黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

言論・表現の自由が危ない!――安倍政権の「傲り」

2014-11-29 09:16:44 | 仕事
 安倍「極右」政権は、「アベノミクスの是非を問う」などと、いかにも現今の「経済政策」が今度の総選挙の争点であるかの如く言い募っているが、アベノミクスなる経済政策が「大企業優先・弱者切り捨て」の経済政策であることは、アベノミクスによって「利益」を受けている人たちがほんの一握りの人たちでしかなく、僕たち「庶民」にまでその効果が届かない経済政策であることから、明々白々である。
 その一つの証拠が、自民党への「献金」を増額している企業がトヨタや日産といった自動車産業をはじめ、日立、東芝といった原発(輸出)メーカーであるという事実である。
 また、解散の「動機」と称するものが、「消費税10%実施の先送り」という何とも薄弱な理由であることも、アベノミクスが「危うい」経済政策に他ならないことの証拠になるだろう。
 だから、マスコミ・ジャーナリズムが伝えるように、今度の安倍政権による解散・総選挙は、先に行けば行くほど「争点」が明確になることを嫌った安倍政権が仕掛けた「巧妙」な権力の延命策である。つまり、解散・総選挙を例えば来年4月頃までに先延ばしすれば、集団的自衛権講師容認を巡る法整備の国会審議(議論)において、安倍「極右」内閣の強引さやその独裁的政治運営が剥き出しになり、また与党間(自民党と公明との間)の考え方の違いも明らかになり、そうでなくとも反対の多い集団的自衛権行使容認論(解釈改憲)の「違法性」もまた白日の下にさらされることになることを、安倍晋三首相は怖れたということである。
 その意味で、マスコミは「今度の選挙は前回よりもさらに低調で、投票率も下がるだろう」と予測しているが、僕らはその「予測」を裏切って投票所へ足を運ぶ必要がある。そこで、アベノミクスのインチキはもちろん、特定秘密保護法補正邸や集団的自衛権行使容認、原発再稼働・輸出(自民党の今度の総選挙における「公約」を見ると、明らかにフクシマ以前の原発推進に戻っていってしまっている。2年前の総選挙で、「徐々に原発依存を減らしていく」と言っていた公約から大幅に後退している)、対米従属を強めるTTP条約交渉、といった一連のファシズム的な自民党政治に「ノー」を突きつける必要がある。 どうやら安倍「極右」政権は、選挙が「盛り上がらず、低投票率になるだろう」という予測の下で、公示日前なのに、もう「選挙」で勝利したような気持になっているようで、その「傲り」の証拠が、解散前日に自民党の筆頭幹事長及び報道局長名で、テレビ各局に「公平報道」を要請したという事実である。その文書では、「出演者の発言回数や時間。ゲスト出演者などの選定、テーマの選定、また街頭インタビューや資料映像も一方的な意見に偏らないよう「公平中立」であることを望む、ということであるが、これは報道機関に対する明らかな「恫喝」である。つまり、これは、一見「当然のことを要請したまでだ」と思われるかも知れないが、政府・自民党が、「放送法」というマスコミに対する生殺与奪の権を握っている以上、「表現の自由・言論自由」への介入であり、テレビ各局への「恫喝」である。
 現に、今朝の報道に拠れば、テレ朝の名物「朝まで生テレビ」で、当初予定していた評論家と各政党からの出演者のうち、評論家の全員に、意見が特定の政党(自民党・公明党)に偏る可能性があるので、「参加取りやめ」を通知したという。つまり、テレ朝は早くも自民党の要請を受けて、「自主規制」したということになるが、これはまさに「表現の自由」「言論の自由」が脅かされた一例で、今後もこのようなことが起こるとしたら、それはもう「民主主義」の終焉を意味し、いよいよこの国が「ファシズム国家」への道をひた走り始めたことにもなる。
 文筆に携わる者の一人として、このような自民党の「傲り」を決して許すことができない。
 安倍「極右」政権に反撃を!と僕が言う理由の一端がここにある

安倍さん、貴方は「裸の王様」なのでは?

