の4時半ごろから採り始め、午後の1時頃まで、例年と同じくらいの収穫があった(わらびは、例年の2倍ぐらい採れた)。帰路、途中の日帰り温泉で疲れた体をほぐし、4時ごろから採ってきた蕗を洗い、水を切ったと「きゃらぶき」作りに。大なべを二つのコンロにかけ、3~4センチに切ったワラビを口いっぱい入れ、酒としょうゆ(と秘密の調味料)を入れ、煮ること3時間、焼け焦がさないように注意して第1回終了、これを翌日午前4時まで3回繰り返し、それで終了。合間にわら議の灰汁抜き、結局2日間にわたる「きゃらぶき作り」は味も昨年と同じようなものになって終わったのだが、今日から我が家の味を楽しみにしている人たちに出来上がった「きゃらぶき」を配ったら、一連の恒例行事が終了することになる。
 ただ、蕗をとるために山の斜面を上り下りした体が今朝もまだ痛く、年年「老い」を感じてきている。

 6月からになるが、朝日新聞の「アスパラクラブ」で月2回「書評」(「現代文学の旗手たち」)を掲載することになった。第1回は、刊行されたばかりの立松和平の書き下ろし『白い河―風聞・田中正造」(東京書籍刊)にした。編集部との話し合いでは、必ずしも新刊にこだわらないというので、2回目位以降は大江健三郎、村上春樹、井上ひさし、などを考えている。とりあえず、6カ月(12回)を考えているようだが、月に2回というのは結構大変だと思うが、頑張って書こうと思うので、気になる方、読んでみてください。

厚顔無恥(?!)

2010-05-24 11:42:21 | 近況
 報道によれば、鳩山首相は、昨日(23日)沖縄を再訪し普天間基地移設問題に対して、自公民政権時代に決定していた「辺野古沖移設案」が結論であり、これまで騒がせたことを沖縄県(民)に「陳謝」したということだろうが、1年近く国民や沖縄県民に「県外・国外」移設が可能であるかのごとく言い続け、その挙句に辺野古沖に落ち着いたというので、この人にはとことん政治的センスがないのだな、と思い、同時にあきれざるを得なかった。
 こんな「結論=茶番劇」を見せられたのでは、この人が掲げた平等・対等思想を基底に、他者をおのれのように「愛する」ことで成り立つはずの「友愛」精神はどうしたのか。まさか、「友愛」精神を発揮した結果、危険極まりない普天間基地を辺野古沖に移す案が最も適切な考え方(結論)であるということになったのではないと思うが、今朝TVを見ていてわかったのだが、この人には「苦渋」とか「恥」とかというものがないようで、よくも臆面もなく沖縄へ行けたな、と思わないわけにはいかなかった。他者(この場合、沖縄県民及び国民)の「痛み」や「怒り」について全く想像力をめぐらすことなく、どんな言葉も至極簡単に口に出し、その言動の「重み」をほとんど感じることのない鳩山首相。
 こんなひどい政治的センスの持ち主は、即刻退陣してほかの人に政治をまかすべきなのだが、どうも小泉純一郎以来、安部晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫と続く「二世議員」たちの国民からかい離したそのセンス・心情は、いかんともしがたいものがある、といわねばならない。
 彼らは「苦労」をしていないから、つまり「おぼっちゃま育ち」だから、本当に困った人たちのことは理解できなく、アメリカのご機嫌をとったり、「党内事情」に気配りをすることが「政治」だと思っている節がある。彼らに共通している「ことばの軽さ」を考えると、彼らに権力をゆだねなければならなかったこの国の「政治」がいかに脆弱なものになっているか、よくわかる。不幸なのは、今度の普天間基地移設問題がよく示しているように、国民に他ならない。
 それにしても、再三再四言うように、アメリカ軍基地の問題は「撤去」か「許容」の二つしかなく、沖縄県民が先の総選挙や名護市長選挙で意思表示したように、「アメリカ軍基地の県内移設はNO」なのだ。それなのに、アメリカにそれを言えず、作られた「極東有事・東アジアの緊張」を名目に、アメリカ軍基地を容認してしまうその思想構造、戦後65年、もういい加減にそんな「従属思想」は放棄すべきではないのか。駐留米軍は、極東における「冷戦構造」を保持するための戦力であるが、ある軍事評論家が書いていたが、同時にそれは軍事費が世界第7位にまで膨張し続けてきた自衛隊の戦力を牽制するためである、というものであったとしたら、「日米合意」にこだわり続けた鳩山首相の在り方は、まさに「マンガ」というしかない。
 気分の悪いニュースだった。

