黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「怒り」を武器に!(18)――オバマ大統領の広島訪問に「異論」有り

2016-05-30 08:52:19 | 仕事
 今朝の東京新聞を読んでいたら、共同通信の「世論調査」が載っていて、その質問項目に「オバマ大統領の広島訪問はよかったかどうか」というのがあり、「よかった・98%」という結果が報告されていた。
 しかし、このオバマ氏の広島訪問について調査に答えた人の全部に近い98%の人が「よかった」と答えたことに対して、僕には「異論」がある。というのは、「オバマ氏の広島訪問はよかったか、それとも悪かったか」と問われれば、広島・長崎の両市に原爆を投下したアメリカの大統領が初めて被爆地の一つ広島を訪問したのだから、来日前に議論を呼んでいた「広島で謝罪するかどうか」などといった問題とは別に、誰だって(僕だって)「よかった」と答えるしかないのではないか、と思うからである。最近の世論調査の特徴だが、質問の仕方が悪いのである。例えば、「オバマ氏の広島訪問で、世界の核状況は進展し、核軍縮は進むと思うか」と聞けば、レーム・ダック(死に体)状態にあるオバマ氏に期待する気持は、絶対「98%」などにはならないのではないか。
 僕には、「核」(核状況・核軍縮)に対するマスコミ・ジャーナリズムの感覚が「鈍く」なっているのではないか、と思えてならない。オバマ氏が広島訪問した翌日の新聞の見出し「核なき世界へ『勇気を』」(朝日新聞)、「日米で誓う核なき世界」(東京新聞)が、そのことをよく表している。
 確かに、オバマ氏は17分間スピーチにおいて、『(原爆の被害者は)10万人を超える日本人男性、女性、子供たち、多くの朝鮮半島出身者、そして捕虜となっていた十数人のアメリカ人を追悼するため(に我々は広島に来た」とか、「我々はあの恐ろしい戦争やその前の戦争、その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いを馳せる」とか、「私の国のように核を保有している国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」というようなことを言い、あくまでも「核廃絶」を願う、と宣言し、それはそれでオバマ氏の個人的思い(考え)を率直の述べたものとして、それなりに評価できる。特に、ヒロシマ・ナガサキの犠牲者が日本人だけでなく朝鮮人・アメリカ人もいたというのは、日本の政治指導者たちも言ってこなかったことで、貴重な発言であったといえる。
 しかし、多くのメディアが指摘したことであるが、広島を訪問した(この時だけではないが)オバマ氏に同行した人たちの中に「黒いアタッシュケース」を持った人がいて、そのアタッシュケースの中は「核戦争」を含む戦争の開始をアメリカ軍に告げる通信機器が入っていること知れば、片方で「核軍縮」を唱えながら、片方でいつでも「核戦争」に応じられる準備をしているという、よく言えば二律背反状態、悪く言えばダブル・スタンダードが、オバマ氏が世界に向かって発した「理想=核なき世界」だということを、私たちは考えなければならない
 また、オバマ氏がノーベル平和賞をもらうきっかけになった「核兵器を使用した唯一の核保有国として、アメリカには行動を起こす道義的責任がある」とスピーチ(「プラハ演説」09年4月)してから7年、この間世界の核状況=核軍縮は「進展」しただろうか。核大国ロシアとアメリカの核兵器だけでも地球上の生物を何回も絶滅させるだけの能力があり、北朝鮮の核開発をはじめ、核は世界的に拡散するばかりである。
 さらに、「核なき世界」目指すと宣言し、北朝鮮の核実験を非難し、イランの核開発を断念させたたオバマ氏の足下アメリカにおいて、他国の核実験は非難しながら、核兵器の性能を維持・高めるための「臨界前核実験」という名の核実験が続けられているという「矛盾」に対して、オバマ氏はどう応えるのか、という問題もある。
 さらにさらに、次期アメリカ大統領になるかも知れない共和党のトランプ氏は、中国やロシア・北朝鮮に対抗するために、韓国と日本に核武装を勧めている(日本のウルトラ・ナショナリスト(核武装論者)たちが、トランプ氏の大統領就任を歓迎するという情報もある)。
 なお、アメリカの「傘の下」でひたすら「戦争への道」を進む安倍首相が、いかにも自分のオバマ氏と同じ考えであるかのように、広島でスピーチしたが、「括弧=歴史」を直視しない点で、安倍首相とオバマ氏は全く「同列」と考えないわけにはいかない。つまり、今やレーム・ダック状態のオバマ氏の「矛盾」した「核」認識とそれに乗じて、「調子のいい」安倍首相のスピーチを考えると、オバマ氏の「広島訪問」を日本のマスコミ・ジャーナリズムのように「諸手を挙げて」歓迎するわけにはいかない、と僕は思っているということである

