黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

転換期なのか?(2)続き

2011-11-29 05:56:02 | 近況
 狂騒の1日が過ぎ、各マスコミ(新聞やテレビ)は一斉に「大阪ダブル選挙」における橋下徹(大阪維新の会)の「圧勝」の意味をそれぞれ開陳したが、全てのマスコミに目を通したわけではないが、僕が知る限りでは、僕が「危惧」することに応えてくれるようなコメントは一つもなかった。各マスコミは、あたかも「報道」というものが本来持っている「批評精神」を忘れてしまっているかのようで、そのようなマスコミの在り方もまた現代が「転換期」を迎えていることの証でもあるのではないかと思うが、そのことは今措くとして、僕が橋下徹(大阪維新の会)の考え方とやり方及びそのような政治組織に多くの支持を与えた大阪府民・大阪市民に抱いた「危惧」、それは以下のようなものである。
 まず、あの小泉郵政改革の時に用いられた「ワンフレーズ政治」、つまり「大阪を変えるのか、変えないのか」という一言によって、「二重行政の無駄を解消する」という美名の下、「経済=実利」と「競争原理」(資本制社会における原理でもある)、従って「弱者切り捨て」を基本とする「大阪都構想」を看板に、大衆を扇動するやり方、これは混迷する現在の社会状況では非常に「大衆受け」するもので、これはまた橋下(大阪維新の会)なら何かやってくれるのではないか、という期待値を高くするものだったのだと思う。
 しかし、昨日も書いたように「小泉改革」が結果的に惨憺たる状況をもたらし、それが「政権交代」につながったように、あるいは戦前の「昭和維新」運動が最終的に中国大陸への侵略を進め、国内的にはファシズム的な体制を強化したように、さらに言うならばドイツのヒットラーが登場し、その結果ヨーロッパ全土を戦渦をもたらしユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)が起こったように、「強権」を表に出した政治は結果的には決して国民(市民)のためにならず、国民(市民)を「苦」を強いるものであること、そのような文脈で橋下徹(大阪維新の会)の「政治」を捉えなければならないのではないか。橋下徹(大阪維新の会)を応援した石原慎太郎東京都知事をはじめ「そのまんま東」、渡辺嘉美「みんなの党」代表などの顔ぶれを見れば、いずれも「権力亡者」としか思えない人たちで、それだけでも僕など橋下徹たち「大阪維新の会」が以下にうさんくさいものであるか、と思ってしまう。石原慎太郎の「橋下徹の暴走は俺が止める」といった主旨の発言によく現れている「権威主義」「権力意識丸出し」を喜んで受け入れている橋下ら「大阪維新の会」の存在は、何とも得体が知れない。
 橋下徹は選挙に勝利した後に、国会議員が「大阪都構想」に賛成しなければ国政に打って出ると息巻き、内に「小沢問題」を抱えて政党の体を為していない民主党を始め、支持率が一向に上がらない自民党、「風見鶏」的に大衆を扇動してきた公明党、などの既成政党が橋下の「恫喝」に戦々恐々としている様は、軍部の暴走を止められなかった「昭和維新」時代を思い出させ、やはりこのことも現代が「転換期」であることを実感させてくれる。
 また、ファシズム(独裁主義)が大衆迎合主義と共にやって来るというのも、ドイツにおけるナチズムの台頭、1930年代における日本型ファシズムの進行過程などを見れば歴然とすることだが、橋下徹(大阪維新の会)が「フクシマ」が起こったとき、代替(自然)エネルギーのことなど全く触れないまま、いち早く「脱原発」を唱え(それはそれで正しい。しかし、橋下らは「脱原発」を実行することができるのだろうか。維新の会を構成するメンバーの大部分は、「原発推進」に熱心だった自民党議員だったということを考えれば、橋下の言う「脱原発」も怪しいものだと思わざるを得ない)、これもまた「大衆受けする(人気取り)」パフォーマンスを行ったが、橋下が当選後繰り返し「民意(選挙結果)に従えない市役所職員、教員は即刻辞めてもらう」という発言に見られるような、「バラ色の未来」を振りまきながら、その衣の袖の下から「弱者=反対は切り捨て」という本音を吐く、彼(大阪維新の会)には「40パーセント」以上の反対票が存在したことをどう考えているのか。結果的に「40パーセント」の民意を無視してファシズム的な政治を推し進めていくのだろうが、少数派を尊重するという民主主義のルールを投げ捨ててまで橋下徹が断行しようとしていることを想像すると、末恐ろしいことになる。
 おそらく、本には否定しているようだが、橋下の「野望」は、国会で主導権を握るまでに勢力を拡大して「首相」になることだろうと思うが、「橋下徹総理大臣」が行うファシズム的な政治を想像すると、何としてもそのような「野望」は阻止しなければならないのではないか、と痛切に思う。まずは、大阪文・大阪市民、そして次の国政選挙に70人ほど立候補させるつもりだと言われた関西圏の人々の「良識」に頼りたいと思う。
 しかし、「憂鬱」な思いは消えない。