もう一つの「沖縄論」

2010-05-20 14:20:53 | 近況
 拙論「追悼立松和平 立松和平の文学」が載った『情況』(2010年5月号)の特集「沖縄政府樹立は可能か」に収録されている「沖縄州政府樹立は『国』を問い直す」(仲地博)、「米日支配体制からの脱却をめざして」(松島泰勝)、「ひぬく[辺野古]るーちゅいむにー[独り言]」(島袋隆)、「<フテンマ・オキナワ>をめぐる差延の政治」(桃原一彦)を読み、改めて昨今のマスコミ・ジャーナリズムの[普天間基地移設問題]や[沖縄問題]に対する浅い認識と甘いアプローチを考えざるを得なかった。
 特集が「沖縄州政府樹立は可能か」が示すように、各論文の論調は復帰(1972年)前から沖縄において根強い「沖縄独立論」――簡単に言えば、歴史的文化的地誌学的に「ヤマト(日本)」と異なる「奄美」の一部を含む「琉球・沖縄」は、本土の1県になるのではなく、本土から一定の距離を保持した「独立国」のような存在になるべきである、という考え方。調査方法によってその結果は異なるが、「沖縄独立」に関してアンケートをとると、50~70パーセントの人が賛意を示すと言う――をベースとしたものであるが、「迷走」の結果、結果的には14年前に自公政権がアメリカ政府と合意した「辺野古沖への移設」で決着しそうであること、及び再三この欄で主張しているように「米軍基地撤去」「基地返還」という本質論抜きの鳩山政権批判の「普天間問題」を知るにつけ、『情況』誌の各論は、目から鱗が落ちる経験をさせてくれる面が多分にあった。
 まず、僕らが余りにも「沖縄の歴史」に無知であること、沖縄に何十階と無くいっている僕にしても、鳩山首相などよりはましだと思うが、沖縄の歴史について知らないことが多く、それと関係して沖縄人の「心情・感覚」についても、ついに「外側」からしか接することができなかった、という思いを強く持った。言葉を換えれば、大城立裕や又吉栄喜、目取真俊などの文学について僕はこれまでにいくつか文章を書いてきたが、彼らの文学、つまり「沖縄の文学」の背景、あるいはその基底に流れる沖縄人の心情や思考を僕は本当に理解してきたのか、という疑念が消え去らないということでもある。僕でさえ、と敢えて言うが、僕でさえそうなのだから、多くの「ヤマト=本土」に生きる人々は、沖縄問題(普天間基地移設問題、など)を他人事と思っているのではないか、と思わざるを得ない。  その証拠に、鳩山政権が画策している、沖縄駐留米軍の「演習」を全国各地に散在する米軍基地(あるいは自衛隊基地)で行うことに賛成かどうか、各都道府県知事に聞いたところ、全ての知事が「NO」という回答を出したという。本土の「沖縄化」は誰もがゴメンというわけである。
 しかし、この「本土の沖縄化はゴメン」という考え方には、明らかに米軍基地の負担を全て沖縄に負わせるという、言ってみればヤマト=本土による現代版「琉球処分」(「琉球処分」とは、簡単に言えば1879年に明治新政府は琉球王国を「日本」に帰属させ、本土並みの1県としたことを指す)とも言うべき思想が存在し、「沖縄差別」がものの見事に具体化されている。物見遊山(観光)だけを目的としないヤマトンチュ(本土人)が沖縄に行って先ず驚くのは、あのような住宅密集地に普天間飛行場や嘉手納飛行場が存在することであり、景観の良い海辺の多くが日本人が入れないアメリカ軍専用のプライベート・ビーチになっていることである。「ヤンキー・ゴー・ホーム」という感情が根強く沖縄人にあり、それと同じくらい「ヤマトンチュ(日本人)・ゴー・ホーム」という考え方も存在している、ということを僕らは忘れてはならず、そのような理解の上で、普天間基地移設問題を考えなければいけないのではないか、と思う。
 そのように考えたとき、戦後から一貫して沖縄を「差別的」に扱ってきた保守政権(及び自公政権)が、自分たちの沖縄に対する姿勢が今日の情況を招いたという「反省」がないまま、沖縄問題(普天間基地移設問題)に関して居丈高に鳩山政権の「迷走」ぶりを批判するのは、本末転倒もいいところだとしか言いようがない。特に、ネオ・ファシストの世襲議員(1年生議員)が、党に優遇されているのをいいことに、「日米合意優先」を声高に叫んで父親ばりのファシストぶりを発揮しているのは、何とも胸くそ悪い。
 どうも「日本」全体が迷走しているように思えて、不気味である。