「怒り」を武器に!(17)――「姑息さ」見え見えの伊勢志摩サミット

2016-05-29 05:26:17 | 仕事
 何十億円もの大金を濫費して仰々しく26,7日の2日間にわたって開催された「G7 伊勢志摩サミット」(第42回先進国首脳会議)、これがマスコミ・ジャーナリズムが大騒ぎした割に、「冷戦」時代(古き良き時代)の落とし物と言ってもよい世界の現実を反映しない今や政治指導者たちの一種の「お祭り=遊び」であることは、北朝鮮の核開発問題を重要課題に挙げながら、核大国のロシアが資格停止中ということで参加せず、また「世界の経済状況」についての認識を共有するためと称しながら、GDP世界第2位の中国の存在が無視されていることに、よく現れている。
 もっと言えば、主催国(今回は日本)の意向(都合)を最優先させた、自分たちが「世界経済」の指導者であることを世界に向かってアピールする「儀式」だ、ということである。今回、他の国々(アメリカ・フランス・ドイツ・イギリス・カナダ・イタリア・EU)に比べて一番経済的に落ち込んでいる日本の窮地を救うべく「伊勢志摩サミット」は開催されたと言うことである。つまり、3年目の半ばにして安倍自公政権の経済政策(アベノミクス)がいよいよ「失敗」を明らかにしつつあることによって陥った安倍政権を世界的な規模で救うために、順番ではあるが「伊勢志摩サミット」は開催されたということである。
 その証拠に、サミット議長国の安倍首相が繰り返し「リーマン・ショック級の世界経済の危機」を訴え、G7が一致して「財政出動」(国債を発行して、そのカネで公共事業などを進める)を行うよう要請したのに対して、緩やかであるが堅実な「経済成長」を続けているドイツやイギリスなどが「危機というのは言い過ぎだ」と安倍首相をたしなめ、結果的に7カ国やEU諸国が挙って財政出動するという安倍首相の目論見は、退けられた――それでも、安倍首相はG7閉幕後の記者会見で、世界経済が危機にあるという認識では参加国が一致した、と協調した。しかし、今朝の新聞で報じられた海外メディアのG7評は、挙って安倍首相の強引な「世界経済の危機説」に各国首相が反対し(たしなめ)財政出動は時期尚早だと判断した、というものであった。
 では何でこのようなG7参加国の賛同を得られなかった「世界経済の危機説」を安倍首相は力説したのか。それは、早速昨夜の速報で明らかになったのだが、消費増税延期(→参議院選挙での勝利(3分の2の議席を確保)→憲法改正の着手)を宣言するためであった。「消費増税の延期を問う」という名目で行った2014年12月の衆院総選挙で大勝利を収めた安倍首相は、柳の下には2匹目の泥鰌がいるとの思ってのことだろうが、自らの強引な経済政策(アベノミクス)の失敗を何とか糊塗するために、「作り上げられた」世界経済の危機説。
 こんな「嘘」で塗り固められた「世界認識」で、2匹目の泥鰌=参院選の勝利を狙っているとしたら、国民も馬鹿にされたものである
 もちろん、消費税増税が2年半(2019年10月まで)「凍結」されるのは、生活苦にあえぐ庶民=国民にとって悪いことではない。しかし、消費税増税が何のために行われるかという「原点」を考えた場合、年金や福祉(子育てや老人問題、等)に使われる消費税増税分がストップするという現実を、本当に私たちは受け入れていいのか、ということがある。北朝鮮や中国の脅威を理由に増額の一途を辿っている防衛費、企業だけが優遇される法人税減税、等々の「悪政」の現状を見ると、「犠牲」になるのは常に「弱者」(非正規労働者や老人、女性、子供、障害者ら)である現実を、僕らはもう一度考えるべきである。
 現に、年金生活者でもある僕の年金は、健康保険税や介護保険料の値上げや年金そのものの減額で、少しずつではあるが減り続けている。それに対して、最近はよくスーパーに行くのだが、ものの値段は上がり続けているという実感がある。スーパーなどは「努力」して「安い」商品を店頭に並べているようだが、全体として「値上がり」感は日々大きくなっているように思う。時々、新聞の「首相動向欄」に記載されている、毎晩高給料理屋やレストランで食事している安倍首相の生活をみて、妻と語るのは、今汗威喝している安倍さんには僕らの慎ましやかな生活のことなど分からないだろうな、ということである。
 7月10日に予定されている参院選、絶対自公に勝利させてはならない。今回も安倍さんに「騙される」ならば、先に待っているのは「戦争への道」であること、そのことを誰もが思い知るべきである

