黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

今年最後の……

2007-12-31 07:09:17 | 近況
 今年も、今日一日で終わる。
 で、この1年はどんな1年だったのか?
 というようなことを考えたとき、そこから浮かび上がってくるものは、ひたすら「文学」に向き合い書き下ろしのための原稿を書き続け、と同時に大学教師としての仕事をルーティンのごとくやり続けるここ6年ほどのライフスタイルを、今年もまたなぞった姿に他ならない。変わり映えしないと言えば、その通りであるし、よくそのような生き方を続けて「偉い」と言えば、それもまた正解だし、とは言え内心では、大江健三郎ではないが、どのくらいのロングランになるか分からないとしても、とりあえず「老年の生き方」を模索するようになっている、ということは言えるのではないか、と思っている。
 ただし、そのような生き方の中で1点だけ今年付け加えたことがある。それは、このブログを持続的に書くということとも関係あるのだが、自分で「正義」に反すると判断したことに対しては、怯むことなく「異議申し立て」を行う、決して「黙って見過ごさない」ということである。これは「2007年問題」(「団塊の世代」が定年を迎えるに当たって様々な問題が生起するだろうということから論議されたこと)が提起されてきた頃から、「団塊の世代」とほぼ同じ時期に大学時代(「全共闘運動=政治の季節」・「疾風怒濤の時代」)を過ごした者として考えた来たことであるが、もう一度「原点」に帰っておのれの在り方を律しよう、としたことの一つの表れ、と言えばいいか。
 元々、僕らの世代は「不器用」にしか生きられない宿命を負っている世代である(大学の教師などになった僕は、その中でも「器用」に生きている一人と思われている。と書いて、思い出すのは、最初の本『北村透谷論ー天空への渇望』1979年を上梓した際に、一つ上野世代に属する詩人・評論家の北川透に「多くの全共闘世代は、いま沈黙しているのに、何故黒古はこのような本を書いたのか」と揶揄されたことだが、その時は「自立」を売りにしていた北川が、ずっと前から梅光女学院大学の教授であることを考えると、隔世の感がある)。それが、あの「政治の季節」を経験することで「延命」を選んだ結果、今日を迎えるようになったのだとしたら、僕らはもう一度「再生=再出発」とは何か、それを成し遂げるにはどうしたらいいのか、と考えたのである。その結果が、今日の状況全般における「不正義」に対する「異議申し立て」宣言である。
 もちろん、僕一個の力なぞ、たかだか知れている。そんなに大きなことができるとは思わない。しかし、今後は他人の顔色をうかがうような生き方だけはしたくない、という思いを伝えることだけは、執筆活動と共に、このインターネット社会だからこそ可能なのではないか、と考えたのである。
 その意味では、今年1年は、結果的に今後の生き方に向けての試行錯誤の連続だった、と言えるかも知れない。今日はこれから、年越しそばを5軒分(つゆ付き)打たなければならない。そばを打ちなながら、1年をもう一度振り返ってみようと思う。
 読者の皆さん、この1年、お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
 また来年もよろしくお願いいたします。

2007年の終わりにあたって(5)