転換期なのか?(2)

2011-11-28 05:51:29 | 近況
 昨夜、久し振りに蕎麦を打ち、夕食としたのだが、その蕎麦を食べながら臼ぼんやりと見ていたサッカーの日本ーシリア戦の画面に「開票率0だが、大阪ダブル選挙、維新の会圧勝」のテロップが入った。マスコミ報道によって、ある程度予想していたことだが、「大阪維新の会(橋下徹)」の政治に小泉郵政改革と同じような「危うさ」と「危険なもの」、つまりポピュリズム(大衆受けする政治)とファシズム(「大阪都構想」を実現するためには「独裁」的な政治を行う、という考え方に象徴される)が持つ反民主主義的=劇場型政治に危機感を覚えていた僕としては、最後の最後になって「反維新の会」勢力が勝利するのではないか、と微かな希望を持っていたのだが、結果は何ともやりきれないものになった。
 もちろん、今回の大阪ダブル選挙でも問題になった、国が独占的に所持している権力(権限)の一部を「地方」に分散するという、いわゆる「地方主義」は悪いわけではない。現在のような何もかも「中央」が権力を掌握している状況、つまり現在の中央集権的な政治の在り方は、いろいろ指摘されているように国民の全てがあらゆる場において「利権」にぶら下がるような状況は、決して安穏と見過ごしていい政治の在り方とは思われないし、北は北海道から南は沖縄まで、それぞれの特長を生かした「政治=権力・権限」が行われる必要がある、と思っている。
 しかし、「大阪維新の会」がとりあえず行おうとしている「都構想」というものが、大阪府と政令都市大阪市による「二重行政の解消」という美名の下で、「職員基本条例」や「教育基本条例」を敷くという意思、とりわけ公立学校の教員を「悪い教員」「いい教員」に選別し、「君が代・日の丸」の強制→処分を自由に行えるようにする「教育基本条例」の制定から透けて見えてくるのは、戦前の教育行政を思い出させる「ファシズム」的な政治に他ならない。
 ここで思い出すのが、橋下徹が大阪府知事に当選した時に行った「行政改革」「財政再建」という、やはり美名の下で大阪万博の跡地に造られ、貴重な日本の「児童文化」資料を保存(収蔵)し、多くの研究員(学芸員)を抱えていた「国際児童文学館」――僕も何度か調べ物があって訪れたことがある――を潰したことである。橋下徹は、「金がかかる」ということで、そこにあった「資料」などは大阪府中央図書館に移管したのだが、彼は「文化」や「教育」を経済的な側面でしか考えない典型的な政治家で、国際児童文学館を廃止しただけで万死に値すると僕は思っている。「文化」や「教育」を目先の利益(実利)でしか考えないようになれば、短期的にはともかく長期的にはマイナスが大きくなるのではないか、と思う。選挙の終盤で、体質のよく似た石原慎太郎東京都知事が橋下徹(大阪維新の会)の応援に駆けつけたようだが、石原慎太郎が東京でしていること(やってきたこと)を考えると、それは決して「人間」を大事にする政治ではなく、いつの時代でも閉塞する状況の中から生み出される「英雄待望論」に乗っただけで、「教育の統制=君が代斉唱・日の丸掲揚の強制」に象徴されるような「全体主義」的政治であることを考えると、大阪府民・大阪市民の今度の「選択」は果たして本当に「正しかった」のか、正直疑問に思わざるを得ない。
 ただ、「大阪維新の会」が権力を握った大阪、これからどのようになるのか分からないが、「小泉改革」というものが結果的に「格差社会」を増長させ、人々の間から「共同・協同」の精神を奪い、ぎすぎすした社会しか生み出さなかったことを思い出すと、橋下徹の「維新」もまた、残骸だけを残す「あだ花」的なものではないかとも思うが、それでもやりきれない気持をおさえることができない。
 それにしても、民主党も自民党も(自主投票を決めた=逃げをうった)公明党も、そして橋下徹(大阪維新の会)に真っ向から挑んだ共産党も、既成政党が事の本質を見失い「政局」絡みでしか今度の「大阪ダブル選挙」を考えず、その基盤の弱さ、存立の意義に疑問が呈されるような事態になったこと、まさに現代が「転換期」を迎えていることを如実に物語るものだと思うが、そのような危機感が一向に感じられない今朝の各政党の「コメント」、これもまた憂鬱の種、絶望の種なのだが、とりあえず、僕らは警戒心を持ちつつ、大阪府民、大阪市民の動向(今後)を見守るしかないのかもしれない。

