黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「虚しさ」との戦い(13)――改めて、安倍首相の「アホさ」加減を問う。

2015-07-21 05:48:41 | 仕事
 昨日夕方の「フジテレビ」に出演していた安倍「独裁」的首相の、「安保法制=戦争法案」の強行採決から「新国立競技場」建設問題に関する発言、その結果としての支持率の低下(安倍首相や政府与党の「安保法制=戦争法案」の考えを一貫して肯定的に伝えていた「フジ・サンケイグループ」のフジテレビによる「新国立競技場」に対する発言があった後の世論調査でも「不支持率52パーセント強」で、支持率39パーセント強を13%以上上まわっていた)に対する説明を聞いていて、本当にこの人は「頭が悪い」と思わざるを得なかった。
 安倍首相は、「安保法制=戦争法案」について、泥棒に対してどのように「戸締まりするか」、現在は振り込め詐欺とかカード盗難とか高度化しているので、個別で戸締まりするのではなく、町内会(集団)で行わないと、その「戸締まり」も有効ではない、というまたまた「奇妙奇天烈」な例を出して説明していたが、この説明、誰が聞いても安倍首相の説明は「個別的自衛権」の問題でしかなく、なぜ「集団的自衛権行使容認」を中心とする「安保法制=戦争法案」の国会通過を急いだことの説明になっていない。
 余程「頭の悪い」あるいは「国民を馬鹿にしている」官僚が、「頭の悪い」安倍首相を選んだ国民に説明するには、「この程度のたとえ話」でいいだろうと思って、模型などを使って安倍首相に説明させたのだろうが、ドツボにはまったというか、墓穴を掘ったというか、これで「安保法制=戦争法案」について説明できたと思うのは、独りよがりである
 このフジテレビの出演では、「国民の疑問に答える」というような形で、街頭質問やフジテレビに寄せられた(世論調査の際に寄せられた)「国民の疑問」に答えようとしたのだが、国会審議における質問に対する答弁(説明)と同じで、質問の主旨を「ズラして」(意図的にそのようにしているのか、それとも質問の主旨が理解でないほど「アホ」なのか分からないが、たぶんその両方が綯い交ぜになって、あのような形になったのだろう)、その後に自説を蕩々と述べるパターンと同じで、質問の意図と正対していない「トンチンカン」な説明に終始した。
 何よりも「この人、本当に馬鹿だな」と思ったのは全ての問題の根源には、5月の訪米時に米議会でスピーチする機会を与えられたからといって、調子に乗って(軽はずみにも)「安保法制=戦争法案は夏までに成立させる」と公言してしまったところにあるのに、そのことには一切触れない(自分の責任は一切認めない)で説明しようとするから、ピントのぼやけた説明(戸締まり論)しかできなかったのである。「新国立競技場」についてだって、2020年東京オリンピック招致のために、IOC総会が開かれていたブエノスアイレスで、「フクシマは完全にコントロールされている」と公言したのと同じように、「世界に類のないすばらしい競技場を用意します。財政的にも準備ができています」と言ってしまったこと、そのことが「2520億円」という巨額の建設資金を必要とする新国立競技場建設へと導いたことに対しても「黙して語らない」という態度の終始していた。その代わり、子分どもを使って「そもそも新国立競技場建設問題は、民主党政権の時に決まったものだ」と責任を他党になすりつけるような発言をさせるなど、何とも「卑怯な」振る舞い。
 「頭の悪い」お坊ちゃま首相には、国民を混乱のるつぼに陥れた「責任」をとってもらって、もう退陣してもらうしかない。昨日は、つくづく、そのように思った。

