黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「いのち」を大事にするとは?

2010-01-30 11:14:29 | 近況
 昨日の鳩山首相の「施政方針演説」の全文が今日の朝刊に載っていたが、その新聞やテレビでも言っていたが、1時間弱の演説の中で「いのち」なる言葉が24回出てきたという。「友愛」は1回だそうだから、「友愛」から「いのち」へ、より鳩山首相の理念は抽象度を深め、哲学的になったということなのだろうが、マルクスを引き合いに出すまでもなく、「政治」は形而上学ではなく形而下的(つまり、「土台」)であることを考えれば、鳩山首相の思考がますます「現実=リアル世界」から離れてきた、と言えるのかも知れない。
 とは言え、「土建屋政治」と揶揄されてきたことに象徴される、「カネ・モノ」の豊かさのみが追求されてきた政治、つまり経済成長のみが重要視されてきたこれまでの政治、言い方を換えれば「理念=哲学」が軽視されてきた保守政治(自公政権)のことを考えれば、「理念=哲学」だけで飯は食えないが、ともかく「理念=哲学」が政治の場で語られるというのは、決して悪いことではない。
 後は、一度口に出した「理念=哲学」を現実世界においてどのように実現していくか、と言うことだと思う。例えば、国内だけでなく、アメリカはもちろんアジアも注目している普天間基地の辺野古沖移設問題に関して、「地元の意向」を無視するような発言をした平野官房長官の在り方を即刻正すことこそ、現実に降り立った「いのちを守る」政治なのだろうと思う。平野官房長官は、官房長という立場上、民主党にも内閣にも、はたまたアメリカにも気を遣わなければならないのかも知れないが、彼の一連の発言を見ていると鳩山首相及びアメリカの意向(日米合意)は「斟酌」しても、名護市民(沖縄県民・日本国民)の「意向=意思」は斟酌しない、ということになり。それでは「いのち」を日常的に危険にさらしているアメリカ軍基地近くに住む人はもちろん国民の大半は納得しないのではないだろうか。
 平野氏は、沖縄を視察し、関係者から事情を聞いたらしいが、僕の友人たちがメール・マガジンで伝えてくれている沖縄の現状(名護や辺野古の現実)報告とは、全く異質な感じがする。これまでも書いてきたように、僕は何度も普天間基地を見(隣接する沖縄国際大学を訪れ)、戦闘ヘリが離発着する現場を目撃しているが、どう考えても納得できないのは、あれほどに普天間基地が危険な状態にあるにもかかわらず、人々の暮らしを無視して「極東の安全」とか「仮想敵国に対して」という建前によって基地を存続させてきた「日米」の指導者たちの思想である。沖縄の人たちが、事ある毎に明治初年の明治政府による「琉球処分」を持ち出して、「本土による沖縄の差別」として問題視するのも、理由のあることなのである。先の太平洋戦争における沖縄戦の犠牲者が16万人余り(そのうち、沖縄住民が9万人余り)という事実について思いを馳せれば、「日米合意」などたいしたことではないはずである。
 そこで更に思うのは、何故普天間基地がなくなったって一向に日米政府及び軍部は困らないのではないか、という議論が起こらないのかということである。沖縄には嘉手納基地を始め問題のキャンプ・シュワブやその他いたるところにアメリカ軍基地はあり、普天間基地一つがなくなったって、「日米安保体制(冷戦構造)」が揺らぐわけでもなく、沖縄に日本全体の70パーセント程のアメリカ軍基地が存在することに変わりはないのである。普天間基地撤去に対して「代替案」を望んでいるのは、おそらく日米の軍需産業と「思いやり予算」が欲しい米軍だけだろうと思う。オバマ大統領は、「核軍縮」をはじめ「軍縮」を唱えていたはず。ならば、普天間基地撤去(閉鎖)は、オバマの意向(軍縮思想)に沿うはず。
 にもかかわらず、日本のマスコミ・ジャーナリズムは、相変わらず「日米合意」を金科玉条の如く振りかざして、鳩山政権の「迷走」ぶりを糾弾している(僕も鳩山政権の「迷走」ぶりについては批判しているが、普天間基地問題に関しては、以上のような理由が背景にあることを承知して欲しい)。繰り返し言うが、どうなっているのか。
 僕らが普天間基地移設問題に関して今しなければならないことは、沖縄県民(名護市民)の声をいかに聴き取るか、だけだろうと思う。