2014-11-27 10:12:58 | 仕事
 安倍「極右」政権に対する批判も、もういい加減「飽きた」という気持になっている今日この頃なのだが、今日(27日)朝食の後のコーヒーを飲みながらテレビのワイドショーを見ていたら、安倍内閣の経済政策のブレーン(参与)という人物が、「アベノミクスはうまくいっている。失敗だという人の気持ちが分からない。来年の春になれば、国民の誰もがアベノミクスの恩恵を受けているという実感を持つはずだ」と言っているのを耳にした。
 巷では「消費税は上がったのに、月給が上がらない」とか「年金が毎年少しずつ減らされている」との嘆き節が蔓延し、実際「ものの値段=物価」が上昇し続け家計を圧迫しているのに、「アベノミクスは成功している」というのは、どの口から吐かれた言葉なのか、何とも奇妙な感じだが、その安倍首相の経済政策ブレーン(ということは、経済の専門家ということなのだろう)と称する人物は、「来年春にその効果が出てくるために一番大切なのは、国民の(成功するはずだという)意識だ」などと、「占い師」のような根拠不在なご託宣もたれていて、彼の言うことは俄には信じがたい、と確信めいたものを抱くことになった。
 大体が、今朝の朝日新聞が報じていたが、昨日発表された自民党の「選挙公約」に書かれている「100万人の雇用創出・失業率の改善」だって、その言葉を一皮むけば、これまで多くの人が指摘してきたように、「増えた雇用」の実態は「非正規労働者」の就労が増えただけで、しかもそれは団塊の世代の(非正規)再雇用であって――それは、明らかに「低賃金」での雇用である――、「正社員の雇用」は第二次安倍政権の発足以来、逆に減っているというという。
 つまり、「円安・株高」の恩恵を受けているのは、大企業及びそこの社員のみで、40%を占める「非正規労働者」や年金生活者は一向にアベノミクスの恩恵を受けていない、ということなのである。僕が再三再四「騙される側の罪」についていうのは、安倍「極右」政権を支えるような一部のマスコミによる言説に惑わされることなく、自らの「実感」に基づいてアベノミクスは本当に成功しているのかどうかを判断しなければ行けないのではないか、と思うからである。
 また、このアベノミクスの対する僕らの疑念は、安倍首相(自民党)によるこの2年間の右翼的=ファシズム的政策(アメリカ追随政策)、つまり特定秘密保護法の制定に始まって、集団的自衛権講師容認、領土問題(日中・日韓関係の緊張状態)、日本の「農業」を壊滅させるTPP交渉、原発再稼働・原発輸出、等々に対する「反(叛)」の意識・意思に裏打ちされたものであること、このことを忘れてはならない。
 どうも、「お坊ちゃま」の安倍首相には、そんな僕ら庶民の疑念=「反(叛)」の意識・意思は全く届いていないのではないか、彼の周りには彼に「注意=意見」を言う人間はおらず、「おべんちゃら(お世辞)」ばかりを言う人間しかいないのではないか、つまり>安倍首相はまさに「裸の王様」状態になっているのではないか。この度の解散・総選挙も、そのような「取り巻き」の意見に従って断行したものであるとするならば、もう何をかいわんやである。
 というのも、これまた今日の東京新聞が伝えていたが、安倍首相が「情報源」としているFB(フェイスブック)には、前から伝えられていたことだが、「在日特権を許さない会」や「日本会議」といった「右翼=偏狭なナショナリスト」の言説や「ネトウヨ」と呼ばれる超保守派の言説が載っていて(シェアーされていて)、安倍首相はそれらの「情報」を頼りに政治を行っているらしい、という情報があるからに他ならない。
 取り巻きとネトウヨなどからの情報を基に、現実政治が行われているとしたら、僕らは「裸の王様」である安倍晋三首相を「笑って」いるだけではダメで、彼が「裸である」ことを今度の選挙で思い知らせる必要がある。安倍さんやその取り巻き・ネトウヨが考える「民意」でなく、僕らの「民意」を彼に突きつけなければならない

「民意」って、何だろう?(3)――私たちはどこへ行こうとしているのか?