「虚しさ」との戦い(12)――『火花』(又吉直樹)、「新国立競技場」建設問題、など

2015-07-20 05:26:49 | 仕事
 お笑い芸人又吉直樹の芥川賞作品『火花』を再読した。雑誌掲載時に、あの独特の風貌を持った、名字からすると沖縄をルーツとする芸人(コンビ名を「ピース」としているのも、沖縄と関係しているのかな、と思いつつ)なのではないか、というようなことから読んでいたのだが、その時の感想は、「お笑い芸人が片手間に書いた小説ではないが、若い人たちが書く普通の教養小説だな」というものであった。
 そんな又吉の「初めての小説」が三島由紀夫賞で最終選考に残り、また今度芥川賞を受賞したというので、再読した。感想は、作品の冒頭部に「花火大会」のことが出てくるからなのか、僕がずっと作品のタイトルを『花火』と思っていたことの「誤り」に気付いた以外は、初読の時とほとんど変わらず、選考委員(山田詠美)が何故あのように褒めるほどの出来なのか、僕には分からなかった。
 確かに、若手お笑い芸人(だけでなく、何者かになろうとして頑張っている人)が、尊敬する先輩の「笑い」が世間から受け入れられないことに苛立ち、その先輩がついには表舞台から消え、そこそこ売れるようになった自分たちも――「スパークス」、作品のタイトルはここから出ているのだろう。しかし、「火花(スパーク)」を散らすように、芸を磨く(しのぎを削る)のは相方とではなく、コンビを組んでいない先輩との間である、というズレの感覚(僕の感じ方のズレ)は、最後まで消えなかった。これは、相方のこと・関係がほとんど出てこないところから来る感想で、「スパークス」というコンビ名は、もしかしたら主人公の内部に生じる「火花」のことなのかも知れない――、その売れている最中に解散し、主人公はアルバイト生活に戻る。そして、先輩は「笑い」を取るために、両胸にシリコンを入れ巨乳の持ち主となって現れ(「狂っている」かのように)、主人公の前で「最後の笑い」を試みるが、すべって終わる、という物語の展開。
 この『火花』のような小説は、ある意味、近代文学以来の伝統と言っていい「おのれとは何か」を探る小説の一種で、これまでに同じような作品を何度も読んだような感じがする。だから、『火花』を読んでいる間ずっと既視感に襲われるような気がして、この既視感の大本は何か、と考えながら読んだ。その意味では、村上春樹の『1Q84』が象徴する最近の現代小説が内在化させることで読者を書くとしようようとしている「エンターティンメント」性の追求が、この『火花』にも底流しているように僕には思え、これが現代小説が求める「文学の王道」なのか、と思わざるを得なかった。
 もちろん、作品の随所にちりばめられている「言葉遊び」的な主人公と先輩とのやりとりなど、新規性は十分にあると認められるのだが、どうも『火花』で語られる世界が、「現実離れ」した「真空地帯」における出来事のように思われ、この僕らが生きている社会はどこへ行ったのか、言い方を変えれば、主人公たち芸人が「売れる」ようになるまで強いられるアルバイト生活(派遣社員が全労働者の40%を超える現実」について作者の視線が届いていないことに、それが書く目的ではないと知りつつ、苛立たざるを得なかった。「お笑い」が本来的に持つべき「毒」(異議申し立て)がこの作品からは感じられなかったこと、それが最大の不満であった。
 そんな『火花』が100万部を超えて印刷されたという。「100万部」というのは、僕ら批評家から見たら、夢のような話だが、村上春樹の諸作品のように、出版社(文藝春秋)が仕掛けた販売戦略によってでしかこのような部数が望めない現在の出版不況(本が売れないという状況)のことを考えると、何とも複雑な気がする。この『火花』の話題が、一過性の「花火」に終わらないことを祈るばかりである。
 そして、つらつら思うのは、この『火花』の話題作りは、安倍「独裁的」首相の「新国立競技場建設を白紙に戻す」という、何とも彼がこれまでの「安保法制=戦争法案」に対して見せていた「強面」とは正反対の「情けない」態度と二重写しになるのではないか、ということである。何としても「対米従属」を強化する「安保法制=戦争法案」を成立させたいがための、「支持率アップ」のパフォーマンスとしてれらばれたものだったのかも知れないが、数日前に「計画変更の予定はない」と傲然と言い張った時の面影など一欠片もないような「悄然」とした立ち振る舞い、「敵」ながら、何だか寂しくなるようなものであった。そして思ったのは「ああこの人、本当は小心者で臆病なんだな、しかし、この小心者を陰で操っている黒幕は誰なんだ」ということであった。
 こんな「新国立競技場」の立て替え問題で安倍「独裁的」首相が殊勝な態度を取ったって、「安保法制=戦争法案」への国民の反意は衰えることはない、はずである
 安保法制=戦争法案」の廃案=安倍「極右」自公政権の退陣まで、意を強くして頑張ろう!

