黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

遠慮会釈無く(2)――「嘘つき」がやりたい放題、これからどうなるのか?

2015-12-26 09:51:07 | 仕事
 昨日の新聞トップ記事は、「高浜原発、再稼働を認める」であった。フクシマから「まだ5年」しか経っておらず、相変わらずフクシマによる放射能汚染は続き、福島第一原発の廃炉計画も不透明な状態にあるにもかかわらず、安倍「極右・強権」内閣の意を汲んだ司法(福井地裁)は、4月に決定した高浜原発や大飯原発の運転を差し止めた仮処分決定を棄却した。その結果、二つの原発を管理する関西電力は、早速再稼働に向けて動き出した。
 こうなると、改めて川内原発の再稼働を含めて、フクシマの大事故を受けて、自民党が2030年をメドに「原発ゼロ」を目指すとした公約は、どこへ消えてしまったのか、と思わざるを得ない。「アベノミクス」なる一部の上場会社しか潤わない「インチキな経済政策」を前面に、原発再稼働・原発輸出を急ぐ自民党(とそれに追随する公明党)は、数を頼りに「三権分立」の原則などどこ吹く風とばかりに司法まで支配し、国民に平気で「嘘をつく」、とんでもないファシズム政権であること、僕らはもうそろそろこの政権の「独裁」的な性悪を見抜くべきなのではないか、安倍政権を支持する者は、そのような「嘘つき」政治に加担するものだということにも、そろそろ気付いていいのではないか、と思う。
 同じく昨日と今日の新聞紙面に、囲み記事で、かねてより噂されていたテレビ朝日の看板報道番組「報道ステーション」のメイン・キャスター古館伊知郎とTBSテレビのこれもよく知られた「ニュース23」のアンカー岸井成格(しげただ)が今期限りで降板する、と報じている。安倍自公政権のメディアへの干渉は、鈴木哲夫の『安倍政権のメディア支配』(15年6月 イースト新書)を見るまでもなく、NHKやTBS,テレビ朝日をはじめとする「反安倍」「安倍批判」の言説を隠さないメディアに対するやり方を見れば明白だが、安倍政権下手tりの読売新聞・産経新聞の在り方と最近の安倍政権(総務大臣高市早苗のあの偉ぶった高圧的な態度が象徴する)によるメディア支配、この政権党の在り方を見ていると、1923(大正12)年の「治安維持法」制定を機に、一気に「15年戦争=アジア太平洋戦争」に突入していった戦前(安倍首相の言う「美しい日本」「日本を取り戻す」の「日本」)を彷彿とさせる。
 「戦争のできる国」を目指して、多くの憲法学者が「違憲」と判断した安保法制=戦争法案を強行採決し田事実は、まさに現在の日本が1930年代の日本と告示していると言うことであり、僕らの「自由」が大幅に制限され始めている、ということである。
 安倍自公政権は、もう「やりたい放題」である。その安倍政権の暴走(蛮行)に手を貸しているのが、この内閣に一定の支持率を与え、様々なレベルの選挙で自民党ないしは公明党に「投票」してきた、僕であり貴方方の「国民」であること、このことについて僕らはもっともっと自覚的になるべきである。
 正直に言うが、テレビの報道などで、あのどう見ても「利発」とは思えない顔の安倍氏が現れると、虫酸が走る。ニコニコと笑い顔などされると、早く消えてしまえ、とも思う
 2015年も、もうすぐに終わる。現代の日本は、防衛費だけが肥大した来年度予算案を見れば分かるように、まさに末期的な情況にある。
 早く何とかしないと、とんでもない状態を迎えることになるのではないか

