黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

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「怒り」を武器に!(9)――いよいよ「戦争」が間近に……

2016-03-29 10:15:14 | 仕事
 特にサボっていたという意識はないのだが、ここ1ヶ月ほどの「政治」(安倍自公政権と野党の在り方)の動向を眺めていて、どうしても襲ってくる「無力感」をぬぐえず、時事的な文章を書くという気持にならなかったのである。
 もちろん、批評家としては連載中の「情況への異論・反論・抗論」(「部落解放」)を書き、また久し振りに師の小田切秀雄の謦咳に触れた『文芸学講義――文学作品が書かれるまで』(菁柿堂刊)の書評を「週刊読書人」に書き、次のホントして予定している『フクシマ(原発)文学論』(仮題)の序章(45枚)を書くという仕事はしていたのだが……。
 そして、春になってきたので、家庭菜園の方の手入れも行い、お彼岸にはジャガイモの植え付け(13キロ)、頂いた白菜とレタスの苗を上、数日前には里芋の種も植え、次に備えて雑草の生い茂る部分を耕耘機で耕すという作業も行ってきた。
 しかし、それらの仕事をしながらも襲いかかってくる「無力感」はどうしようもなく、「怒り」は沸々とたぎってくるのに、それを表現することの「虚しさ」ばかりを感じ、そのことでまた自己嫌悪に陥るという「負のスパイラル=悪循環」に陥ってしまったこの2週間あまりの日々。
 そして今日、メディアの多くが伝えているように、「安保法制=戦争法案」が今日から施行され、いよいよこれまで「専守防衛」に限定されていた自衛隊が、今日以後は海外のどこへも出掛け、アメリカの戦争に加担できるようになった。
 「平和と民主主義」という「戦後レジューム」からの脱却を願ってきた安倍自公政権にとって、念願の一つが実現したと言うことなのだろうが、それにしても「戦争放棄」という日本国憲法の中心を否定して、アメリカへの追随を深める安倍首相は、本当に何を考えているのか、理解できない。たぶん、この間マスコミを騒がせた「保育園」問題に対する当初の安倍首相の対応(「保育園落ちた、日本死ね」という若い母親の怒りと嘆きを、「本当かどうか分からない」などと言ってやり過ごそうとした)が象徴するように、「子どものいない」安倍首相には、自分の子供や孫が「戦死」することの傷み(痛み)が衛交いできず、ひたすら祖父岸信介の影を追って、「戦前」への回帰を願っているのかも知れないが、そのような安倍首相のアナクロニックな願望に同調する自民党議員や公明党の「権力ボケ」もまた、理解できない。
 さらに、いよいよその本性を露わにした「憲法改正」への意欲、もう勘弁してよ、としか言いようがないが、「憲法第9条」を改正し、「第24条」に代表される「基本的人権=自由権」を制限し、その上で内閣総理大臣の権限を「超法規的」なものにする「非常事態条項」の付け加えもうこれは多くの識者が指摘するように、ヒットラーのファシズムと全く同じ構造の社会を目指すものである
 前から言っているように「アベノミクス」(安倍自公政権の経済政策)は完全に「失敗」である。にもかかわらず、その失敗を糊塗するために、社会保障費などを確保するために「消費税を10%上げる」という公約の再延期をあの手この手を使って策謀する。「消費増税延期」という公約によって勝利した2014年の総選挙と同じ手を使って、何が何でも「参議院で改憲勢力を3分の2」を目指すという、破廉恥極まりないやり方、僕らはこのような「愚民政策」(国民を愚弄したやり方)を絶対許してはならない。
 僕は、声を大にして言いたいもし、自公(および「おおさか維新の会」)が来る7月の参議院選挙で「3分の2」を確保して、「憲法改正」が実現した先の社会を創造して欲しい、現在より「自由」が大幅に制限された「不自由」な格差社会が実現するだろうが、果たしてそのような「未来社会」をあなた方は本気で望んでいるのか、自分の名誉しか考えていない安倍首相は、僕ら国民が「そんな無謀なことはしないだろう」と高をくくっている間に、とんでもないことをし出すから、今度だけは絶対に「自公およびおおさか維新の会」の候補者には1票を投じない、と決意すべきである、と。
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「怒り」を武器に!(8)――あの日から5年

2016-03-11 09:15:49 | 仕事