2014-11-24 11:10:26 | 仕事
 今朝の朝日新聞の1面を見て、またしても「何だ、これは?!」と思ってしまった。
 最新の「総選挙」に関する世論調査の結果、比例代表の投票先を決めている人の「37%」が自民党へ、「11%」が民主党へ、その他維新の党など弱小政党への投票が「6~5%」となっていながら、アベノミクス(経済政策)については「評価しない」が43%で、「評価する」の38%を上まわり、安全保障政策だけが評価する・評価しないが拮抗しているが、その他原発エネルギー政策、社会保障政策などは評価しないが5割を超えている現実と、大きなズレ(矛盾)が生じているのではないか、このズレ(矛盾)は何を意味しているのか、と思わざるを得なかったからである
 人々個々の思いが複雑であることは承知しているが、この世論調査に現れたズレ(矛盾)が意味するものが、まさに現代社会を生きる僕たちが抱えている根源的問題を反映しているものだとしたら、今こそ僕たちは立ち止まって部分たちの在り様を見つめ直し、その上で子供や孫たちの生きる「未来社会」を構想し、そして「総選挙」に臨むべきなのではないか。
 つまり、人々が比例区において自民党へ「37%」の人が投票するという世論調査の結果は、選挙制度のマジック(自民党の得票率は野党の合計より低いにもかかわらず、野党の林立によって自民党が漁夫の利を占めた)によって誕生した安倍「極右」政権によって、戦後的価値(平和と民主主義)が否定され、「戦争のできる国」へとまっしぐらに突き進んでいることへ、人々が全面的に「肯定」しているわけではなく、前政権(民主党政権)が「失政」(本当にそうであったか、未だに検証されていない、と僕は思っている)下が故に、「他に政権を委ねる政党が存在しない」という消極的理由を反映した調査結果なのではないか、ということである。
 僕が今こそ「立ち止まって」将来のことをよく考えるべきであり、その考えた結果を投票行動に結びつけなければならない、と言うのは、このまま自民党(及び公明党)に政権を委ねたら、近い将来「とんでもないこと」が起こるのではないか、思えてならないからである。
 というのも、僕らはようやく本格的な「民主主義」が追求され始めたと言っていい「大正デモクラシー」の直後に、日本にも波及した「政界大恐慌」(1929年・昭和4年)から逃れるために(脱却するために)、時の保守党政権は「満州事変」を起こし、中国への本格的侵略を開始したという「歴史」をもっているからに他ならない。「内憂」(アベノミクスの失敗)を「外患」(中国脅威論)へと転化し、ファシズム体制を強化する、これがナショナリスト(右翼政治)の常套手段であること、僕らはそのことをゆめゆめ忘れるべきではない
 その意味で、僕は今まさに「帰路」に立っていると言っても過言ではない。選択肢を誤ったら、とんでもないことがまっていること、また何度でも繰り返すが、「騙されるが側」にも「罪」があること、このことを忘れずに僕らは熟考しなければならない。

