黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「虚しさ」との戦い(7)――「百田尚樹」を潰せ!

2015-06-26 16:04:49 | 仕事
 一仕事終わって、気分転換のつもりで「Yahoo・ニュース」を開いたのだが、そのトップニュース(毎日新聞ニュース・沖縄タイムスニュース)を読んで、びっくりした。
 あの札付きの「右翼(国粋主義者)作家」百田尚樹が、安倍首相の考えに使い自民党若手議員の憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」(参加者約40名)に講師として招かれ、次のような発言をし、多くの参加者から賛同を得たというのである。
①「(辺野古沖の新基地建設に反対している)沖縄の地方紙2紙(琉球新報・沖縄タイムス)は潰せ」→百田は、作家として「表現(思想・信条)の自由・報道の自由」をどのように考えているのだろうか。彼は、治安維持法の下で、「表現の自由」や「思想信条の自由」が制限され、その結果として約320万人(アジア全域では、約2000万人)が犠牲になったアジア太平洋戦争を阻止することができなかったことを、よもや忘れたわけではないだろう。もっとも『永遠の0(ゼロ)」などという「特攻」を美化する小説を書き、それがベスト・セラーになり映画化もされたことで悦に入っている百田には、戦時下において「執筆禁止」などの弾圧を受けた作家の苦しみなど理解しろというのは、どだい無理な話と言うしかないのだが……。
②「米軍基地の地主は何千万円もの土地代をもらっている」→確かに、米軍基地として取り上げられた土地の代金で生活している「軍用地主」の人はいる。しかし、何千人もいる地主の内「豊かな生活」をしているのは、ほんの一握りで、誰もが「何千万円もの年収」を得ているわけではない。デマゴギー(嘘の情報による扇動」もここまで来ると、馬鹿らしくて話にならない。
③「普天間基地の周りは、昔は皆田んぼだった。基地周辺の住民はカネ目当てで移り住んできた」→確か、普天間基地の周囲には5つか6つの市町村が存在するが、かつては小学校や役場があった町の中心部が普天間基地として接収されたので、住民はやむを得ず「基地周辺」に済まざるを得なくなったのである。作家ならそのぐらいの「沖縄の戦後史」を勉強してから発言すべきである。また、そんな「いい加減(デタラメ)な」百田発言に拍手を送った自民党の若手「極右」議員(その中には、安倍首相が可愛がっている佐藤勝信官房副長官や木原稔青年局長らがいたという)は、もう一度この国の戦後史を学び直すべきである。

 また、百田発言を受けて、出席した議員からは「マスコミを懲らしめるには広告収入をなくせばいい、文化人が経団連に働きかけて欲しい」との発言があったともいう。この発言も先のアジア太平洋戦争への「反省」を全く感じられないもので、「報道管制(規制)」はファシズムの常套手段である。このような国会議員に僕らの未来が委ねられるとしたら、何とも悲しい。 先般、NHKやテレビ朝日の経営者たちを自民党本部に呼びつけて、「放送法」(テレビ・ラジオ放送の許認可権)を持ち出して、政府与党への批判的言説を封じ込めようとした同じ手口で、今度は「スポンサーへの圧力」を画策する、このような政治家たちに支えられた安倍自公政権がいかに「危険」な政権(権力)か、僕らはその本質を見極め、将来にわたって「禍根」を遺さないようにしなければならない、と今日あらためて思い知った。
 しかし、本音は「もう、うんざり」である