 (オバマ・アメリカ大統領の広島訪問については、又後で考えを述べる)

「怒り」を武器に!(16)――喝采と義憤と

2016-05-25 09:22:25 | 仕事
 沖縄県うるま市で起こったアメリカ軍軍属(元海兵隊員)による20歳の女性への暴行・殺人事件に対する沖縄県内は元より全国の心ある人たちの怒りと抗議の気持を、安倍首相(日本政府)伝えるために上京し、安倍首相及び菅官房長官と面談した後の翁長沖縄県知事の発言は、特定秘密法の制定から集団的自衛権行使容認と続いてきた安倍極右内閣のファシズム的姿勢に対して蓄積されていた国民の鬱憤を一挙に吹き飛ばすような、痛快極まりないものであった。
 「安倍内閣は『できることは全てやる』といつも言うが、『できないことは全てやらない』としか聞こえない。米軍普天間飛行場の問題に関し『県民に寄り添う』という言葉も、実感として一度も感じられない」
 「今の日米地位協定の下では日本の独立は神話だ」

 安倍首相がこれまで、自分が発した空疎な観念的な言葉に酔いしれるだけで、決して国民の切実な願いや欲求に添ってこなかったことは、この欄で何度も指弾してきたことだが、翁長知事の今回の発言は、そんな安倍首相の三百代言(嘘つき)的な空疎な言葉の虚を一発で射抜いたものと言ってよく、久し振りに痛快な思いがした
 反面、以下は「義憤」になるが、翁長知事との面談を終えた菅官房長官(安倍首相)が、忌まわしい悲惨な事件について「遺憾である」と言いながら、(あのような悲惨な事件があっても)普天間基地の辺野古沖への移転(新基地建設)の方針は変わらない」と断言したことである。人の命よりもアメリカへの追随外交(従属化の進展)の方が大事だという安倍自公政権の性格がもろに出た菅官房長官(安倍首相)の発言、この政治家たちに人間の心の底からの訴え(叫び)など届かないということを、改めて痛感させられた。
 同じく「義憤」。マスコミ・ジャーナリズムは「政府の公報」の如く、オバマアメリカ大統領の「広島訪問」を「歴史的出来事」とか「未来志向の日米関係の構築」、「核無き世界への第一歩」などと喧伝しているが、オバマがヒロシマ・ナガサキによって20万人を超える犠牲者(死者)とそれを上回る被爆者(負傷者)を出した広島市・長崎市への原爆投下について「謝罪しない」ということが象徴するように、過去=歴史の「罪」について反省しない者に、どうして「未来志向」が可能なのか、と思わざるを得ない。 この過去の「戦争犯罪」について「謝罪しない」というアメリカ大統領の態度は、オバマに随行して参院選のためにいくらかでも「点を稼ごう」としている安倍首相(自公の政治家たち)と同じで、安倍首相が先のアジア太平洋戦争中に日本(日本軍)が行った蛮行(南京大虐殺をはじめとする中国大陸での「三光作戦」やシンガポールでの住民虐殺や「マニラの悲劇(住民虐殺)等々)について「謝罪しない」態度と通底している。
 「未来」は、「過去=歴史」を直視するところからしか見えてこないはずである。先日テレビで中国の「PM2.5」問題を取り上げていたが、その時あるタレントとタレント弁護士が身を乗り出して「日本に被害をもたらすPM2.5を放置している中国政府は、けしからん」と憤っていたが、日本も高度経済成長時代「公害」をまき散らしていたこと(その後アジア各地に「公害」を輸出していたこと)や、5年前のフクシマから放出された放射性物質が海洋汚染を引き起こし、その影響は日本国内にとどまらないという事実等忘れたかのような振る舞い、過去=歴史を直視しないという点では、安倍首相らと同じで、モラル・ハザード(倫理の崩壊)も極まれり、という現実を目の前に突きつけられた感じがした。
 明日(26日)、明後日(27日)と開かれる「伊勢志摩サミット」、政府は全力を挙げて成功させると言い、その成果を参議院選挙に結びつけたいと思っているようだが、冷静になって考えてみれば分かることだが、このサミットには核超大国のロシアとGDP世界第2位の中国が参加していない。このような「歪な」サミットで、何ができるのか。「広島訪問」と共に、この秋で退任するオバマ大統領の「花道」を飾るための会合でしかないのではないか? 成果など得られようはずがない(「嘘つきの」安倍首相がどんな「成果」を声高に言うか、楽しみである)。

