黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

大丈夫なのだろうか?

2009-02-27 09:44:25 | 近況
 圧倒的な支持(日本の麻生政権に比べて、という意味だが)を得て誕生したアメリカのオバマ政権、どのような形でアメリカを「再生」させるのか、まだ歩み始めたばかりの政権の前途について云々するのは早計だが、一つだけ「やはりアメリカ、同じ穴の狢だな」と思わせたのは、イラク戦争に派遣している軍隊は撤退するが、その分と言うか、相変わらず「テロの発信地」という位置付けでアフガニスタンには増派して「民主化」(という名のアメリカ支配)に全力を尽くすという方針を曲げなかったことである。
 イラクとアフガニスタン、どこがどう違うのか、専門外の僕には分からないが、一つだけはっきりしているのは、「テロリストの温床」「テロの発信元」ということで大量の軍隊を送り、「内政」に干渉し、抵抗勢力(タリバン)はもちろん、多くの市民を殺傷している―必然的に若いアメリか兵士も殺され傷付いている―ことである。つまり、アメリカ・オバマ政権におけるアフガン増派は、「戦争」を激化することはあっても、決してテロ撲滅を実現する「最良の方法」ではないということである。せっかく、何百年も続いていた「黒人(カラード・有色人種)差別」(白人優先主義)を打破してオバマ大統領を選出したのに、第二次世界大戦後に露わとなったアメリカの「世界の警察」意識は変わらないのか?
 そんな折、民主党の党首小沢一郎による「在日米軍は第7艦隊だけでいい」発言を機に、保守派から一斉に「小沢ドクトリン批判」が飛び出したが、それらの発言を聞いていて、戦後間もなくの時代から言われてきた「日本はアメリカの属国」、「日本はアメリカの51番目の州」というような考え方が保守派の政治家には染みついてしまっているのだな、と思わざるを得なかった。これでは、日本全国(とりわけ沖縄)から在日米軍基地は永久になくならないし、毎年2000億円を超える「思いやり予算」もなくならないだろうと思ったが、それ以上に、先のアメリカ・オバマ政権のアフガン増派に伴う自衛隊の派遣も「当然」のこととして受け入れることになるのだろう、と暗澹たる思いに陥った。
 日米安保条約(軍事同盟)によって、世界最強の軍事力を誇るアメリカ軍と世界第6位とか第7位とか言われる自衛隊が合同でアジア全域(中近東からアラスカまで)に睨みをきかせる構造が当たり前になったのは、いつからか? 自衛隊の装備は今や核兵器だけを持っていないだけで(その核兵器だって専門家に言わせれば、半年あればいくらでも作れるという。件の専門家は、「何のために日本はプルトニュウムを備蓄しているのか」、と言っていた)、世界最強の最新兵器を備えた立派な軍隊になっている、ということを考えれば、小沢一郎が「在日米軍は第7艦隊だけでいい」と言ったというのは、リアルな政治感覚(正統的ナショナリズムと言い換えてもいい)に基づいた認識だと言えるかも知れない。
 折しも国会では「本年度予算」が通過した後、「海賊対策・退治」という名目で、自衛艦をソマリア沖まで派遣するための「新法」が作られようとしている。そもそもソマリアの「海賊」が何故発生したのか、という論議抜きで、である。考えてみれば、ソマリアもアメリカの介入で「無政府状態」になってしまった国である。その「尻ぬぐい」のために、自衛艦が「日本国憲法」の「前文」や「第9条」の趣旨を無視して、はるばるアフリカ近海まで出て行く。どこまで「自衛」の範囲は広がっていくのか。シーレーン防衛からPKO、そしてイラク派兵、かつて「普通の国」構想を発表した元自民党幹事長・小沢一郎の頭の中には、自衛隊が「自立」した強力な軍隊という認識があって、先のような発言になったのではないか、と推測される。どちらにせよ、「戦争のできる国=日本」という構図の下での議論、現在の日本が「恐ろしい状態」になっているのではないか、ということの証でもある。
 「100年に一度の大不況」だという。こういう状況下において軍隊が前面に出てくるというのは、「5.15」や「2.26」を経験した日本の歴史が教えるところである。今、何冊か並行して読んでいる(読み直している)小説の中に、辻井喬の野間文芸賞を受賞した「父の肖像」があるが、辻井の父・堤康次郎のことを書いたこの本にも、満州事変以後急速に台頭してきた軍部と政治家との戦いが描かれている。「民主主義」の基本は何であるか、あるいは「殺すな!」ということの意味を、もう一度僕らは真剣に考えないといけないのではないか、と思う。