「不器用な男」逝く――器用な男(詭弁男)の「延命解散」と……

2014-11-19 09:51:07 | 仕事
 1950年代後半から70年代初めまでの映画全盛時代に「青春時代」を過ごした僕にとって、日活アクションスターの小林旭や赤木圭一郎ら(何故か、僕は後にもてはやされることになった石原裕次郎は好きではなかった。「慶応ボーイ」のお坊ちゃんという印象に抵抗があったのかも知れない)と共に、「高倉健」は文句なしに「ヒーロー」だった。特に、貧乏学生でありながら映画青年(年間150本ぐらい見たこともあった)であった僕は、「昭和残侠伝」シリーズや「網走番外地」シリーズは、たぶん全作品見ていたのではないか、と思う。
 よく言われてきたことだが、「義理・人情」を大切にするヤクザ(博徒)=高倉健演じる男が>、「恩義」を受けた落ちぶれた老舗組織や小さな組織に理不尽なな要求を突きつけてくる「新興組織」に対して、「耐えて、耐えた」末に反攻にでる、その姿に僕たち全共闘学生は自分の現在を重ね、負け続けていた「権力」との戦いの中で、「いつかは……」と思いながら、スクリーンを見つつづけていたのである/strong>。
 つまり、「器用な生き方」をして世の中を渡っていく同級生や先輩後輩の姿を横目に、「不器用な生き方」しかできない花田秀次郎(高倉健「昭和残侠伝」の主人公)に自分を重ねることで、苦境にあった自分の在り方に何とか「正当性」を見いだそうとし、かつ自分を慰めていたのである
 その意味では、意図せず殺人を犯した男が刑務所から出て、故郷の炭坑(住宅)に帰ってくるまでの葛藤や逡巡を描いた「幸せの黄色いハンカチ」(1977年、僕が小学校の教師を辞めて大学院に入った2年後)を見たとき、今は悪戦苦闘しているがいつか自分も「幸せ」を掴むことができるのではないか、否、掴むために現在(いま)を必死に生きなければならない、今を疎かにしてはならない、と思ったものである――幸い大学院で、戦前から「文学」を武器にこの時代の「よりよい在り方」を求めて、戦前の「敗北」を乗り越え苦闘を続けてきた小田切秀雄先生に出会い、「文学批評」によって「反権力」を追求することの可能性を見つけることができ、今日に至っている、ということがある。
 だから、正直に言うと、「文化勲章」をもらうような、一種の「芸術(文)芸作品」に出演するようになってからの高倉健出演の映画は、さほど熱心には見てこなかった。一般的には、そのような作品ほど高く評価されていたが、僕の内部ではいつも「違うのではないか?アウトローの健さんこそ、もっとも似つかわしいのではないか」という疑念が消えることがなかったのである
 高倉健の代名詞にもなっていた「不器用な男」も、それがトレードマークになるにつれて、「不器用」というのは「本道=中心」を歩けない男にこそ相応しい形容詞であって、誰からも「格好いい」「素敵」と思われるのは、それが「ブランド」になってしまったことの証拠で、白鞘のドスをひっさげて、一人で(あるいは、意の通じた同志と二人で)「敵(権力)」に立ち向かっていった「不器用な男」とは違うのではないか、と思っていた。
 そんな高倉健のしを伝えるニュースと同時に、あたかもそれが「仕組まれたニュース」と錯覚されるようなタイミングで>、「詭弁」を弄し続けてきたこの国の指導者(安倍晋三首相)が、衆議院の解散を宣言した。前から予測したこととは言え、全く「大義のない」自らの権力を維持・延命させるためだけの解散・総選挙宣言。自分に「非」がある人間ほど居丈高になり多弁にもなると言うが、昨日の安倍首相はまさにその通りで、700億円という多額の税金を使って解散・総選挙する「理由」など毛ほどもないのに、消費税増税を「先送り」したから「国民に信を問う」と強弁を繰り返していた
 そんな安倍首相の言動には腹が立ち、あきれるしかなかったが、しかしその安倍首相の意図が、「失敗」したアベノミクス(経済政策)や集団的自衛権講師容認などの「憲法を逸脱した」日米安保体制の整備、財界に後押しされた原発再稼働、等々の「超保守的=極右的」政策を隠蔽し、かつ自らの権力を「延命」させるための方法だったとしたら、僕らは「もう騙されない」と決意し、「反攻」に打って出ていくしかないのではないか。
 あの傲慢にも「国民の命と暮らしを守る」などと公言し続ける安倍首相に、どうしても僕らは一泡吹かせる必要がある。ニヒリズムの陥ることなく、「清き一票」を投じるために選挙に行こう。もう二度と「騙されない」ために!strong>

好機到来!?――解散・総選挙で何を隠蔽しようとしているのか?