遠慮会釈無く(1)――「天皇誕生日」に思う。

2015-12-23 10:23:47 | 仕事
 今日は、平成天皇の誕生日である。新聞各紙は、82歳になった今上天皇が「この1年は、先の戦争(アジア太平洋戦争)について考えて過ごしました」という「反省の言葉」について、好意的に報じた。
 確かに、敗戦記念日における天皇の先の大戦の犠牲者を悼む言葉や訪問したパラオ(日本軍が玉砕したペリリュー島)での「慰霊の言葉」などから、天皇が父親である昭和天皇の名において行った侵略戦争の「開戦」と「ポツダム宣言の受諾(敗戦)」にいたる「先の戦争」について、本気で「反省」し「哀悼」の意を捧げてきたこと、及び「戦争」を厭い、「平和」を愛する気持ちが厚いことは、疑いようもないだろう
 しかし、第二次安倍自公政権の「特定秘密保護法」の制定から「集団的自衛権行使容認」を中心とする安保法制=戦争法案の国会通過、原発再稼働・原発輸出といった核政策、沖縄の普天間基地移設=辺野古沖の新基地建設、予算措置もないままの軽減税率の導入、その他労働者派遣法の改悪、生活保護費の削減、脳裏漁業者を苦しめることになるTPP大筋合意、等々といった一連の施策から透けて見えるアメリカ追随(属国化)の強化と独裁(ファッシズム)的政治手法と、では、本日の誕生日に寄せられた天皇の「言葉=思い」とは、どのような整合性があるのか。
 僕には安倍自公政権が天皇が発してきた「平和」や先の戦争の犠牲者を悼む「言葉=気持」を隠れ蓑に、いかにも天皇の前では「かしこまった顔」をしながら、天皇の言葉を踏みにじるような「戦争への道」をひたすら推進するその政治姿勢、明治時代、安倍首相と故郷を同じくする枢密院の元老「山県有朋」が、明治天皇が少しでも清二に口を挟もうとすると、「黙れ、お前の首などいつでもすげ替えられるのだぞ!」と恫喝した、という嘘か誠か分からないエピソードを思い出す。安倍首相も、天皇の前では神妙な顔をしているが、腹の中では「お前の言葉など、何の意味もない。俺は俺のお祖父さんが活躍していた<戦前>のような日本にしたいのだ。大東共栄圏の盟主として、中国や韓国に文句の言わせない軍国主義を中核とした国家を作るのだ」とでも、嘯いているのではないか、と思えてならない。 「日本を取り戻す」と言ったときの「日本」は、明らかに「戦前の日本」である。
 安倍晋三の顔を見たくないという作家の辺見庸は、その著『もう戦争がはじまっている』(11月30日 河出書房新社刊)の中で、次のように言っているが、僕もその通りだと思っている。
 
 <わたしが安倍政権をこれまでのどの政権よりもかくだんに厭い、絶対的に危険視する のは、こうした歴史(南京大虐殺や従軍慰安婦、など日本軍国主義が中国アジア各地で蛮行を繰り広げた事 実)をまるごと否定、修正、または過小評価して、みずからは天皇の「醜(しこ)の御盾(みたて)」を気 どり(南京虐殺実行部隊どうように)玉串奉奠などの「神事」をおこない、めいっぱい平成の天皇を利用  し、民心とメディアをたんに権力保持のための道具とし、ウソをつきまくり、群衆を好きなだけもてあそん でいるからである>  (2014.11.23)

 <物心付いてからこれまで、これほど危険な政権をわたしはみたことがない。弱者、貧 困者をこれほど侮蔑し侮った政権を知らない。この国の過去をこれほどまでに反省しない政権自民党でさえ めずらしい。これほど浅薄な人間観、これほど浅はかな世界観、これほど歪んだ歴史観のもちぬし、これほ どのウソつきに、ひとびとがやすやすと支配されているのをみるのは、ものごころついてからはじめてだ。 >(2014.12.06)

 先にこの欄で紹介した野坂昭如は、手紙の中で「当面の安穏な生活が保障されるならばと身を合わせているうちに、近頃、かなり物騒な世の中となってきた」と書いていたが、まさに「目先の安穏とした生活」に安住していると、将来(子や孫の時代)に禍根を遺すことになる、という遺言めいた野坂の言葉、僕らは辺見庸の言葉と同様に、安倍自公政権が繰り出す「目眩まし」の政策の本質を見極め、少なくとも「当面の安穏な生活」に拘泥することなく、安倍政権に「NO」を突きつけないと、とんでもないことになるだ牢固と似、もっと自覚的にならないと行けないのではないか。
 国も県も必至になって隠そうとしているが、フクシマによって放出された放射能によって、子供の「甲状腺ガン」が増えていること、今後は大人にもそれらが広がって行くであろう事実、等々、フクシマは「未だ収束していない」ことを鑑みて、僕らは絶対に「嘘つき」安倍自公政権を決して許すべきではない、と決意すべきだと思う。そのことに、僕らはもっともっと自覚的であるべきである