三浦綾子・没後10年

2009-02-23 10:04:40 | 文学
 前にも書きましたが、作家の三浦綾子さんが亡くなって今年の10月で「没後10年」になります。亡くなっても、相変わらず作品は読まれ続け、はっきり調べたわけではないが、学部の卒論で取り上げられるランクも相当上位なのではないか、と思う。たぶん、この「100年に一度」と言われる大不況下にあって、乱れるばかりのモラルや蔓延する自己中心的な考え、さらには「親殺し・子殺し」に象徴される「生命」の軽視という風潮を何とかしようと思う人達が、『氷点』以来、最後の『銃口』まで、一貫して「人間の原罪とは何か」「救いはあるのか」を基底に「理想」や「正義」を求め続けた三浦綾子の文学に惹かれるが故に、彼女の「人気」は衰えないのだろう、と思う。
 様々な理由で延び延びになっていた拙著『増補版 三浦綾子論』(柏艪社刊)も、いよいよ今春(3月末か4月初め)に刊行されることが決まった。読者の皆様からどのような声が届くか、ちょっと心配しているが、非キリスト者でない批評家(研究者)が書いた初めての「三浦綾子論」としてそれなりの評価を戴いた前著に150枚ほどの新稿(求めに応じてあちこちの雑誌や新聞に書いた物)を足してできた新著、前著と同じように司修さんが装幀をやってくれいいものに仕上がっているので、刊行が楽しみなのだが……。
 その『三浦綾子・没後10年」を記念して書いた北海道新聞の文章、以下に掲載します。

<三浦綾子文学の魅力―風土が育んだ「平等」思想>(「北海道新聞」2月10日・夕刊文化欄)
                                黒古一夫

