今年も、今日一日で終わる。
で、この1年はどんな1年だったのか?
というようなことを考えたとき、そこから浮かび上がってくるものは、ひたすら「文学」に向き合い書き下ろしのための原稿を書き続け、と同時に大学教師としての仕事をルーティンのごとくやり続けるここ6年ほどのライフスタイルを、今年もまたなぞった姿に他ならない。変わり映えしないと言えば、その通りであるし、よくそのような生き方を続けて「偉い」と言えば、それもまた正解だし、とは言え内心では、大江健三郎ではないが、どのくらいのロングランになるか分からないとしても、とりあえず「老年の生き方」を模索するようになっている、ということは言えるのではないか、と思っている。
ただし、そのような生き方の中で1点だけ今年付け加えたことがある。それは、このブログを持続的に書くということとも関係あるのだが、自分で「正義」に反すると判断したことに対しては、怯むことなく「異議申し立て」を行う、決して「黙って見過ごさない」ということである。これは「2007年問題」(「団塊の世代」が定年を迎えるに当たって様々な問題が生起するだろうということから論議されたこと)が提起されてきた頃から、「団塊の世代」とほぼ同じ時期に大学時代(「全共闘運動=政治の季節」・「疾風怒濤の時代」)を過ごした者として考えた来たことであるが、もう一度「原点」に帰っておのれの在り方を律しよう、としたことの一つの表れ、と言えばいいか。
元々、僕らの世代は「不器用」にしか生きられない宿命を負っている世代である(大学の教師などになった僕は、その中でも「器用」に生きている一人と思われている。と書いて、思い出すのは、最初の本『北村透谷論ー天空への渇望』1979年を上梓した際に、一つ上野世代に属する詩人・評論家の北川透に「多くの全共闘世代は、いま沈黙しているのに、何故黒古はこのような本を書いたのか」と揶揄されたことだが、その時は「自立」を売りにしていた北川が、ずっと前から梅光女学院大学の教授であることを考えると、隔世の感がある)。それが、あの「政治の季節」を経験することで「延命」を選んだ結果、今日を迎えるようになったのだとしたら、僕らはもう一度「再生=再出発」とは何か、それを成し遂げるにはどうしたらいいのか、と考えたのである。その結果が、今日の状況全般における「不正義」に対する「異議申し立て」宣言である。
もちろん、僕一個の力なぞ、たかだか知れている。そんなに大きなことができるとは思わない。しかし、今後は他人の顔色をうかがうような生き方だけはしたくない、という思いを伝えることだけは、執筆活動と共に、このインターネット社会だからこそ可能なのではないか、と考えたのである。
その意味では、今年1年は、結果的に今後の生き方に向けての試行錯誤の連続だった、と言えるかも知れない。今日はこれから、年越しそばを5軒分(つゆ付き)打たなければならない。そばを打ちなながら、1年をもう一度振り返ってみようと思う。
読者の皆さん、この1年、お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
また来年もよろしくお願いいたします。
で、この1年はどんな1年だったのか?
というようなことを考えたとき、そこから浮かび上がってくるものは、ひたすら「文学」に向き合い書き下ろしのための原稿を書き続け、と同時に大学教師としての仕事をルーティンのごとくやり続けるここ6年ほどのライフスタイルを、今年もまたなぞった姿に他ならない。変わり映えしないと言えば、その通りであるし、よくそのような生き方を続けて「偉い」と言えば、それもまた正解だし、とは言え内心では、大江健三郎ではないが、どのくらいのロングランになるか分からないとしても、とりあえず「老年の生き方」を模索するようになっている、ということは言えるのではないか、と思っている。
ただし、そのような生き方の中で1点だけ今年付け加えたことがある。それは、このブログを持続的に書くということとも関係あるのだが、自分で「正義」に反すると判断したことに対しては、怯むことなく「異議申し立て」を行う、決して「黙って見過ごさない」ということである。これは「2007年問題」(「団塊の世代」が定年を迎えるに当たって様々な問題が生起するだろうということから論議されたこと)が提起されてきた頃から、「団塊の世代」とほぼ同じ時期に大学時代(「全共闘運動=政治の季節」・「疾風怒濤の時代」)を過ごした者として考えた来たことであるが、もう一度「原点」に帰っておのれの在り方を律しよう、としたことの一つの表れ、と言えばいいか。
元々、僕らの世代は「不器用」にしか生きられない宿命を負っている世代である(大学の教師などになった僕は、その中でも「器用」に生きている一人と思われている。と書いて、思い出すのは、最初の本『北村透谷論ー天空への渇望』1979年を上梓した際に、一つ上野世代に属する詩人・評論家の北川透に「多くの全共闘世代は、いま沈黙しているのに、何故黒古はこのような本を書いたのか」と揶揄されたことだが、その時は「自立」を売りにしていた北川が、ずっと前から梅光女学院大学の教授であることを考えると、隔世の感がある)。それが、あの「政治の季節」を経験することで「延命」を選んだ結果、今日を迎えるようになったのだとしたら、僕らはもう一度「再生=再出発」とは何か、それを成し遂げるにはどうしたらいいのか、と考えたのである。その結果が、今日の状況全般における「不正義」に対する「異議申し立て」宣言である。
もちろん、僕一個の力なぞ、たかだか知れている。そんなに大きなことができるとは思わない。しかし、今後は他人の顔色をうかがうような生き方だけはしたくない、という思いを伝えることだけは、執筆活動と共に、このインターネット社会だからこそ可能なのではないか、と考えたのである。
その意味では、今年1年は、結果的に今後の生き方に向けての試行錯誤の連続だった、と言えるかも知れない。今日はこれから、年越しそばを5軒分(つゆ付き)打たなければならない。そばを打ちなながら、1年をもう一度振り返ってみようと思う。
読者の皆さん、この1年、お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
また来年もよろしくお願いいたします。