2007-12-29 16:48:38 | 仕事
 1年を振りかえると、いつも僕は「忙しさ」の中で生きてきたように思えてならない。何でこんなに忙しいのか、単に僕自身の勝手な思いで「忙しい」という気持ちになっているのか、それとも「還暦」を過ぎると時間の過ぎるのが早いという通説通りなのか、その理由は分からないが、「やりたいこと(やらねばならないこと)」と実際にできることとの間にギャップが生じ、そのための抑圧感が「忙しい」と言わせているのかも知れない。
 ただ、現実的な問題として、この年になると、文学関係のみならず、別なことでも「企画」段階での参画ということが多くなり、そのために時間を取られると言うことがある。例えば、今年の7月に筑波大学出版会が正式に発足したが、3年前からその「準備会」にかり出され、そして正式に発足した途端に、編集委員として「校正」を行ったり(制作を依頼している編集プロダクションの校正は校正と呼べるような代物ではなく、著者校が終了している「再校」で100カ所近く付箋を貼らなければならない、という現状にある)や帯文のキャッチコピーまで書かされる羽目になった。それだけではない、「広報・宣伝」について大手代理店に依頼することは知っていても、図書館人の必読紙である「週刊読書人」や「図書新聞」にどのように広告を入れるか、また記事として掲載して貰うかのノウハウを知らない人ばかりなので、代わって両社に連絡してしかるべき記事にしてもらったり、「余分」な仕事が増えてくる、ということもある。
 文学の面でも、来年の秋に刊行される予定の「新鋭作家論叢書」(とりあえず10巻)も版元の編集者と話をしていて実現したもので、著者=執筆者の選択などでまた「多忙さ」を増す、ということがある。
 それに、読みたい本があっても読む時間がないので、結局「積読」になってしまって、読みたいのに読めないと言うことがストレスになって、「多忙感」を募らせるということになる。特に、書き下ろしの作家論などに取りかかっていると(現に今「村上龍」に取りかかっているのだが)、その対象作家の本をきちんと読む(読み直す)ことが最優先されるので、時間がますます少なくなって焦燥に苛まれるということになる。それに加えて、加齢による「目の疲れ」、これが中途半端でなく、1時間も集中して本を読んでいると、目がちかちかしてきて、10分ほどコーヒーブレイクにしなければならないということから生じるストレス、本当に嫌になってしまう。
 とは言え、今日の社会状況、文学状況をを鑑みれば、ここで愚痴ばかり言っている暇はない。読者の皆さんに「アグレッシブに!」と言っておきながら、本人が転けてしまっては、それこそ笑い話にもならない。この社会(の政治や人々の在り方)に向かって、この文学状況に向かって、あるいは若者(学生)に向かって、僕は「アグレッシブに=積極的に」異議申し立てをしていこうと、と思う。黙して見逃すことは、体制に積極的に手を貸すことである。そんなことは嫌だ、と声を大にして言いたい。そこから、全ては始まるのではないかと思う。僕らが「沈黙」していたから、小泉・安倍という「ネオ・ファシスト」「ネオ・ナショナリスト」が演じた悲喜劇を観覧しなければならなかったのである。もうこりごり、である。
 そんなことを考えて、この1年を終えたいと思う。

2007年の終わりにあたって(4)

2007-12-28 10:54:10 | 仕事
 昨夜から今朝のニュースでトップの扱いになっていたのは、福田首相の訪中に関してであった。支持率の急落にびっくりした政府与党の連中が、ここで一発「起死回生」のホームランをと狙ったのが、「薬害肝炎患者の全員救済」であり、今回の訪中だったのだろうが、いかんせん、「政治」の言葉がいかにも軽くなっている昨今、果たして今回の訪中で内閣支持率が上昇するだろうか。そもそも「外交」というのは、「国家の利益」(必ずしもそれが「国民の利益」に結びつくとは限らない)を優先させた「取引」であるから、どれだけ虚像とかした「国威」を高揚するような外交が行われるか。北京大学での講演が予定され、中国全土にそれは放映されるということだが、果たして「靖国」問題というトゲがのどに刺さったままの日中関係が、どこまで改善されるか。北京折りピックを控えた中国側は、相当な思惑を持って今回の首脳会談に臨むであろうが、では我が福田首相は、果たして北京大学の学生に受け入れられるような「演説」ができるかどうか、結果が大いに楽しみである。
 というのも、福田首相には、小泉-安倍と続いた「言葉の軽さ」を武器に政治を行ってきた人たちの後を引き継いだ内閣であるという自覚が果たしてあるのか、と言う疑問が消えないからである。「薬害肝炎」問題の過程でも、あるいは未だ解決のめどが立たない年金問題にしても、例えば矢面に立っている舛添厚労省大臣のテレビタレントとして年中テレビに出演していたときの癖が抜けないのか、マスコミ受けする「大言壮語」は発しても、官僚に対しては一向に刃向かうこともしない(あの「消えた年金」の処理で、舛添大臣が「2年以内で処理する」と明言しているのに、社保庁長官が決して「2年以内に」とは発言しなかった官僚の抵抗=発言に対して、それを目の前に見ていながら、何も言えない舛添大臣、この構図=関係こそ政治の言葉の「軽さ」を物語っているものはない)姿勢、もう怒りを通り越して笑うしかなかった。
 この時VTRで久し振りに熱弁を揮う安倍前首相の姿がテレビに映ったが、彼の今となっては「虚言」になってしまった演説を聴いても、何ともしらけるだけであった。ただ、そうはいっても、小泉氏に続いて彼が行った「ネオ・ファシズム」(右翼)的な政治、例えば「国民投票法案」や「教育基本法の改正」、そして今マスコミで騒いでいる沖縄戦における「集団自決」に関わっての「日本軍の強制」問題、これらの将来の日本国民を苦しめるような政策も、政治の「軽い言葉」に目眩ましにあった結果であり、責任は重いと言わねばならない。将来に禍根を残した首相として、小泉、安倍の両氏は筆頭にあげられるのではないか。
 だから、政治の言葉が軽いからというわけでもないのだろうが、現代文学の世界でも、あれが果たして文学と呼べるのだろうか(21世紀の文学はそのようなものに席巻されるのだろうか)と思えるような「ケータイ小説」なるものが、はやっている。「言葉の重さ」=思考の重さであるとするならば、ここ数年の日本社会の傾向はまさに「軽薄」一色に覆われている、と言えるのではないか。哀しいな、と思う。来年は2冊の「作家論」を書かなければならないのだが、現在の傾向とは真逆な本にしたいな、と思う。ささやかな「抵抗」として。