先日、書きたかったこと。

2010-05-17 11:15:54 | 文学
 土日(15・16日)と、群馬の秘湯(昔、熊と入浴する温泉)として有名な宝川温泉で「立松和平君追悼句会」が開かれ、参加してきた。生前の立松が気の置けない仲間と行っていた「温泉での句会」、僕も誘われて一度参加したことがあるのだが、そこでの立松は著名な作家であることを忘れるほどにリラックスし、立松が作った句を酷評する仲間に対して苦笑いしながら「ひでえな―」「俺、一応プロなんだけれど」とか弁解していた姿が印象的であった。今回は、立松抜きで、初めて参加するメンバーも含めて総勢12名が混浴の露天ぶろ)女性はバスタオルを胸に巻いていました)を楽しんだ後、宴会後に句会、立松を偲ぶ句を各人3句ずつ書き、そのあと各人が10句ずつ選んで、一番票を得た者が優勝という句会(遊び)、僕は3句の合計が9票で中くらいの評価だった。優勝者は、1句で11票を集め3区で19票という高い評価を受けて人だったが、集計される間、各人が他人の作品を勝手に批評し、実に面白い会であった。
 この句会は、生前の立松が楽しんで参加していた会だから彼が亡くなったとも続けてやろう、という意味と、もう一つ、「立松和平を偲ぶ会」の実行委員であった僕らを慰労してくれる会でもあり、僕も随分「慰労」してもらい、久々に心晴れる集まりであった。
①その会でも話題になったのだ、刊行中の『立松和平全小説』(全30巻、ただし今では、補巻を1,2巻用意しなければならないのではないか、と思っている)について、現在僕自身は第7巻の「解説・解題」を書いている途中で、第6巻の「解説・解題」のゲラ校正が手元に届いているという状態にあり、心配している向きもあるようなので、「刊行は順調である」、ということを言っておきたい。なお、ついでに言っておけば、立松自身の著作も、僕の知る限り今後『田中正造(第二部)』(仮題 5月下旬刊行 東京書籍)、『良寛』(6月初旬 大法輪閣刊)に続いて、短編集を企画している出版社も、また生前の立松に渡された4冊分のエッセイ集を抱えている出版社もあり、立松の仕事は陸続と続いていくように思われる。
 ところが、立松の宇都宮の友人が作成していた「立松和平HP」が4月30日付で「閉鎖」されていることが判明した。作家の場合、多くが亡くなった後も開設していたHPを読者のためにそのまま残しておく例が多いのだが、誰の意向を反映したものなのか、早々と閉鎖してしまったのはなぜなのか、ちょっと残念な気がする。
②普天間基地移設問題について、マスコミ・ジャーナリズムは「本質」を外した議論をし過ぎているのではないか、そしてその挙句に鳩山政権の支持率の低下をうんぬんかんかんしているが、どうもおかしいのではないか。普天間基地移設問題の本質は、沖縄の多くの人が指摘しているように(本土でも慧眼の識者がしている)、「米軍基地撤去」「本土の沖縄化反対」(つまり、国外移設)以外にない。ああ、それなのにそれなのに、沖縄駐留アメリカ軍海兵隊のグアム(ないしはテニアン島)への移動をなぜ拒むのか(アメリカの本音は、「思いやり予算」を含めて高額な移転費用を肩代わりしてくれる日本に賛成したいはずだと思うのだが)。
 それに加えて、「日米合意」とは何か。現代版「不平等条約」ではないのか。あるいは、敗戦後に革新派が唱えた「(日本は)アメリカの属国」という考え方が、占領期からはるか時代を隔てた現代において再び脚光を浴びるとは、この国はどうなっているのか、と思わざるを得ない。普天間基地のように危険な基地は、近くで生活している人が一番よくわかっていることだと思うが、地図や模型などを見れば本土の人間だってすぐに理解できるはずである。にもかかわらず、鳩山首相が「約束」を破ったとかどうとかで、「本質」論が置き去りにされながら、もっぱら「選挙」の問題にすり替えて論じる、矮小化もいいところではないか、と思うのは僕だけだろうか。何ともさびしい。
 昨日(日曜日)雨のそぼ降る普天間基地で「人間の鎖」運動が繰り広げられた。そこに参加した人たちは、口をそろえて「沖縄に新しい米軍基地はいらない」と叫んでいたが、僕らはそのような言葉の意味を深く受け止める必要があるのではないか。そんなことを併せて痛感した。
③「不況下の就職活動」については、先日書いたとおり、最終的に問題となるのは「人柄・人間性」なのではないか、と僕は思っている。