2014-11-18 10:10:49 | 仕事
 予想していたとおり、沖縄知事選(那覇市長選)は、普天間基地の辺野古沖移設に「反対」を表明していた翁長候補が、推進派の仲井真知事(自民党推薦)を10万票余りの差を付けて、圧勝した。
 この選挙結果は、沖縄県民が名護市長選に続いて「辺野古沖への米軍新基地建設」に対して「ノー」を突きつけたはずなのに、安倍「極右」政権は、辺野古沖への「新基地建設は決定済みのことだから、粛々と推進していく」、と全く「民意」を無視した意向を表明したが、これは「日米同盟の強化」という名の安倍政権による「対米従属」路線を続けていくということの表明であって、それは何度も言ってきた「戦争への道」への歩みをさらに強めていくということの表明に他ならない――今日(18日)の「東京新聞」は1面で「防衛省 オスプレイ100機装備計画 今年度5機受注」を報じていた。集団的自衛権行使を容認したことで、自衛隊の海外出動が増えるだろうと言うことを見越しての概算要求らしいが、安倍政権が「アベノミクス」などという幻想的経済政策に隠れて、このような形で自衛隊の「専守防衛」理念の解体を進めていること、このことを忘れてはならない。僕らが今度の選挙で躊躇なく安倍「極右」政権に「ノー」を突きつけなければならない理由の一つが、このようなファシズム的政治にあることを、肝に銘じるべきである――。strong> 安倍「極右」政権が「民意」をくみ取らないということでは、今日の夕方にも表明されるという「衆院解散→総選挙」という目論見である。顧客種の世論調査で、国民の70~80%が「何のために700億円近い税金を使って選挙する必要があるのか、分からない」と言っているにもかかわらず、「消費増税先送り」、実はアベノミクスなる経済政策の「失敗」を隠蔽することを理由に、解散・総選挙に突入しようとしている。安倍晋三という「権力亡者」の頭の中には、いかにして権力の座を維持していくか、しか無いようである。僕らはいかに「愚妹」な権力亡者を首相に選んでしまったことか。
 ここにも「騙される側の罪」はあるのだが、この解散・総選挙という「暴挙」の陰に隠されているもの、つまり「隠蔽」されているのは、アベノミクスの失敗はもちろんであるが、この国の「将来」の在り方を考えると、アベノミクスの失敗の隠蔽よりも、本質的にはマスコミ・ジャーナリズムが指摘しているように、strong>安倍「極右」政権のこれまでの「右傾化」路線、具体的には、特定秘密保護法の施行、集団的自衛権の行使容認、原発再稼働・原発輸出、宇宙空間の軍事利用、武器輸出三原則の撤廃、等々、を隠蔽し
さらに推し進めていくためのものであって、決して「国民の命と暮らしを守る」政治の推進では無いということ、このことを僕らは、繰り返すが、肝に銘じるべきである。
 しかし、安倍首相が「大義なき=理由なき解散・総選挙」に打って出たこと、これを僕らは逆手にとって、つまり「好機到来」と思い、全力で安倍政権打倒のために尽力しなければならないのではないか、と思う。今や「目先の利益」に目を奪われている時ではない。残念ながら、「1強8弱」という野党の体たらく状態を考えると、なかなか僕らの意思を実現するのは難しいかなとも思うが、野党には「小異を捨てて大同に就いて」欲しいと思うが、僕らとしては「諦める」ことなく、微かな希望を見据えて、是が非でも「投票行動」に赴いていくべきだと思う。
 「何をやっても変わらない」と思うのは、敗北主義である。僕個人としては、50年近く前に経験した「敗北主義」の惨めさを二度と味わいたくないと思っている。
 みんなで何とかしよう!strong>