「崩壊」していく日本(10)――野坂昭如の「遺言」に触発され……

2015-12-18 10:14:56 | 仕事
 すでに「古いニュース」になってしまったが、『エロ事師たち』(63年)やアニメや映画にもなった『火垂るの墓』(67年)、あるいは『四畳半襖の下張り』裁判――永井荷風作と伝えられる『四畳半襖の下張り』を編集長として雑誌「面白半分」に再掲載(72年)したとして告訴された「猥褻」をめぐる裁判――、さらには「おもちゃのチャチャチャ」や「黒の舟歌」等の作詞家、参議院選挙や「金権首相」の田中角栄を落選させるためにっきょうの新潟から衆議院選挙に立候補したことなどでも知られた野坂昭如が、今月9日85歳で亡くなった。
 野坂の死を伝える「東京新聞」は、「反戦 反骨 自由 日本の将来憂う」と見出しを付け、野坂は亡くなる2日前の12月7日放送の「六輔七転八倒九十分」に寄せた「手紙」について、「ひとつの瀬戸際に あの時代に戻ってしまいそう」とのキャッチ・コピーを付け、その全文を紹介していた。なぜ「東京新聞」がその野坂の手紙に「ひとつの世知際~~~」のコピーを付けたのか、それは手紙の中に以下のような文面があったからに他ならない。

 <明日は12月8日である。昭和16年のこの日、日本が真珠湾を攻撃した。8日の朝、米英と戦う宣戦布 告の詔勅が出された。戦争が始まった日である。ハワイを攻撃することで、当時、日本の行き詰まりを打破 せんとした結果、戦争に突っ走った。
  当面の安穏な生活が保障されるならばと身を合わせているうちに、近頃、かなり物騒な世の中となってき た。戦後の日本は平和国家だというが、たった1日で平和国家に生まれ変わったのだから、おなじく、たっ た1日で、その平和とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり、戦争をする事にだってなりかねない。 気付いた時、二者択一などと言ってられない。明日にでも、たったひっつの選択しか許されない世の中に  なってしまうのではないか。
  昭和16年の12月8日を知る人がごくわずかになった今、また、ヒョイとあの時代に戻ってしまうそう な気がしてならない。>(改行は黒古)

 野坂のこの言葉は、「文学者の役割」は「炭坑のカナリア」と同じだという考えに基づくものである――アメリカの作家カート・ボネガット・Jrが、炭坑爆発を誘引するガスの発生を異臭に敏感なカナリアがいち早く知らせるという鉱山労働における習わしに倣って、文学者は社会の迫り来る「危機」や「惨事」をいち早く察知し、そのことを人々に告知しなければならない役割を担っているとしたこと――。誰もが同じであるが、殊に社会で今起こっていることの核心をその感性と想像力によって見抜き、そのことの社会的意味を自己の表現において明らかにしていく、それが文学者の役目だというのである
 僕らは、野坂の「慧眼」を他山の石としてはならないだろう。「仕事」との関係があるからとか、人間関係があるからとか、もう社会の第一線から退いたから、等々、波風立てずに「体制」に順応することの「理由」は見つけようと思えば、いくらでも見つけられる。
 しかし、「殺すな!」(殺されたくない!」の思いを孫子の代まで続いて欲しいと思うなら、今こそ「戦争のできる国」へと驀進している安倍自公政権の「独裁政治」を止める手当を各自が考え出すべきである。
 野坂と同じ発想で「炭坑のカナリア」とならんとしている文学者は、最近の著作から探せば『もう戦争がはじまっている』(11月 河出書房新社刊)の辺見庸、『優しいサヨクの復活』(同 PHP新書刊)の島田雅彦、それに「朝日新聞」の論壇時評を担当している高橋源一郎、等々、探せばたくさんの舞楽者がいる。
 僕は、微力だが、今までのように、またこれからも彼らの戦列に加わっていこうと思っている。