「虚しさ」との戦い(6)――「沖縄慰霊の日」に際して

2015-06-23 10:04:15 | 仕事
 今日六月二三日は「沖縄慰霊の日」。この日は、七〇年前、アジア太平洋戦争において植民地や占領地を除く「日本の領土」で唯一「苛烈・悲惨」な地上戦が行われた沖縄での、日本軍将兵・住民合わせて二〇万人余りが犠牲になった「戦争」が終結した日である。
 今日は、朝からテレビや新聞がこの「沖縄慰霊の日」について報じていたが、僕の胸に去来したのは、あの決して小さくない島の大半が焼け野原になり、多くの住民(と日本軍将兵)が犠牲になった七〇年前の沖縄戦に対して、そんな沖縄戦やヒロシマ・ナガサキなどの犠牲の上で手に入れた「平和」を否定し、その「平和」を体現している「日本国憲法」に「違反」してまでも「戦争のできる国」にしようとして、あくまでも「安保法制=戦争法案」の国会通過を目指す安倍自公「極右」政権――自民党と連立を組む公明党は、今や完全に「平和と福祉の党」の看板を下ろし、国民を「戦争」に引きずり込むことに賛同する「与党ボケ」した政党に成り下がってしまった――に所属する政治家(屋)たちは、今どのように思っているのか、一度じっくり彼らの考えを聞きたいものである。
 安倍首相や中谷防衛大臣らは、事ある毎に「中国や北朝鮮の脅威」を持ち出すが、もし仮に尖閣諸島をめぐって日中が戦争状態になったとして、最初の犠牲になるのは沖縄の自衛隊員だし住民である――もっとも、中国が本気で日本と戦火を交えようとしたら、核弾頭を積んだミサイルが首都東京や日本各地の大都市に飛んでくるかも知れない。その時、アメリカ軍はどうするか、僕は中国との全面戦争を避けたいアメリカは、「モンロー主義」に戻って日本を見捨て、日本の米軍基地から将兵や武器を引き上げるだろうと思う――。 九〇%以上の憲法学者が「違憲」だと判断している「安保法制」(集団的自衛権行使容認)に対して、これも多くの学者がそんなことは意味していなかったと言っている1959年の最高裁の「砂川判決」や1972年の「政府見解」を持ち出して、何が何でも「安保法制」の国会通過を図ろうとしている安倍自公「極右)政権がいかに「現実」に根ざさない観念的な思考しか持ち合わせていないかは、沖縄県民の大多数が「ノー」と言っている名護市辺野古沖の「新基地」建設を強引に推し進めようとしていることからもよく分かるが、昨日の「日韓国交回復50周年」における安倍首相のスピーチでも、過去の「36年間に及ぶ植民地支配」(これを象徴するのが「従軍慰安婦」問題である)については全く触れず、新聞などは「未来志向」ときれい事を書いているが、ようするに無意味な形式主義を振り回すだけの、全く気持が伝わらないスピーチを聴いていれば、よく分かる。
 安倍首相のスピーチを聴いていて、いつも思い浮かべるのは、安倍首相の「影武者」とも言うべき相当「頭の悪い=観念的な言葉でしか物事を考えられない」スピーチ作者(官僚・補佐官)の姿である。それは、歴代の内閣法制局長が「違憲」だという「安保法制=戦争法案」について、全く意味のない「フグの例え」を出して「合憲」だと言い募った現在の法制局長の姿に重なる者たちである。それにしても、あの法制局長のような権力者(安倍首相)の言いなりになって平然としている「馬鹿者=お茶坊主」らに、僕らの未来が決められると思うと、何とも「嫌な気持」がしてならない
 だが、民衆はいつまでも「騙されたまま」ではいない。このことをどのような形で権力者に知らしめるか、そのことを僕らは近々の問題として今から考えておく必要があるだろう