 3月末の定年退職を控えて、少しずつ身辺の整理を行っていた5年前の「3月11日」、その時はちょうど前橋の自宅にいたのだが、それまで経験したことのない「震度5弱」の揺れに、思わず近くの柱にしがみつき、台所の食器棚から落ちる茶碗や皿の砕ける音を聞いていた。揺れが治まりすぐに家内を点検したのだが、心配していた書庫と書斎の本は、書棚を作るときに5ミリほど億に向かって傾斜させていたのが幸いして、ビニール装の新刊本が数十冊落下しただけで、他は何もなかったのでほっとしたのだが、その後のテレビに映る大津波の映像や各地の被害状況を知るにつけ、自分が今「未曾有の刻(とき)」を経験しているのだな、と実感したのを、今でも鮮明に覚えている。
 あれから5年、メディアはこのところ連日「5年目の現実」を伝えているが、それらが伝える映像や記事から見えてくるのは、「復興」もまた「モノ・カネ=経済」を中心としたもので、「こころ=文化」を等閑にしたものになっているのではないか、ということである。「バブル経済」時代に喧伝され、バブルがはじけた後もこの国の在り方を掣肘してきた「玩物喪志」の風潮(モノ・カネが最優先され、精神(こころ)が蔑ろにされる人間・社会の在り方)が、あの未曾有の被害をもたらした東日本大震災後の今日でも、なお厳然と生き続けているという現実を突きつけられた、ということである。
 メディアは、ことの性格上、「復興」の成功例ばかりを伝えがちであるが、何十兆円もの復興資金をつぎ込みながら、5年経って実現したのは、巨大な防潮堤と住宅の「高台移転」を進めるために行われている「土盛り・かさ上げ」でしかなく、復興で儲かったのは、相変わらずゼネコン(土建業やその関連企業)だけという、田中角栄の「日本列島改造論」(72年)以来の見慣れた現実という、何とも哀しくなるようなことばかり
 そんな「復興の現実」と裏表になっているのが、仮設住宅に住む人たちの「孤独死」や「自殺」の増加という「もう一つの現実」、ここから見えてくるのは、繰り返すが、現在行われている「復興」事業が、被災者やその関係者を含めた人々の間で失われた「共同体」、あるいは「共生感」(隣近所の、また自然と人間の)の回復=恢復を願ってのものではない、という事実に他ならない。テレビに映るあの異常に大きい防潮堤の姿を見ていて、僕が直感したのは、これではそれまで「海」と共に生きてきた人たちの心情を逆なでするのではないか、ということであった。確かに、高さ10数メートルの防潮堤は、設計上は来るべき大津波に十分耐えるものかも知れないが、以前は家から一歩出れば海が見えた生活がもう戻ってこないという「喪失感」が、どれほどそこに住む人たちの心(精神)に「暗い影」を投げるものになったか、国交省や財務省の役人も、また復興担当大臣も、あの「アホな」環境大臣も考え及ばないのではないか
 この大震災から5年目の「復興」を象徴するのが、フクシマに対する政府や財界、そして国民の対応である。昨日(10日)のメディアは挙って前日の滋賀県大津地裁が、再稼働したばかりの「高浜原発3号機・4号機」の運転を差し止める判決を下したことについて報じていたが、5年前からしばらくの間は「原発ゼロを目指す」と言っていたにもかかわらず、国民の関心が薄れてきたのをこれ幸いとばかりに、財界(経済優先思想)の後押しで原発の再稼働や原発輸出を強行してきた安倍自公政権は、大津地裁の判決など無かった如く、何の根拠も示さず相変わらず「日本の安全基準は世界一厳しい」などといったデマゴギー(嘘)を振りかざして、「原発は必要なエネルギー源だから、原発の再稼働は進めていく」と言い続けている。
 原発が稼働していなくても、「電力不足」が生じなかった現実があるにもかかわらず、また古くなった原発の廃炉費用がどれほど掛かるのかも正確には算定せず、最終処分場も決まらないまま何十年、南百年、何千年、何万年と子孫に「生命を脅かす放射性物質(プルトニウムやストロンチウムなど)」の処理を委ねる「無責任」な安倍自公政権の在り方は、2020年の東京オリンピック招致活動の際の安倍首相による「フクシマは完全のコントロールされている」という言葉がいみじくも象徴しているように、5年過ぎた東日本大震災の「道半ば以下の復興」を映す鏡になっている。「オリンピックよりも復興の加速化を!」は、誰もが望んでいることではないのか。
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「怒り」を武器に!(7)――「何でもあり」の安倍政権は放置できない!