 一九九九年10月12日、二〇世紀の終わりと行を共にするようにして三浦綾子が七七歳で亡くなってから今年で一〇年、今も三浦文学に対する人気(評価)は高まることはあっても、決して低くなることはない。小説を中心に三浦作品の文庫は変わらず版を重ねているし、そのことと関連してミッション系のみならず多くの大学で「三浦綾子」を卒論に取り上げる学生は年々増えている。また、全国的に展開しているキリスト者中心の「三浦綾子読書会」が、毎月数回全国各地で非キリスト者にも開かれた読書会や文学講座を催して、多数の参加者を得ているというようなこともある。
これは亡くなる一年前(九八年十一月号)のことになるが、国文学専門誌の「国文学 解釈と鑑賞」(至文堂)が大規模な「三浦綾子の世界」を特集し、これを皮切りに、同誌の「特集 近代文学に見る『日本海』」(〇五年二月号)、あるいは「国文学 解釈と教材の研究」(學燈社)の「特集 地方の文学」(〇八年七月号)や国文学関係の学会誌に多くの作品論や作家論が取り上げられてようになった。かつて文壇デビュー作『氷点』(六四年)が戦後文学の批評家として著名な平野謙によって、「護教文学」とか「主人持ちの文学」というレッテルを貼られ以来現代文学の中心から排除されたことなど全く忘れ去られたかのように、今や三浦文学は若い新しい読者を獲得しつつ、二葉亭四迷・森鴎外以来の近・現代文学作家として「正統」な位置を占めるようになり、高い評価も受けている。
 なぜか。まず言えるのは、混迷・混乱する現代社会がもたらす諸問題、例えばそれは不正義の横行や家族の解体、人間の尊厳を踏みにじるような出来事、モラル(倫理・道徳)の乱れ、といった現象として私たちの前に眼前するわけだが、そのような問題に対して三浦文学は真正面から向き合い、作品内で力強く「正義」や「理想」を語る点に読者は魅力を感じているということである。人間の「原罪」を問い、「理想」や「正義」を求めるのは、三浦綾子にしてみれば全て「(キリスト教)信仰」から発生したことで、表現に関わる者=作家として「当たり前」と思っていたようだが、この三浦文学の魅力(特徴)は紛れもなく宗教(キリスト教)の枠組みを超えて、原理的な人間の在り方に通底するものであった。
 二番目の理由は、三浦文学が作家自身の数々の決して褒められない体験、例えば軍国主義を盲目的に信じた教師時代や戦後の自棄的・虚無的な生活(二重婚約事件など)、十三年にも及ぶ闘病生活、等々からの乗り越えを基に書かれていることから、作品が読者に生きていく「勇気」や「励まし」を与えるということである。弱肉強食・優勝劣敗を是認するような「金権主義」的な現代社会の中で、「ニヒリズム」や「自己中心」的な行為・思考が蔓延していることを考えると、この三浦文学の特徴は貴重であると言わねばならない。
 三番目の理由として考えられるのは、北海道の歴史と風土(自然)が育んだと言っていい三浦文学に通底している「対等・平等」意識=思想がこの社会において欠落しているが故、ということである。紙幅の関係で詳細については四月初旬に刊行が予定されている拙著『増補 三浦綾子論』(柏艪社刊)を見ていただきたいと思うが、明治維新後に本格化した北海道開発に関わって人々に植え付けられた「対等・平等」意識・思想は、現代でも例えば小檜山博の文学などに具現化されているが、北海道人の中に脈々と伝わっており、三浦文学はそのような北海道人の「人間観」を代表するものとして読まれている、ということである。この三浦文学に現れている「対等・平等」思想は、本質的には資本主義社会が必然的に招来する「格差社会」への批判に通じるもので、「格差社会」論議が喧しい現代において三浦文学が多くの読者を得ているのも当然なのかも知れない。いずれにせよ、没後十年にしてなお輝きを失わない三浦綾子の文学と思想を、私たちは次代へと繋げていく必要があるのではないか、と思う。


 