迷走する現代社会(3)

2010-01-26 09:03:40 | 近況
 沖縄の名護市長選挙の結果は、周知のように普天間基地の「辺野古沖移設反対派」の勝利ということになり、日曜夜には沖縄の友人たちの喜ぶ顔を目に浮かべ、沖縄を何度も訪れ、普天間基地に隣接する沖縄国際大学や周辺の人々がどのような状態にあるか僕なりに理解しているつもりの僕も、彼らと共に喜んだのだが、この名護市長選の結果に対する反応を日本全体の中で見たとき、「苦」を沖縄に押しつける明治の「琉球処分」以来の悪しき伝統が今なお変わらず存在することに、正直言って「どうしようもないな」と思わざるを得なかった。
 「マニフェスト」に普天間基地の「県外・国外移設」を謳い、先の総選挙においても、また今度の名護市長選でも「辺野古沖施設反対」を主張してきた民主党さえも、「移設反対」という結果が出た(民意が示された)にもかかわらず、明確に「反対」と主張することを避け、「1地方都市の民意で云々」などと、アメリカに遠慮した言い方に終始して、「逃げ」を打っている。この普天間基地の「辺野古沖移設問題」に関して、僕が不思議でならないのは、何故これほどまでに自公政権時代に成立した「日米合意」、つまりアメリカの意向を斟酌(気を遣う)しなければならないのか、ということである。
 確かに、「日米安保条約」(何と今年で50年目を迎えるという。「60年安保反対闘争」が懐かしい)が存在し、この条約を軸として「経済=貿易」を中心に日米が緊密な関係にあることは承知している。しかし、「日米安保」が旧ソ連や中国を仮想敵国とする「冷戦」の置きみやげであることを考えれば、世界6位(7位)の戦力を誇る自衛隊が存在する日本に、あれほどの米軍基地が果たして必要なのか、就中沖縄が米軍基地全体の75パーセントを占めるという「異常さ」を、僕らは果たして容認したままでいいのか、ということがあり、当然このような状態は「おかしい」と思うべきなのである。今の航空機(戦闘機や爆撃機)の能力やミサイルの能力、及びアメリカの世界戦略の中心を原子力潜水艦がになっていることを考えれば、普天間基地をグアムに移転しても何の問題もないにもか変わらず、日米共に「辺野古沖」にこだわる理由は何であるのか。
 一つだけはっきりしているのは、もし普天間基地(海兵隊8000人)がグアムに移転してしまったら、アメリカにしてみれば、グアムはアメリカ領だから、日本にある米軍基地向けの、いわゆる「思いやり予算」を貰えない、つまりそれだけアメリカ側の出費がかさむということになり、これだけの世界的不況の中にあるにもかかわらず、アフガン増兵を敢行していることに象徴される「世界の警察」=アメリカにとって、普天間を日本以外の場所に移すのは大いなる痛手になる、ということである。もちろん、「軍事」だけが問題ではなく、産軍複合体化している日米の産業界(軍需産業界)も、沖縄から米軍が引き上げることに賛成していないのではないかと考えられる。今度の名護市長選で「辺野古沖移設容認派」の現職が、基地移設と「沖縄北部振興策」とを抱き合わせで選挙戦を戦ったことは、その一証左であると思う。
 しかし、繰り返すが、民主党はどうなっているのか。鳩山首相の献金問題も小沢幹事長の「裏献金」問題も、所詮元々は保守派の政治家なのだからそんなに「清廉潔白」を求めても仕方がない、あり得るだろうな、金持ちの戯れ事だからそんなに期待もしていない、と割り切ってしまえばいいのだが、「年金問題」や「子供手当問題」「高齢者医療制度問題」に加えて、現在及び将来の日本の在り方を決する「普天間基地移設問題」に関して、これほどまでに「迷走」するとは、本当にどうなっているのか、と思わざるを得ない。
 では、我々国民はどうしたらいいのか。元のように自民党(自公)保守政権に戻るのか、しかしそれは当分無いだろうと思うのは鳩山政権の支持率が大幅に下落してもなお、自民党の支持率が上がらない問う現状を鑑みると、僕らはいよいよ「漂流」時代を迎えたということなのだろうか。それにしても、あれほど「熱狂的」に政権交代を望んだ国民が、1年も経たないうちに「大きな成果」を期待して、支持率の低下という形で「失望」を表明する。もう少しスローに物事を見られないものか、と思うが、迷走する社会はそんな時間の余裕がないのかも知れない。