2016-03-07 06:01:30 | 仕事
 このところ、余りに腹が立ってこのブログさえ書く気になれなかったのだが、それではいけない、このままではとんでもない社会になってしまうのではないか、たぶん僕と同じように「危機感」を抱いて日々悶々としている人もいるのではないか、その人たちと「エアー(架空)」でもいいから繋がるべきではないのか、と思い直して「怒りを武器に!」を継続していくことにした。
 ささやかであっても、「何でもあり」とばかりに好き放題をやり続けてきている安倍自公政権に「異議申し立て」を言い続けることは、この何とも言えない腹立たしい情況をいくらかでも動かすために意味があるのではないか、と思い、また「憲法改正(改悪)」のためなら何でもやる、という「本音」を剥き出しにし始めた安倍自公政権の「暴走・暴挙」を許している責任の半分は、「アベノミクス」という本当はもうすでに破綻している経済政策がもたらす「収入増加」を期待して、「憲法改悪」「アメリカへの従属強化」を主目的とする安倍自公政権に「40~50%」という高い支持率を与えている国民にもあるのではないか、僕ら国民もそんな目先のことしか考えない自分たちの在り様を、傲慢に聞こえるかも知れないが、「猛省」する必要があるのではないか、と思ったからでもある。
 つまり、僕らが「豊かになる」=アベノミクスは成功する、というデマゴギー(嘘)に振り回されて、安倍首相(安倍政権)の真の狙いが「戦前回帰」と思わせるような「新しい形の絶対主義=ファシズム」国家・社会の形成及びそれとは裏腹の「アメリカ追随=アメリカ従属化」の強化であることを見抜けず、あたかも安倍首相の言うことを信じていればなにもかもうまくいくのではないか、と信じて今日まで来ているということである
 もうそろそろ「目を覚ました」方がいいのではないか
 その理由について、これまでの安倍自公政権がやってきたことを踏まえて最近の出来事を列記すれば、以下のようになるだろう。
①「改憲」の明言化→安倍内閣の目的が、憲法第9条の改正、つまり「国防軍」の創設や基本的人権(特に「言論の自由」を代表とする「自由権)の制限、及び「緊急事態基本法」(別名、何か重大な出来事が起こったときに首相の権限を憲法を越えて認める、実際上「戒厳令」実施の権限を首相に持たせる条項)の付加、等々。
②様々な閣僚の「失言」(確信犯的な発言)→高市総務大臣の「電波停止」発言、中山防衛大臣の「自衛隊の活動を強化するためには9条を改正すべきである」発言(これは、閣僚の憲法遵守を定めた現憲法を否定する発言で、安倍政権の「ファシズム体質」を体現するものである)、丸山環境大臣のフクシマの被害者感情を逆撫でするような「放射能」発言、等々。
③7月の参議院選挙目当ての様々なパフォーマンス→その最大なことは、「辺野古以外に移転先はない」と明言しながら、参院選で争点になることを避けて、「辺野古には絶対新基地はつくらせない」と言っている沖縄県(翁長知事)と「和解」するという、何とも姑息・露骨な選挙対策。>僕らは、安倍首相のパフォーマンスに騙されてはならない。
④もう少しで5年目になる東日本大震災とフクシマへの対応→東日本各地の「復興」は、5年経っても意亜mだ全体で「30数%」しか進んでおらず、フクシマに至ってはその廃炉計画さえままならず、汚染対策もうまくいっていないにもかかわらず、相変わらず「収束しつつある」と断言し、フクシマが起こった当時「将来的には原発を全路にする」と断言したことなど、「どこ吹く風」とばかりに原発の再稼働を急ぎ、「世界一安全」と何の根拠もない言葉を添えて、開発途上国への原発輸出を推進する、その原発への対応。
④+α原発存続の「真の理由」を隠し続ける→原発再稼働や破綻した核燃料サイクル(高速増殖炉「もんじゅ」や未だ稼働しない六ヶ所村の使用済み核燃料の再処理工場)を維持し続ける「真の狙い」が、核武装化や核兵器の材料であるプルトニウム確保して潜在的核保有国であることを世界に認めさせるためにあること、このことの意味をもう一度考える必要がある。
⑤格差社会の拡大→安倍首相は、雇用が増え、失業率が軽減した、アベノミクスは成功している、「1億総活躍社会」が実現しつつある、これからは「同一労働同一賃金」を目指す、などと言っているが、僕のような田舎に住んでいて実感するのは「格差社会」の拡大でしかなく、国民の多くは実質賃金の目減りに苦しんでいるような事態が進行している、ということである。
⑥その他、諸々。
 いずれにしろ、安倍首相はじめ自民党議員たちの「軽口」「妄言・暴言」から見えてきているのは、この政権に僕らの未来を託したら、とんでもないことになるということに他ならない。
故に、僕らが今目指すべきことは、これからの各地の選挙で「自民党(議員)にノー」を、そして来る参議院選挙では明確に「自公にノー」を突きつけるべき、ということになるだろう
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