「虚しさ」との戦い(5)――批評家としての仕事

2015-06-21 08:59:41 | 仕事
 これまでの流れから言えば、「閑話休題」的なものになるが、安倍自公「極右」政権の余りにもファッショ的な「安保法制」論議に「虚しさ」を感じつつ、「社会と文学の関係」を重視する一人の物書き(批評家)として、現在の状況を視野に入れながら、「文学」プロパーに関わる仕事をずっとしてきたつもりだが、先週2月から留づけてきた「戦争文学は語る」(全18回連載)の仕事――結局、大岡昇平の『野火』から立松和平の『軍曹かく戦わず』まで、終わってみたら全部で20作品を取り上げていた――が終わったので、購入したまま積んであった本の中から、索引を見たら何回か僕の名前が出てくる『江藤淳と大江健三郎』(小谷野敦著 2月25日 筑摩書房刊)を取り出し、気分転換も兼ねて読んだ。
 著者の小谷野敦については、以前北海道新聞に頼まれて『谷崎潤一郎伝―堂々たる人生』(2006年刊)について書評したことがあり、その膨大な資料を駆使した「実証主義」に驚嘆した経験があったので、今回の本も帯文に「決定的ダブル伝記」とあったということもあり、期待して読んだのだが……。
 率直に言うが、結果的には、「裏切られた」という思いを強く持たざるを得なかった。それは、読んでいる最中にも、また読了しても、湧き上がってくる何とも言えない「嫌な気持」と連動するものだと思うが、その「裏切られた』『嫌な思いがした」理由の最たるものは、相変わらず驚くべき一の「資料」を元にしているのだが、『谷崎潤一郎伝』にあった「実証主義」が影を潜めてしまい、文中の至る所に顔を出す「私」(の感想・評価・思いこみ)が、この書を読むことによって本来なら読者が「自由」に構築するはずの、江藤淳という一人の批評家、大江健三郎という一人の作家の「全体像」に<ゆがみ>を呈してしまったのではないか、と強く思ったからである。言い方を換えれば、この本は、「伝記」ではなく、「伝記」の風を装った小谷野敦という著者の批評家・江藤淳と作家大江健三郎に対する「私の感想」を積み重ねた本、という印象を免れていないということである。
 それに、「嫌な気持」のするもう一つの大きな理由は、著者は意識していないのかも知れないが、本書の中には本筋とは関係ないと思える登場人物「の学歴」やら「家柄(出自)」が出てきて、最終学歴が「法政大学大学院(博士課程満期退学)」の僕の「ひがみ」と思われることを承知で言えば、うるさいほどに「東大の○○」とか「東大比較文学科の○○先生」(何故か、自分に関係ある教師には「○○先生」と付け、その他の文学者や研究者は呼び捨てにしているが、これもよく分からない)などという言い方が頻出していて、それが鼻につくということもある。
 それと、帯文にも使われ、文中にも多用される「左翼」という言葉、本当に著者は「左翼」という言葉の意味が分かって使っているのか、大江健三郎を「左翼」と決めつける根拠は何であるのか、このような措辞は安易な「レッテル張り」なのではないか、と思わざるを得ず、今時は「左翼」という言葉がこのように使われるのか、徒感心させられると同時に、一人の作家をこのように簡単に「レッテル張り」して何かをいったつもりになると言うのは、「伝記」作者として「怠慢」の誹りを免れないのではにか、と思わざるを得なかった。
 それと、僕のこれまでの大江健三郎文学との関わりから見て、詳しくは書けないが、「間違いなのではないか」「誤読ではないのか」と思われる箇所がいくつかあり、これもこの本を「伝記」として素直に受け取れない理由の一つにもなっていた。また、そのことに関して言えば、「実証」を重んじていたはずの著者が、随所で何の「証拠=事実」も挙げないで、推測を結論であるかのように記述しているが、このことはこの本が「伝記」と言うより、「私小説」を最上の表現(?)と考える小谷野敦という作家・評論家・比較文学者の「私的な江藤淳と大江健三郎体験」を綴った著作、との結論を導く。
 そして、この本の「あとがき」を読んで思ったことは、すでに亡くなった江藤淳は別にして、反原発や「9条の会」で活動している大江が、そのような運動に対して「左翼」運動だとして否定(批判)的に言及し、また各所で大江の「家族」の在り方に触れている小谷野敦のこの本の論調に対して、どのような感想を持ったのだろうか、ということであった。小谷野敦が「あとがき」に「思いきって大江氏に直接問い合わせの手紙を出したらすぐに返事をいただいたのは望外の喜びだった」と書いていることと、本書の大江批判(否定)の論調とに、余りに開きがあると思ったからに他ならない。
 最後に、本の内容とは別に気になったこと一つ、それはこれまでに大江に関して2冊の「作家論」を出している僕からすると、明らかに間違い(誤読)だと思われる箇所がいくつかあるこのような本に対して、版元の筑摩書房(の編集者)は、きちんとチェックしたのだろうか、ということである。