 というような状況を迎えている中で、先週は放射能汚染を心配しつつ(前橋市の放射能の線量は大変低い)、恒例の「沢庵付け」のための大根抜き→大根干しをやり、拙著『辻井喬論―修羅を生きる』(論創社刊)の「再校ゲラ」に時間をかけ――何度見ても「著者校正」は、文章を読んでしまうので転換間違いやテニオハの「誤り」が出てしまい、時間が掛かる――、また、少し遅くなったが、今週半ばに「見本」ができる『ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ―核時代を考える』(勉性出版刊)のマスコミ用謹呈リストを造ったり、それなりに忙しい日々を過ごしていたのだが、年末に相次いで僕に関係する本が2冊出ることになって思うのは、出版界もインターネットの普及によって、もしかしたら「出版不況」を通り越して、僕らのようなアナログ続を取り残すような「転換期」に、完全に入っているのかも知れない、ということであった。
 未来が「(堅い)本を買わない」社会になって本当に「人間」は生きていけるのか、これまで営々と築いてきた「文化」はどうなるのか、不安を感じた1週間であった。

「転換期」なのか?

2011-11-23 05:44:58 | 仕事
 「本が売れない」という言葉は、今や出版社(編集者)の口癖のようになっているようだが、実態はどうなのか。確かに「今年は電子本元年」などと言われ、iPadやスマートフォンの普及と共に、多くの書籍が電子本化され、結構それらが読まれている、という「現実=事実」もあるように感じられる。
 しかし、本当に「読書」はiPadやスマートフォンで行われているのかということになると、電子本化されている本の多くは、「アニメ」や「エンターテイメント系」、あるいは何年か前まで異常に騒がれた「ケータイ小説」の類で、学術書はもちろん「純文学」系の小説や評論などは全く電子本化されず、ということは「読まれず」、「本が売れない」ということの実態は、実はそのような電子本化からはずれた書籍が、電子本化によって読まれなくなった(売れなくなった)「エンターテイメント系」の書籍と一緒になって、売り上げを激減させている、つまりiPadやスマートフォンで電子本を読む場合も「課金」されるので、他の課金されるゲームや有料サイトに使われる費用のことも考えると、その総費用は馬鹿にならず、学術書や「純文学」系の本など買う余裕がなくなっている、というのが現実ではないか、と思われて仕方がない。
 そう言えば、時たま上京する際に乗る電車の中の風景も様変わりしていて、かつては多くの若者(だけではなく、だんだん年齢層が広がってきていた)は漫画本を、また中年男性や女性の多くは文庫本や単行本を読んでいる光景をよく目にしたのであるが、最近は漫画本や文庫本を読んでいる人はごく少数で、老若男女の多くが携帯電話(スマートフォン)とにらめっこし、コンパクトなゲーム機に没頭している。そこで、「本が売れない」という現実を目の当たりにするというわけだが、このような光景を連日目の当たりにすれば、「電子本元年」などということを通り越して、もしかしたら僕らの「文化・文明」がネットの普及のよって「転換期」を迎えているのではないか、と思えてしまう。
 それほどに「科学」の発展にはすさまじいものがあるのだが、僕が今回この欄で言いたいことは、その「電子本」のことだけではなく、電子本の「普及」に絡んで、今僕が次の本の準備ということで取り組んでいることの一部分なのだが、「戦後文学者は原発にどのように対処してきたか」ということを巡って調べていて、前から薄々は(個別作家に関しては)知っていたのだが、戦後文学史の流れと原発との関係を調べていく内に、明らかに「転換期」というものがあったのではないか、物事には何でも「転換期」があり、そのような「転換期」の存在に気が付かない批評や思想、つまり文学史的・思想史的な発想がない批評や思想は、僕がこれまで書いてきた批評も含めて、いずれ消えていく運命にあるのではないか、ということである。
 例えば、古い話になるが、戦後文学を代表する野間宏が、「ビキニ事件」(沼津漁港所属の第5福竜丸がビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で被曝し、乗組員の久保山愛吉さんが原爆症で亡くなった事件)直後の1950年代の半ばに、当時日本共産党員であったということもあって、「ソ連が原子力発電所を完成させた」というニュースに接して、(その前年にソ連がセミパラチンスク(カザフ共和国)の核実験場で数メガトンの水爆実験を行ったというのに)「ソビエトの原発は無限の幸福をもたらすもの」と言明している事実に接すると、後に「反原発」の思想を持つようになったということを知っている僕としては、何とも複雑な気持ちにさせられてしまう。
 また、野間宏とは別な意味で戦後派文学を代表する作家の一人武田泰淳が、東海村に実験用原子力発電所ができた後の1957年に、東電からの招待で「中央公論」の担当編集者と東海村の原発を見学して『東海村見物記』を書き、野間宏と同じように原発に「未来」を見るというようなこのルポルタージュを見ると、これまた何とも言えない気持にさせられる(武田泰淳が東電から招待されてこの『見物記』を書いたのも、それより以前に『第一のボタン』という原発を舞台にした近未来小説を書いていたからと思われる。当然、原発を肯定した上でこの小説は構想されている)。もちろん、その後武田泰淳も八〇年代になると、「反原発」に転じている。
 このような、「時代(政治)と人間(文学)」との関係を真摯に見つめ、時代のオピニオンをリードする知識人・文学者さえも「時代の趨勢』には逆らえず、「核の平和利用が未来を切り開く」といった言説に象徴される状況の大勢(体制)に追随してしまう事実に接すると、余程目を見開いて状況(時代)の行く末=つまり現在が「転換期」であるか否かを見つめていないと、「状況=大勢」に流されてしまうのではないか、と自戒を込めて痛感する。
 そこで、僕は現在はまさに「東日本大震災」と「フクシマ」があったということを踏まえて、「大転換記」なのではないか、これからはそのような観点から時代と人間の在り方を考えて(見て)いかなければならないのではないか、と思っているということを言いたいのだが、皆さんはどうだろうか。

