今朝の東京新聞を読んでいたら、共同通信の「世論調査」が載っていて、その質問項目に「オバマ大統領の広島訪問はよかったかどうか」というのがあり、「よかった・98%」という結果が報告されていた。
しかし、このオバマ氏の広島訪問について調査に答えた人の全部に近い98%の人が「よかった」と答えたことに対して、僕には「異論」がある。というのは、「オバマ氏の広島訪問はよかったか、それとも悪かったか」と問われれば、広島・長崎の両市に原爆を投下したアメリカの大統領が初めて被爆地の一つ広島を訪問したのだから、来日前に議論を呼んでいた「広島で謝罪するかどうか」などといった問題とは別に、誰だって(僕だって)「よかった」と答えるしかないのではないか、と思うからである。最近の世論調査の特徴だが、質問の仕方が悪いのである。例えば、「オバマ氏の広島訪問で、世界の核状況は進展し、核軍縮は進むと思うか」と聞けば、レーム・ダック(死に体)状態にあるオバマ氏に期待する気持は、絶対「98%」などにはならないのではないか。
僕には、「核」(核状況・核軍縮)に対するマスコミ・ジャーナリズムの感覚が「鈍く」なっているのではないか、と思えてならない。オバマ氏が広島訪問した翌日の新聞の見出し「核なき世界へ『勇気を』」(朝日新聞)、「日米で誓う核なき世界」(東京新聞)が、そのことをよく表している。
確かに、オバマ氏は17分間スピーチにおいて、『(原爆の被害者は)10万人を超える日本人男性、女性、子供たち、多くの朝鮮半島出身者、そして捕虜となっていた十数人のアメリカ人を追悼するため(に我々は広島に来た」とか、「我々はあの恐ろしい戦争やその前の戦争、その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いを馳せる」とか、「私の国のように核を保有している国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」というようなことを言い、あくまでも「核廃絶」を願う、と宣言し、それはそれでオバマ氏の個人的思い(考え)を率直の述べたものとして、それなりに評価できる。特に、ヒロシマ・ナガサキの犠牲者が日本人だけでなく朝鮮人・アメリカ人もいたというのは、日本の政治指導者たちも言ってこなかったことで、貴重な発言であったといえる。
しかし、多くのメディアが指摘したことであるが、広島を訪問した(この時だけではないが)オバマ氏に同行した人たちの中に「黒いアタッシュケース」を持った人がいて、そのアタッシュケースの中は「核戦争」を含む戦争の開始をアメリカ軍に告げる通信機器が入っていること知れば、片方で「核軍縮」を唱えながら、片方でいつでも「核戦争」に応じられる準備をしているという、よく言えば二律背反状態、悪く言えばダブル・スタンダードが、オバマ氏が世界に向かって発した「理想=核なき世界」だということを、私たちは考えなければならない。
また、オバマ氏がノーベル平和賞をもらうきっかけになった「核兵器を使用した唯一の核保有国として、アメリカには行動を起こす道義的責任がある」とスピーチ(「プラハ演説」09年4月)してから7年、この間世界の核状況=核軍縮は「進展」しただろうか。核大国ロシアとアメリカの核兵器だけでも地球上の生物を何回も絶滅させるだけの能力があり、北朝鮮の核開発をはじめ、核は世界的に拡散するばかりである。
さらに、「核なき世界」目指すと宣言し、北朝鮮の核実験を非難し、イランの核開発を断念させたたオバマ氏の足下アメリカにおいて、他国の核実験は非難しながら、核兵器の性能を維持・高めるための「臨界前核実験」という名の核実験が続けられているという「矛盾」に対して、オバマ氏はどう応えるのか、という問題もある。
さらにさらに、次期アメリカ大統領になるかも知れない共和党のトランプ氏は、中国やロシア・北朝鮮に対抗するために、韓国と日本に核武装を勧めている(日本のウルトラ・ナショナリスト(核武装論者)たちが、トランプ氏の大統領就任を歓迎するという情報もある)。
なお、アメリカの「傘の下」でひたすら「戦争への道」を進む安倍首相が、いかにも自分のオバマ氏と同じ考えであるかのように、広島でスピーチしたが、「括弧=歴史」を直視しない点で、安倍首相とオバマ氏は全く「同列」と考えないわけにはいかない。つまり、今やレーム・ダック状態のオバマ氏の「矛盾」した「核」認識とそれに乗じて、「調子のいい」安倍首相のスピーチを考えると、オバマ氏の「広島訪問」を日本のマスコミ・ジャーナリズムのように「諸手を挙げて」歓迎するわけにはいかない、と僕は思っているということである。