「虚しさ」との戦い(4)――どこまで続くのか、安倍自公政権の「思い上がり」

2015-06-18 10:52:39 | 仕事
 「安保法制」=「戦争法案」をめぐり国会の審議や党首討論を聞いていて、安倍首相をはじめとして菅官房長官、高村正彦副総裁、北側一雄副代表(「安保法制」の与党協議で代表を務めた高村と北側が共に弁護士資格を持っていることを知って、驚いた人が多いのではないか)ら安倍自公「右翼」政権の要人たちが、日本国憲法の条文も、また最高裁の判決文も「まとも=正確」に読めない人たちだということを知って、今更ながらに「とんでもない人たち」に私たちは政権を委ねてしまったな、と思わずにはいられないのだが、自民党と連立与党を組んでいる公明党が結党時の理念を体現する「平和と福祉の党」の看板をかなぐり捨てて、ひたすら「権力」に擦り寄っている理由が不可解であるのは今は措き、下村文科省大臣の「国立大学に<国歌斉唱・国旗掲揚>を要請」というニュースに接し、今更ながらに安倍自公政権が「極右(ファッショ)政権」である、と思わざるを得なかった。
 もう20年以上前になるが、石原慎太郎が東京都知事になったとき、「国家・国旗」法が国会で制定されたときの付帯決議」(=個人の思想・信条を考慮して、「強制」はしない)を無視して、東京都が管轄する少・中・高校において、「日の丸・君が代」を強制し、従わない教員たちを「処分」してきたという歴史を私たちは持つ。そのことについて、先頃も最高裁は「処分無効」の判決が出たばかりだというのに、「安保法制」(集団的自衛権行使容認)は「違憲」だという憲法学者(その意見に賛同する学者は、230人を超えた。「合憲」だとする学者は、10名しかいない)の違憲に逆らって、当時は想定さえしなかった1957年の最高裁「砂川判決」を持ち出してまで、「集団的自衛家行使容認」は合憲とする安倍首相らの論理と同じように、国立大学に「国歌斉唱・国旗掲揚」を要請する。
 下村文科相は、元々安倍首相と近い「右翼思想」の持ち主であることから、文科相になったという経緯を持つ人物であるが、戦前(戦中)において「日の丸・君が代」がどのような役割を果たしたか、つまり「日の丸・君が代」が「戦争推進」に大きな役割を果たしたが故に、長い間「日の丸・君が代」を「国旗・国歌」とすることに対して激しい議論が戦わされ、その果てに「国歌・国旗」法が制定されるという経緯があったのだが、そのような「賛否」が相半ばするような議論があたかもなかったかのように、「学問の自由」の砦とも言っていい大学に、「血塗られた日の丸・君が代」を強制する
 「歴史」を無視するのは、歴代自民党のお家芸であるが、ここまで権力が学問の世界に介入する、自民党はどんな国家建設を目指しているのだろうか。この下村文科相の「国立大学へ国旗掲揚・国歌斉唱の要請」が物語っているのは、「安保法制」論議における安倍首相らと同じ「戦争のできる国」を目指す論理と連動するもので、いかに安倍自公「極右」政権がファッショ(ネオ・ナショナリストの独裁的政治)であるかを如実に物語るものである
 これは、先頃国会を通過した「労働者派遣法」の改正と同じ思想によるもので、自民党という政党が決して「弱者」の味方ではなく、「強者(財界や高級官僚、政治家)」の利益しか考えない「政治屋」の集団であることを、白日の下に知らしめるものである。
 安倍自公「極右)政権の「暴走」が止まらない。何とかしなければ、と苛立つが募る