「怒り」を武器に!(15)――化けの皮がはがれてきた

2016-05-23 09:58:53 | 仕事
 ずっとこの間、自分の仕事は連載の「情況への異論・反論・抗論(文化編)」(「解放」)を書いただけで、書き下ろしで計画している「原発文学論」は少しお休みして、中国の大学(華中師範大学)の教え子で今日本に留学している学生(国費・私費 博士課程在籍)から送られてきた論文や「外部審査員」として関わる博士論文(2点)ばかりを読んできた。
 それらは、僕と関わりがあるということで、当然「社会と文学との関係」を追求することを潜在的な問題意識として保持している論文で、それぞれなかなかに読み応えのあるものだったのだが、論文を読んでいる間も目に入る、そのような書斎における充実感とは真逆としか思えない「政治世界」における「モラル・ハザード」を知るにつけ、繰り返すようだが、この国は本当に「危うい情況」にあるのではないか、と思わざるを得なかった。
 つまり、大財閥「三菱」の傘下にある三菱自動車の「燃費操作」にはじまって、安倍首相(自公政権)による経済政策(アベノミクス)の失敗を断固認めようとしない態度、そして極めつけとして舛添東京都知事による政治資金や税金の「公私混同」、近代の曙をを告げた西南雄藩を中心とする「討幕運動―明治維新」の時代から、(いくらかの腐敗や不正があったとしても)自由民権運動(とそれに対する反対運動)が象徴するように、「政治」は「高い志」を以て進められてきたものである。僕らが学生であった時代の1960年代後半から70年代初めの、いわゆる「政治の季節~学生叛乱の時代・全共闘運動の時代」もそうであったが、その前の戦後の大衆運動・学生運動、「60年安保闘争」も、そして現在の「シールズ」による護憲・反戦運動も、「損得抜き」で体制へ「ノー」をつきつける「高い志」を底意に持つものであった。
 しかるに、今や前記した舛添東京都知事の「公私混同」や大々的に喧伝された割にはその効果が全く感じられない「アベノミクス」の失敗が如実に物語るように、何事も「カネ」が優先される社会になってしまった。
 毎晩、高級料亭やレストランで取り巻きと食事をしている安倍首相や、回転寿司やイタリアン・レストラン、天ぷらやでの家族との食事も全て政治資金から賄ってきた舛添知事に、1食380円の「牛丼」もご馳走と思う庶民の「生活の苦しさ」など、端から理解できないだろう。
 それにしても、「カネ(モノ)が全て」という「玩物喪志」の風潮がここまで来てしまうと、どのようにして「精神の気高さ」を守ればいいのか、憂いは深くなるばかりである。かつては、「文学」がそのような精神(こころ)の在り様に対応していたものだが、そのような「純文学」が衰退し続けている現在、打開策はあるのか、と「憤怒」はとぎれることがない。
 そして、またまた沖縄で起こった痛ましい事件、安倍首相はじめ政治家たちは口を揃えて「憤りを覚える」といいながら、痛ましい事件の元凶であるアメリカ軍基地の撤去には口を噤み、普天間基地の辺野古沖への移転(新基地建設)は断固続ける、という「矛盾」を平気で口にする。今や三百代言と化した政治家の言葉など誰も信じないが、それにしても弱者(沖縄)に寄り添おうとしない「政治」は、「腐敗」の極みにあるとしか言いようがない
 憂鬱な日々が続く