バタバタしています。

2009-02-21 10:43:04 | 文学
 このブログの記事も書けないほどバタバタしていました。というのも、大学の方で事務的な仕事(卒論、修論、博士論文を読み、講評する、他に人事に関する委員会が何故か集中して5種類あり、それぞれ会議やら会合やらがあり、また入試業務もある、という次第で)が集中し、また原稿締め切りが重なったりして、ともかく余裕のない日々を過ごしていました。
 ようやく、昨日(2月20日)で一段落したので、この間の仕事(文学)について、中間報告的な事柄もあるのですが、ご報告しておきたいと思います。
①「村上龍論」:多忙な日々の合間に書き継いで、ようやく7章まで書き終わりました(10章予定)。3月中旬には完成原稿を渡すと版元に宣言しましたので、もう待ったなしです。
②「太宰治選集」(全3巻 柏艪社)の「総解説」(10枚)、これは「週刊読書人」にも書いたのですが、今までの編年体(作品発表順)の編集と違って世代のニーズに合わせて編集した「選集」で、第1巻と第2巻、第2巻と第3巻とダブって収録されている作品もあります。解説も、第1巻が作家の角田光代で第2巻が太宰研究家の東大准教授安藤宏、第3巻が俳優の石坂浩二、というものである。全部で101編を収録し、A5版で1巻730~820ページのボリューム、定価は3巻で15000円、太宰治生誕100年を記念した企画で、いよいよ3月に刊行される。版元の柏艪社とは、先に「小檜山博全集」(全8巻)の解説を依頼されたときに知り合い、③の「増補版 三浦綾子論」を出すという縁があります。
③「増補版 三浦綾子論」は、三浦さんが今年で「没後10年」ということもあり、実現した企画だが、昨年から取りかかり、ようやく3月末か4月初めに刊行されます。前の小学館版(1994年刊)と同じように司修さんに装幀をお願いしました。すごく素敵な本になりました。
④「書評集」(僕の)の編集も進んでいます。
⑤「辻井喬 創造と純化」(小川和佑著 アーツアンドクラフツ刊)の書評(5枚)を「図書新聞」に書きました。辻井喬に対して「オマージュ」ばかりが捧げられた作家論、辻井さんに関する初の作家論なのですが、ちょっと辛口の批評になったかも知れません。
⑥「月光」の編集会議:歌人の福島泰樹さんが以前編集していた季刊雑誌「月光」が、新たに福島さんに加えて立松和平、黒古、太田与志朗、竹下洋一の4人を編集委員とし、装い新たに4月に「復刊第1号」を出す予定で、月1回編集会議を行ってきた。第1号は「中原中也特集」、第2巻は「宮沢賢治」、第3巻は「全共闘と文学」、第4巻は「吉本隆明」(予定)ということで編集を進めている。僕自身は特集の記事の他「文化・文芸時評」を連載することに決まっている。第3号の場合、企画の責任者として構想を立てなければならない立場である。
 この季刊「月光」に関しては、4号分(1年間)を単位に「定期購読者」を募ることになっている。詳細はまだ未決定だが、近日中に決まる予定なので、決まり次第お知らせします。このブログの読者の皆様、どうぞ奮って「定期購読者」に応募していただければ、と思います。僕らは「読んで面白い」季刊文芸総合誌を目指していますので、どうぞよろしくお願いします。
⑦「立松和平全小説」(全24巻 第1期8巻、第2期8巻、第3期9巻)の編集がほぼ終わりました(黒古の責任編集 勉誠出版刊)。定価などの詳細は未定ですが、毎月1巻配本、各巻の巻末に立松自身による「自伝的解説」(15枚前後)と僕の「作品解説」(「立松和平の文学」、各巻20~25枚)が載ります。6月頃から配本が開始される予定ですが、毎月20~25枚の「解説」、頑張らねば、と思っています。この「全小説」には初期のもう手に入らない作品から最新作まで全てを収録するつもりです。「個人全集」が苦戦している状況を考えると、この企画は無謀と思われかねませんが、こちらの方も購読していただけると幸いです。
 
 というようなことがあって、大学の仕事も盛りだくさん、家人に言わせると「こんなに真面目だったかしら?」というような状況にありました。
 一段落したとは言え、まだまだしばらくはこんな状態が続くのではないかと思いますが、「中間報告」ということで書きました。そのうち、「太宰治選集」や「辻井喬 創造と純化」について書いた文章などを転載するつもりです。なお、先に書いた「月光」の定期購読申し込みや「立松和平全小説」を購入する場合、版元へ「黒古のブログで知った」と言えば、版元と相談して「特典」が得られるようにいたします(僕の本に関しても、その旨言ってくだされば、「特典」があります)。
 では。

この閉塞感は、何?