<補>
 上の記事を書いて、いつもよりはゆっくりの時間に朝食を摂り、新聞を開いたら、「朝日新聞」の「安保法制=戦争法案」の強行採決以後、及び「新国立競技場」建設を白紙に戻す発言の後になる先週末に行った世論調査で、予想通り、安倍内閣の「不支持率46パーセント・支持率37パーセント」の結果が出たとの記事の中に、支持率の回復を狙った結果の発言であることが明白な「新国立競技場建設、白紙に戻す」の影響はほとんど無く、安倍首相の狙いは空振りに終わった旨の文章があった。
 この記事の内容は、当たり前と言えば当たり前で、安倍首相の「新国立競技場」建設問題に対する発言の突然の転換は、よく考えてみれば、国民を馬鹿にしたもので、責められるべきは、そのような自分の利益(支持率回復)だけを考えた安倍種朱の「君子豹変」的パフォーマンスの「嘘っぽさ」を国民は見抜いていたということであり、そのことに気付かなかった安倍首相が「アホ」だったということに尽きる。
 新国立競技場の建設問題を白紙に戻しただけで、安倍内閣の支持率が上がると思うなんて、国民を馬鹿にするのもいい加減にしろ!ということである。

「虚しさ」との戦い(11)――腹立たしい、悔しい、悲しい……

2015-07-16 08:58:17 | 仕事
 予想通りのこととは言え、改めて昨日(7月15日)の衆院安保法制特別委員会における与党(自公)単独の強行採決には、「あきれる」というより、こんな「独裁」的な首相(自公政権)を選んでしまった自分たちに、及び審議すればするほど「わけが分からなくなる」戦争への道を開く法案に何も言わない自民党・公明党の政治家たち、とりわけ「平和と福祉の党」を看板に掲げる公明党の議員たちに対して、腹立たしく、また悔しく、悲しい思いを持たざるを得なかった。
 しかし、何よりもおかしいのは、法案を提出した内閣の責任者安倍「ファシスト」首相自らが「国民の理解が進んでいない」と公言し、強行採決した委員会の浜田委員長も「11本の法案を一括して提出したのはおかしい」と言いながらの強行採決、これも皆安倍首相がアメリカ訪問中(5月初旬)に米議会で「安保関連法案は夏までに成立させる」と公言したことの結果であり、全ては「軽はずみ」な、いかにも「傲慢」な言動を繰り返してきた安倍首相(とそのお仲間)の責任だと思うが、それにしても、僕らはいかにもとんでもない状況下におかれてしまったものである。
 もうこうなったら、あきらめることなく、安倍「独裁」自公政権に鉄槌を加えることを考えるべきである
 このままずるずる安倍自公政権にこの国の未来を託していたら、次に待っているのは、これもアメリカの要請を受けてのことになるだろうが、「徴兵制」の実施であり、そして原発の再稼働と核燃料サイクル(使用済み核燃料の再処理)の維持から透けて見て取れる「プルトニウムの確保」→「日本(自衛隊)の核武装」である。
 その意味で、大袈裟に聞こえるかも知れないが、僕らはいよいよ地雷原に足を踏み入れてしまったと言えるのではないか、と思う。
 なお、TVの街頭インタビューで、「日本が70年間平和でいられたのは、日米安保条約があったから(日本をアメリカが守ってくれていたから)ではないか」と言っていた30代女性がいたが、もし日本が戦争(日中戦争・日朝戦争)をするようになったとき、「アメリカが日本を守る」などというあり得ない話を未だに信じている(誤解している)人が存在すること、自公の「自分たちに都合のよい解釈」を聞いてきた上での発言なのだろうが、そんなことが絶対にあり得ないのは、米中戦争、米朝戦争、米ロ戦争が本当にあり得るかを考えれば、すぐに分かることである。それよりも、沖縄の人たちが米軍基地が存在するせいで危険な思いをしている、ということの意味を考えるべきである。アメリカにとって日本という存在が、何よりも自国(アメリカ)を守るための防波堤に過ぎず、本土に近いハワイが攻撃されたら深刻な事態になったと思うだろうが、日本が中国のミサイルで攻撃されたとしても、もし東京の横田吉也沖縄の嘉手納基地が直接攻撃された場合はどうなるか分からないが、一般論としてアメリカが日本を救うなどということは「幻想」に過ぎない、と僕らは思うべきである。
 国際情勢というのは、それだけ冷酷だということである。、