「怒り」を武器に!(14)――劣化する「想像力」

2016-05-09 09:37:17 | 仕事
 数日前から始まった北朝鮮の「36年ぶり」だという労働党大会、ここでの金正恩第一書記のスピーチ、一番気になったのは、「核保有国」宣言を行い、「これからも核実験(核開発)とミサイルの発射実験を続けていく」と言いながら、「世界の非核化に寄与していく」という、誰がどう考えても矛盾しているとしか思えない論理を平気で展開していたことである
 かつて1980年代の初めに北朝鮮を訪れたことのある僕としては、異常に肥満した身体を立派なスーツで身を包み、得意満面に演説する第一書記の姿の裏側に、「食うにも困った人々」がどれほど存在するかと思わざるを得なかったのだが、それとは別に、金正恩第一書記の演説を聴いていて思ったのは、権力者というのは権力を維持するためには(自分の野望を実現するためには)、平気でどんな「嘘」もつくのだな、ということであった。まだ紙誌記には権力の座に就いてはいないが、共和党のアメリカ大統領候補トランプもそうだが、日本の安倍首相など発言の全てが「嘘」で固められたものとしか、僕には思われない。
 特に北朝鮮(及び中国)との関係で、安倍首相が「集団的自衛権行使」に関わる「安保法制=戦争法案」論議の時にパネルなどを使って説明した「中国・北朝鮮の脅威」論、これなど「嘘」中の「嘘」と言えるだろう。
 例えば、東シナ海などに進出している中国に対する「脅威」、安倍首相は今にも尖閣諸島に中国軍が上陸し占拠するかのように言い、その時アメリカ軍との「共同作戦」をスムーズに行うためにも集団的自衛権行使は容認されるべきだ、と主張したが、いくら日米安全保障条約があるからといって、アメリカが自国の経済を下支えしている中国と本格的に戦闘を行うとは、とうてい考えられない。また、12万社以上の企業が中国に進出している日中の経済(貿易)関係を考えても、中国が日本を本格的に攻撃してくるなどということは全く考えられない

 そんなことは安倍首相にとって「先刻承知」なことのはずなのに、そのことをおくびにも出さず、「もし中国が我が国を攻めてきたら……」などと国民を「脅す=嘘を言う」、これほどまでに戦前に中国(満州)侵略のお先棒を担いだお祖父さんの「岸信介」のまねをしたいのか、と思わざるを得ない。
 それに、繰り返し書いてきたことだが、日中関係が最悪の情況になって、もし日中が本格的に戦端を開いた場合、アメリカは日本のために共に中国と戦う(戦争する)などということは、絶対にないはずである。アメリカは、便宜上「日米同盟は大事である」で言っているが、アメリカが伝統的に「モンロー主義」(自国中心主義)で、自国の利益にならないことには一切手を貸さないことは、これまでアメリカが世界各地で関わってきた朝鮮戦争やベトナム戦争などの「戦争の歴史」を見れば、歴然としている
 そんな安倍首相の「嘘」にころっと騙されている日本国民、それは「失敗」であることを内外から宣告されているアベノミクス(安倍自公政権の経済政策)のから「おこぼれ」があると思い、安倍内閣に高い支持率を与えている国民の姿と重なる。「アホな首相にアホな国民」と言いたくはないが、未だに「成長戦略」にすがりついて「おこぼれ」にありつこうとしている僕ら国民の現在は、僕らの「(権力に対する)想像力」がいかに劣化しているかを如実に物語っている。
 この「想像力」の劣化は、「北朝鮮の脅威」についても当てはまる。北朝鮮が核実験やミサイル発射実験を行うたびに、世界最強の核兵器保有国アメリカの「核の傘」の下にいることを忘れ、また原発から出るプルトニウムの量の多さ故に世界から「潜在的核保有国」と思われている自国の核状況を棚に上げて、「北朝鮮の(核の)脅威」を声高に言い募り、すぐにでも北朝鮮から「核弾頭」を積んだミサイルが日本に飛んでくるかのように騒ぐ安倍首相以下「極右」政治家及びそれに同調するマスコミ、もう本当にあきれるばかりである。
 この安倍首相らの「嘘」がいかに「いい加減」なものであるかは立場を変えてみれば、すぐわかる。毎年1ヶ月以上にわたって韓国や周辺の海域で繰り広げられる「米韓日軍の合同演習」、北朝鮮から見ればこれほど「脅威」なことはないだろう。これは、100数十年前、欧米列強による「植民地化」の脅威にさらされた「後進国・日本」が必至になって「富国強兵」を目指し、その結果アジアに対して「帝国主義国」として「植民地」を求め、「侵略」していった歴史を繙けば、すぐ分かることである。
 それ故、今僕らに必要なのは、「嘘」を見破る「事実」を凝視するところから生まれる「想像力」である。スマホで何でも情報が手にはいるように見える現代世界にあって、いかに自分を守るために「想像力」が大切か、もう一度僕らは考える必要がある

「怒り」を武器に!(13)――稀代のナルシスト安倍首相に踊らされる日本国民!?