2007年の終わりにあたって(3)

2007-12-27 09:57:29 | 仕事
 今年1年を振り返って、何が一番気になったかと言えば、それはますます「生命」が粗末に扱われるようにな事件(出来事)が相次いだことと、「政治」の言葉があまりにも軽くなりすぎたこと、の二つである。
 今朝も起きてニュースを見たら、トップ・ニュースで「別れた夫が交際中の女性と元妻宅を訪れ放火し、焼け跡から2遺体を発見」と報じていた。60歳半ば過ぎの元夫婦に何があったかはわからない。しかし、別れた妻は、息子の家族と一緒に暮らしており、彼らは全員避難して無事であったが、まかり間違えば、大惨事になるところであった。
 この事件だけではなく、今年も相次いだ「親殺し・子殺し」に象徴されるように、いかにも短絡的に(簡単に)人の「生命」が抹殺される。いきなりブスっと短刀を腹に刺すような殺人が多すぎる。戦争(銃後も含む)経験のある親から生まれ、「平和」の尊さを学校で、家庭で嫌と言うほどたたき込まれ、そしてもっとも多感な時代(大学時代)に経験したベトナム反戦運動の中で叫ばれた「殺すな!」の論理と倫理を骨の髄まで滲み込ませた僕(ら)にしてみれば、現在の余りに「生命」が軽視される状況は、大げさでなく耐え難いものになっている。
 僕より少し年長の子供文化や教育問題に対して鋭い発言をし続け、著書もたくさん持っている友人は、子供が虐待されている話や子供が理不尽に扱われるような事例に出会うと(それらが話題になると)、いつの間にか頬に涙を流すのが常であるが、いかにも人間の「生命」が鴻毛より軽いと思われる昨今の事件に接すると、彼の友人と同じように胸つぶれる思いにおそわれる。
 なぜ、こんなことが起こるのか? 戦後「平和と民主主義」の幻想にくるまれて過ごしてきた日本国内だけを見ているとわからなくなるが、世界は第二次世界大戦(日本を中心に考えれば、アジア・太平洋戦争)が終結しても、決して「平和」が到来したわけではなく、依然として各地で「戦争」が続いていたということがあり、21世紀に入ってからは、中東を中心にアフガン戦争・イラク戦争と激しい「戦争」が続き、「自爆テロ」と称する絶望的な戦術が、圧倒的な武力を持つ「敵」に対して実行されるなど、人間の「生命」がもっとも軽視されたことの象徴とも言うべきアジア・太平洋戦争時における「特攻隊」攻撃(神風特攻隊・震洋特攻隊、あるいは「人間魚雷」攻撃)と全く同じことが、世界各地で行われている。
 そんな「戦争」の仕掛け人は誰なのか。そのことはわからない。しかし、一つだけわかっていることは、戦争の一方の当事者であるアメリカに日本も加担し、「生命」軽視の風潮に背景として拍車をかけているのではないか、ということである。「テロ防止」「国際協調」という美名の下でアメリカ加担のために血税を湯水の如く使う「テロ特措法」の延長に躍起となっている与党(自民・公明)の姿を見れば、「生命なんて、たいしたことないんだ。国だって、人殺しの戦争に協力しているんだから」と、多くの人たちが思うのではないか。そんな気がしてならない。
 来年も、こんな「生命」軽視の風潮は続くのだろうか……。
 明日は、「政治」の軽さについて書く予定。