「虚しさ」との戦い(3)――「言葉」(思い)が届かない・補遺

2015-06-11 09:44:06 | 仕事
 昨日の記事で書き忘れたことがあった。
 それは、安倍首相はじめ中谷防衛大臣、菅官房長官らの閣僚、そして「違憲」としか思われない「安保法制」を強引に国会通過させようとしている自公の政治家たちが、「反対」する野党の政治家や国民の声を聞かない(聞こうとしない)のは、現政権が「極右」などという言い方では生ぬるいほどに「独裁的」になっている証だ、ということである。
 「独裁的」というのは、他者の意見を聞かず、自分の思い(考え)が「正しい」と思いこみ、その思いに従うことを一方的に強いることに他ならないが、現在の安倍自公「極右」政権は、安保法制論議においてまさにその「独裁」ぶりを発揮している。中谷防衛大臣の「憲法を法制に適応させる」発言、菅官房長官の「(集団的自衛権行使について)合憲だという憲法学者はたくさんいるし、「違憲」という学者の意見に従うつもりはない」発言、そして極めつけは、昨日も書いたが1955年の「砂川判決」を持ち出して「最高裁が集団的自衛権行使は合憲だと判断している」という、安倍首相の「歴史的事実をねじ曲げて」恬として恥じない思考、約300人いるとされる憲法学者の3分の2が「違憲」だと言っている事実を全く無視する態度、これを「独裁的」と言わずに何と言えばいいのか。
 また、安倍首相(及び、彼を取り巻く政治家や官僚、財界人)がいかに「独裁者」的であるかは、彼が総選挙などで「スローガン」としてきた<空疎>な言葉、例えば「美しい日本」、「日本を取り戻す」、「戦後レジュームからの脱却」、これらは一見すると「わかりやすい」ように見えながら、ではその「取り戻す」べき「日本」とは具体的にどのようなものなのか、あるいは「戦後レジューム」とは何であるのか、そのような問いを立てたとき、私たちの脳裏に「鮮明な像」を結ばない、という観念的・空疎な言葉でしかないことがわかるが、「独裁的」というのは、ヒットラーの「ユダヤ人は劣等民族だ」という理由で600万人のユダヤ人を殺した「ホロコースト」のことを想起すれば、観念的・空疎な言葉を使用するその底意に「独裁」の意識が見え隠れすることを、誰しも納得できるのではないだろうか。
 もちろん、そのような「観念的・空疎な言葉」にもなにがしかの「期待」を掛けようとする国民の「ダメさ」も安倍首相らの「独裁」ぶりを側面から援助していると思うが、安保法制に関して今国会の会期中に再建津使用とする目論見は「敵失」によって免れたかも知れないが、アメリカ議会で「安保法制は今夏までに決着付ける」と公言した安倍首相の「傲慢=独裁」ぶりを考えれば、今こそ声を大にして安倍自公「極右」政権に「NO」を突きつける必要があるのではないだろうか
<閑話休題>
 僕の父は、前にも書いたことがあるが、「本土決戦要員」として2度目の招集を受け、茨城県の鹿島灘に展開する部隊で敗戦を迎えたのだが、敗戦から5,6年まじめだった彼が「廃人」のようになって家庭を顧みなかったことを、よく覚えている。彼は、戦中ー戦後の混乱期を自力で乗り越えられない「弱さ」を持っていたのかも知れない、反面彼はまた「戦争犠牲者」だったのではないか、問いまでは思っている。
 集団的自衛権行使が国会で承認され、自衛隊(軍隊)が「他の国(米国)の戦争」に加担することが「認め」られれば、必ずや自衛隊員から「戦死者」は出る。つまり「リスクは高まる」のに、そのことを認めようとしない自公「極右」政権、彼らの「欺瞞」を否定する意思を今こそ固めるべきだろう。