迷走する現代社会(2)

2010-01-23 16:21:41 | 近況
 この頃のニュースやワイドショーを独占している「政治とカネ」の問題、就中「小沢民主党幹事長VS東京地検特捜部」という問題ほど、「現実」を置き去りにして、何が「正しく」何が「正しくない」のか、全く不明のまま、マスコミ・ジャーナリズム主導で事が推移する、まさにネット時代に相応しい「バーチャル」なせかいをこれまでかこれまでかと見せつけている話題はないのではないか、と思えてならない。
 何しろ、政治資金規正法に乗っ取り、政治資金を「正しく」記載したかどうか、という多くの識者が言うように、これまでは「記載漏れだから、書き直します」ということで済んだ案件について、最初から「小沢幹事長は悪の権化だ」とばかりに、何が何でも「法の網」を被せて何らかのペナルティーを課すのだ、とばかりの勢いで検察当局は動き、3人の秘書(その中の一人は現職の国会議員)を逮捕するに至ったが、この間の一連の「騒動」を見ていると、真の権力者(検察当局)が自分の地位が脅かされるかも知れないという懸念から(政治権力を「官僚」やそれに連なるものから国民に選ばれた「政治家」に取り戻す、というような動きに脅えて)、表層的には「権力者=実力者」と見える人間(小沢一郎)を「本当の権力」を握らないうちに葬ってしまおう、としか考えていないのではないか、と思えてしかたがない。
 どうも「胡散臭く」思えるのである。家人など、この「小沢問題」がテレビで報じられるために、「気分が悪くなる」と言って、チャンネルを変えるか、テレビを消してしまう。家事と子(孫)育てで忙しい家人は、テレビはのんびりするために見る物、と割り切っているので、もちろん普通のニュースなどは見るのだが、この「小沢問題」には余程うんざりしているようで、件のような態度をとるのである。たぶん、彼女は、検察の「家宅捜索」や「秘書3人逮捕」などというおどろおどろしい検察のやり方に、何か「おぞましいもの」を感じているのではないか、と思う。
 学生時代「無頼派」の坂口安吾について卒論を書いたからというわけではないともうが、家人は普通の人と同じように警察や検察という存在自体が「権力」そのものであるものからは、いつも距離を置きたがっている。この家人の気持ちは当たり前と言ってしまえばその通りなのだが、どうも最近の検察の動きは、「権力」を剥き出しにしたもの、と映じるのだろう。特に昨日など、「足利事件」の菅谷さんが再審裁判の法廷で自分を「冤罪」に陥れた検事と直接対峙し、謝罪を迫ったのに、元検事ののらりくらりと「弁解」に終始しつづける姿を見せられると、余計権力=検察・警察の「恐ろしさ」を感じざるを得ない。
 果たして「小沢問題」はどのような決着を見せるのか? 事情聴取に応じた小沢一郎に対して検察はどのように対処したのか?冷静に見守っていたいと思う。