「虚しさ」との戦い(10)――谷垣さん、高村さん、山口さん、北側さんに問いたい……

2015-07-14 08:55:33 | 仕事
 多くの憲法学者が「違憲」だと言明し、国民の半数以上が「反対」し、80%以上が「審議不十分」と言っている「安保法制=戦争法案」が、いよいよ明日(15日)にも委員会で「強行採決」され、その翌日には与党が圧倒的な数を占める衆院本会議で可決されそうな様相になってきた。
 今朝の朝日新聞に載った世論調査結果で安倍内閣の不支持率が「42%」で支持の「37%」を上まわったと報じていたが、元々国民の声など聞かない(理解しようとしない・理解力が不足している)安倍首相には、もう今更何を言っても仕方がないので、宮崎駿氏に倣って「愚劣な男」と言うしかないとしても、僕が不思議でならないのは、自民党・公明党の幹部にして「弁護士資格」も持つ谷垣自民党幹事長、高村自民党副総裁、山口公明党代表、北側副代表、及び「弁護士=法律家」の肩書きを持つ少なくない数の自公の政治家たちは、本当にこの「安保法制=戦争法案」(集団的自衛権行使容認)を「合憲」だと信じているのだろうか、ということである。
 法律に疎い僕らだって、「日本国憲法」(の前文及び第9条)を素直に読めば、「集団的自衛権」は元よりそれに関連する「安保法制=戦争法案」が憲法から「逸脱」し「違反」している、と明確に理解できる。もちろん、安倍自公「極右」政権がいうように、憲法ができた時(1948年)と現在とでは「国際情勢が変化している」ことは承知している。しかし、何時だって「国際情勢」は変化している。あの泥沼の「15年戦争(アジア太平洋戦争)」への始まりを告げた「満州事変」(1931年)に際してだって、「満州は日本国の生命線」と言って中国大陸への「侵略」を正当化したのだし、米英への戦宣戦布告(太平洋戦争の開始)だって、「大東亜共栄圏は日本国を守る生命線」と言っていたのである
 その「馬鹿」な戦争への反省から日本国憲法が生まれたのであり、自民党(保守派の論客ら)が言っている「占領軍が押しつけた憲法」というのは、多くの人が指摘しているように、多くの国民が受け入れた日本国憲法(の前文及び第9条)の精神が生かされてきたから、戦後70年日本は「戦争」に巻き込まれずに済んだのであって(もちろん、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などにおいて、米軍の要請により「影ながらの応援」を行ったという事実は存在する。しかし、それはあくまでも「陰」のことであって、歴代の保守政権は表に出してこなかった)、そのように言うことで「戦争のできる国」にしたいだけとしか「戦後民主主義社会」の中で育った僕には思えない
 そこで、僕とほとんど歳の変わらない谷垣さん、高村さん、山口さん、北側さん(と自公の「弁護士資格」を持つ国会議員)に再度問いたい。本当に、あなた方は「安保法制=戦争法案」を「合憲」だと思い、また「信義は尽くされた」と思っているのですか。特に、かつては「良識(リベラル)」を看板にしていた「宏池会」に属していた谷垣さん、そして「平和と福祉の党」を標榜してきた公明党の代表と副代表の山口さん、北側さん、こんな「戦争」への道を切り開く「安保法制=戦争法案」の国会通過に手を貸して、「平和の党」の看板に恥ずかしくないのですか。北側さんたち「自衛隊が海外へ出て行く諸<事態>に対して、いくつかの歯止めを掛けた」と言っていますが、この間の国会審議における安倍首相や中谷防衛大臣の答弁を聞いていると、あなた方が言い「歯止め」など無きに等しいと思いますが、本当に「歯止めを掛けた」と思っているのであれば、それは「自己満足」に過ぎず、それを見抜けないあなた方は「権力」に目がくらんだ「アホ」である
 しかし本当に自公の「与党」には「良識を持つ反逆児」はいないのだろうか。自公の政治家は、もし自衛隊が米軍支援のために参戦しても、自分たちの子女はそこに加わらないから関係ない、と思っているのかも知れないが、あなた方が想定している「米中戦争」あるいは「日中戦争」は、先のアジア太平洋戦争の時代とは全く異なる「電子戦争=ミサイル中心の戦争」になるはずだから、誰もが犠牲になる可能性を秘めているということ、このことを忘れてもらっては困る。「リスクが高まる(犠牲者が多くなる)」のは、自衛隊員ばかりではない。集団的自衛権が行使されれば、国民の全体のリスクが高まるのである。
 だから今、僕が思っているのは殺すな!(殺されたくない!)」である。