また失敗。

2010-05-15 10:00:47 | 仕事
 1時間前、
①『立松和平全小説』第7巻の「解説・解題」を書く楽しみや立松が亡くなる前に書いていた作品が「新作」としてこの5月末から6月のかけて次々と発刊される、というような話、
②及び、なぜマスコミ・ジャーナリズムは、普天間基地移設問題の根本である日本(沖縄)からの「米軍基地撤去」について触れないのか、という問題と、
③「就職活動」の様子を見ていて、現在のような不況時においては、「成績」などといった「表層」の要素ではなく、「人間性・人柄」が問われることが多いのではないか、といったようなことについて2000字近く書いたのだが、例によって何故か本文がどこかに消えててしまい、この欄にアップすることができなかった。
 よって、この3つの問題については後日書くことにする。

果たして「迷走」なのか?! 「友愛」に問題が……

2010-05-09 04:38:04 | 近況
 普天間基地移設問題をめぐって、鳩山政権の「迷走」ぶりが連日マスコミ・ジャーナリズムを賑わしており、僕もこの欄で「民主党政権の迷走」という文章を書いたことがあるが、鳩山首相の沖縄訪問や徳之島の3人の町長(他に鹿児島県知事など)との会談を見ていると、もちろん民主党自体も小沢一郎幹事長の「政治とカネ」問題が象徴するように、いくつかの重大な問題を抱え、そのことが人々に「迷走」と思われるのだろうが、より根本的には鳩山首相が就任時に宣言した「友愛」なる言葉(思想)に根源的な問題があるのではないか、と思われてならない。
 多くの人が承知していると思うが、そもそも「友愛」なる言葉(思想)が政治=人々の暮らしにおいて大きな意味を賦与されるようになったのは、フランス革命によってである――赤・青・白の三色に染め上げられたフランス国旗の「赤」が「友愛」を象徴していることは有名である。また、そのフランス革命の精神を引き継ぐ意図をもって日本で1912年に著名な労働組合「友愛会」(のち「大日本労働総同盟友愛会」)が結成されたのも、多くの人に知られている――しかし、フランス革命が「ブルジョア革命」であったことに象徴されるように、「友愛」の根本を形成する思想が「ヒューマニズム(ユマニスム)」であることを考えれば、果たして21世紀の現実政治において「ヒューマニズム」を根本におくことが正しい政治理念か、ということになると、違うのではないか、と思わざるを得ない。「友愛」などという精神論で難問山積の現実政治は乗り切れるはずがないからである。鳩山政権が「政治とカネ」問題で80パーセントを超える国民が「やめろ!」と言っているにもかかわらず、「選挙上手」(僕は幻想だろうと思うが)といわれる小沢一郎幹事長を切れず、相変わらず二人三脚を強いられていることは、まさに僕が抱く疑念を象徴している。「友愛」と「リアル・ポリティックス(現実政治)」は、そもそも相容れないはずなのに、そこのところが鳩山首相には理解できないから、現在の「迷走」というより「混迷政局」が続いているのである。
 普天間基地移設問題は、まさに「友愛」をスローガン化した鳩山政治が陥るべくして陥った「迷走=混迷」を象徴するものである。もし本当に鳩山首相が表面的にではなく本質的な意味で「友愛」を自らの政治信条とするのであれば、恒常的に「友愛」と敵対する「戦争」の最前線に位置する沖縄駐留米軍に「NO」を突き付け、「日米安保条約」の解消(条約破棄)を目指して、普天間基地はもとより嘉手納基地もキャンプ・シュワブも、またすべての国内に展開する米軍基地を撤去するという思想に基づいて、普天間基地移設問題に対処すべきなのである。しかしながら、鳩山首相は「友愛」(という言葉やそれが意味する思想)に関して中途半端にしか理解していない(と僕は思う)から、「米軍海兵隊」の存在は日本にとって必要だ、などと米軍の日本駐留を認めてきた保守政治と同じように今更ながらの考えを披露して、何とかこの難局を乗り切ろうとしているようだが、根本の思想がおかしいのだから、どんなに糊塗策を講じようと、沖縄や徳之島、そして日本国民を説得できるはずがない。宜野湾市長が言うように、なぜ極東に展開している米軍海兵隊は「グアム」では駄目で、「沖縄」でなければいけないのか、また「戦争放棄」を宣言している日本国憲法を持つ日本に、なぜ常に戦争の最前線を担う米軍海兵隊が駐留していなければならないのか、そのようなことについて鳩山首相は根本的に考えたことがないから、今日のような「迷走・混迷」を続けることになったのである。
 あるTVのコメンテーターが「自らの迷走によって普天間基地移設問題がこんなにデッドロックに乗り上げているのに、どうも本人にはそのような自覚がないようだ。この人の感覚は常人には理解できない」が言っていたが、「友愛=ヒューマニズム」で現実政治の世界を乗り切れると思っているらしい鳩山首相には、もしかしたら何を言っても「蛙の面に小便」なのかもしれない。
 ある日の茶飲み話に、そこにいた4人が「もう民主党政権には期待しない、あきらめた」という人と、「鳩山さんには期待できないが、民主党は何かやってくれるのではないか、自分はもう少し待ちたい」という意見に二分されたが、これが今の政治状況を象徴しているのではないか、と思う。それにしてもその時僕が言ったのは、「小沢さんは、全く古い自民党政治を踏襲している政治家なんだから、すみやかに退陣して、政治の表舞台から(裏舞台からも)退くべきだ」というものであった。せっかく「政権交代」が行われたのだから、せめて4年間ぐらいは民主党に(鳩山さんにではなく)政治をまかせてみる必要があるのではないか、そのぐらいの「余裕」を持たないと、何事も「変わらない」のではないか、と思うが、いかがだろうか。

