黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「崩壊」していく日本(4)――昨日の続き、短く。

2015-11-03 09:33:09 | 近況
 昨日は、しばらくぶりに実現した本格的な「日中韓首脳会談」について、もっぱら「歴史認識」=政治・外交の側面を中心に論じたが、マスコミが余りにも「政治・外交」問題としてしかこの首脳会談の意味について触れていないことを知り、ネトウヨや稲田朋美などという「エキセントリックな=右翼的な」政治家などが決して触れない、この「日中韓」の首脳会談が意味するもう一つの側面、つまり「経済」関係についても触れておく必要がある、と今朝になって思い至った。
 と言うのも、少し前になるが、僕が武漢の華中師範大学大学院で教えていた時のこの6月に卒業した「最後の教え子たち」の就職先を聞いて、グローバル化した日中米の「経済」――中韓の関係については、インチョン-青島間の飛行機、及びフェリーが毎日就航していることを知れば、この2国の経済関係が日中米に劣らず密接になっていることは、すぐに了解できる――が、いかに切っても切れない関係にあるか、を今更ながら思い知らされたということがある。教え子たちの就職先は、三菱銀行をはじめユニクロ、無印良品、IBM,通訳事務所、イーオン、あるいは日本との合弁会社などであって、学部時代から大学院にかけて習得した「日本語」(彼女らの日本語は、昨日も触れた拙著にも書いたことだが、日本の学生が英語などの外国語を学んだレベルを遙かに凌駕している)を生かしたものであった
 僕は、出席を要請された国慶節(湖北省主催)で三菱商事、日立電設などの支店長や現地責任者にあったことがあるが、彼らが異口同音に言っていたのは、今や日本経済は中国との関係無しには成り立たない、ということであった。僕は中国からの帰りはほとんど上海経由だったのだが、いつもその乗客の半数以上が日本人であり、その大半が観光客ではなくビジネスマンか労働者風の人たち、学生であった。その都度、いかに日本経済と中国とは密接な関係にあるか実感したものだが、そのような「密な経済関係」がありながら、「政治・外交」上は中国がもっとも嫌う「靖国神社参拝」などを強行して強面(ナショナリストぶる)を続ける安倍首相(以下の右派政治家たち)、それはこの度世界記憶遺産に登録された「南京虐殺事件」についても、「真実が証明されていない」などと詭弁・強弁を繰り返して、たぶん国内のネトウヨなどに向けてのパフォーマンスだと思うが、「イチャモン」をつける――そんなことをするから、「南京事件」を否定する論理と同じ論法で、せっかく世界記憶遺産に登録された「シベリア抑留体験の記録」に対して、ロシアから異議が提出されるのである。 
 国内に向かっては「ナショナリズム」を鼓舞し、国外では何よりも「経済」を優先させる。この安倍政権のダブル・スタンダードを、僕らは早く見抜き、近隣諸国と真からの「友好」関係を成立させなければならない。
 安倍「極右」政権のダブル・スタンダードを象徴するのが、「日中韓三国首脳会談」が開かれているその時に、自民党の「重鎮」と言われる二階氏が何百人もの経済人を連れて訪中し手いたことである(1年ほど前の第1回では「3000人」の経済人を引き連れての訪中であったという)。それと、福田元首相も繰り返し中国を訪問し、日中友好関係の構築に尽力(?)しているという事実、ネトウヨに踊らされたとしか思えない「嫌中」・「嫌韓」もまた政治家のダブル・スタンダードがもたらしたものであること、そのことにも僕らは気付くべきである。
 それと、これは先月25日に行われた「辻井喬(堤清二)を偲ぶ会」でも話されたことだが、日中間の「文化交流」は確実に進展していること、このことも安倍政権の強面が一種のパフォーマンスであることと共に、僕らは覚えておく必要がある。