「虚しさ」との戦い(9)――もうすぐ「徴兵制」が……

2015-07-09 09:10:06 | 仕事
 「特定秘密保護法」の制定から「集団的自衛権行使容認」の閣議決定、そして現在の「安保法制=戦争法案」をめぐる安倍自公「極右」政権の在り方、および原発再稼働への動きや2020年の東京オリンピック開催に向けて莫大な費用を掛けて建設が進められようとしている「新国立競技場」問題などを見ていると、いかにも安倍自公政権が「独裁(ファシズム)的」な体質を持った危険極まりない政権だという確信を持たざるを得ない。
 幸い、この間の「安保法制=戦争法案」論議の結果なのだろうが、各種世論調査の結果、安倍自公「極右」政権の支持率が50パーセントを切り、不支持率が支持率を上まわるものが出てきた。一部上場企業だけが利益を享受し、国民全体では収入が減李、その結果「格差」が固定・増大されるという。もう「まやかし」としか言えないアベノミクスの化けの皮がようやくはがれてきた結果だろうと思うが、そうであるが故に、政権幹部から漏れてくる「安保法制=戦争法案」を早期決着(強行採決)すべきという声、たぶん対米従属化の強化(深化)を急ぐ自公政権は、間違いなく「強行採決」してこの「戦争法案」を成立させてしまうだろうが、何としてもこの「恐ろしい」戦争法案を阻止しなければならないと思いながら、このまましばらく自公政権が続けば、余り遠くない将来に私たちは「徴兵制」が敷かれることを覚悟しなければならないのではないだろうか、と心配になる。
 徴兵制に関しては、僕らロートルは現実問題として余り関係ないかも知れないが、孫たち、あるいはその下の世代が男女の区別なく強制的に「人殺し」を強いられることを考えると、「徴兵制」が「安保法制=戦争法案」の制定と直接的に結びついている現実を、僕らはもっと真剣に憂慮すべきなのではないか、と思う。マスコミは、安倍首相もまた政権幹部も「現憲法下で、徴兵制は絶対ありえない」と言っているから「徴兵制」はあり得ないだろう、と高をくくっているように思えるが、「憲法違反」を承知で「安保不正=戦争法案」を制定しようとしている安倍自公政権、何をするか分からない。
 また、徴兵制を廃止したアメリカがイラク戦争やアフガン戦争に「若い兵士」を動員している仕組み――それは、「奨学金付き志願兵募集」というもので、貧しく大学へ行けない男女を一定程度の兵役を経れば大学進学のための「奨学金」を与えるというものである――を知れば、アメリカに追随してきた(アメリカの言いなりになってきた)日本のことだから、「徴兵制」を敷く代わりに、「奨学金付き志願兵」を大量に募集するのではないか、と思う(誰が儲けるか分からない新国立競技場建設に「2520億円」以上の税金を投入しようとしている現自公政権でることを考えれば、「戦争をするために」多額の税金を「奨学金」という形で使うことなど、朝飯前だろう。
 そんなことを思うのも、もう10数年前になるが、縁あって沖縄にある極東最大の空軍基地「嘉手納基地」を見学する機会があった。4000メートル級滑走路を2本備えた広大な基地を案内人の車で見学していたとき、入り口に「Branch school of ××Collage」の看板を掛けた建物が2棟あるのに気付き、聞いたところ、それは2つともアメリカ本土に本校がある大学の分校で、経費の一切は米軍持ちで、若い兵隊たちは「無料」だ大学教育を受けることができ、大学卒の資格を得ることもできる、ということであった。その分校で学ぶ兵隊は「貧しい」家庭出身の黒人やヒスパニック系、それにネイティブ・アメリカン(インディアン)が多いということで、そこからは僕らが想像する以上に貧富の差が激しい「格差社会」であるアメリカの現実が垣間見え手来るような気がした。
 また、これももう15年前のことになるが、シアトルのワシントン大学に在学研究で行っていたとき、4万人ほどの学生が学ぶその大学の一角にライフル銃で武装した兵士が入り口に立つ建物があり、同行していた大学院生に「あそこは何学部?」と聞いたところ、「海軍に所属する学生(兵隊)が学ぶところで、僕らは許可がなければ入ることができない」との答えが返ってきたことを思い出す。

 その時は「軍學協同」とはこのようなことを言うのだと思っただけだったが、「安保法制=戦争法案」が国会通過すること(強行採決)が見えてきた今日、国立大学の全てに軍人(学生)が大手をふるって歩き回る日も近いのではないか、と怖れる。