2007年が終わるにあたって(2)

2007-12-26 07:03:43 | 仕事
 今年を振り返って、自分に関して最も大きなことは、このブログを書き続けてきた、ということだろうと思います。
 一昨年に「還暦」を迎えた時、自分の過ぎ来し方を振り返ったのだが、その時思ったのは、「初心に返る」ことであった。そして僕にとって「初心に返る」とはどういうことなのか、を考え、それは現在の僕を形成するのに大きな役目を果たしたと思っている、あの「大学時代=政治の季節」における精神の在り方(肉体が衰えた現在では「行動」までは不可能だが)に戻ることであり、現在はあの時代よりは精神的には全ての面でずっと進んでいるはずだから、そのことをバネに、何らかの形で僕なりの考えを発信し続けよう、そのように思ったとき、目の前にあったのがこの「ブログ」だったというわけです。
 なかなか若い人(学生たち)とコミュニケーションが取れないということから思い付いたブログであったが、正直に言って、昨年スロベニアに1ヶ月滞在するまでは、そんなに熱心に関わっていたわけではない。帰国して、学生たちの他にも多くの「未知の人」がこのブログ「スロベニアから」を読んでくれていることを知り、ブログ執筆に努力するようになったのだが、昨年はまだ「初心に返る」こととブログ執筆とが直接的には結びつかなかった。それが今年になって「真面目」に執筆するようになったのは、悪化するばかりの時代状況にも後押しされたということ、および自著をいかにアピールするか、ということもあったが、意外な人から「読んでますよ」「面白いね」と言われ、また留学生の一人から「こんな事書いて、先生だいじょうぶなんですか」と危惧されたからに他ならない。僕はこの時、かつてのように「危険分子でもいい」と思ったのである。一介の批評家及び大学教師として思想的には「危険」(本当に危険であるかどうかは分からないが)であることを自認するような生き方でいいではないか、と思ったのである。
 シニカルになったりニヒルになったりせず、「異議申し立て」を唱え続けた学生時代と同じように、僕なりの考えを率直に開陳していく、そのためにはささやかではあるがこのブログは役に立つのではないか、と自覚するようになったことが、持続している大きな理由である。それに加えて、「コメント」という形で「未知な人」との共同・協同が実現していることも、大いに力づけてくれていると思っている。そういう意味では、コメントを寄せてくれている人に感謝している。
 さらに言えば、前総理の安倍晋三の「危険性(ネオ・ナショナリスト、ネオ・ファシストぶり)」「どうしようもなさ」が、このブログ執筆を後押ししてくれたとも言える。この安倍前首相に対する僕の「反発」に関しては、次回以降に書くつもりでいるが、一言だけ言えば、「豊かさの中で進行する戦争準備」への危惧、ということになるだろう。安倍前首相の登場は、久し振りにかつてべ平連が合い言葉にしていた「殺すな!」を思い出させてくれた。ささやかであっても、ここできちんと対応しなくては禍根を残すのではないか、と思ったのである。
 その結果が、このブログ、この1年何かを残すことができたかどうか、少なくとも来年も続くことだけは確かである。毎朝早く起きてこのブログを書く、それが現在の僕の習慣になってしまっている。「ブログ中毒」にならないようにしよう!