自衛隊の存在意義を問う

2011-11-20 10:55:37 | 近況
 たぶん、今や「自衛隊」に存在について云々することは、「本土」においてタブー視されているような感さえするが、東日本大震災や「フクシマ」における「災害出動」という「美名」の陰に隠れて、どうも最近の自衛隊の動きは「危険水域」を超えているのではないか、と思えてならない。言い方を換えれば、東日本大震災や「フクシマ」を隠れ蓑にして、いよいよ「自衛隊の海外派兵=侵略的行動」を本格化させようとする動きが活発になってきているのではないか、ということである。
 例えば、「内戦状態」が続いている(と報道されている)南スーダンへのPKO活動という海外派兵を決められ(「海賊対策」という名でスーダンへはすでに自衛隊は派兵されている)、昨年あたりから本格化したのだが、今年もこの11月10日から10間(今日まで)の予定で、「離島防衛強化演習」が、九州・沖縄地区に展開している自衛隊を中心に、米軍支援の下、全国規模の動員が行われ、西南諸島(沖縄の離島)を舞台に行われた。どのくらいの「カネ=予算」を使ったのか分からないが、その動員費用と使った実弾や燃料などの経費を数えれば、数百億円規模になることは間違いない。
 しかし、考えてみて欲しい。今時「離島防衛」などということが、本当に成立するのか。おそらく、「離島防衛」という名で行われる演習は、空軍(航空自衛隊・米空軍)と海軍(海上自衛隊・米軍海兵隊)に支援された「敵前上陸」であろうから、それはいつか「憲法」が「改正」され、「専守防衛」の足枷が取れたとき(あるいは、そんなこと関係なく、自衛隊が暴走してシビリアン・コントロールを無視して他国を侵略しようとしたとき)のことを装幀しての「演習」なのではないか、と思わざるを得ない。確かに、東日本大震災に際しての自衛隊の「災害出動」は、日本にその類の組織が「消防」以外にないから、その意味では「大活躍」だったと思うが、かつて自衛隊の存在が合憲か違憲かと言うような論議が為されていた時代、自衛隊を大災害に対応する組織に変えるという議論が盛んに起こったが、果たしてこの核状況下で全面(侵略)戦争が起こるのかを考えた場合、自衛隊と現在とは違う組織に変えるというのは、現実的ではないかも知れないが、決して「夢物語」ではないことも確かなのではないか。いやな世の中になってきたね、という会話やいやーな思いは、いつ払拭されるのだろうか。
 この経済不況下にあっても、自衛隊関連予算だけは自公政権時代から民主党政権になっても、減ることはなく(幾分減ったように見せていても、なんだかんだと名目を付けて、いつの間にか「例年通り」となっているのが、自衛隊関連予算である)、東日本大震災の復興資金や「フクシマ」の事後処理費用、例えば「除洗費用」や「避難保障費用」が全く足らないから「消費税増税」が決定される状況にあるにもかかわらず、そんなことはわれ関せずとばかりに、「仮想敵国(中国・北朝鮮)」相手に莫大なお金を使って演習を行う。
 そんな「政治」(政権)の在り方は、まさに野田首相が「フクシマ」がどのように収束するか分からず(「廃炉」のことを考えれば、気の遠くなるような時間と費用が必要だというのに)、国内世論が「脱原発」の方へシフト・チェンジしていることなどを無視して、国連やASEANの会合に行って、「日本の原発は安全だ。だから買って欲しい」と言っている、まさに「死の商人」のように振る舞っている姿と全くアナロジーで、滑稽さを通り越して怒りを覚える。
 政権がそんな体たらくだから、なのか、「普天間基地移設問題」に関して、基地を辺野古置きに移転する代わりに、歴代の首相や関係閣僚が「沖縄の負担軽減」を言ってきたが、そんなことは全くの「外交辞令」でしかなく、現実的には普天間基地に「垂直離着陸機オスプレイ」の配備を認める(15年以上前に「返還」を約束していた普天間基地に、アメリカ本土で何度も離着陸に失敗し何人もの死者を出した事故歴のあるオスプレイを配備するという、何とも人(沖縄人・日本人)を馬鹿にしたアメリカのやり方、およびそれを受け入れる日本の政権、僕らはこの現実をどう受け止めるか、立ち止まってじっくり考えなければならないのではないか、と思う。
 僕らは、案外「平気」で沖縄に「負担」をかけてしまうが、それが結果的に「沖縄差別」になってしまうこと、僕らの現在がその「沖縄差別」の上に乗って成立していること、そのことを僕らは肝に銘じるべきなのではないか。
 沖縄の友人で詩人の高良勉から、CCでいつも沖縄での反戦・半期地運動や文化運動の「ウンチケ(お知らせ)が入ってくるが、沖縄がいかに常時緊迫しているかが分かるメールで、僕らはそのような「呼びかけ」にどのような形で応えていけばいいのか。僕らにできることは何なのか。考える日々が続いている。