<連休中の2,3>に追加。
 もうひとつ連休中にやっていたことがある。それは『立松和平全小説』第7巻の「解説・解題」の準備をしていたことである。

連休中のこと2,3

2010-05-06 09:05:36 | 仕事
 世の中はゴールデン・ウイークとかで高速道路の渋滞予想やら観光地の混雑なりを伝えていたが、我が家は父の命日が4日だということもあり、例年通り墓参りをしたほかは、特に珍しいことは何もなかった。いつものように、仕事三昧と言えば格好いいのだが、この連休中にやったことを箇条書きにすれば、以下のようになる。
①解放文学賞の「選評」校正→立松和平と一緒に選考委員をしていた解放文学賞の選考を今年は一人でしなければならず、その「選評」の校正も一人だと結構大変だった。今年は入賞者はなく、佳作が3点という結果になったのだが、作家を志す人たちの新鮮な文章(作品)に触れるのは、文学の「原点」を思い起こさせてくれ、楽しい仕事である。この文学賞の撰者には過去、野間宏や井上光晴がおり、応募者もたくさんいたと聞く。今後この文学賞にたくさんの人が応募してくれることを望む。
②墓参り→春の彼岸以来の墓参り、簿関の前の花立てには枯れたものが多かったが、中にはいくつか新鮮な花が供えられたものもあり、僕のところと同じように祥月命日やら法事(回忌)やらで花を供える人が案外多いのに改めて驚かされた。最近のスピリチャル・ブームにあやかったわけではないが、年に何回か「先祖」と会話するのも悪くないのではないか、というのが僕の最近の考えである。
③野菜の苗植え→やはり例年通り、キュウリ、ナス、ピーマン、パプリカ、トウガラシ、トマトの苗を「ホームセンター」で買い、植える。また、ゴマ、ラディッシュ、ニンジン、ミックス野菜の種もまく。もうしばらくしたら、蔓なしいんげんや蕪の種もまく予定になっている。昨年植えたアスパラが、細いが順調に発芽し、食することができるようになっており、しばらく楽しみである。家庭菜園の半分以上を占めるジャガイモ畑(15キロの種芋を植える)のうち、キタアカリの部分が4月初めの霜で焼けてしまったのだが、それも順著言うに回復し、6月の収穫が楽しみになっている。秋に集めておいた落ち葉(腐葉土)を例年になく鋤きこんでおいたので、どんなジャガイモになるか、期待しているのだが……。
④下の娘夫婦と日帰り温泉へ→家から15分ほど赤城山に登ったところに「赤城温泉郷」があり、そこの湯は群馬では伊香保温泉以外では珍しい鉄錆色をしていて、いかにも山の中の秘湯という感じで、僕は何度も仕事で使ったりしているのでよく知っているのだが、近くで生まれながら行ったことがないという娘とその旦那を案内して、日帰り500円の温泉に行く。新緑にはまだまだの状態でありながら、噂を聞いたのか、バイクのアベックや夫婦連れ、親子連れなどが日帰り温泉を楽しんでいた。その温泉はいつまでも体がぽかぽかする泉質らしく、僕らも汗を流しながら、山道を下り我が家に到着した。
⑤最終日→葬儀が一件、出来。通夜は7日の6時から、告別式は8日の10時半から、なぜか「弔辞」を読むことになって、今朝からその文面づくり。立松の通夜、偲ぶ会以来の「弔辞」、亡くなった人がよく知る人なので辛いものがある。
 そんな連休でした。