迷走する現代社会

2010-01-17 10:27:58 | 近況
 昨日、野暮用があってある公立の文学館関係者にあって昼食を共にしたのだが、文学館の現状について、あれこれ「愚痴」めいたことを聞くことになった。昨今の文学館が、公立の図書館や美術館、あるいは博物館などと同じように「経費削減」を旗印に、「文化」などには全く関心のないお役人や議員が、「運営予算」の学だけを問題にして、事業規模の縮小や図書(資料)購入費の削減を主張したり、人件費削減ということで学芸員や館の職員を減らそうと躍起になっている様については、これまでにも知り合いの関係者からよく聞いていたのだが、近頃その傾向はますます強まり、本音を言えば「もう、やってられない」ということであった。
 このような「地方(の文化)が危機的な状態にあることと裏腹に、中央(民主党政権)では「コンクリートから人へ」が政権の「売り」にしている民主党の「迷走」ぶりがこの頃目立つ。「コンクリート=箱物」どころではなく、文学館や図書館といった「文化・文学」の情報発信基地において「人=学芸員や職員」が削られる現実、これはこの社会がいかに「病んで」いるかを如実に物語る事態だと思うが、1国の宰相が母親から月に1500万円(1日に50万円)をもらい、実質的な指導者といわれる人が何億もの金で「秘書の宿舎」用に土地を買い、建物を造る現実を知ると、数千万単位の文学館や図書館の事業予算が減らされたりしていることとの「落差」を思い、暗澹たる気持にさせられる。
 半年前、国民は「新しい社会」になることを望んで、「政権交代」を実現したはずである。しかし、鳩山政権の有り様は、この国の「現実政治(リアル・ポリティックス)」が戦後64年間続いた「保守政権」と構造的には全く変わらないことを明らかにするものであった。「数は力」というのは、小沢一郎民主党幹事長が尊敬する元首相の田中角栄の哲学(政治信条)だったというが、「二大政党論」の提唱者・主導者の小沢一郎がやっていることは、まさに田中角栄と同じ「数は力」で現実政治を領道していこうとするもので、悲しいかな、民主党の本質(思想)が自民党(=保守本流)と何ら変わらないことを自ずと明らかにするものに他ならないものである。
 半年前「国民」が「政権交代」で望んだものは、そのような「保守党」と同じ轍を踏むような政治ではなかったはずである。余りにもロマンティック(センチメント・とっちゃんぼ坊や)過ぎて口にするのもはばかれるが、鳩山首相の「友愛」がもしも1789年のフランス革命時に言われた「友愛」と同じものであるとするならば、それは大まかを承知で言えば、「王様・貴族・一部の金持ち」の存在を否定し、社会的富を「市民」に分配する思想であったはずである。それなのに、21世紀の「友愛」は、何億という金に全く「鈍感」な政治指導者が「仲間をかばう」もの、つまりその「友愛」は「(貧富などの)格差」を解消するものではなく、情けないことに自分たちの立場が安泰であればいいという「ジコチュウ」的なものになってしまった、と国民に知らしめるものになってしまった。
 もちろん、一見「中立」で「正義の味方」のように見える検察や警察が、全て「正しい」わけではないことは、本質的には検察や警察が「権力」を守るために存在し、また足利事件などの「冤罪事件」を一つとっても明らかだから、その点では今回の小沢一郎を狙い打ちにした「政治資金規正法」違反による秘書3人の逮捕も、本当に正しいやり方だったのかどうか、ある新聞でコメンテーターが、今回の事件は「官僚=霞ヶ関」VS民主党政権だというようなことを言っていたが、穿った見方をすれば、案外的を射た意見なのではないか、と思った。「政治は伏魔殿」という言い方があるが、どこまで透明度が実現するか。
 それにしても、国民の支持を得て国会議員になった民主党の新人議員及び旧社会党に所属して議員たち、国民の期待を裏切って、このまま黙っていていいのか。もし検察のやり方に批判的ならば、堂々と小沢擁護の発言をすればいいので、沈黙は己の立場を危うくするものだ、と知るべきである。