「民主主義」が壊れていく――「日本を取り戻す」の実態

2014-11-13 09:52:49 | 近況
 昨日は、現在「キッチュ(まがい物)」が蔓延していると指摘したが、その最たるものが「日本を取り戻す」とか「戦後レジュームからの脱却」などという「空疎」で「観念的」な言葉を全面に押し出し、そして「アベノミクス」なる一部にしかその実態(経済効果)が及ばない経済政策で、すっかり国民を幻惑した安倍自公「極右」政権の思想・在り様に他ならない。
 つまり、安倍「極右」政権は、その「歴史修正主義」――その姿勢を象徴するのが、戦前期の「軍国主義=帝国主義的侵略主義」を肯定する「靖国神社参拝」であり、「村山談話」や「河野談話」を否定する「侵略の定義は歴史上・国際上定まっていない」とする発言である――に典型化されているが、戦後の「平和と民主主義」を否定して、戦前のような「絶対主義天皇制」下の社会=統治形態を密かに「理想」としているということである。「アベノミクス」による格差社会の拡大は、まさにそのことの具体的現れに他ならない
 ただ1点、戦前の権力と安倍「極右」政権とがいくらか違うのは、グローバル化した世界を反映して「対米従属」を強めていることだけである。もっとも、この安倍政権による「対米従属」の強化は、明治維新期における福沢諭吉の「アジア蔑視」(その裏返しとしての「欧米尊重」であり、「和魂洋才」思想もまた同じ「アジア蔑視」から生じた考えである)以来の伝統とも考えられるが、安倍晋三氏の「ネオ・ナショナリスト」ぶりを見ていると、彼の「対米従属」思想も、「欧米崇拝・アジア蔑視」が簡単に「大と上共栄圏の建設」と「鬼畜米英」に代わったように、いつ「反米」に転じるか分からないような「不定見」なもののように、僕には見えるのだが……。
 そんな狭量な「ナショナリズム」=反民主主義思想(=封建的思想)がいかに現代に蔓延しているかをまざまざと見せてくれているのが、端から「歴史」を学ぼうとしないところから生まれた「ヘイトスピーチ」だと思うが、実はもう一つ、安倍「極右」政権が「女性」を取り込もうとして「女性の登用」を訴えていることに、何とも皮肉だが、結果的に「水を差す」ことになった、「男女平等思想は、反道徳の妄想である」とする女性国会議員(次世代の党所属)の発言である。
 この「男女平等思想は、反道徳の妄想である」、つまり「日本では、女性と男性の役割がはっきりしていた(つまり、男は外で仕事、女は家の中で子育てや家事しろということだろう)、と衆院で議論されている「女性活躍推進法案」(これ自体が「キッチュ」でしかないが)にかかわる委員会で質問に立った杉田水脈(みわ)という議員が発したのも、この国全体が「右傾化=戦前回帰」していることの証拠であるが、それにしてもこのような「女性差別」発言が、若い女性国会議員から飛び出すこの国の「民主主義度」、もうあきれるしかない。
 このような発言をする女性議員は、「万死に値する」つまり国会議員を辞めてもらうしかないが、このような国会議員(元日本維新の会?)を選んだ国民にもまた「当然責任=罪」がある。繰り返し言っていることだが、「騙される側の罪」を今こそ僕らは考えなければならないからである。
 それにしても、いよいよ「大儀無き」解散・総選挙が間近に迫ってきたようである。「日本を取り戻す」とか「戦後レジュームからの脱却」がいかに虚妄であったか、ここは、腹をくくって、「目先の利益」だけを考えるのではなく、僕らは子・孫・ひ孫、……の代まで「平和」でより改善された「民主主義社会」であり続けることを願って、投票所に足を運ぶべきである。
 「ニヒリズム」に陥っている暇はない、というのが僕の認識である。

キッチュ(まがいもの)な時代――私たちは何を頼りに生きていけばいいのか

2014-11-12 17:26:02 | 仕事
 このところ、新著に関する事務的な処理を行う合間に、運動を兼ねて家庭菜園の「整備(片付け・掃除)をしているのだが、外仕事をしていて一つ気になってならないことがある。それは、ほぼ毎日、朝と夕方榛名山麓(相馬が原)にある自衛隊第12師団から飛んでくるのだろうが、頭上を1機なしは2機の軍用ヘリコプターが飛び交っていることである。
 最初は「ドクター・ヘリ」かなとも思っていたのだが、それにしては前後に二つのプロペラを付けているので、これは沖縄でよく見かけた軍用ヘリだと思い、「何のために」という疑問を持たざるを得なかった・思い出せば、如上のような自衛隊のヘリが我が頭上を飛び交うようになったのは、第12師団(相馬が原)から多額の「協力金」を得ている榛東村が、あの危険きわまりないオスプレイの「訓練基地」として承認すると発表して以降である。
 オスプレイの訓練飛行の「露払い」として(あるいは、米軍との共同訓練を想定して)自衛隊のヘリが群馬県の空を飛び回っているのかも知れないが、こんな何気ない光景からも、安倍政権が「戦争への道」を切り開こうとしていることの「一つの証」を見る思いがする。
 折しも、今朝の新聞は一斉に「安倍内閣、解散、総選挙か?」というニュースを第1面で報じた。しばらく前から、「消費増税を見送りを理由に、解散総選挙」は報じられていたから、さほど驚きはしなかったが、各紙が伝えるように「大義名分なし」「政権維持を目的に」という、この忙しい年末を迎えての解散・総選挙、この仕儀は安倍晋三という政治家が「権力亡者」でしかないことを証明するものに他ならず、六百数十億円という巨費を費やす総選挙は、税金の「無駄遣い」であり、まさしく国民を愚弄するものである。
 「輸出」産業=大企業と金融機関だけが「儲かって」、非正規労働者のところにまでその「効果」が及ばないアベノミクスの「失敗」や特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認、「武器輸出三原則」の見直し、原発再稼働、原発輸出、「政治とカネ」問題に端を発する閣僚の辞任、等々の「悪政」を理由に「国民に信を問う」のであれば、解散・総選挙もそれなりに意味があるだろうが、それらは「既定の事実」としてそのままに解散・総選挙に打って出ようとしている安倍政権、そこには「国民の生活と暮らしを守る」という政治の本道はなく、あるのは己の「欲望」を満たすため、何とも情けないことだが、本当に僕らはこのような「キッチュ」な政治の下で今を生きていかなければならないのだろうか。
 ただ、これを機会に、安倍「極右」政権に打撃を与えることも可能である。僕らはそのことを信じてこの事態に立ち向かわなければならないのだが、それにしても「野党」のだらしなさは目に余るものがあり、そこを安倍政権に見透かされているのだろうが、ともかく「自公政権」に一矢を報いるチャンスでもあることを忘れず、僕らの「権利=選挙権」を行使しなければならないことだけは、確かである。
 