村上春樹批判の書

2011-11-17 04:38:46 | 文学
 この1週間、いろいろなことが立て込んで、大学を退職した4月以降では一番忙しい日々を過ごしたのではないか、と思っている。
 まず、ずっと前(7月)に約束していたことなのだが、このほど解放文学賞(小説部門)に「佳作」入選した熊本の大野滋さんという人の「腑分けの巧者―『蘭学事始』異聞」という作品が刊行(自費出版)されるということで、12枚ほどの「解説」を書くということがあった。この130枚余りの作品は、かの有名な杉田玄白が著した『蘭学事始』にも出てくるのだが、『ターヘル・アナトミア』の日本語訳『解体新書』が成立した裏に、江戸小塚原で斬首刑になった罪人の「長利(未解放民)」による「腑分け」(解剖)があったという「事実」を膨らませ(創造力を駆使して)、1編の物語にしたもので、作者(大野滋氏)はこの作品を書き上げて急逝したということで、供養(追悼)の意味を込めて奥さんが書籍として刊行したいと言っていたものである。1周忌を期して刊行すると言うことで、何ヶ月ぶりかに読み直し、評価は変わらなかったのだが、小説を書くということの「幅の広さ」を痛感させられた作品であった。
 その小説の「解説」を書いている途中で、僕の次著となる『辻井喬論―修羅を生きる』(論創社刊)の初校ゲラ(著者校正)が出てきて、13日(日)から昨16日(水)まで掛かって、ようやく引用文の確認を含めて終わることができた。ここ何冊かの自著刊行に際して思ってきたことなのだが、PCで原稿を書くと、いくら読み返し修正しようとしても、僕らのような元来はアナログ派である人間には、PC上での確認や修正がやりづらく、どうしてもミスが多くなる傾向にあり、今回もそのようなミスの存在を確認して、やはり一度プリントアウトして「活字」として確認・修正してから版元に原稿を渡さないとダメだな、と痛感した。
 ただ、今度の『辻井喬論―修羅を生きる』は、大学を退職して「有り余る時間」を使って存分に書いたものなので、これまでの「忙しい時間」の中で書いたのと、少し違ったものになっているという実感を持っていたのだが、初校ゲラを見て、その僕の実感が間違っていなかったという感想を持った。「遅れてきた戦後派作家」とも言っていい辻井喬の「初の本格的作家論」となる拙著だが、出版不況をひしひしと感じる昨今における拙著の刊行、今はどれだけ多くの人に読んでもらえるか、それだけが気になることである。
 というようなわけで、野田政権の自公政権時代と変わらない「政治」のやり方にイライラしつつ、忙しい日々を過ごしていたというわけである。そんな中、先週末に刊行された「週刊読書人」に載った僕の久し振りの「書評」を以下に再掲する。


「類を見なかった村上文学批判―現代文学批評の在り方を考えるときに貴重な存在」(尾高修也著『近代文学以後―「内向の世代」から見た村上春樹』)「週刊読書人」2011年11月11日号)