ボーダーレス時代における「民族」

2010-01-13 08:52:17 | 文学
 先週、ある新聞の文化部から電話があって、今度の芥川賞候補作になっている「ボーダー&レス」(藤代泉)についてどういう意見を持っているか(芥川賞を受賞すると思うか)、等々について聞かれた。第46回文芸賞を「犬はいつも足元にいて」(大森兄弟)と共に受賞した本作は、たまたま入社した会社に「在日」がいて、いつのまにか友達になり日々を過ごすようになった、という作品であるが、電話取材で聞かれたのは、僕が『<在日>文学全集』(全18巻 勉誠出版刊)を名古屋の磯貝治朗氏と共に編集した関係で、在日文学に詳しいだろう思われてのことであった。
 確かに、在日作家の李恢成とはかなり親しく、金石範さんや梁石日さんなどとも親しくさせていただいているということもあり、普通の批評家や近代文学研究者(大学教師)などよりは在日文学について詳しいと言えるかも知れない。しかし、文化部記者が一番に聞きたかった「日本人が在日に対して、この作品のように民族の壁を越えて接するような作品がこれまでにあったか。もしあったとしたら、それらの作品と本作との著しい違いは何か」については、丁寧に(くまなく)戦後文学作品を読んでいると言えない僕としては、記憶にある作家と作品を頼りに、記者の質問に答えるしかなかった、ということがある。
 戦後文学史において、日本人と在日朝鮮人・韓国人との関係を作品の主要な柱としていたということでまず第1番に思い出すのは、3年前になくなった小田実である。彼は17歳の時に発表した『明後日の手記』(51年)やその後の『わが人生の時』(54年)にはじまって、遺作(中断)となった『河』(3巻 07年)まで一貫して主要な作品に「在日」を登場させ、日本人と在日(本国である北の朝鮮人・南の韓国人)との「連帯・共闘」の可能性を探ってきた。
 他に記憶しているのは、小田実より上の世代に属する井上光晴が、長崎の炭坑で働いた経験を生かした作品、例えば『虚構のクレーン』や『心優しき反逆者たち』の中に在日を登場させ、彼らがどのような歴史を持ち現在を生きているか、を小田と同じように日本人と在日との「連帯・共闘」を探る形で描き出してきたことである。また、地味な作家だが、朝鮮半島で生まれた「新日文」系の作家である小林勝も自らの体験を生かして日本人と在日との複雑な関係を作品化してきた。そう言えば、大江健三郎の『同時代ゲーム』(81年)にも、在日が重要な役割を担って登場していた。
 小田にしろ井上光晴にしろ、戦後文学の作家が在日を作品の中に登場させる源流は、かの有名な「革命運動」の同志たる朝鮮人への呼びかけ(「辛よ さようなら 金よ さようなら」)で始まる中野重治の詩「雨の降る品川駅」(1929年)にある、と僕は思っている。ざっくり言ってしまえば、戦後文学史の中での在日の位置は、日本人と「共生」することによって反権力の可能性を探る存在、と言うことになるだろう。
 そんなことを考えた上で今回の『ボーダー&レス』を読むと、日本人が在日を差別しているという現実に踏まえて作品が書かれていることは、これまでの作品と枠組みとして変わらないと思うが、この作品に「新しさ」があるとすれば、戦後文学者たちがその可能性を探った「連帯・共闘・共生」ということは、基本的に不可能なのではないか、ということから出発しているということだろう。つまり、「連帯・共生」などが不可能だということを知った上で、なおかつ「人間」としてどのような付き合い方が可能なのか、を問うている作品ということになるのではないか、ということである。
 なぜそのように言えるかというと、この作品には主人公が在日と付き合うというメインテーマの他にサブテーマとして「恋愛」が描かれていて、作者は男と女も根本的には理解できない関係しか結べない、と言っているように読めるからである。いかにも現代社会を象徴しているように、主人公にとって在日との関係も女性との関係も同じ、というのがテーマになっているようで、僕としては「悲しいね」としか言えないが、表面的な「優しさ」の裏に隠された「硬質」な資質は、久々に読み応えのある小説だなと思った。
 作者は筑波大学(人文社会系)の卒業生という。もし彼女が芥川賞を受賞すれば、青山七恵に次ぐ受賞者となるが、果たして結果は堂だろうか。結果は確か、狂発表のはずだが。 