「崩壊」していく日本(2)――「強権」安倍政治はどこへ行く。

2015-10-30 09:25:52 | 近況
 聞こえのいい「経済の強化」を全面に押し出し、その「強権」ぶりを背後に隠しつつ始まった第3次安倍「極右」政権がいかに「民意」を無視して「横暴」極まりない政治を行おうとしているか、それは昨日から始まった沖縄・辺野古沖の「新基地」建設の着工によって、いよいよ明らかになった
 安倍「極右」政権が「詭弁」「と偽善」によって国民を騙し続けていること、それは特定秘密保護法の制定から集団的自衛権行使容認の閣議決定、さらには引き続く安保法制=戦争法案の国会審議において白日の下に晒されてきたことだが、今回の沖縄における「新基地」建設着工は既定のこととして――アメリカ大統領との約束、安倍首相が安保法案=戦争法案の成立だけでなく、沖縄・辺野古沖の「新基地」建設までも、アメリカで約束していたとは、そのあまりの「ポチ」ぶりに今更ながら驚くが――、沖縄県人及び本土の心ある人々の強力な「反対」を押し切って進めていることに対して、今更ながら強い憤りを覚える
 何よりも腹立たしかったのは、この辺野古沖の「新基地」建設について発言した安倍首相をはじめ菅官房長官、世耕副幹事長らが、打ち合わせがあったのだろうが、口を揃えて「普天間基地の危険性を一日も早く除去するため」と言い、そのことと本来は別な大問題であるはずの「辺野古沖の新基地建設」をリンクさせていることであった。マスコミなどが「在日米軍基地の74%が沖縄に集中している」「そのために沖縄では米軍兵士絡みの犯罪が頻発している」などと報じているにもかかわらず、「普天間基地の移設」については声高に話し、「辺野古沖の新基地建設」によって在日米軍基地の沖縄における比率がさらに高くなることについては「沈黙」を守る安倍「極右」政権の「詭弁」を、今こそ暴露し、その対米従属ぶりを指弾しなければならない
 つまり、沖縄を訪れた人はすぐに理解できると思うが、米軍基地は沖縄の至る所に散在しているのだから「世界一危険な」普天間基地の一つや二つ(本音を言えば、全て)返還したって、アメリカ軍(海兵隊)は決して困らないと思うのに、「軍事国家」化を目指す(いずれ「辺野古沖の新基地」は自衛隊の占有基地になるか、米軍と自衛隊の共有基地にしたいと考えているのだろう)日本の思惑と、莫大な費用を必要とする極東・太平洋に展開する米軍の経費削減を悲願とする米軍・オバマ大統領との「思惑」が一致し、辺野古沖の新基地建設は、「強権的」に進められようとしているということである
 もし、安倍政権が本気で「世界一危険な普天間基地」の撤去を望むなら、「辺野古沖の新基地」への移設などと言わず、「人道」を重んじる(?)アメリカに対して、強力に撤去を望めばいいのである。アメリカも日本も中国や北朝鮮の「人権」については、口うるさく「人権が軽視されている」「非民主的だ」などと弾劾し続けてきたのに、「普天間基地」の存在こそ「非人道的」な極致だと僕は思っている。
 ぼくらは、もう一度普天間基地に隣接する沖縄国際大学の建物に戦闘ヘリコプターが墜落し、その処理も日本の警察や消防ができなかったこと、この事件をそう期すべきなのである。あの黒く燃えた校舎の壁を見れば、「辺野古沖への新基地建設」とは別な次元(レベル)の問題と言うことがすぐ分かるはずである。
 それなのに、本土の人間は「移設」などという「虚偽・詭弁」に騙されて、「沖縄差別」が明々白々な「普天間基地」の辺野古沖への新基地への「移設」を容認しようとしている。これは、「失敗」したアベノミクスへの反省無きまま、これまた実現できない「介護離職ゼロ」とか「2020年に出生率1.8」などという「ごまかし」を行う安倍政権(内閣)に「40%」以上の支持率を与える日本国民の「愚かさ」と相通じるところがあるように、僕には思われる。
 なぜ、日本人はそんなにも愚かなのだろうか
 笑ってしまったのは、問題の「辺野古沖新基地建設」に「GO」サインを出したのは、権力にしがみつくことでようやく存在価値を見いだしているように見える「平和と福祉の党」公明党出身の石井国交大臣だったという事実、である。役目柄とはいえ、「戦争」と深い関係のある「基地」の建設を推進する責任者としては、どのような気持なのだろうか。
 さらに指摘しておきたいのは、アメリカと中国の関係は前回書いたように、南シナ海における米中の「緊張」は結果的にお互いのパフォーマンス(「公海」上のイージス艦の航行、それに対する中国海軍の追尾・警告)に過ぎ無いということであり、安倍「極右」政権が安保法制=戦争法案の審議の際に強調した「中国・北朝鮮の脅威」は、作られたものであるということである

「崩壊」していく日本(1)――「1億総痴呆社会」が始まった!

2015-10-28 10:24:10 | 近況
 このような見出しが果たして適切かどうか。
 しかし、僕の精神形成は安倍首相が言う「戦後レジューム」、つまり「平和と民主主義」を基底とする社会に負うところが大きいのだが、その「平和」も「民主主義」も、今や「崩壊」しつつあるのではないか、と僕は危機感を持っている。
 「平和」に関しては、「戦争のできる国」を目指した安保不正=戦争法案が国会を通過し、その途端に防衛予算の増額が叫ばれ、自衛隊の活動も「戦争法案」に添った形で進められようとしていることを見れば、いずれ自衛隊員の「戦死」が伝えられるようになるだろうし、それよりも米軍の戦争(アフガンにおける無人爆撃による「国境無き医師団」の病院爆撃のような、あるいはイラクにおける「人質救出作戦」のような)に加担することで、日本が確実にテルの標的になり、国内外の日本人がいつかテロによって殺傷されるような事態になることが現実的になった。
 安倍首相をはじめ政府要人、政治家たちは「安全地帯」にいるから切実な問題とは受け止めていないようだが、僕ら市民(庶民)はいつ何時テロの標的にならないとも限らない。
 何でこれほどまでに日本(人)がアメリカ(軍)の「ポチ」にならなければならないのか、「中国の脅威」だとか「北朝鮮の核存在」を理由に安保法案=戦争法案に賛成だと思っている人、本当に中国や北朝鮮と日本が戦争になったとき、アメリカ軍が助けてくれると思っているのだろうか。昨日の大きなニュースであるアメリカ海軍のイージス艦の南沙諸島での航行とそれを追尾し警告を発した中国の艦船、いずれも「国内向け」のパフォーマンスで、本気で「紛争・戦争」を起こそうなどとオバマも習近平も思っていないことは「見え見え」なのに、あたかもすぐに「中米戦争」が始まるかのような日本のマスコミの騒ぎよう、これもまた「安保法案=戦争法案」の実施を後押しするものだと思うと、苛立ちを押さえることができない。
 そして、「民主主義」の根幹である「民意」の権力による無視、これはこれから少しずつ考えを述べていこうと思うが、今は箇条書きにすれば、
①問題山積なのに臨時国会を開かない:もう訳が分からない
②原発の再稼働:「原発ゼロ社会」を目指すと言っていたのに……。
③沖縄辺野古沖への新基地建設:問答無用とばかりに、アメリカ軍の言いなりになっている日本政府、もう度し難い、としか言いようがない。
④「格差社会」の放置:それなのに、「バラ色(嘘)」に彩られた「アベノミクス(新3本の矢)」、夢見るのは各人の自由だが、「夢」さえ見ることのできない人がこの国には大勢いること(例えば、生活保護世帯が史上最高になった。あるいは、今日のニュースで言っていたが、東京ディズニーランドで死んだ人(43歳)は10年以上アルバイトを続けていた人、等々)、みんな「見ないふりをしているのですか?」。
⑤マイナンバー制度の導入:IT業界だけが儲かるこの仕組み、何年か前の「住基ネット」騒ぎはどうなったのか。あれのことなど「もう忘れて」、あらたに「マイナンバー制度」の導入、何時自分の「マイナンバー」が盗難にあって悪用されるか分からないのに、そんなカードを持ち歩く馬鹿がどれだけいるというのか。全く理解できない。