 なお、拙著『葦の髄より中国を覗く』は、あの文字通り「外交辞令」的でしかなかった日中首脳会談の裏側に存在する「一三億数千万人の中国人」の生活と思想の一端をえぐったものです。是非ご一読を!

拙著『葦の髄より中国を覗く』が刊行されました。

2014-11-11 10:43:24 | 仕事


 かねてより「予告」しておりました僕の>「中国体験記=現代中国リポート」、『葦の髄より中国を覗く――「反日感情」見ると聞くとは大違い』(アーツアンドクラフツ刊 1500円+税)strong>が刊行されました。
 批評家として、また近現代文学研究者としてこれまで書いてきた「作家論」や「文学論」とは違う「体験記=体験レポート」、断片的には「図書新聞」や「解放」、「大法輪」、あるいは「武漢便り」と題して武漢滞在中にこのブログに書いてきたことなどを整理したものであるが、版元からの「一般向けの読み物だから」という要請に応えるために、結構難儀した。
 しかし、できあがったのを見ると、結果的に">「類書のない」本に仕上がったのではないか、といささかの自負も湧いてきた。評価は読んだ人の判断にお任せするとして、中国関係の専門家や外交官、新聞などジャーナリズムの特派員ではなく、一介の大学教師が「体験」した現代中国のレポート、極力「上から目線」にならないよう気をつけたつもりだが、果たしてどのように受け止めていただけるだろうか。
 少なくとも拙著に書かれたことは、「葦の髄から覗いた」ものではあるが、基本的に「事実」である。僕の解釈が違うという場合もあるかも知れないが(「事実」だって見方によって、異なる相貌を見せることがある)、あやふやなことは学生や関係者に確かめたものなので、その意味では「間違ってはいない事実」である
 折しも、第二次安倍政権になって初めての「日中首脳会談」が昨日行われた。始終こわばった顔の安倍首相と習近平主席、本当にこれで日中間の「緊張状態」が緩和に向かう第一歩になったのか、習近平政権の「覇権主義」と安倍政権の「極右」的体質を考えると、日中関係の「雪解け」はまだまだ遠いという感じを持つが、拙著にもし意味があるとすれば、それは少なくとも「民衆」レベルにおける日中関係は「政治」や「外交」の世界とは別なところに存在するのではないか、ということを「体験(見聞)」に基づき、考察したところにある、と思っている。
 詳細は手にとっていただければ分かると思うが、「反中」や「嫌中」がもてはやされている昨今の状況に、拙著は一矢を報いているのではないか、と自画自賛している。
 もし拙著を読んでみたいと思う方">、「黒古のブログで見た」と版元に伝えれば、「1500円+税=1620円」が「(送料込みで)1400円」(著者割り)で購入することができます。
 版元(アーツアンドクラフツ社)の電話は「03-6272-5207」、FAX[03-6272-5208」です。
 どしどし注文して欲しいと思います。
 そして、もし面白かったら、友人・知人の方にもお勧めください