2009-02-07 05:50:47 | 近況
 自民党を離党した渡辺嘉美ではないが、この社会に充満している「閉塞感」は何なんだ、と思う日々が続いている。この閉塞感は、様々なメディアが伝えるのと同じように、国民の大半から見捨てられていながら「権力」にしがみついている政治指導者の在り方に、その直接的な原因のほとんどがあるのだと思うが、さらにそのような現今の政治状況下にあって、この閉塞感をもたらす本質的な原因は何であるのか、というようなことを考えると、結局資本主義体制を越えた(あるいは、資本主義体制をできうる限り良い方向に改良した)社会の仕組み=体制を誰もが提示できず、「未来の展望」を描けないことにあるのではないか、と思わざるを得ない。
 粗っぽい言い方になるが、かつてマルクスは資本主義体制の先に「各人が各人の労働や働きに応じた対価を得、飢える者が一人も存在せず、支配-被支配の関係も消滅した社会」、つまり共産主義(社会主義)体制を構想し、その思想の実現を目指してロシアで「革命」が起こり、以後続々と社会主義国家が誕生したが、1980年代後半から始まった社会主義国の「民主化」運動によって社会主義諸国の盟主であったソ連が解体し、70年余り続いた「バラ色の国」建設構想も瓦解し、以後どんな「未来」への展望も示されないまま、現在に至っている。
 現在、巷では「革命」を目指した小林多喜二の「蟹工船」がブームとなり、カストロと共にキューバ革命を実現したチェ・ゲバラがその半生を描いた映画がきっかけになったのか、人気だという。しかし「蟹工船」ブームもチェ・ゲバラ人気も、僕には格差社会の片隅に咲いた徒花なのではないか、としか思えない。感受性が鈍くなったからではないと思うが、これらの「徒花」的現象はどう考えても、「革命」(現体制を打倒・否定し、次なる体制を模索・展望する、という意味の)への道を予感させないからに他ならない。ブームだからという理由で「蟹工船」は読んだが、そこから「革命」へと繋がる思考など全く感じられない学生達の姿を日常的に見ていると、余計そのように思えてならない。誰かが「今の若者から<怒り>が感じられない」と言っていたが、たぶん今の若者(学生)達だってこの現状を見れば「怒り」を感じているはずだと思うのだが、その「怒り」が権力や体制の指導者達へと向かわず内攻してしまえば、「革命」など夢のまた夢ということになるだろう。内攻した「怒り」は、自損、あるいは身近な他者(家族、など)への攻撃という形で顕在化する。余談になるが、昨今珍しくなくなった「親殺し・子殺し」も、そのような「内攻する怒り」という側面から考えることができるのではないか。
 また、「未来」へのビジョンが描けなくなった(資本制社会の)現在、ということで思い出すのが、アメリカ発の「金融危機」=ブッシュの退陣が象徴する「新自由主義」(ネオコン=新保守主義)の敗退という事実に絡んで、かつて吉本隆明(若い人たちには「よしもとばなな」の父親と言った方が分かりやすいか?)が、バブル経済期にそれが「バブル」と気付かなかったからなのか未だに不明だが、「現在の資本主義は、超資本主義というような状態にあり、近い将来、普通のOLが何十万もするようなコートで身を包むことができ、労働時間も短縮され、週休3日になり、多くの労働者が余暇を楽しむような社会になるだろう」、と言っていたことである。現在の「大不況」やそれに伴う「派遣切り」やリストラの横行を知れば、吉本の「予想」が大ハズレであったことは誰も否定できないと思うが(吉本も、自分の予想が外れたことを自己批判していないようで、この「思想家」の在り方は今後検討されるに価するだろう)、それとは別に、吉本の「外れた予想・未来展望」は、まさに資本主義にも「希望」がない、と証明したことになった。
 右を見ても左を見ても「お先真っ暗」という状態に今はあるが、果たして僕らに「未来」はあるのか? そのことを思うと何とも遣り切れない気持ちに襲われるが、ともかく足元(自分の生、あるいは生活)を見据えて、おのれが信じる(考える)道を一歩一歩歩いていくしかないのかも知れない。そうすれば、甘い「夢」かも知れないが、同じような歩みをしている人(たち)にどこかで出会い、共に手を携えて「共生社会」を建設するといった展望も開けてくるのではないか。今は、そのような「ささやかな希」を胸に抱いて生きるしかないというのも、何とも悲しいが、そうでもしなければ押しつぶされてしまうかも知れない。
 1週間前、職人として最高の栄誉を得た高校時代の友人の訃報を聞いた。確かめる術はないのだが、「自殺」だったという。昨年暮れに元気な姿を見せてくれ、事業も順調だと言っていたのだが、彼に何が起こったのか? 彼の自裁もまたこの社会を覆う「閉塞感」と何らかの関係があるとしたら、「老い」にさしかかった僕らは、危険水域にある世代、と言っていいかも知れない。