しかし、このオバマ氏の広島訪問について調査に答えた人の全部に近い98%の人が「よかった」と答えたことに対して、僕には「異論」がある。というのは、「オバマ氏の広島訪問はよかったか、それとも悪かったか」と問われれば、広島・長崎の両市に原爆を投下したアメリカの大統領が初めて被爆地の一つ広島を訪問したのだから、来日前に議論を呼んでいた「広島で謝罪するかどうか」などといった問題とは別に、誰だって(僕だって)「よかった」と答えるしかないのではないか、と思うからである。最近の世論調査の特徴だが、質問の仕方が悪いのである。例えば、「オバマ氏の広島訪問で、世界の核状況は進展し、核軍縮は進むと思うか」と聞けば、レーム・ダック(死に体)状態にあるオバマ氏に期待する気持は、絶対「98%」などにはならないのではないか。
僕には、「核」(核状況・核軍縮)に対するマスコミ・ジャーナリズムの感覚が「鈍く」なっているのではないか、と思えてならない。オバマ氏が広島訪問した翌日の新聞の見出し「核なき世界へ『勇気を』」(朝日新聞)、「日米で誓う核なき世界」(東京新聞)が、そのことをよく表している。
確かに、オバマ氏は17分間スピーチにおいて、『(原爆の被害者は)10万人を超える日本人男性、女性、子供たち、多くの朝鮮半島出身者、そして捕虜となっていた十数人のアメリカ人を追悼するため(に我々は広島に来た」とか、「我々はあの恐ろしい戦争やその前の戦争、その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いを馳せる」とか、「私の国のように核を保有している国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」というようなことを言い、あくまでも「核廃絶」を願う、と宣言し、それはそれでオバマ氏の個人的思い(考え)を率直の述べたものとして、それなりに評価できる。特に、ヒロシマ・ナガサキの犠牲者が日本人だけでなく朝鮮人・アメリカ人もいたというのは、日本の政治指導者たちも言ってこなかったことで、貴重な発言であったといえる。
しかし、多くのメディアが指摘したことであるが、広島を訪問した(この時だけではないが)オバマ氏に同行した人たちの中に「黒いアタッシュケース」を持った人がいて、そのアタッシュケースの中は「核戦争」を含む戦争の開始をアメリカ軍に告げる通信機器が入っていること知れば、片方で「核軍縮」を唱えながら、片方でいつでも「核戦争」に応じられる準備をしているという、よく言えば二律背反状態、悪く言えばダブル・スタンダードが、オバマ氏が世界に向かって発した「理想=核なき世界」だということを、私たちは考えなければならない。
また、オバマ氏がノーベル平和賞をもらうきっかけになった「核兵器を使用した唯一の核保有国として、アメリカには行動を起こす道義的責任がある」とスピーチ(「プラハ演説」09年4月)してから7年、この間世界の核状況=核軍縮は「進展」しただろうか。核大国ロシアとアメリカの核兵器だけでも地球上の生物を何回も絶滅させるだけの能力があり、北朝鮮の核開発をはじめ、核は世界的に拡散するばかりである。
さらに、「核なき世界」目指すと宣言し、北朝鮮の核実験を非難し、イランの核開発を断念させたたオバマ氏の足下アメリカにおいて、他国の核実験は非難しながら、核兵器の性能を維持・高めるための「臨界前核実験」という名の核実験が続けられているという「矛盾」に対して、オバマ氏はどう応えるのか、という問題もある。
さらにさらに、次期アメリカ大統領になるかも知れない共和党のトランプ氏は、中国やロシア・北朝鮮に対抗するために、韓国と日本に核武装を勧めている(日本のウルトラ・ナショナリスト(核武装論者)たちが、トランプ氏の大統領就任を歓迎するという情報もある)。
なお、アメリカの「傘の下」でひたすら「戦争への道」を進む安倍首相が、いかにも自分のオバマ氏と同じ考えであるかのように、広島でスピーチしたが、「括弧=歴史」を直視しない点で、安倍首相とオバマ氏は全く「同列」と考えないわけにはいかない。つまり、今やレーム・ダック状態のオバマ氏の「矛盾」した「核」認識とそれに乗じて、「調子のいい」安倍首相のスピーチを考えると、オバマ氏の「広島訪問」を日本のマスコミ・ジャーナリズムのように「諸手を挙げて」歓迎するわけにはいかない、と僕は思っているということである。