「12月8日」・この日もまた忘れまい。

2015-12-08 09:51:56 | 仕事
 74年前のこの日「1941(昭和16)年12月8日」、日本は「無謀」な太平洋戦争に突入した。それ以前、1931(昭和6)年9月18日に本格的な「中国侵略」の開始となった満州事変を起こし、そしてその延長線上に1937(昭和12)年7月7日に「日中戦争」を開始した日本(軍)が、中国大陸での膠着状態を打破するために、併せて欧米帝国主義列強(アメリカ、イギリス主導)による「日本包囲網」=日本への原油をはじめ武器製造原料の禁輸を覆すために、勝てる見込みのない戦争へ突入したのが、この日である。
 そのアジア太平洋戦争の結果、私たちが得たものは、320万人にも及ぶ犠牲者(戦死者)と東京大空襲をはじめとする日本各地の空襲、沖縄戦、ヒロシマ・ナガサキの惨状が象徴するように、本土における「大量破壊」であった。その詳細については、これまでにも「戦後70年」の今年は、各種のマスコミ・ジャーナリズム(メディア)が大きく取り上げてきたので、ここでは別な2つの角度から、改めてアジア太平洋戦争について考えてみたいと思う
 一つは、1昨年上梓した『井伏鱒二と戦争』(彩流社刊)でも詳述したのだが、日中戦争においても、また太平洋戦争においても、「ペン部隊」作家として、また「徴用作家」として多くの文学者が戦争に動員されたことを、安倍自公政権によって「戦争する国」へと変貌させられた今日、僕らはもう一度真摯に考えなければならないのではないか。百田尚樹などという「戦争賛美」作家がもてはやされ、多くのジャーナリストが安倍首相や自民党の甘言に乗せられ、明らかに「戦争する国」を目指しているとしか思えない「安保法制=戦争法案」を容認している現状を鑑みると、余計そのように思われてならない。
 多くの文学者やジャーナリストは、自分だけは「戦争の現場=戦場」に行くことはないだろうと高をくくっているように見えるが、日中戦争時の「ペン部隊」や太平洋戦争中の「徴用作家(文人)」たちの動員実態を知れば、「老大家」は別にして、当時44歳ですでに「中年後期」に入っていた井伏鱒二がマレー半島からシンガポールまで「報道班員」として進撃する日本軍と共にあったことを考えても、総動員態勢の下で誰もが「戦争への加担」を余儀なくされていたということを忘れてはならない
 52歳で亡くなった僕の父親は、1度目は独身時代に中国東北部(満州)へ、そして2度目は米軍の本土上陸に備えた「自爆要員」(上陸した米軍戦車の通り道にたこつぼを掘ってそこに爆弾を抱いて潜み、戦車が上を通過したときに自爆する、一種の特攻作戦と言えるだろう)として茨城県鹿島灘へ下級兵士(上等兵)として動員され、復員後、理由は分からないが「でたらめな生活」を送るようになり、僕らはその地域で一番の「貧乏人の子供」として育つことになり、そんなこともあって僕は学生時代に身に付けた「殺すな!」の論理(反戦)と倫理(民主主義思想)を未だに守ろうとしているのだが、昨今の安倍自公政権の何が何でも米軍の下で「戦争する国」になりたいという動きについては、「戦前」の再来があるのではないか、と危惧している。
 二つめは、先のアジア太平洋戦争であれだけでの人的物的損害を受けたにもかかわらず、「戦後70年」を迎えた今日、「日本国憲法」の「改憲(改悪)」を党是としている自民党は、数を頼りに「安保法案=戦争法案」を強引に国会通過させたことに「いい気」になったのか、先の戦争への「反省」などどこ吹く風とばかりに、フジ・産経グループなどの右派ジャーナリズムが仕掛けた「嫌中・嫌韓」ブームに悪乗りして、「従軍慰安婦は存在しなかった」「南京大虐殺はなかった」などの「歴史修正主義」に基づくキャンペーンを、党を挙げて展開している。
 その有り様は、太平洋戦争の開始と共に「鬼畜米英」として、戦争への加担を強いた戦前と酷似している。僕は一介の文藝評論家(近現代文学研究者)として、「戦争文学」も批評・研究対象の一つとし、それ故多くの戦争文学作品を読んできた者だが、その経験(作品の中に何が書かれていたか)から言えば、多くの戦争文学の中に「無理矢理だまされて慰安所連れてこられた朝鮮人慰安婦」のことは書かれていた。「朝鮮P(ピー)屋」という呼び名で、中国戦線を描いた作品にも太平洋戦線が部隊となった作品にも繰り返し登場してきた。確かに、日本軍が朝鮮各地に出向いて若い朝鮮人女性を「連行」したという記録はないだろう(敗戦直後、多くの軍隊関係の書類が焼かれてしまったことは、戦争映画などでよく見るシーンである)。しかし、「女工募集」などの名目で警察や軍隊の庇護を受けて「業者」が朝鮮人女性を狩り出してきたことは、確かな「事実」である。
 「南京大虐殺」について、これまでにもななどもこの欄で触れているのでこれ以上繰り返さないが、石川達三の『生きてゐる兵隊』や火野葦兵の『麦と兵隊』、あるいは井伏鱒二の『花の街』を読めば、「敵国人」でる中国人を戦場において老若男女を問わず『殺害』したこと、これは明々白々である。中国大陸において日本軍による「三光作戦」(焼き・殺し・奪う)が存在していたこと、これも「事実」である
 そのような「事実」さえも認めようとしない自民党の「歴史修正主義」、安倍自公政権の「危険性」はここに極まったと言えるが、その安倍自公政権に一定の「支持」を与え続けている日本国民、「カネ」に目を眩ませることは止めて、覚醒して欲しいと切に思う
 僕らは、表層の「美辞麗句」に騙されることなく、「事実」を凝視し、決して他者を「殺すことなく」また自分も「殺されることのない」世の中を志向すべきだろう。strong>