 とりあえず、以上のような5項目のことを考えただけでも、安倍政権がやっていることは「数の論理」を前面に、少数意見を無視する「反民主主義」であること(多数決が民主主義はない、ということをみんな実感しているのではないだろうか)、このことを僕らは忘れてはならない。
 「絶望」も「希望」も持たない地点から、しばらく以上のようなことを考えていきたいとおもっている。

「民主主義」が壊れていく――「日本を取り戻す」の実態

2014-11-13 09:52:49 | 近況
 昨日は、現在「キッチュ(まがい物)」が蔓延していると指摘したが、その最たるものが「日本を取り戻す」とか「戦後レジュームからの脱却」などという「空疎」で「観念的」な言葉を全面に押し出し、そして「アベノミクス」なる一部にしかその実態(経済効果)が及ばない経済政策で、すっかり国民を幻惑した安倍自公「極右」政権の思想・在り様に他ならない。
 つまり、安倍「極右」政権は、その「歴史修正主義」――その姿勢を象徴するのが、戦前期の「軍国主義=帝国主義的侵略主義」を肯定する「靖国神社参拝」であり、「村山談話」や「河野談話」を否定する「侵略の定義は歴史上・国際上定まっていない」とする発言である――に典型化されているが、戦後の「平和と民主主義」を否定して、戦前のような「絶対主義天皇制」下の社会=統治形態を密かに「理想」としているということである。「アベノミクス」による格差社会の拡大は、まさにそのことの具体的現れに他ならない
 ただ1点、戦前の権力と安倍「極右」政権とがいくらか違うのは、グローバル化した世界を反映して「対米従属」を強めていることだけである。もっとも、この安倍政権による「対米従属」の強化は、明治維新期における福沢諭吉の「アジア蔑視」(その裏返しとしての「欧米尊重」であり、「和魂洋才」思想もまた同じ「アジア蔑視」から生じた考えである)以来の伝統とも考えられるが、安倍晋三氏の「ネオ・ナショナリスト」ぶりを見ていると、彼の「対米従属」思想も、「欧米崇拝・アジア蔑視」が簡単に「大と上共栄圏の建設」と「鬼畜米英」に代わったように、いつ「反米」に転じるか分からないような「不定見」なもののように、僕には見えるのだが……。
 そんな狭量な「ナショナリズム」=反民主主義思想(=封建的思想)がいかに現代に蔓延しているかをまざまざと見せてくれているのが、端から「歴史」を学ぼうとしないところから生まれた「ヘイトスピーチ」だと思うが、実はもう一つ、安倍「極右」政権が「女性」を取り込もうとして「女性の登用」を訴えていることに、何とも皮肉だが、結果的に「水を差す」ことになった、「男女平等思想は、反道徳の妄想である」とする女性国会議員(次世代の党所属)の発言である。
 この「男女平等思想は、反道徳の妄想である」、つまり「日本では、女性と男性の役割がはっきりしていた(つまり、男は外で仕事、女は家の中で子育てや家事しろということだろう)、と衆院で議論されている「女性活躍推進法案」(これ自体が「キッチュ」でしかないが)にかかわる委員会で質問に立った杉田水脈(みわ)という議員が発したのも、この国全体が「右傾化=戦前回帰」していることの証拠であるが、それにしてもこのような「女性差別」発言が、若い女性国会議員から飛び出すこの国の「民主主義度」、もうあきれるしかない。
 このような発言をする女性議員は、「万死に値する」つまり国会議員を辞めてもらうしかないが、このような国会議員(元日本維新の会?)を選んだ国民にもまた「当然責任=罪」がある。繰り返し言っていることだが、「騙される側の罪」を今こそ僕らは考えなければならないからである。
 それにしても、いよいよ「大儀無き」解散・総選挙が間近に迫ってきたようである。「日本を取り戻す」とか「戦後レジュームからの脱却」がいかに虚妄であったか、ここは、腹をくくって、「目先の利益」だけを考えるのではなく、僕らは子・孫・ひ孫、……の代まで「平和」でより改善された「民主主義社会」であり続けることを願って、投票所に足を運ぶべきである。
 「ニヒリズム」に陥っている暇はない、というのが僕の認識である。