「虚しさ」との戦い(8)――軽すぎる権力者の「言葉」

2015-07-05 09:59:16 | 仕事
 自らの応援団としてその結成を歓迎していた自民党若手議員たちの「文化芸術懇談会」――言論の自由も表現の自由も全く理解していない「極右」政治屋集団が、隠れ蓑として「文化」や「芸術」という言葉を使うことに、あきれる以前に憤りを覚えるが――に対する安倍首相のこのところの対応を見ていると、典型的なマキャベリスト(権謀術数主義者―目的のためには手段を選ばない政治家(者))だと思わざるを得ない。最初は、「私的な集まりだから、私には責任がない。そこで話された内容についても関知しない」といった主旨の発言をしていたのに、その懇談会で話された内容が講師の百田尚樹の発言共々、あまりにも非道いものであったことが判明し、野党や識者・マスコミ人たちからばかりでなく与党内からも「批判的」な言辞が吐かれるにいたって、手のひらを返すように、「遺憾の意」を表し、国民に「謝罪」したフリをする。しかも、その「謝罪」の言葉には、中学生でも分かるような「心のこもらない」形式的なもので、これは「本音」ではない、と気付くような代物である。たぶん、本音は自分の同志がここまで――というのは、気にくわない朝日新聞や毎日新聞、東京新聞などは「懲らしめるべきである」(弾圧すべきだある)、また辺野古沖への新基地建設に反対を唱える翁長知事はじめ沖縄県民及び沖縄のマスコミが「偏向(左翼化)していることについてもやはり弾圧すべきである(沖縄の地方紙は潰すべきである)、というのは全く自分の考えと同じである、と安倍首相は考えているとしか思えないからである――考えてくれていたことに、「感謝」していたのではないか。
 「お坊ちゃま宰相」安倍晋三は、国会審議中に民主党の辻元清美へ「早く質問しろよ」とヤジを飛ばしたことが象徴するように、自分は「絶対正しく」他の者の意見など聞く耳を持たないという典型的なナルシストと言っていいが、ナルシスト特有のどんなに自分が「間違っていても」絶対それを認めず、また「他を顧みず」「狂信的に」己の道を進もうとする、何とも度し難い人物であり、そのような「お馬鹿」な男にこの国の将来を託そうとした我々の選択については大いに「反省」しなければならないとしても、「安保法制=戦争法案」の国会通過だけは絶対阻止しなければならない、と改めて思わざるを得ない。
 しかし、憲法学者の大半(90%以上)が「違憲」だとし、各種の世論調査でも「現在必要としない」という人がやはり大半を占める「安保法制=戦争法案」を、なぜ安倍首相は強引に成立させようとしているのだろうか。いくら考えても、安倍首相が本当はどう考えているのか、よく分からない。ただ、あの解釈をその時々に変える「集団的自衛権行使」に関する国会答弁などを見ていると、一つだけ感じることがある。それは、お祖父さん(岸信介)のようにどんなに国民を裏切るようなことになったとしても、とにかく「歴史に名を残す」という執念だけは手放さないということである。余程お祖父さんや大叔父(佐藤栄作)、あるいは父親(安倍晋太郎)に対して劣等感を持っているのだろう。そう思わない限り、彼の理解不能な振る舞い、それは「軽い言葉」(気持ちが込められていない)を平気で使い分けるマキャベリスト特有の在り方とも言えるが、彼が国会答弁している時や記者会見している時の「精気のない」顔を見ていると、「吐き気」がしてならない
 とは言え、どんなに僕らは「反対」しても、何の「利益」があって「平和と福祉の党」の看板を下ろしてまで「安保法制=戦争法案」に賛成してきたのか分からない公明党や、「権力志向」を剥き出しに、結果的に「極右」政治屋集団である自民党に加担することになる維新の党の力を得て、「戦争法案=安保法制」は数の力で衆議院を通過し、何とも腹立たしいことだが、成立する公算が強い。
 そうなったら、どうなるのか。人間の自由を大幅に制限していた治安維持法下の戦前のように、これまで以上に「息苦しい社会」になるのは、必定である。
 ただ、先の大戦の敗戦によって手に入れた「民主主義」思想までが完全に窒息させられたわけではない。ならば、次の選挙において、安倍自公「極右」政権を敗北に追い込み、すぐに実現はしないと思うが「戦争法案」を無効化するような政府を作るしかないのではないか、と思う。
 それにしても、僕らはとんでもない「愚人」を指導者として持ってしまったものである。無念としか言いようがない