殺人的な10日間が過ぎて

2009-02-03 05:36:22 | 仕事
 ここ10日間ほど、他の大学もこの時期は同じなのかも知れないが、筑波大学の私が所属する研究科(大学院)は例年通り、否例年を遙かに増した「殺人的」と言っていい忙しさの中にあった。大学院修士生の発表会(当然、修士論文は読了しなければならない。今年は1人だったが、長さは270枚ほどであった)、3日後の卒論発表会(6人のゼミ生は、平均196枚の卒論を書いた。他に副査として2人分の卒論を審査)、それぞれ1人に付き2枚ほどの「講評」を書くという作業があり、その他、会議が5つ、さらに加えて大学院入試の面接官、最後にこれは来週に備えてということになるが、スケジュールの都合で博士論文審査会のために論文を読まなければならなかった、からである。もちろん、この間、3学期制の筑波大学で授業やゼミは通常通り行われており、それらが休みだったわけにはではない。
 そんなわけで、ともかく忙しかった。この忙しさが今年だけのものならいいのだが、理系分野を中心に「生産性」とか「効率性」とかを求め始めた昨今の大学事情を鑑みると、かつてのように「研究」と「教育」に専念していればいいという状況は、当分は望むべくもなく、同僚との束の間の話にも「忙しくなったね」というのが決まり文句みたいに差し挟まれるのが実情である。これでは、教師も学生も「視野狭窄」を起こし、結果的に「学問・研究」(特に、長期的な積み重ねが要求される文系では)が遅滞するのではないかと思うが、果たしてどうだろうか。
 そんな大学の現状を反映してか、この超多忙な時期を迎える1週間ほど前のことになるが、ある授業の課題で現代文学作品のテーマを見つけ、その理由を5,6行書いて提出せよ、としたところ、何と30人ほどの受講生のうち半数近くがほぼ同じ内容のテーマとその理由を書いて提出したということがあって、その理由を考えたのだが、彼ら・彼女らが話し合って(課題の答えを見せ合って)ということなどではなく、どうもネット上に流れている「情報」に依拠した結果だということが判明した(僕自身が確認したが、ほぼそうだな、と結論づけた)。授業でそのことを「責める」口調でなく、問い質したところ、悪びれることなく「情報源」はネットであると答えたので、僕の推測は当たっていたわけだが、自分一個の「思考」に頼るのではなく、いかに「情報源」を見つけ、その情報を処理するか、それも今時の学生には「能力」の一つと思われているのかも知れないが(現に「そうだ」と思っている大学教師たちがいることも承知している)、あの小泉郵政改革の時に露頭した「洗脳」とか「ファシズム」的風潮、及びその結果が現在にまで影響を残している「政治」状況のことを考えると、薄ら寒い気がしてならない。
 文学研究(批評)の世界においても、まず自分の頭と心で(思想と感覚を動員して)作品を読むという行為があるはずなのに、作品と正対する前に、いかにその作品に関する「情報」を集め(知り)、その上で自分の「読み=鑑賞」とは関係なくその作品の価値を手際よく提出することができるか、に専念するような風潮が最近は目立つような気がしてならない。まず「読む」という行為から出発せず、何よりもいかに「情報」を集めるか、から始まる文学研究(批評)というのは、「人間の生き方と関わる」という文学の存在理由を危うくするのではないかと思うが、どうだろうか。(これを書くと、また総攻撃されそうだが、僕がこの欄で作品評などを書くと、すかさずその作品についての自分の批評を対置するのではなく、その方法や言葉尻などを捉えて批判する輩の在り方と、この「情報」に頼る風潮は深い関係があるのかも知れない)
 なお、「東京新聞」の文芸時評を担当している沼野充義が、今月号の時評で昔サルトルが提起した「飢えた子供の前で文学は有効か」という文学に関わる永遠のアポリアと共にイスラエルのガザ侵攻について述べ、そして青山七恵の新作について揺れ動く若い女性の心を良く捉えた「佳品」と認めながら、「ガザで起こっている出来事からは遠い」といった趣旨のことを言っていたが、我が意を得たりという思いがした。
 そして、今日からはルーティンワークに入る予定です。