内閣支持率の摩訶不思議

2014-10-29 10:59:08 | 近況
 昨日は、2ヶ月に1度の「定期検診」(高血圧症と糖尿病予備軍、それに痛風が今のところの持病)と薬をもらいに病院に行ったのだが、いつも時間が掛かる調剤の時間の間、薬局に用意されていた「読売新聞」を読んでいて、なるほどと思うと同時に、前から思っていた「内閣支持率」というものの「不可思議さ」について、あらためて考えざるを得なかった。
 「読売新聞」の記事には、小渕優子経産大臣と松島みどり法務大臣の辞任後に行われた読売新聞と日本経済新聞、朝日新聞の「世論調査」による「内閣支持率」の変動が出ていたのだが、それに拠れば(いま手元に記事がないので、記憶に頼れば)、読売新聞「62%→53%(9%減)」、日経新聞「53%→48%(5%減)」、朝日新聞「46%→49%(微増)」という結果とのことで、安倍政権に批判的な記事が目立つ朝日新聞の調査で「微増」、普段は安倍政権の後押しをしているようにみえる読売新聞と日経新聞が「かなりの減」というのも「不思議な現象」と言わねばならないが、それにも増して不思議なのは、集団的自衛権行使容認論や特定秘密保護法の制定、原発再稼働について「反対」が60~80%に達し、また消費税率を10パーセントに上げる問題や生活保護費の切り下げ、「40人学級」の復活、「非正規労働者の固定化」→格差の増大、等々にも「反対」が過半数を超えているのに、内閣支持率だけが相変わらず50%近い高さを保っているということである
 おそらく、理由の大半は、国民の多くが、一部では「破綻した」と言われている安倍政権の経済政策「アベノミクス」=大企業優先の経済政策に、未だに惑わされているところにある。高度経済成長期からバブル経済期の見せかけの「豊かさ」を知っている日本人は、「国民全体が豊かになる」という幻想を振りまき、一部の企業(大企業)だけが儲かる仕掛けになっているアベノミクスなる経済政策に、半ば期待し、残りの半分は絶望しながら、しがみつかざるを得ない、そんな状態に現在在る、というのが正確な状況把握なのではないか、と思っている。
 だから、「集団的自衛権行使容認」や「原発再稼働」などの個別案件に対しては多くの人が賛意を表しているという現実がありながら、内閣支持率だけが異常な高さを誇る、という「ねじれ」現象が起こってしまうのだろう。そして、権力(安倍政権)はそんな高い内閣支持率を隠れ蓑に、「国民全体」の幸せとはほど遠い、象徴的に言うならば国民が血を流す「戦争のできる国」への道、それは明らかに歴史が教えるように「破滅への道」であるにもかかわらず、そんな曲路線をを一直線にひた走る。
 「内憂」が存在することを隠蔽するために、強いて「外患」を作り出して、何とかその場を凌ごうとするのが権力者の常套手段だとしても、安倍政権の場合は、「非道すぎる」。
 前に僕は何度か>「騙される側の罪」について書いたが、昨日の読売新聞の記事にある内閣支持率の「摩訶不思議さ」を知り、もう一度ここで「騙される側」にも「大罪」があるのだということを、改めて強調しておきたいと思う。そして、僕自身の自戒を込めて言うのだが、今度こそ(次回の意思表示ができるときには)、「おのれの利益」をとりあえず横に置いて、この国が「破滅への道」を歩まないように、、大所高所から「清き1票」を行使しなければならないのではないか、と思う。
 権力者の「甘言」「軽口」には、もう決して騙されないという「決意」こそ、いま求められているのではないか、とおもっている。

 ところで、前回、刊行が近づいてきた拙著のタイトルを『葦の髄より中国を覗く――「反日感情」見ると聞くとは大違い』としましたが、今日になって、版元との競技の末「ことわざ事典」などにあるように、
 『葦の髄から中国を覗く――「反日感情」見るときとは大違い』に訂正しました。ブログを見て、興味を示してくれた一階亜mした。僕としては、サブタイトルと同じように、中国(武漢)での2年間で「見るときとは大違い』の経験をたくさんしてきたことを書き、近頃流行りの「反中」「嫌中」とは違った、「事実」に基づいた中国観を示すことができたと思っています。
 多くの人が読んでくれればな、と思っています。
 (30日・追記)
 なお、なぜ『葦の隋から中国を覗く』という自分を「卑下」したかのようなタイトルを付けたかというと、外交の専門家でも、また歴史家でも、政治学者でも、はたまた教育学者でもない僕が、広い国土と膨大な人口を持つ現代に中国につて語るというのは、「おこがましい」思いがあり、またテレビや新聞などに登場する「専門家」と称する人たちの「上から目線」に対して、「違う!」という気持が強く持ったということもあり、自分の「狭い」体験や見聞で中国を語るのであれば、「謙虚」になる必要があるのではないか、と痛切に感じたからです。
 読者の皆さんが、そんな僕の気持ちを理解してくれればいいな、と思っています。