本は売れていないのか? 「純文学」の危機

2010-01-11 09:17:05 | 文学
 先週の金曜日、『立松和平全小説』(全30巻 勉誠出版刊)に関わって、「週刊読書人」に掲載される著者の立松氏と巻頭対談を行った。時間は2時間余り、話題は件の『全小説』の関することだけではなく、現代文学の現状にまで及び、なかなか面白いものになった――これからテープ起こしが行われ、立松氏と僕の「校正」があって、発売は2月12日号になるという。「週刊読書人」は多くの公共図書館や大学図書館で定期購読されているので、是非読んで欲しいと思う。『立松和平全小説』の内実について、著者本人が語っていて、結構面白いものになったのではないか、と思っている。
 それとは別に、昨年末に地元の「上毛新聞」に「最近の文学出版の傾向」(仮題)というような内容で原稿を頼まれていたものをこの連休2日で書いたのだが、先の立松氏との対談で話題となった「本=小説(純文学系の)が売れない」という「週刊読書人」と勉誠出版の編集者を交えた話に引きずられたのか、現在の「文学」出版の現状が「売れない純文学系」と「売れるエンターテイメント系(ケータイ小説やミステリー、ホラー小説、など)に二極分解している現状について触れることになった。この「上毛新聞」の記事については、いずれこの欄で紹介するつもりであるが、対談に触発されたとは言え、文学出版の「二極分解」について触れたのは、今あちこちのマスコミ・ジャーナリズムで取り上げられている大江健三郎の最新作『水死』(09年12月 講談社刊)が、話題になっている割には売り上げということでは苦戦している、ということが巷間伝えられていることを知ったからであった。
 この大江さんの『水死』については、僕も北海道新聞に「書評」を頼まれているので(15日が原稿締め切り。これもまた新聞に掲載された後に本欄で紹介したいと思う)、もうすでに読んだのだが、この書き下ろし長編は、僕個人としては最近の大江文学における頂点の一つを示す大変優れた小説だと思っている。にもかかわらず、商売としては版元が期待するような部数売れていないという。昨年の『1Q84』(村上春樹)が、発売数ヶ月で上下合わせて220万部を超えるという信じられないような売り上げを示したばかりに、他の作家が割を食った感じがしないでもないのだが――先の立松氏との対談で氏が言うには、ある出版社では5万部売れても、在庫を作りたくないので残りは断裁し、結果読者からの注文について「品切れ、在庫なし、再版予定なし」状態にしてしまう、という――、いくらノーベル文学賞候補の作家であり、巧みな販売戦略が成功したとはいえ、220万部(何と印税だけで約4億、その他に韓国での翻訳権が1億4千万、等々、この作品だけで途轍もない収入を村上春樹は得た)という売り上げは、「お化け」である。
 もちろんそんなことが文芸出版の「基準」や「常識」にはならないと思うが、自分の作家論や評論集などがせいぜい数千部しか売れない現状を鑑みると、何とも寂しく、また悲しくなる。昔大江さんと話をしているときに、「純文学の読者はどこの国でも3000人ぐらいしかいないのではないか、そしてそれだけの数いればその国の文化は健全と考えていいのではないか」と言ったことがあり、僕などその大江さんお言葉を頼りに仕事をし続けてきたとも言えるのだが、それにしても純文学の読者が少ないということは、小説という芸術が「もう一つの世界=他者の生き方」を提示するものであるという前提に立てば、この社会が「セル=個」化し、他者への関心=好奇心が希薄化した社会になったということであり、それはまたこの社会が「停滞」していることを示しており、「危険」な状態にある、ということではないかとおもうが、どうだろうか。
(実は、これと同じような記事を立松氏と対談する前に書いたのだが、またまた失敗して、原稿が何処かに飛んでしまい、我ながら自己嫌悪に陥り、現在になったという次第です)

有為転変は世の習い?