2007年の終わりにあたって

2007-12-25 09:07:54 | 仕事
 もうあと1週間ほどで2007年が終わる。
 毎年この時期になると1年を振りかえるのを習慣にしているが、毎年のことながら、今年も私事に限るならば「可もなく不可もなく」ルーティンな日々を過ごしてきたな、という思いが強い。もちろん、今年は『林京子論ーナガサキ・上海・アメリカ』(6月 日本図書センター刊)と『村上春樹ー「喪失」の物語から「転換」の物語へ」(10月 勉誠出版刊)の2冊を出し、1年に1冊本が出せればいいな、という思いを大幅にクリアーしたので、その意味では「良い年」であった、と言えるかも知れない。
 2冊はそれなりの評価を受けて、版元によれば現在もなお健闘中ということで、その意味では「良い仕事」をしたという実感もあるのだが、しかし目を自分自身以外に転じると、例えば「ケイタイ小説」なるものが爆発的に売れているというような現象に象徴されているように、本格的なネット時代を迎えて「文学」の在り方が根源的なところで問われているのではないか、ということがある。大学の学生たちを見ていても、「文学」好きを自認する学生でさえ、中上健次や立松和平の作品など読んだことが無く、では今流行りの中原昌也や金原ひとみ、綿矢りさ、あるいは勤務先の大学出身である青山七恵の作品などを読んでいるのか、ということになると、やはり結果は覚束なくて、「文学部日本文学」専攻の学生たちでさえ、何を読んでいるのかな? と思うぐらいである。
 おそらくその理由の一つは、(少し前必要があって調べて分かったのだが)、日本の学校教育が「受験競争=学歴社会の容認」という状況下で「不読者」(1ヶ月に1冊も本を読まない人間)を増加させてきたということにあるのではないか、と思うが、「文学」(作家や批評家)自身の問題として考えれば、やはり一人一人の人間が生きている「現実」と切り結ばない(関わりを持たない)作品や言説を生み出し続けすぎているからではないのか、思わざるを得ない。大江健三郎が言うところの「生き方のモデルを提出する」文学作品が余りにも少なくなっているのではないか―もっとも大江自身も最新作の『臈たしアンベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』(新潮社刊)が、果たして「生き方のモデル」を提出している作品であるかどうか、判断は分かれるところである。―
 これは、団塊の世代=全共闘世代作家たちの在り方を除いて、「内向の世代」文学以来の傾向が強まった結果とも考えられるが、昨年出した『魂の救済を求めて』(佼成出版社刊)に収録した批評=作家論を書いているときに気付いたこととして、「魂の救済(心の問題)」は「こころ」だけで解決するのではなく、現実社会と「こころ」との関係を考えて初めて解決することである、ということがある。ここ何年か一向に減らない中高年の自殺(約3万人と言われる)の原因が、リストラや失業、倒産にあるということを例に出せば、このことは容易に理解できるのではないか。
 ともあれ、今年もまた「文学」にとっては決して「いい年」ではなかったこと、このことだけは肝に銘じて、また来年も我が「文学」の道を歩いていきたいと思う。