2016-05-06 09:45:32 | 仕事
 前の記事から約2週間余り、毎度同じセリフを吐くことになるが、この間特にサボっていたわけではない。
 「老い」を迎え、「晴耕雨読」をモットーとする生活を目指す僕にとって、このゴールデンウイークは「夏野菜」の苗の植え付け時期にあたっており、冬の間休ませていた菜園の一部の「土作り」(つまり、堆肥や腐葉土、久土石灰を撒いた部分に耕耘機で耕す)から始まって、春の彼岸過ぎに植えた13キロのジャガイモ(キタアカリ3キロ・メイクイーン5キロ・男爵5キロ)の追い肥と土寄せ(これは、良質のジャガイモを作るのに欠かせない作業)を行い、そしてニンジン、モロヘイヤ、ゴボウ、春菊、水菜、ラディッシュ、の種まき、さらにはナス、ピ-マン、ミニトマト、カボチャの苗の植え付けと地這キュウリの種まき、それに忘れてならないのが「水やり=散水」、これを今取り組んでいる次著として予定している「原発と文学」に関係する書物を読み、原稿を書く合間に「息抜き」的に行う、これらの農作業は「恒例」のものだが、正直言って、年々身体の疲労度は増すようで、今年は特に農作業の合間にパソコンで原稿を書くことに「抵抗」を覚えた。
 そんなこんなで、なかなかブログの画面に向き合う気持ちが起こらなかったのだが、この間本だけはたくさん読んだ。「3・11(フクシマ)」関係の本を何冊か読み、そして併せて安倍自公政権が推進する原発再稼働やTPP、安全保障法制(集団的自衛権行使容認・特定秘密保護法)問題や安倍自公政権の経済政策(アベノミクス)、憲法問題に関わる本なども、「原発」問題と深い関係があるとの判断から、何冊も読んだ(読み返した)のだが、そこから得た結論は、戦後70年、僕らは現在とんでもない時代を生きているのではないか、ということだった。
 具体的には、父親(安倍晋太郎)や祖父(岸信介)と比べて、極端に自分が無能力であることを自覚している「安倍晋三」という「稀代のナルシスト」であると同時に「稀に見るニヒリスト=将来のことなど知っちゃいないという思っているお坊ちゃん」に、国民の大多数が「踊らされ=騙され」ているのが現在なのではないか、ということであった。換言すれば、「アベノミクス」という「経済成長の実現」を前提とした経済政策――この経済政策が「失敗」していることは、多くの経済学者が指摘するとおりである。そこで思い出すのが、バブル経済時代の1980年代後半に埴谷雄高と「資本主義の在り方(人間の生き方)」をめぐって論争した吉本隆明が、「資本主義は永遠に成長し続ける。その結果近い将来労働者は「週休3日」を得て、レジャーなどを楽しみ、貧富の格差もなくなる」と言っていたことである。この吉本の「ご託宣」は、吉本主義者のみならず多くの「保守=現状維持」志向の人々を「安堵」させ、保守政権の延命に手を貸したことである――を目の前にぶら下げ、それを「目眩まし」にして、どのような「妄想」から生まれたのか分からないが、憲法改正(9条改正)をたくらみ、日米同盟の強化(アメリカの属国化)を推し進めようとしていることである
 「ナルシスト」というのは、自分のことにしか興味が無く、他人がどのような自分のことを思うかなんて全く問題にしない、「嘘つき」であり「唯我独尊」としか言いようがない「共生」とは相容れない考え方の持ち主のことだが、「ニヒリスト」というのも実は「未来」や他者のことなど関係ないと思う点で「ナルシスト」と似ていて、安倍晋三のという人間は、まさにその典型なのではないか、と思う。
 前にも書いたことなので、いささか恐縮に思うが、僕の父親の命日(5月4日)ということで集まった娘家族たち(孫が3人)の姿を見ていると、安倍首相が「憲法解釈を変えて」まで「戦争のできる国」にしようとしているのは、子供がいないから、この国の「未来」などどうでもよく、「改憲を実現した首相」として自分の名前を歴史に刻印することをしか考えていないのではないかという思いを禁じることができない。
 しかし、考えてみると、そのような「稀代のナルシスト」である安倍晋三の政治に同調し、「異議申し立て」をしない自民党の政治家、及びそんな「不穏」な政治家に手を貸し続けている「平和と福祉の党」を標榜する公明党(とその支持母体の創価学会)、更にはそのような自公政治に「50%」近い支持率を与える国民も、また同罪なのではないか。
 これも繰り返す。もうそろそろ目を覚まし、まっとうな政治を希求すべきである