 村上春樹の読者や研究者・批評家は、作家の同世代かそれ以下の年齢の人に限定されているのではないか、言い方を換えれば、ここ何年か毎年ノーベル文学賞の候補として取り沙汰されてきた村上春樹の文学世界に魅了されてきた人たちは、実は村上春樹自身がそこに属する団塊の世代(全共闘世代)より下の若い世代なのではないか、という疑念を常々抱いてきた。一九四五年生まれの評者より上の世代にいくら村上春樹を薦めても、一,二作品を読んで「面白くない」という答えが返ってくることが多かったからである。本書は、そのような評者の疑念を一挙に確信に換えてくれる、これまでに類を見なかった村上春樹の文学を批判(否定)する本である。
 一九三七年生まれの著者は、一九四九年生まれの村上春樹よりちょうど一回り年長の、副題からも分かるように「内向の世代」に属する作家・評論家である。本書所収の主要な論文は、そんな著者が小説教室の講師を務める「朝日カルチャーセンター」や「池袋コミュニティ・カレッジ」などで芥川賞受賞作品をはじめとする「新しい作品」の批評を始め、その流れで若い人に圧倒的な人気を誇る村上春樹の『風の歌を聴け』(七九年)から最新の『1Q84』(〇九~一〇年)に至る主な作品を、一〇年ぐらいかけて読んだことの「感想」をまとめたものである。その村上春樹批判の真髄は、村上春樹文学が著者の考える「近代文学以後」――実は、このタイトルにもなっている「近代文学以後」という言葉の意味が、例えば柄谷行人らが言う「近代文学の終わり」と同じ意味で使っているのか、今ひとつ分からない部分もあるが、ここではどうも「内向の世代」以降の「ポストモダン」文学について言っているようなので、それに従う――を代表するものだ、というところにある。
 本書は、村上春樹の文学を論じた「『内向の世代』から見た村上春樹」「『1Q84』を読む」「読んでみた村上春樹」「村上春樹と翻訳文化」の四章と、著者の文学的立場を明らかにした「『赤頭巾ちゃん』と日比谷高校」「『内向の世代』とともに」から成るが、これらの各論で用いられる村上春樹文学批判のキーワードは、「日米混淆の無国籍的文学言語」「サブ・カルチャー」「薄い中身」「童話的ファンタジー」「アメリカ文化」「グローバリズム」「モダニズム」「文章のゆるさ」「「翻訳文化」等々、である。
 これらのキーワードは、村上春樹やよしもとばなな等に代表される「ポストモダン文学」を批判する際の用語としてよく目にするものであるが、本書の場合、例えば村上春樹文学批判の中心に据えられている「薄い中身」や「文章の緩み」などの言葉は、いずれも「実証」抜きで使われており、その意味ではこの国の近代文学批評において伝統と化している「印象批評」の域を出ない村上春樹批判、ということになる。おそらく、このような批評方法では、筆者と同世代の読者は納得させられても、村上春樹を圧倒的に支持する若い世代の読者を説得することはできないのではないか。評者は、そのように思った。
 だが、村上春樹がノーベル文学賞の候補になり、『1Q84』が大ベストセラーになるということなどがあって以来、村上春樹に対する「オマージュ(讃歌)」や及び腰の批評ばかりが目に付く昨今、臆することなく堂々と村上春樹の文学を否定(批判)する本書のような存在は、現代文学批評の在り方を考える時、何物にも換えがたく貴重である。惜しむらくは、繰り返すが、本書がもう少し「実証」的な批評であったなら、ということである。