人間軽視の「政治」

2007-12-24 10:30:00 | 近況
 今朝、新聞を広げ「薬害肝炎 全員救済へ」の見出しを見て、思わず絶句してしまった。ふざけている、と思ったからである。もちろん、患者さんたちにしてみれば「線引き反対、全員救済へ」という「念願」が適う一歩を踏み出したであるから、歓迎すべき「政治判断」と言うべきだろう。
 しかし、患者の「全員救済」は考えられないという福田首相以下舛添厚労省大臣らが決断を下したのは、たった3日前のことである。それが、内閣支持率の急速な低下(不支持率が支持率を上回る)に驚愕して、一挙に「政治判断」をしたという茶番劇を演じてしまったというのが、昨日の真実なのだろうが、そんな「政治判断」をしなければならない現在の政治における「貧困」こそが問題なのではないか、と思う。新聞の見出しを見て、思わず「ふざけるな」と思ったのも、余りにも現在の政治に「人間(の生命)」が不在である、軽視されている、と感じられたからに他ならない。
 もし、本当に福田首相以下、与党の政治家やそれを裏側から支える「官僚」たちが、「人間(の生命)」を大切に思っていたのであれば、何度もテレビで放映されたような患者さんたちの「涙ながらの訴え」に対して、国の責任を回避するような、そしてまた救済のためのお金をケチるような姿勢は示されなかったはず、と思うのは、僕だけではないだろう。皮肉でも何でもなく、何しろ政府はイージス艦からの迎撃ミサイル(たったの1発)発射実験に何百億円ものお金をかけて「喜んでいる」のだから、お金がないわけではない(赤字国債を乱発しているが)。
 価値観がどこかで転倒しているとしか考えられない。本来「政治」は国民の幸福を願って行われるものであるが、「国民のため」というより、「国のため」に巨額の是金が投入され、それを多くの人が「当たり前」のように容認してしまう。このような「政治」の在り方が、泥沼のアジア・太平洋戦争(十五年戦争)に突入していく1930年代初めに(もっと言えば、明治維新以来の朝鮮半島、中国大陸への「野心」、詳しくは拙著「戦争は文学にどのように描かれているか」八朔社刊を参照)に酷似している、と思うのは、僕だけだろうか。あるいは、「国民の幸せ」という美名=建前にカムフラージュされた日本資本主義の「金儲け主義」が、今日の「人間(の生命)」をスポイル風潮を生み出したのだ、その意味では僕らにもその責任の行ったはある、と考えるのは、僕だけだろうか。
 いずれにしても、今回の「薬害肝炎患者救済策」という茶番劇が僕らに示してくれたのは、「人間(の生命)」が蔑ろにされている現実に他ならない。それは、アメリカの政策に「異議申し立て」することなく、唯々諾々と従ってばかりいる保守政権の醜態を見せつけると共に、僕らもまた「金権主義」にまみれて、正当(正統)な批判力を発揮することができなくなってしまっている現実を、白日の下にさらけ出すことでもあった。今朝の新聞を読みながら、終始僕の頭を過ぎっていたのは、そのような「苦い思い」であった。
 「女狐」さんという沖縄の大学院生(女性)が、沖縄で生きることの厳しさについて、日本=ヤマトにいては決して分からない現実を踏まえて「コメント」を寄せてくれているが、いま僕らに要求されているのは、いかに他者の「痛み」を共有することができるか、ということなのではないか、と思う。
 友人高橋武智氏がベトナム反戦運動の過程で生じた「米兵脱走運動」について、『私たちは、脱走米兵を越境させた……』(2400円 作品社刊)という本を書いて、好評を博しているが、この本の基調として流れる「生きる=共生」の思想こそ、僕らが今まさに必要としているものではないか、と思っている。この本は、「ジコチュウ」と真逆な思想によって書かれているものです。

「東京新聞」が熱い!

2007-12-23 09:57:45 | 仕事
 朝5時に起きて、新聞が届いたのを確認してざっと新聞に目を通すのを日課にしているが、昨日の舛添厚労大臣を批判した「特報欄」にも感心したのだが、今朝の「東京新聞」も社会面の「戦後62年」(上海の「東亜同文書院」という中国大陸への「侵略」に深く関わった国策大学について取材したもの)という若い記者(先日あった佐藤直子さん)が書いた囲み記事と、それに連動したかのように見える別刷り「日曜版」の「拡大する自衛隊」という色刷りの1面。社会の木鐸として新聞はどのような役割を果たすべきなのか、時あたかも「新テロ特措法」を巡って国会が紛糾している状況にあり、またイージス艦がミサイル防衛構想の中核を担うことが判明した今日、「東京新聞」はよく分かっているのではないか、と思わざるを得なかった。
 特に「拡大する自衛隊」は、内容的にはすでによく知られていることを整理しただけとも言えるが、憲法第9条で「戦力を保持しない」と明言されながら、「拡大解釈」によって軍隊として蘇った自衛隊が「海外に約20回派遣(派兵)され、約3万人の兵士がそれに従事した」という事実、あるいは「国防費世界第6位」(因みに、アメリカ第1位、以下中国、ロシア、フランス、英国と続き、第7位以下はドイツ、イタリア、サウジアラビア、インド、韓国、という順になっている)という事実、また現在の自衛隊が持っていないのは航空母艦だけ(といいながら、やはり「東京新聞」の1面に連載中の「新防人考」によれば、戦闘ヘリを乗せる母艦は存在し、その戦艦はいつでも戦闘機を飛ばすことのできる航空母艦に改造できるとのこと)という事実を知らされると、改めて「自衛隊とは何か」と問いたくなってしまう。
 憲法第9条が存在するから大丈夫だと安心している間に、自衛隊は拡大・膨張し続けているのである。確か、十年ほど前は国防費が「第7位」だったはずなのに、いつの間にかイタリアやインドなどを上回る「第6位」になっている。これは絶対におかしい。しかし、小林よしのりの漫画「戦争論」などに毒された「ナショナル・ボーイ」(国家主義的・右翼的な思考を持った若者たちに対して、僕が付けたニックネーム、かつて流行った「マルクス・ボーイ」に因んだ呼び名でもある)ではないが、いつの間にかそんな自衛隊の膨張・拡大を暗黙のうちに容認してしまう風潮があるのではないか。軍隊=自衛隊は、誰が何と言おうと(どんな美辞麗句を労したとしても)、「敵を殺し」「建物や自然を破壊する」ための目的で組織されたもので、「敵を殲滅」が至上命題として科せられた集団である。
 その自衛隊=日本軍が「海外派遣(派兵)20回」というのだから、驚きである。第9条の「国際紛争解決のためには、戦力を保持しない」という言葉をどのように解釈すれば自衛隊の海外派兵が可能になるのか、「平和の党」を標榜する公明党さえもその海外派兵を支持するというのは、「国際貢献」という建前がいかに強力なものであるかが分かる。
 しかし、現状がそうであるからと言って、あきらめるわけにはいかない。僕らは「平和憲法」の理念=原点をしっかり踏まえて、戦争を起こさず、戦争に巻き込まれない国造りを考えなければ行けないのではないか、と思う。「あっ」と驚いているうちに、堂々と航空母艦を中心とした艦隊が太平洋やインド洋、あるいは大西洋を走っている、なんてことが起こらないようにしなければならない。
 今日は「東京新聞」を読んで、そんなことを痛感させられた。

