安倍首相の言葉が「軽く」口先だけであることは、僕だけでなく多くの識者やジャーナリスト、市民が指摘していることであるが、16日に閉幕した通常国会を受けての「スピーチ・記者会見」は、意あっまでに増して非道かった。
多くの人がその「不備」や「欠陥」を指摘し「反対」を表明してきた、憲法改正にじゃまになる反対派を黙らせるための「平成の治安維持法」とも言うべき「共謀罪」を、何が何でも成立させるために行った国会運営は、安倍晋三(や菅官房長官をはじめとする取り巻き政治家たち)が、独裁者的体質を持っていることを、白日の下に晒した。
つまり、安倍首相は自分自身が深く関わっていたが明らかになりつつあった「加計学園問題」(及び森友学園問題)に蓋をしようと、「姑息」な、国民をだませると思ったとしか考えられない「稚拙」な情報操作――自分の子分(取り巻き)に責任を取らせるような形で、うやむやの内に「終わり」にしようと躍起になった――を糊塗とするために行った「トカゲのしっぽ切り」、彼は本当にこれで「終わり」になると思ったのだろうか?
余りにも強引な、その国民を騙すような政治手法が新聞各紙やメディアの世論調査で支持率を10パーセント以上下げたことに対して、たぶん「内心」はそのうち今回の「疑惑隠し」についても、先の特定秘密保護法や安保法制の制定(集団的自衛権行使容認)の時と同じように、経済政策で何とか操作して「景気がよくなった」「収入も上がるだろう」と言えば、国民はファシストとしての自分のことをすぐに忘れるだろう、と思ったのではないだろうか。
それに加えて、「国民は過去のことをすぐ忘れるから(馬鹿だから)」と内心では思いつつ(と推測される)、神妙な顔つきで「反省の弁」を口に出し、さらには得意な「何かあれば、丁寧に説明・対応していく」と言えばそれで終わりになる、何とかやり過ごせるのではないか、と高をくくっているとしか思えない態度。 しかし、今回の「加計学園問題」、あまりにも「腹心の友」に便宜を図りすぎていることは、誰の目にも明らかで、「公正さ」や「「公平さ」に欠けている。加計学園問題が、これまでの特定秘密保護法や集団的自衛権容認の時と違うのは、思想的=「公」的な問題ではなく、「政治」を余りに私物化していることを国民は告発しているからである。
「私」的な問題を隠蔽するために、官邸から内閣府(その大臣や職員)までを巻き込み、「嘘」をつかせて平然としているその鉄面皮のような安倍首相に国民は怒っているのである、安倍首相の「何かが起こったら、丁寧に説明する」などという「約束」など、絶対に守られないと国民は思っているということである。
現に、昨日(20日)、文科省から「加計学園問題」に関して官房副長官の荻生田光一が深く関与していることが明らかな「新たな文章」――「新たに発見」というのは、文科省の「嘘」で、前回の文科省大臣の命令による「再調査」の時に、すでに存在が明らかになっていたのだろうと思う。しかし、大臣に不信感を持っている文科省職員は、安倍首相のあまり強引な「えこひいき」に抵抗すべく、「二の矢」「三の矢」を隠し持っていて、小出しに資料の提出を行おうとしているのではないか――への対応に関して、自民党は「証人喚問」もまた「再調査」も、もちろん安倍首相の「手稲にな説明」も行わない、とする。
つい先頃「宣言した」ことの舌の根が乾かないうちに、「丁寧な説明」を拒否する安倍首相、この人の頭の中はどうなっているのだろうか。もしかしたら、「空っぽ」なのかも知れない。「空っぽ」であるが、強者のアメリカトランプ大統領)には、追従笑いは絶やさない。
しかし、「アホ」な首相に、「お馬鹿」なその部下たち、この国の前途は「暗い」
多くの人がその「不備」や「欠陥」を指摘し「反対」を表明してきた、憲法改正にじゃまになる反対派を黙らせるための「平成の治安維持法」とも言うべき「共謀罪」を、何が何でも成立させるために行った国会運営は、安倍晋三(や菅官房長官をはじめとする取り巻き政治家たち)が、独裁者的体質を持っていることを、白日の下に晒した。
つまり、安倍首相は自分自身が深く関わっていたが明らかになりつつあった「加計学園問題」(及び森友学園問題)に蓋をしようと、「姑息」な、国民をだませると思ったとしか考えられない「稚拙」な情報操作――自分の子分(取り巻き)に責任を取らせるような形で、うやむやの内に「終わり」にしようと躍起になった――を糊塗とするために行った「トカゲのしっぽ切り」、彼は本当にこれで「終わり」になると思ったのだろうか?
余りにも強引な、その国民を騙すような政治手法が新聞各紙やメディアの世論調査で支持率を10パーセント以上下げたことに対して、たぶん「内心」はそのうち今回の「疑惑隠し」についても、先の特定秘密保護法や安保法制の制定(集団的自衛権行使容認)の時と同じように、経済政策で何とか操作して「景気がよくなった」「収入も上がるだろう」と言えば、国民はファシストとしての自分のことをすぐに忘れるだろう、と思ったのではないだろうか。
それに加えて、「国民は過去のことをすぐ忘れるから(馬鹿だから)」と内心では思いつつ(と推測される)、神妙な顔つきで「反省の弁」を口に出し、さらには得意な「何かあれば、丁寧に説明・対応していく」と言えばそれで終わりになる、何とかやり過ごせるのではないか、と高をくくっているとしか思えない態度。 しかし、今回の「加計学園問題」、あまりにも「腹心の友」に便宜を図りすぎていることは、誰の目にも明らかで、「公正さ」や「「公平さ」に欠けている。加計学園問題が、これまでの特定秘密保護法や集団的自衛権容認の時と違うのは、思想的=「公」的な問題ではなく、「政治」を余りに私物化していることを国民は告発しているからである。
「私」的な問題を隠蔽するために、官邸から内閣府(その大臣や職員)までを巻き込み、「嘘」をつかせて平然としているその鉄面皮のような安倍首相に国民は怒っているのである、安倍首相の「何かが起こったら、丁寧に説明する」などという「約束」など、絶対に守られないと国民は思っているということである。
現に、昨日(20日)、文科省から「加計学園問題」に関して官房副長官の荻生田光一が深く関与していることが明らかな「新たな文章」――「新たに発見」というのは、文科省の「嘘」で、前回の文科省大臣の命令による「再調査」の時に、すでに存在が明らかになっていたのだろうと思う。しかし、大臣に不信感を持っている文科省職員は、安倍首相のあまり強引な「えこひいき」に抵抗すべく、「二の矢」「三の矢」を隠し持っていて、小出しに資料の提出を行おうとしているのではないか――への対応に関して、自民党は「証人喚問」もまた「再調査」も、もちろん安倍首相の「手稲にな説明」も行わない、とする。
つい先頃「宣言した」ことの舌の根が乾かないうちに、「丁寧な説明」を拒否する安倍首相、この人の頭の中はどうなっているのだろうか。もしかしたら、「空っぽ」なのかも知れない。「空っぽ」であるが、強者のアメリカトランプ大統領)には、追従笑いは絶やさない。
しかし、「アホ」な首相に、「お馬鹿」なその部下たち、この国の前途は「暗い」