「崩壊」していく日本(9)――「金権主義」の横行

2015-12-05 09:42:36 | 仕事
 最近の安倍自公政権による「札束で頬を張る」ようなやり方(政策)は、目に余る。
 昨日の新聞(朝日新聞・東京新聞)の1~3面までのトップ記事の見出しは、いかに安倍自公政権が「経済の活性化」の名目の下で「金権主義」を蔓延らせているかを如実に物語っている。
(1)「辺野古受注業者が寄付――14年衆院選 沖縄6議員に90万」(朝日):今朝の記事によるとによると「寄付」は国会議員だけでなく、自民党の県議や市議にまで及んでいるという。辺野古沖の「新基地」建設を請け負った業者が、新基地建設を推進する自民党(保守系)議員に「寄付」という名の献金を行う。工事費は当然政府から出るお金だから「税金」である。何のために、米軍への「思いやり予算」と同じように米軍の「新基地」建設にも国民の「貴重な税金」が使われる。
 老老介護で生活できなくなったり、介護離職する人が増えたり、生活保護費が減額されるという「弱者」に冷たい現政権のやり方を見ていると、米軍のために我々の税金を湯水のように使う神経、甲で経済成長期の後半からバブル経済期にかけて蔓延した「金権主義」がモラルハザードとしか言えない悲惨をもたらしたことを、僕らはもう一度思い出す必要があるのではないだろうか。
(2)「軽減税率の経理 自公合意」:来年に迫った「消費税10%」値上げに対する「貧困層対策」という名の「軽減税率」、いかにも非正規労働者が40%を占めるようになった現在の「格差社会」を念頭に置いた政策のように思えるが、防衛費が「5兆円」を越えるような予算を考えている現状にあって、「4000億円」(自民党案)だとか「1兆2千億円」(公明党案)とか、その中間を取って「8000億円」とかいう金額が果たして「弱者(貧困層)救済」に繋がるか。軽減税率が実施されて喜ぶのは(あるいは、そんなの関係ないというのではないかと思うが)、安倍首相ら政治家たちと同じようにいつも「高級食材」を使っている富裕層だけなのではないか、と思わざるを得ない。
 僕は、こんな「目眩まし」の政策に一喜一憂している公明党支持者の人たちに、「あなた達の生活苦はどこから来ているのか、資本家優遇の自民党がもたらしたものではないのか、目を覚ませ!」と声を大にして言いたい。

(3)「原子力機構 続く「不透明な契約」関係企業・団体に222億円」:原発再稼働を急ぐ原子力産業や復活した原子力ムラの住人たちは、これもまた「税金」を使って原発を開発・維持するための文科省所管の独立法人(実は、国の機関)関連の企業・団体と巨額の契約を交わしていたという、まさに「金権日本」を象徴するような話。先に「核兵器」の材料であるプルトニウムを確保するためだけに設置され、事故続きで一度も稼働実績がない「もんじゅ」に、これまで何兆円もの税金を投入し、また毎年何百億円もの維持費を浪費し続けていることが問題になったが、「原発」に関わる「利権構造」はフクシマが起こっても健在で、安倍自公政権がいかに「金権主義」にまみれているか、よく表している。
(4)「自民への企業献金 読み解くと―首位の自動車業界 2割を占める」:アベノミクスの「円安株高」政策で一番儲けた自動車業界、その「お礼」として自民党への多額の献金、これはアベノミクスなるものが決して僕ら庶民のためでなく、大企業(とそこに働く社員、非正規労働者はほとんど恩恵を受けていない)のためにだけ機能するものであることを、僕らはもう理解すべきであり、安倍自公政権の「反国民性」に猛打家もが気付くべきだと思うが、どこまで打たれれば僕らは目を覚ますのか。 本当に嫌になってしまう