2010-01-03 18:29:18 | 近況
 今年は、元旦、2日、3日と連日配達された年賀状の中に「宛先不明」のゴム印の押されているものがかなりあったり、「長い間の厚情ありがとうございました。来年から新年のご挨拶を遠慮させていただきます」というようなものもあり、どうも世の中は僕が考えているよりも休息に「変化」しているのではないか、と思わざるを得ず、よく目を見開いて物事の推移を見ていかないとダメなのではないか、と痛感した。
 「宛先不明」で返ってきてしまった賀状を見て、昨年の賀状に書かれていた住所を元に宛先をパソコンに入力してくれた家人も、「えっ、この人も」と驚いていたが、このようなことが起こった原因は二つあり、一つは「転居通知」が届いていたのに宛先を変更していなかったことである。ただし、これは少数派で、大方は「転居通知」を頂いていなかったために返却されたのである。これらの人の中には4日以降に賀状が届くという人もいるかも知れないが、寂しいことだが、これで「縁切り」にしたいという思いがあって、ということも想定される。人間関係には本質的にそのようなことが起こるものなのかも知れないが、しかし、今年に限ってその数が目立つほど多いというのは、どういうことか。
 今日は、事情があってケア・ホームに入居している義母に新年の挨拶に行ったのだが、元高校教師の義母にはそのホームに入居する前は数十通の賀状が来ていたのに、今日見せてもらったのは家人が出したものや孫のものを含めて7通ほど、それだけ交友関係(人間関係)が少なくなった=狭くなったと言うことなのだろうが、やはり寂しい思いもしないではなかった。今年の7月で87歳になる義母、旧制の高等女学校や専門学校(現女子大)の友達が次々と亡くなった話もその時に出て、それが人間の「運命」とはいえ、古代中国人が「不老不死」の薬を求め続けてきたのも、何だか分かるような機がした。
 それだけ僕が年を取ったということなのかも知れないが、先の「宛先不明」の賀状について思い起こせば、返却された賀状の宛先人は離婚したという噂があったり、また別な人は転職したという話もあり、更には重篤な病気になり子供のいる地域で入院生活をしているとか、我が身はほとんど「変化」がないように見えるが、社会全体は相変わらず「有為転変」を繰り返しているのだ、と改めて考えざるを得なかった。
 そんな世の中にあって、微力な自分に何ができるのか。今日までで我が家の暮れから正月にかけての「行事」――僕の仕事は、家の周りの片付けと、大晦日に友人・親戚宅4軒(自分の家分も入れると5軒分)に僕が打った「年越しそば」を「つゆ」付きで届けること、及び2日に長男(僕)宅に集合する兄弟耶蘇の子供達のために、やはりそばを打つことで、今年は2回のそば打ちでそば粉を5キロ使った。――が終わったので、一度元旦に考えたことだが、どうも世の中は僕が考えているのとは違う方向に動いていきそうなので、今晩じっくり再考し、今後の指針を定めようと思う(それというのも、これも賀状絡みなのだが、何十年も信頼していた人の賀状に意外な黒古評が書かれていてショックを受けた、といことがあったからでもある。その文面によって、これまで不可解に思っていたことが「そうだったのか」と納得させられた、ということもあった。彼は酒によってついつい「本音」を書いたのだろうが、いやーな気分になったことは確かである)。
 ともあれ、しんどいかも知れないが、マイペースで自分や自分の周りの人には「正直」に対処する生き方をしたいものだと思う。それが最も「有為転変」の世の中に対する有効な方法のではないか。