TPPと食糧自給率

2011-11-10 08:38:54 | 近況
 朝日新聞を始め多くのマスコミが「まず参加を!」と言っているTPP(環太平洋経済連携協定)について、その全てについて僕が理解しているということではないが、連日テレビや新聞で「TPP」「TPP]と大騒ぎをしているのを見ると、何年か前の「小泉改革」の目玉であった「郵政改革」(実際は「改悪」だったと僕は思っている)を思い出す。今回の「TPP」問題も先の「郵政改革」も、「アメリカの圧力」によって引き起こされた問題だと思うからに他ならない。
 アメリカという国は、かつての「モンロー主義」を持ち出すまでもなく、自国に有利の時は他国に無理強いをし、自国に不利な場合「黙りを決め込む」という習性がある。今回の「TPP」だって、来年に控えた大統領選挙で前回鳴り物入りで大統領に当選したオバマの再選が危ういという状況下で、「内憂」を「外の問題」で何とか解消しようとした結果、と思えるからである。現に、オバマ大統領も、またTPP担当の外交官も「アメリカ流」の外交、つまり強大国として弱小国に「無理難題」を押しつけるやり方で、沖縄の基地問題に象徴されるように、「属国」的な扱いをしてきた国=日本にどうしても「TPP」への参加を強要していることを隠さない言動を見ていると、どうしても「TPP」参加には胡散臭さが付きまとって仕方がない。
 「TPP」には、医療や保険、知的財産権(著作権)など24項目の交渉項目があるようだが、やはり一番の問題は、JA(農協)やその他の農協団体が騒いでいるように、「農業」問題、とりわけ食糧自給率の問題だろうと思う。先日テレビで、日本の米の標準価格とカリフォルニア米の価格とを比較すると、日本の米はアメリカの米の10倍の価格だと言うことを報道していて、日本の米はカリフォルニア米より「うまい」から価格競争に負けても、販売競争には負けない、というようなことをコメンテーター及び大規模米農家の人が言っていたが、本当に日本の米は「うまい」から国際競争に勝ち抜けるのか、と言えば、僕の経験から言って「負ける・ダメだ」と思う。
 まず、日本の米が他国の米より「うまい」というのは、経験的な言い方をすれば、「幻想」「世迷い言」に過ぎないということがある。例えば、僕はかつて亜m、絵里香に半年ほど暮らしていたとき、もっぱら(最高級のうまい)カリフォルニア米を食べていたが、その時の値段は日本の価格の10分の1以下であった。もっと安い(まずい)米も売っており、それは15分の1以下であったと記憶している(一度買ったが、まずかったので、チャーハンやおじやにして食べてしまった)。聞くところによると、日本のコシヒカリなどの「うまい米」の籾を日本から持って行って育てたものだから、「うまい」のは当たり前だということであった。
 また、「まずい米」の代名詞のように言われてきた東南アジア産の米についても、僕はタイ、ベトナム、フィリピン、台湾、インドネシアの米を現地で食べてきたが、そのいずれの土地の米も決して「まずく」はなかった。不思議に思い、何故日本で食べるタイ米やベトナム米は「まずく」て、現地で食べる米は「おいしい」のか、聞いてみたところ、日本に輸出するのは「下級米」で、現地の旅行者用のレストランで使う米は「高級品」だから、と言う答えが返ってきた。そして、もし「自由競争」させれば、絶対「日本の米」に「味」でも「価格」でも(価格の場合は、初めから競争にならない)負けない、とも言っていた。
 「TPP」に参加し、条約を結べば、それらの「うまくて」「安い」米がどっと日本に入ってくる、日本の米農家で生き残れるのは何軒か。現にある人々は、「貧乏人は安い外国米を食べ、金持ちは国産米を食べればいい」とまで言っている。「1パーセントの大金持ちと99パーセントの貧乏人」というアメリカ型の社会に、日本もなっていくのだろうか。
 米だけではない、果物や野菜などもTPPにさんかし条約を結べば、易々と日本に入ってくる。もちろん、一部の野菜や果物は国内産が生き残るだろう。しかし、大多数のものは「輸入」せざるを得ないのではないか。そうすれば、必然的に食糧自給率は、下がる。現在、食糧自給率は40パーセント前後だが、その数は必ず下がる。米や野菜を作らなくなったら、田畑はどうなるのだろうか。かつての高度経済成長時代やバブル期には、そこが工業団地や住宅団地に変わったが、現在はタイの大洪水で分かったように、日本の企業の多くがタイなどの開発途上国に進出(逃亡)していることを考えれば、米や野菜を作っていた田畑は、草ぼうぼうの「荒れ地」になってしまうのではないか。
 農業(食糧自給率)問題だけでもこれだけの問題点があることを考えれば、他の保険や医療などについては、推して知るべしである。
 フクシマが収束しない今、日本は大きな岐路に立たされている、と言っても過言ではないのではないか。
 この国を指導する「ドジョウ」、困ったものだが、案外したたかなのかも知れない。

この国は、どこへ行こうとしているのか?(2)

2011-11-05 10:00:03 | 近況
 書き忘れたわけではなく、推移が不明だったので、敢えて書かなかったのだが、福島第1原発の2号機から「放射性物質キセノン」が検出されたという問題について、東電の発表によると通常の原発運転でも起こっている「自発的核分裂」ということだが、どこかの原子力研究者が言っていたが、何重にも「安全装置」が働いている稼働中の原発における「自発的核分裂」と、メルトダウン・メルトスルー現象が起きているフクシマの場合とを単純に比較するのはおかしいのではないか。つまり、いくら東電が「自発的核分裂」だと言い「問題ない」と言ったとしても、これまでの東電の隠蔽体質、ないしは官僚的な「上から目線」を何度も何度も経験している僕らとしては、もしかしたら2号機では「再臨界」状態になっているのではないか、という疑いを払拭することはできないということである。
 何しろ、事故が起こった原発内部には、スリーマイル島の場合も、またチェルノブイリの場合も、誰も入ったことがなく、従って僕らは「不完全」(爆発事故を未然に防げなかったのだから、現在の原発技術の全てを「不完全」と考えるしかないのではないか)な計器に頼って「問題ない」と思いこまされるしかない、という状態にあるのだ。
 ところで、僕らがフクシマにおける「放射性物質キセノンの検出」という問題に対する東電の検討結果に不信の念を隠せないのは、東電が自分たちに不利と思うことは決してばれるまで明らかにしないという隠蔽体質を、営利を追求する企業としては当たり前なのかも知れないが、恥ずかしげもなくこの8ヶ月間さらけ出し続けててきたからに他ならない。例えば、3月12日の爆発当時から今日まで、東電は原発爆発(事故)が起こった最大の理由は、「想定外」の大津波が来て全ての電源を破壊してしまったからだと言い続けてきたが、それは違うのではないか、今回の東日本大震災を引き超したM8規模の地震によって、津波が来る前にすでに原発は破壊されていた(相当なダメージを受けていた・制御不能状態になっていた)と言い続けている学者や原子力技術者が何人もいるのに、その人たちの意見を聞こうともしない東電、民主党政府の体質(隠蔽体質)こそ問題とすべきなのではないか、ということである。
 僕が分からないのは、そのような「事故原因の究明」もろくにしないまま、日本政府(野田政権)は停止中の原発の再稼働をいとも簡単に許したり、外国へ平気で原発を輸出しようとすることである。まさか、今が良ければ将来がどうなっても構わない、といったこの国の全体を覆っているような「無責任思想」が、東電や政府中枢を蝕んでいるからだということではないと思うが、そのような「ニヒリズム」状態をどのように突破していくのか、皆目見当が付かないところに、また陰々滅々たる思いを深める要因があるのだが、本当に何とかならないものだろうか。
 とは言え、仕事の方は、昨日『立松和平然小説』第18巻の【解説・解題】30枚を版元に渡し、また4,5日前に送った『近代文学以前―「内向の世代」から見た村上春樹』(尾高修也著)という本の書評(4枚弱)ゲラを見て返す、というように順調にこなしているのだが、どうも苛立ちが収まらず、という状態にあるのが、僕の現在である。