権力者の妄執――安倍首相の「所信演説」を聞いて

2014-09-30 08:51:43 | 近況
 昨日(29日)から始まった臨時国会における安倍首相の「所信表明(演説)」を聞いて(本当は、今朝の新聞でその全文を読んで、であるが)、本当にこの人の頭はどうなっているのか、彼の目に僕たち民衆(国民)の現実=姿は映っていないのではないか、と思わざるを得なかった。
 かげりの出てきた(インチキがばれてきた)「アベノミクス」に代わって、「女性の活躍」と「地方創生」を掲げた今回の演説を聴いて、不思議だと思ったのは、あれほど物議を醸した「集団的自衛権行使容認」や「消費税10%に増税」問題については、一言も触れていないことであり、御嶽山が噴火して多くの犠牲者が出て、改めて日本列島が「火山列島」だと言うことを認識させられたのに、日本でも名だたる火山である桜島と普賢岳(長崎県)を近くに控えた「川内原発」の再稼働を再検討するそぶりも見せず、原発の状況をフクシマ以前に戻そうとする意思を明確にしたこと、である
 おそらく、ガチガチの国家主義者(国民主権否定論者)のブレーンの言いなりに、国民(民衆)の実態を無視した「所信表明演説」を行ったのだろうが、「集団的自衛権行使容認」や「消費税10%増税」に一言も触れず、原発の再稼働を推進することを表明した昨日の安倍首相の演説ほど、国民を馬鹿にしたものはないのではないか、と思わざるを得なかった。この人の言葉は、前から言ってきているように「空疎」で「観念的」であり、現実に根ざさない点を特徴としているが、今回の演説はその最たるものであった。
 安倍首相の言動が「空疎」で「観念的」だということのもう一つの理由は、「女性登用」の見本を示すとばかりに今度の内閣改造で「5人」の女性閣僚を任命したことにも現れている。それは、女性閣僚のうち高市早苗総務大臣ともう一人が、ナチス(ヒットラー)を尊敬する極右団体の幹部と写真に収まりながら、そのことが明らかになると、「政治家はたくさんの人と面会する。一緒に写真を撮った人が何者であるか知らなかった」と弁明したが、常識的に考えて、インタビュー記事を書こうとする人間が何者であるかが分からないで、インタビューに応じる政治家がいるか、と考えれば、高市たちの弁明が「嘘」であることは、一目瞭然である。さらにほど猪は、山谷えり子という国家公安院長である。国連でも問題視された「ヘイトスピーチ」を繰り広げている「在日特権を許さない会」(在日に特権など存在しないのに、誰に吹き込まれたのか、在日朝鮮人・韓国人の「歴史」を無視して「差別」的な言動を繰り広げている、安倍首相の応援団)の幹部とやはり写真に収まりながら、「そんな人は知らない」としらばっくれる厚顔ぶり。つまり、安倍首相の「女性登用」の実態は、単なる自分と同じ「極右」思想を持つ女性たちを登用しただけで、「女性差別」の解消とは全く別物であるということを暴露したのだが、そのことがマスコミをにぎわしているにもかかわらず、安倍首相は「厚顔無恥」そのままに、今回の所信表明(演説)でも「女性登用」を言い続けている。
 忘れていたが、沖縄の普天間基地の辺野古沖への移転に関しても、アメリカの言いなりに、県民の大多数が反対しているにもかかわらず、強引に移転(新基地建設)を進めようとしている。沖縄県民の声を無視して「地方創生」などとよく言えるな、というのが僕の率直な意見だが、いよいよ僕らも「目を覚ます」必要があるのではないか、と思っている。
 彼は、たぶん、今この日本で起こっていることの真の意味を分かっていないのだろうと思う。だから平気で、あれほど反対の多い「集団的自衛権行使容認」や「消費税10%増税」について黙し、「原発再稼働」推進を大声で唱えることができるのだろう。自民党が大勝した先の衆議院選挙及び参議院選挙で、原発に関して「徐々に減らしていく」と公言したことは、どこへ行ったのだろう。
 その意味で、僕らは彼(権力)の「暴走」を許さないためにも、権力に対して「異」を唱え続ける必要がある。沖縄県知事選で、福島県知事選で、僕らの意思を示そう!

これでいいのか?――アメリカ属国化(本土の沖縄化)が進む

2014-07-22 05:03:16 | 近況
 ここ何日かのマスコミ報道「オスプレイ、厚木基地へ」とか「オスプレイ、本土で訓練」、あるいは「自衛隊にオスプレイの購入計画があり、佐賀県にその基地を置く」などを見ていると、集団的自衛権行使容認論の「もう一つの顔」が見えてきたような気がする。
 つまり、安倍「極右」内閣は、集団的自衛権行使容認について「積極的平和主義」の一つの表れであり、(「世界の警察」米国の要請を受けて共同行動を取るということだから)格段に「抑止力」が高まり、「世界の平和」に貢献する、途説明してきたが、自民党・公明党による「出来レース」の結果集団的自衛権行使容認が「閣議決定」されるやいなや、アメリカ本土で「危険きわまりない飛行機(ヘリコプター)だから、都市の近くでは訓練しない」と言われてきたオスプレイの訓練を日本各地で行う、という何とも日本国民を馬鹿にした日米共同作戦を実施した。