政治=権力の不思議――川内原発の再稼働問題などから

2014-11-08 09:10:39 | 仕事
 このところずっと「政治」とは対極(?)にある「文学」の仕事をしてきた
 先週の金曜日(31日)-土曜日(1日)には、恒例の福島県南会津町舘岩への「新蕎麦を食する旅」を兼ねて、「立松和平文庫」が設置された宇都宮市立南図書館と舘岩にある私設の「立松和平文庫」での調査を行ってきた。調査は、12月で完結する『立松和平全小説』(全30巻、別卷1)の別巻に付す「立松和平著書目録」の不備(不足分)を補充するものであった。
 多作であった立松の著書は、一般的に「3百数十冊』と言われてきたが、僕のところにはその内の『270冊余り」があり、『全小説』の刊行が決まったとき、生前の立松から「著書目録」を作る際に、「足らないものがあったらいつでも言ってくれ、送るから』と言われていたのだが、そのことが実現しないまま今日に至ってしまったという経緯がある。
 「著書目録」(ジャンル、発行年月日、出版社、ページ数、装幀(装画)、定価、後記(あとがき)、解説の有無を記したもの)は、1ヶ月ほど前から作り始めたのだが、「書誌作成」に関して<現物主義>を唱えてきた僕としては、僕の所蔵分を終えた段階で、残りの数十冊を宇都宮と舘岩の「立松和平文庫」で調べざるを得なくなってきたのである。結果的に、両方の「文庫」で20数冊は調べられたが、残りは国会図書館頼みということになった(なお、両「文庫」には僕の所蔵している著作で無いものも多数有り、今後の補充をお願いしてきた)。
 久し振りに「書誌作成」を行ったが、関西大学名誉教授の浦西和彦さんに教わった書誌作成における「現物主義」の大変さを改めて思わないわけにはいかなかった。後世の「立松和平研究者」のために、ともっての作業であったが、ともかく大変だった。
 そんな『立松和平全小説』に関わる仕事をしながら、いよいよ来年の2月に中国での刊行が決まった『村上春樹批判』strong>のための原稿の手直し、長めの「あとがき」を書き、この本は日本でも刊行が決まっているので(詳細については、刊行日などが決まった段階でお伝えしたい)、世を挙げて村上春樹のノーベル賞受賞を歓迎するような日本の状況下にあって、どんな反応があるか、我ながら刊行が待ち遠しくなっている。
 こんな作業をしていると、改めて自分が「文芸批評」(文学研究)の世界に生きているんだという実感を持つが、今日の状況と一見まったく関係ないように見えるこのような「文学」の仕事も、実はその奥深いところで「歴史」や「時代の状況・思想」と深く関係しているのだという実感を得ざるを得なかった。つまり">>、「文学」もまた、「政治」や「歴史」と深い関係があるということに改めて思い至ったということである。
 村上春樹流に言うならば、現代文学は「デタッチメント(社会的無関心)」でいることはできず、いつかは必ず「コミットメント」問題をその作品(僕の場合は「批評」)の内部に内在させるようになる、ということである
 その意味で、住民(国民)の多くが「原発再稼働」に反対しているにもかかわらず、電力会社(九州電力)を「助けるため」だけを目的としたとしか思えない「川内原発の再稼働決定」、「国民の命と生活を守る」ことをスローガンに掲げた安倍政権がいかに「まやかし」であるか、安倍政権が何を意識して政治を行っているか、言葉を換えれば安倍政権の視線はどこに向いているのか、その視線の先には「アメリカ」と「大企業」しか無いのではないか、僕らはそんな安倍政権に「騙されている」のではないか、との思いを消すことができない。
 そして、思うのは、繰り返すことになるが、「騙される側の罪」のことである。あの「はつらつさ」の欠片もない、いつも苛々しているような安倍首相の顔を見ている、なおさら「絶対騙されてはならぬ」と思うのだが、依然として内閣支持率は「50%前後」を推移している。「70%」近い原発再稼働反対と「50%前後」の内閣支持率、この「落差・矛盾」は、僕の思うところ、この数字の落差・矛盾は国民の多くが安倍政権に「騙されている」ことの証だと思うが、最早繰り返して「覚醒」を促すしかないのか、と思うこの頃である