「時代閉塞の現状」

2007-12-22 07:10:48 | 文学
 石川啄木の評論文に「時代閉塞の現状」というのがある。啄木は、1910(明治43)年に起こった「大逆事件」(天皇を暗殺しようとした社会主義者のグループの検挙と共に、関係ない社会主義者やアナーキストたちを一斉に逮捕し、実行犯と共に12名の人たちが死刑に処せられた)に最も敏感に反応した文学者の一人だったのだが(他には、徳富蘆花、永井荷風などがいた)、「時代閉塞の現状」はまさに「言論の自由」や「表現の自由」、「思想・信条の自由」が封じられ、世の中から「自由」が消えてしまった状況に異議申し立てを行ったものであった。
 この頃、よくこの啄木の評論を思い出す。時代の「閉塞感」が並大抵のことではないからかも知れない。小泉劇場のパフォーマンスに目をくらませられた人々が、「郵政民営化」という美談に踊らされ、与党に多くの議席を与えてしまったため、(先の参議院選挙で、その鬱憤のいくらかは晴らしたとも言えるが)全体として「無力感」が漂っている状況下にあって、「新テロ特措法」制定に関するなりふり構わない与党の振る舞い、また薬害肝炎問題に対する政府の対応の悪さ、イージス艦からの明細ル発射にはしゃぐ自衛隊関係者たちの存在、あるいは目を国外に向けて、地球温暖化について楽観視しているのではないかと思われるアメリカや中国の在り方、等々、「いいこと」など何もありはしない。
 さらに言えば、ガソリンに加えて小麦まで「投機」の対象になり、物価が上昇して、もろに弱者の懐を直撃する現状は、一体全体どうなっているのか、人間の「健全な営み」が根源から狂い始めているのではないか、との存在の根本を揺るがすような危機感を抱かせる。
 しかし、そのような危機感は、(啄木の時代、「大逆事件」当時もそうであったようだが)ごく少数の者しか持っていないのではないか、と思わせる、そこが哀しい。本当は多くの人が現状に不満や不安を抱いていると思うのだが、マスコミ・ジャーナリズムの世界では、幾分影が忍び寄ってきたのではないかと思われるが、相変わらず「毒」のない「お笑い」一色で、うんざりする。(僕は、例えば「そんなの関係ねー」と裸で連呼する芸人は嫌いではないが、4歳の幼稚園児が何かあると「そんなの関係ねー」を連発する姿を見ていると、思わず「関係あるよ」と言ってしまう、そんな状況の本質を僕らは見失ってはいけないのではないか、と思う)
 そんな「時代閉塞の現状」について考えると、目をむいて「オッパピー」などと言って済ませるわけにはいかないのではないか、と年の瀬を迎える時期になって痛感している。「徴兵制」の必要を唱えたので一挙に嫌悪の対象になった宮崎県知事に倣うのは嫌だが、「この日本を何とかせにゃいかん」という気持ちは日々強まりこそすれ、弱まることはない。しかし、僕らはここでシニカルになったり、あきらめてはいけないのだと思う。僕らは、「100番目のサル」(コメント参照)の出現を目指して、現在を生きるしかないのである。
 頑張りましょう。