 僕が住む群馬県でも、自衛隊第12師団が駐屯する榛名山麓の「相馬が原」(昔の人は、「ジラード事件」という砲弾の破片を射撃訓練場に拾いに行った農婦が、若い米軍兵士に射殺されるという事件を覚えているかも知れない)を抱える榛東村が、自衛隊からの交付金を目当てに早々と「オスプレイの訓練受け入れ」を決めた。たぶん、オスプレイが相馬が原で訓練を始めれば、当然我が家の頭上にも飛来し、いつ落ちてくるか、という「恐怖」を日常的に感じなければならないということになる。そうでなくとも、最近は第12師団所属かどうかは不明だが、明らかに輸送用と思われる大型のヘリが我が頭上を飛ぶことが多く、家人と「何だか沖縄みたいで、嫌だね」と話したこともあり、こんなことからも「戦争が露出してきている」と実感するのだが、それやこれやを総合して考えると、特定秘密保護法の制定や集団的自衛権行使容認など一連の「極右」的政策は、どうやら>「ナショナリズム」の皮を被った「対米従属=アメリカの属国化」政策>なのではないか、と思えてきた。
 そう言えば、安倍「極右」首相のお祖父さん岸信介も、戦後史の結節点であったといわれてきた「60年安保」において、アメリカへの従属を強化する日米安保条約の締結に「反対」する多くの「国民の声」を無視して、国会で「強行採決」したが、お祖父さんのDNAを誇る(?)安倍「極右」首相も、岸信介(日米安保条約)が敷いたアメリカへの従属路線をさらに進めて、「属国化」を謀っているようにしか見えない昨今の動向、僕は何度も自分はナショナリストではないと言ってきたが、その僕があきれるような「アメリカ属国化政策」、何ともやり切れない。
 しかも、それが「沖縄の米軍基地負担軽減策」の一環だ、などと言われると、思わず「嘘つけ!」と言いたくなる。つまり、オスプレイの訓練を本土各地で行うのは、「沖縄の負担」を軽減するため、というのがいかに「まやかし」であるか、それは普天間基地の移転させる代わりに名護市辺野古沖に普天間基地よりも大きなアメリカ軍基地を(日本が喜んで)建設する、というところに主張されている。安倍「極右」内閣は、事ある毎に、「北朝鮮の脅威」「中国の軍拡は東アジアの平和を脅かす」、などと喧伝し、集団的自衛権行使容認を強引に推し進めたりしてきたが、中国や北朝鮮(あるいは韓国)などから見たら、歴代保守政権が唱えてきた「日米同盟の強化」宣言だって、「日本(アメリカ)の脅威」であって、日本が東アジア諸国を「挑発」することになるのではないか、と思う。特に、「日本(アメリカ)脅威」論は、中国で2年間生活してきて切実に感じたことで、アメリカ(日本)の軍需産業に後押しされた自衛隊の装備強化(世界で第7位)は、まさに「日本軍国主義の復活」と中国人民の目には映っているようで、日本に友好的な中国人も日本の軍拡(自衛隊の装備強化)については心配していた(憂えていた)。
いずれにしろ、安倍「極右」政権が進めている「対米従属化」路線が、オスプレイの日本本土での訓練が具体化しているように、「日本全土の沖縄化」であるということ、このことについて本土の人間はもっと自覚しなければならないのではないか、とおもう。
 こんなことを書くと、またナショナリストたちから「売国奴」扱いされるが、沖縄の人たちが長い間「反旗地闘争」を行ってきている現実をどのように僕らが考えるか、また「真のナショナリズム」とは何か、を本気で考えた場合、現在の安倍「極右」首相こそアメリカへの「属国化」を進める「売国奴」なのではないか、と思えてならない。
 このところ、前回紹介した拙著『井伏鱒二と戦争――『花の街』から『黒い雨』まで』のこともあって、ずっとアジア太平洋戦争と文学者及び国民(庶民)との関係を考え続けてきたが、権力というのは、「国民」の名において諸政策を行うような「振り」はするが、最終的には「国民」に多くの犠牲を強いるものであること、このことは洋の東西を超えるものであることを、腹の底から理解することができた。
 「戦争」のことを考える「暑い夏」(8月6日・9日のヒロシマ・ナガサキ、8月15日の敗戦記念日)が、まもなくやってくる。僕らは、もう一度「平和とは何か」を深く考える必要があるのではないか、と思えてならない。誰もが「戦争」に関わらざるを得ない「徴兵制の復活」が間近に迫ってきているのだから……。

「意外」だったのですね!?――「読売新聞」の世論調査結果

2014-07-04 09:55:26 | 近況
(今日は短く)

 今朝のヤフーニュースを見ていて、思わず笑ってしまったのが、「読売新聞」の世論調査結果に対する、コメント(評価)である。
 世論調査の結果は、新聞各社の世論調査の結果と煮たようなもので、「安倍内閣の支持率 50パーセントを割る」というもので、具体的には「支持率48%・不支持率40%」というものであったが、新聞社を挙げて集団的自衛権行使容認を「支持」したにもかかわらず、結果的に国民の半数以上が安倍内閣を支持せず、当然国民の半数以上が集団的自衛権行使容認も認めていないということである。
 おそらく、この世論調査結果に「社説」を書いた解説委員などは「驚愕」したのだろう、世論調査結果に関する「読売新聞」の解説では、安倍首相の首相特別補佐官の言葉として、「ネガティブな報道が影響したのだろう」を掲げていた。font>
 自分たちの「説明不足」や「強引な論理展開=憲法解釈」を棚に上げて、集団的自衛権行使容認という安全保障体制(国の根幹)を変更するという「暴挙」に対する国民の「否認=批判」をマスコミ報道のせいにする。世界最大の発行部数を誇る「読売新聞」が支持し、また経済人(サラリーマンたち)の多くを読者に持つ「日本経済新聞」が支持したにもかかわらず、国民は安倍内閣が決めた集団的自衛権行使容認に「ノー」を突きつけたのである。

 なお、一言だけさらに付け加えておけば、1日に行われた「日朝協議」にかんして、「生存者名簿」なるものが北朝鮮から提示された、と日本健在新聞が伝えたと言うが、「政府寄り」と言われる「読売新聞」や「日本経済新聞」、あるいは「産経新聞」などのマスコミ報道(記事)をどう読めばいいのか、ますます厳しく私たちは自分の頭と心で「情報」を読み解く訓練をしていかなければならない、という思いを強くした。