この国は、どこへ行こうとしているのか?

2011-11-03 05:03:36 | 近況
 群馬の方言で「きぶっせい」というのがある。「きぶさい」(気鬱ぎ)がなまってそのような言い方をするようになったのだろうが、このところ「きぶっせい」気持に襲われることが多くなった。本を読んでいても、原稿を書いていても、畑仕事をしていても、ふと気が付くと「きぶっせい」としか言えない気持になっているのである。
 理由は、わかっている。「フクシマ」である。いつ「収束」するか分からないというのも、「きぶっせい」気持になる理由の一つなのだが、それ以上に政府のフクシマに対する「無策」ぶりや「無知」としか言いようがない状況や「風評被害」の現状に苛立ちが収まらないのである。例えば、放射能汚染された土や木々、あるいは建造物の処理に関して、世界のどこにも最終処分場が内という状況を放置したまま、「中間貯蔵施設」を福島県に造って30年間そこに置いておく、という政府の案、どこか「無責任」な臭いがしてならない。じゃあ、福島県以外のどこにそのような「中間貯蔵施設」を造ればがいいのかと言われれば、実は最終処分場がこの地球上のどこにもないということを踏まえて、とりあえず電力会社や政府が「安全」と言い続けて54基も造った原子力発電所の地所に、原発を止めて(廃炉への工程を視野に入れて)、そこを最終処分場にする心積もりで、放射能汚染物質や核廃棄物の「中間貯蔵施設」及び「最終処分場」を建設する以外に方法はないのではないか、と思う。
 酷なことを言うようだが、あるいは当該地区に住む人からはきつくお叱りを受けるかも知れないが、「カネ」のために原発を受け入れた原発立地自治体は、フクシマが出来した責任の一端は自分たちにもあるという自覚の下で、そのような施設を受け入れてもらうしかないのではないか(おそらく、そのような「核廃棄物」の中間貯蔵施設や最終処分場の建設を受け入れれば、また「大量のカネ」が該当自治体に下りるのではないか、と思う)。もちろん、原発からの電力で「豊か」で「文化的」な生活を享受してきた僕らは、「税金」あるいは「負担金」という形で、こんどこそ事故が起きない核廃棄物(放射能汚染物質)の中間貯蔵施設及び最終処分場の建設に協力しなければならない。
 最近、いろいろなメディアが「25年経った」チェルノブイリとフクシマとを比較して「核被害」の現実を比較するようになったが、僕らがここで忘れてならないのは、チェルノブイリは広大な旧ソ連(現ウクライナ)で起こった原発事故(だからといって、被害が少なかったと言いたいのではない)で、フクシマは人口密集地をすぐ近くに控えたこの狭い日本で起こった事故だ、ということである。人口1000万人を超える東京からフクシマまで100数十キロ、放射能汚染の高い数値を示す「ホットスポット」が首都圏の各地で見られることを考えれば、フクシマがいかに過酷な状況下にあるかが分かるだろう。日本の原発建設・維持が、例えば九電の「やらせメール」事件に象徴されるように「札束で頬をたたく」ようなやり方で進められてきたことを考えると、いかに「安全性」を軽視(ないしは「無視」)してきたか、そもそも「安全性」など問題とせず「経済=カネ」を優先してきた結果がフクシマであることを、僕らは肝に銘じる必要があるのではないか。
 にもかかわらず、野田政権は、曰く付きの九電玄海第4原発の「再稼働」を早々に決め、ベトナムやインドへの原発輸出を計画通り(フクシマが起こる前の状態で)粛々と進めるという。どうなっているのか。何のために僕らは自民党と違う(はずの)民主党政権を選んだのか。結局この2年間あまりで分かったことは、野田首相を初めとするその構成員を見れば分かるように、民主党という政党が、自民党より「ちょっといいだけ」の第2自民党でしかなかったということであり、「権力」の暴走を食い止めることができない政党だということである。
 実は、TPPに関しても同じことが言えるのだが、この国は一体どこへ行こうとしているのだろうか、果たして大丈夫なのだろうか。「きぶっせい」毎日が続く。