明けましておめでとうございます。

2010-01-01 14:47:48 | 近況
 朝の7時過ぎ、我が家のある関東地方北部は雲一つ無い青空で、きれいな茜空を伴った「初日の出」を見ることが出来ました。
 昨夜来、つまり大晦日の夜9時から元日の夜中(2時近く)まで、自治会の役員として「初詣客」を迎えるための準備などで地区内の御霊神社に詰めていたので、今朝はことのほか朝寝坊せざるを得なかったので、幸いきれいな「初日の出」を見ることが出来たというわけである。
 それにしても、この地区に住むようになってから38年近く経つのだが、初めて地区役員(以前は区会議員と言っていたが、今は自治会役員)を引き受けて――順番なので引き受けざるを得なかったということもあるが、平成の大合併を経験したこの地区がどのように地域の「伝統」を守っていくのか興味があ裡、それで引き受けたということもある――、結構面白いことがあって、僕なりにこれまで勤勉に役職をこなしてきた。
 昨夜は、9時に集まって、初詣客用に用意された「抽選会」の商品(お酒、卵20個と10個、トイレットペーパー1パック、ティッシュ1箱、空くじなし)に等級を付け、のし紙を貼る作業を行い(他に、婦人会の人たちは甘酒を造り、参拝者にサービスをする準備を行った)、手の余った人は境内4個所に設けられたドラム缶でたき火を行った。参拝客は(たぶん)NHKの紅白歌合戦が終わった11時40分過ぎ頃から三々五々集まりだし、近くのお寺が打つ除夜の鐘の音を聞きながら本殿前に並んだり(順番を待ったり)、たき火に当たりながら、参拝の始まる12時が来るのを待っていた。
 面白いなと思ったのは、この神社の初詣の仕方は、基本的には各地の神社のそれとほとんど変わらず、「甘酒サービス」や「抽選会」(空くじなしだから、初詣のおみやげ)は単なる「付け足し」で、初詣の人たちはそれぞれお賽銭を投げ入れ、鈴を鳴らし、熱心に「願い事」をしていた。
 初もで客を迎えるために集まった人たちは、区の役員、婦人会役員、それに神社の氏子代表たち、総勢30数名であったが、普段地区の人たちと接触する機会の少ない僕としては、たき火に当たりながら、また賞品に等級を貼り付ける作業などを通じて話される人々の話は、大変面白かった。話のほとんどは僕の知らない地区内の人々の動向であったが、そのような話の合間に鳩山内閣の評価やら落選した議員が今どうしている、などというようなことも話題になり、新聞やテレビの影響が大きいのだろうが、「政権交代」への期待が大きかったが故なのか、現在の民主党主導の政治には厳しい目を持っていることが知れ、これが正直な庶民感覚なのだろうな、とおもった。
 ただ、もう一つ気付かされたのは、当たり前と言えば当たり前だが、普通の人々が持っている「保守体質」は「健全」なもので、先の総選挙で自公政権が敗れたのは、彼らがおごり高ぶって、庶民の持つ「健全な保守体質」を舐めきっていたからに他ならない、ということである。彼らは目の前の生活がどうなるのかに最大の関心を持っているのであって、そのことを無視した政治は「傲慢」としか思われず、そのことに気付かない政党は負ける、ということである。たぶん、小沢一郎という政治家は、「豪腕」だとか「策士」だとか言われているが、実はそのような庶民感覚を最もよく知っている政治家なのではないか、と思った。もちろん、だからといって僕は小沢一郎のやり方を支持しているわけではない。彼の金銭感覚や「日本主義」には、賛同できないだけでなく、嫌悪感すら持っている。

 長々と昨夜来の出来事に端を発し、いろいろ書いてきたが、今年我が生活はどうなるのか、を考えると、まず今年は来年3月の定年を控え、大江健三郎ではないが、「最後の仕事」ではないが、とりあえず定年を機に「中仕切り」をしようと思っている。具体的には、現在刊行中の「立松和平全小説」の全巻解説を中心に約束した幾つかの本の執筆をしながら、「黒古一夫書誌」を作成する、ということになる。これは、1月に出る「黒古一夫書評集」をまとめる際に、最初の自著「北村透谷論―天空への渇望」(冬樹社刊 70年4月)から30年、年に平均して30~40本の原稿を書いてきた足跡をまとめてみよう、と思ったことがきっかけになっている。自著、共著、編著、監修本、論文、エッセイ、書評、ずいぶん仕事をしてきたな、という実感があって、一度まとめてみるのも悪くないな、と思ったのである。これができれば、「次の30年」(欲張りか?)の目標も定まってくるのではないか、と思っている。
 完成したら報告するので、関心のある方はご連絡下さい。
 以上が、今年の抱負と言えば豊富です。
 どうぞ皆さんもお元気でお過ごし下さい。