集団的自衛権行使容認――「出来レース」を歓迎する二つの勢力

2014-07-03 05:08:42 | 近況
 7月1日に「閣議決定」された集団的自衛権行使容認が、自公両党による「出来レース」strong>であったことについては、与党協議の「議事録」なるものをマスコミが手に入れ、内容が明らかにされたことから確定されたが、「平和の党」を標榜してきた公明党が今年の1月に「連立離脱」を否定したときから集団的自衛権行使容認派は「既定事実」と化しており、与党協議など端から「茶番=出来レース」しかなかった、というのだから、何とも腹立たしいし、この国の民度(民主主義)がいかに劣化しているかを目の当たりにして絶望的にさえなる。
 そんな「権力」(自公政権)による集団的自衛権行使容認という「出来レース」にこの何ヶ月間踊らされた僕らではあったが、昨日何とも「嫌な気分」で考えていたところ、いつも貴重な情報をメールで寄せてくれている友人の元北海道新聞記者から、「解釈改憲」ではなく「解釈変更」だなどという「言葉遊び」に堕した感のある今回の自公政権による集団的自衛権行使容認「劇」を、ある一部の大手マスコミ(読売新聞、日本経済新聞など)が「後押し」していた事実を教えられた。
 僕は、あることがあって以来、世界最大の発行部数を誇る「読売新聞」の購読は止めていて必要なときだけ読んでいたので知らなかったのだが、件の友人からの情報で「読売新聞」が昨日の社説で次のようなことを言っていたを知り、「満州事変」以後15年間にわたって権力とマスコミが一体になって中国(アジア)侵略を目的とした「戦争」(アジア太平洋戦争・十五年戦争)を続けてきたことを想起し、「ああ、このようにして国というのは戦争に突き進むのだ」、と改めて実感した。「読売新聞」の「社説」(引用は冒頭の一部)は、以下のようなものである。

 <【集団的自衛権 抑止力向上へ意義深い「容認」
           ―――――日米防衛指針に適切に反映せよ】
                     =読売新聞 2014年7月2日
 米国など国際社会との連携を強化し、日本の平和と安全をより確かなものにするうえで、歴史的な意義があろう。
 政府が、集団的自衛権の行使を限定的に容認する新たな政府見解を閣議決定した。
 安倍首相は記者会見で、「平和国家としての歩みを、さらに力強いものにする。国民の命と暮らしを守るため、切れ目のない安全保障法制を整備する」と語っ た。行使容認に前向きな自民党と、慎重な公明党の立場は当初、隔たっていたが、両党が歩み寄り、合意に達したことを歓迎したい。(以下略)


 マスコミ・ジャーナリズムの本質は、権力の在り方を監視し「暴走」を未然に防ぐところにあると思っていたが、「読売新聞」は日本国憲法(「前文」や第9条)のことをどう思っているのだろうか。昨日の社説に見られるような「権力べったり」の姿勢では、「対外戦争を歓迎する」と言っているようなもので、先の大戦(アジア太平洋戦争)への「反省」など、みじんも見られない。たぶん、社説には政財界と密接な関係にある社主(渡辺恒雄)の意向が反映されているのだろうが、渡辺恒雄が戦後間もなくの頃(東大生から読売新聞の若き記者であった時代)「共産党員」であったこと、現在の「政権べったり」の姿勢はその頃のことがトラウマになっていて、その半藤だと言うことなのかも知れないが、いずれにしろ「発行部数1000万部」の読売新聞の購読者が昨日の社説をどのように読んだか、マスコミは「真実」を伝えるという幻想が蔓延っている現在、何とも背筋が凍るような気持になった
 もう一つ、昨日の報道は安倍「極右」政権による集団的自衛権行使容認が閣議決定されたことを受けてのアメリカオバマ政権の反応について、オバマ政権は「大歓迎」というのが大方の報道であったが、それはそうだろう。慢性的な財政難をかかえたアメリカにとって、「世界の警察」として力を弱めている昨今、自分たちが始めた「戦争」に関わる経済的・軍事的負担の一部を日本が肩代わりしてくれるというのだから、「歓迎」するのは当たり前である。これで、東アジア(中国・北朝鮮・韓国)が「有事」となれば、あるいは「中東」や「アフリカ」でアメリカ(軍)がピンチになれば、日本の自衛隊を自国の軍隊と同じように使える(同盟軍として)ことになり、大助かりである。 その意味では、「日米同盟強化」を唱えてきた安倍自公政権による今回の「暴挙」は、もしかしたら(と言うか、かなりの確立で)アメリカの「右派勢力(ネオコンなど)」による「後押し」あるいは、「画策」があって実現したのではないか、と僕など憶測せざるを得ないのである。
 それにしても、何とも不気味な時代に入ってしまったものである。
 なお、もう一度言っておきたいのは、安倍「極右」首相は記者会見で再三再四「国民の命と暮らしを守る」と言っていたが、「戦争のできる国」になって、実際「戦争」になれば、「戦争」:というものが本質的に「人間の命と暮らしを破壊するもの」である以上、安倍首相の言葉は「詭弁」かつ「はぐらかし」でしかないこと、僕らはしっかり肝に銘じる必要がある、ということである。

安倍総理、貴方の言は「詭弁」「はぐらかし」ばかりです!