北京からの便り

2007-12-21 10:47:28 | 文学
 昨夜帰宅してメールを開いたら、久し振りに北京大学の翁家慧さんからの便りが一通あり、それは半年ほど前から取り組んできた拙著『作家はこのようにして生まれ、大きくなったー大江健三郎伝説』(2003年9月 河出書房新社)の中国役がほぼできたので、いくつか質問したい、というものであった。
 翁さんは北京大学日語系の講師で、6月に中国社会科学院でスピーチしたときに通訳をしてくれた人で、大江健三郎が大好きで、その時彼女はもう18年も前に出した『大江健三郎論ー「森」の思想と「生き方」の原理』(1989年 彩流社)を持参し、サインして欲しいと恥ずかしそうに言った人であった。大江さんが北京で講演したときも彼女が通訳したと言うことで、その流ちょうな日本語はどこで学んだのか聞いたところ、「1年間日本で遊んでいたので」、という答えしか貰えなかったということがあった。いずれにしろ、彼女の堪能な日本語を元にした翻訳、中国でどれほどの人が読んでくれるか気がかりではあるが、『村上春樹』の中国語訳にしてもそうだが、中国における日本文学研究がいよいよ作品(小説や詩)の翻訳・紹介の段階から、『作家論』や『作家研究』の執筆(僕が北京で知り合った許金龍氏は、大部な大江健三郎論を書くために1年間日本に研究留学するということで、11月の半ばに来日したし、村上春樹作品の翻訳家で有名な林少華氏は、やはり詳細な村上春樹論を現在執筆中で、最後のつめをするために来日を希望しており、僕はその協力を頼まれている)や、「作家論・作家研究」の翻訳・紹介という段階に入ったのではないか、と思われる(村上春樹論に関しては、今年小森陽一の平凡社新書『村上春樹論』が翻訳刊行されている)。
 たまたま、タイミング良く拙著が2冊(村上春樹論と大江健三郎論)来年早々に翻訳刊行されることになったが、中国社会科学院の許氏によれば、これからも続々と「作家論」「作家研究」の類が翻訳・刊行される予定になっているとか。僕の貧困な経験によれば、このような現象はアメリカでは20年ぐらい前に起こったことで(柄谷行人の「日本近代文学の起源(翻訳)」が日本文学専攻の大学院生のバイブルになっていたのは10年ほど前であった)、中国でもそのような現象が起こりつつあるということは、「文学の徒」としては喜ばしいこと、といわなければならない。
 「日本文学の世界文学化」というのは、大江がノーベル文学書を受賞したときにコメントしたことの一つであるが、昨年村上春樹がノーベル文学賞候補としてノミネートされたことを考えると、いよいよ「日本文学の世界文学化」は本格的になってきたな、といわなければならない。
 しかし、懸念も無いわけではない。日本の文学者(作家や詩人たち、そして批評家たち)が果たしてそのような世界文学化=グローバリズムを考えて日々作品を書いているか、どうか。日本の独自性を踏まえて、かつグローバルな問題もまた自己の問題として捉える(作品化する)、日々生産される文学作品を見ていると、そのようなことが果たして作家や詩人に意識されているか、正直言って、心許ない。
 これからは、心して考え続けなければ行けない課題かも知れない。亡くなった小田実の言葉を思い出す。「黒古さん、僕らは日本ではマイナーだけど、世界の流れを考えればメジャーだから、心配することはないよ」。拙著2冊の中国語訳の出版刊行、小田さんの言葉がいよいよ本当になってきたような気がする。