2014-07-02 04:44:33 | 近況
 ついに、集団的自衛権行使容認が「閣議決定」されたが、このことに関する安倍「極右」首相の記者会見を聞いていて、腹が立って仕方がなかった。それは、閣議決定に先立って行われた公明党山口代表の「自公で合意に達した」発表会見でも感じたことなのだが、理由は3つある。
 まず第1、安倍首相は、集団的自衛権行使容認に関して「与党協議」を始めると言明したときの会見もそうだったのだが、本音は単に日本を「戦争のできる国」にしたいだけなのに、昨日も「海外派兵は一般医許されないという原則は変わらない」とか「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなった」とか言っていたが、ならば、何故こんなにも「急いで」解釈改憲して自衛隊の海外での活動(海外派兵)を広げる集団的自衛権行使を容認しようとしたのか、どう考えても安倍首相のの論理は筋が通らない。
 たぶん、集団的自衛権行使容認という「平和主義」という「国是」の大転換を図る政策について、自分は単に「戦前のように、日本がアジアで君臨するようになればいい」というアナクロニックな思い(狭量なナショナリズム)しか無かった/font>のに、誰か(周りにいる国粋主義的政治家か、あるいは官僚たちか、それともアメリカの戦争することによって自分たちが莫大な利益を得ると思っている新保守主義=ネオコンか、はたまたそれらの複合体か)に入れ知恵されての発言だったのだろう。あの「空疎」な「詭弁=嘘」に満ちた会見を聞いていると、何故この人はこんな「愚」を犯すのだろう、頭が悪いのではないか、「操り人形ではないか、裏でにんまりとほくそ笑んでいる連中(先の政治家、官僚、アメリカのネオコン)がいるのではないか、と思えて仕方がない。
 その証拠に、もし集団的自衛権が行使されて自衛隊が紛争地域で同盟国(アメリカ)を助ける活動に入ったとき「自衛隊員が他国人を殺し、また自分たちも殺されることはないのか」という記者の質問にまともに答えられなかった。安倍首相の眼中には、たぶん「過酷な戦場」に動員され、「殺す・殺される」状態になる自衛隊員の姿など見えていないのである。あるいは、もし「戦死者」が出たとしても、彼・彼女は自分が好きな靖国神社に祀られるからいいではないか、自分をはじめ国の指導者(政治家)は君たちを「名誉ある戦死者」として厚遇し、また靖国神社への参拝もするからいいではないか、ぐらいにしか思っていないのではないか、というのが首相の会見後に僕を襲ってきた思いである。
 安倍首相のお祖父さん(岸信介)は、国を二分する日米安全保障条約(そもそも、今回の集団的自衛権行使容認論も、その根っこはこの日米安保条約にある)の改訂に躍起になっていた時、国会を取り巻く20万人、30万人の市民たちの姿を見て、「私はここにいる反対派の国民ではなく、<声なき声>を信じて、安保改訂を進める」という何とも国民を馬鹿にした発言をしたが、今回の安倍首相の強引な「集団的自衛権行使容認」も、お祖父さんののまねをしただけかも知れないとの思いも消えない。
 >二つめは
、これまでにも再三再四言ってきた「公明党の裏切り」(もっとも、これは初めから決まっていた「出来レース」という考え方もあるが)について、である。正直に言うと、僕はこれほどの「権力欲」を見せることのなかった10年ぐらい前まで、「平和・福祉の党」を信じて、「公明新聞」や彼らの支持母体である創価学会の資金で運営されている出版社や新聞社の刊行物(「潮」。「政教新聞」)に、依頼されるままに寄稿してきた。しかし、「平和の党」の看板が偽物だったと分かった現在、10年ほど前のこととはいえ、「公明新聞」などに何度も寄稿した自分に、今になってではあるが、腹が立って仕方がない。
 そこで思い出すのが、戦前に「戦争反対」を唱えていた新興宗教(大本教、など)や一部キリスト教が徹底的に「弾圧」された歴史である。もしかしたら、そのような歴史を熟知している創価学会(公明党)は、戦争時の「宗教弾圧」を怖れて、今から権力に「同調」しておこうと思ったのではないか、という考えも頭をよぎったが、「まさか?」、そんなことはあるまい。
 3つめは、安倍首相の会見後に、テレビが街頭インタビューで集団的自衛権行使容認の「是非」を聞いていたが、その時の「賛成」の理由を聞いていて、いかに現在が「愚民政策」を敷いているか、そしてそれはものの見事に「成功」しているかを知らされ、腹が立ったのである。
 賛成派(何故か、若者が多かった)の意見の大半は、「嘘・妄想」で固められた安倍首相や自公政権のアジア情勢観(認識)、つまり「尖閣諸島問題が象徴するように、中国の軍事的圧力が強まり、また相変わらず北朝鮮は核武装を強めている」という認識を、「素直」に信じて、「こんなアジア情勢なのだから、武装強化しなければならない」といった、集団的自衛権行使が「自衛力(軍事力)強化」とは関係なく、単にアメリカに追随して日本が「戦争をする」ということだ、ということが全く分かっていない上での「賛成」であった。一部マスコミを動員しても、「中国・北朝鮮脅威論」がここまで浸透しているとは、驚きであった。
 また「賛成」意見からは、日米(軍事)同盟=日米安全保障条約に集団的自衛権行使容認とは密接な関係があるという考えは全く聞こえず、さらにいえば、アメリカのために日本の若者(自衛隊員)が「死ぬ」ということを全く考えていないと言うことが判明したが、誤解を恐れずにいえば、日本人はそこまで「愚か=馬鹿」になったのか、と思い、腹が立ったのである。
 以上であるが、これから集団的自衛権行使容認にかんする様々な「法整備」が行われる。安倍「極右」政権の暴走を許さないためにも、これからも監視を続け、どんな小さな地方選挙でも、決して自公を許さないという姿勢を貫くことが大切だと思う