「虚しさ」との戦い(2)――「言葉」(思い)が届かない

2015-06-10 10:37:59 | 仕事
 前回「『虚しさ』との戦い」という言葉を発してから、現在の心境を語るのに何故「虚しい(さ)」という言葉を使ったのか、この「虚しさ」という言葉はどこから来たのか(生じたのか)、ずっと考え続けてきた。
 この間、私的には毎年この時期には恒例となった「山菜(蕗・蕨)採り」に群馬県と新潟県の県境(谷川岳の新潟県側の麓)まで出掛けていき、徹夜で「きゃらぶき」を煮るという作業を行ったり、また2日前には曇天の下で「タマネギ」の収穫と保存のための処置を行うなど、「考える」よりは「体を動かす」ことに時間を取られるということもあったのだが、何をしていても頭から離れなかったのは、冒頭に書いたように「虚しさ」の拠って来たる所以であった。
 もちろん、漠然としたものとしては、安倍自公「極右」政権が強力に推し進める「安保法制」(集団的自衛権行使をスムーズに行うための法制化)論議にその原因があるとは分かっているのだが、しかし、その具体的内実となると、どうも「ぼんやり」しているような感じで、今ひとつ心底にすとんと落ちるような「答え」が見つからないという気持が強く、それが「虚しさ」を導き出していたように思う。
 ところが、6月4日の「衆院憲法審査会」において、自民・公明の与党が推薦した長谷部恭男早大教授をはじめ小林節慶大名誉教授(民主党推薦)、笹田栄司早大教授(維新の党推薦)の3人の参考人が挙って「集団的自衛権行使容認」は「憲法違反」だと断言したことに対する自民党の反応を見て、僕がこのところずっと感じていた「虚しさ」の理由がはっきりとした それは、3人の参考人が揃って集団的自衛権行使容認は「違憲」だと述べたことに対して、菅官房長官が「安保法制の国会審議に影響ない。違憲だという学者ばかりではない。合憲だと言う憲法学者もいる」(「合憲」論を言う学者は誰だと記者からの質問には、具体名を挙げなかったが……。なお、あれから今日まで菅氏は具体名を挙げていない。)と強弁し、何のために開かれたのか分からない「G7」が終わった後に安倍首相は、「集団的自衛権行使を含む『安保法制』は、憲法の精神の則って国会に提出したもので、合憲であることは1955年の最高裁の『砂川判決』で明らかである」と、まさにこれまでと同じように「官僚作成」の答弁を繰り返したことで、僕の内部で氷解したことがあったからである。なお、この事ある毎に自民党が持ち出す「砂川判決」云々であるが、僕らがはっきり自覚しなければならないのは、「砂川判決」なるものは、日米安保条約について「合憲」だとしたが、「集団的自衛権行使」については一言も言及していないし、自衛隊の存在そのものが問われて1955年という時代を考えれば、集団的自衛権行使容認「合憲」の判例として「砂川判決」を持ち出すのは、歴史的に無理があるということ、このことを忘れてはならない
 つまり、安倍「極右」政権は、安倍首相の周りにいる自民党の政治家や官僚、財界人たちが「長年」考えてきた「平和国家」から「戦争のできる国」への転換――つまり、「日本国憲法」を貫く「平和主義」や「立憲主義」を否定し、ナショナリスト(国家主義者)の振りをしながら「対米従属」の姿勢を強め、同時にアジアに対しては「強国」=「戦争のできる国」として振る舞う、そしてそのことによって自民党(保守主義者)の「権力」を半永久的に維持する(公明党は、もちろんこの際は自民党の補完物にすぎない)――を実現するために、それこそなりふり構わない行動を取っている、ということである。
 安倍「極右」政権は、辻元清美議員に対して安倍首相が「早く質問しろよ」とヤジ(暴言)を吐いたこと、あるいは中谷防衛大臣が思わず「本音」を出したのだろうが「憲法を安保法制に適応させる」といった発言をしたことに象徴されるように、「安保法制」に疑義を持つ人(国会議員にだけでなく、多くの国民に対しても)に対して、「丁寧に説明する」という言葉とは裏腹に、真っ正面から答えようとせず、答えをはぐらかしたり、あるいは見当違いのことを平然と述べたり、要するに「国民を馬鹿にしている」にしているのである。
 まともに議論せず、「初めに結論ありき」の自公「極右」政権の態度に苛立ち、そしてそのような自公政権に対して(最近は少しずつ減ってきているようだが)未だに「50%」近い支持率を与えている国民に対して「絶望」し、何ともならない最近の政治状況に「虚しさ」を募らせ、日々悶々としてきた僕であるが、たとえ安倍首相や自公の政治家に僕のこの「言葉」が伝わらないとしても、「書くこと」でこの社会との関係を考え続けようとしてきた「批評の原点」に立ち返って、やはり書き続けていこう、と改めて思った。strong>

「虚しさ」との戦い(1)――挫けてはいけない、と思いつつ……

2015-06-01 09:59:24 | 仕事
 5月の連休が終わってから20日余り、もう口癖のようになっている「弁解」をすれば、この間、決してサボっていたわけではない。
 時事通信配信の「戦争文学は語る」(全18回連載)の最後の3回分の原稿を書くために、大江健三郎の占領期の日本の在り方を批判的に捉えた『人間の羊』(58年 第16回)、ベトナム戦争を取材した開高健のルポルタージュ『ベトナム戦記』(65年 第17回)、立松和平の日中戦争時に「殺すな!」を実践した兵士(実話)を基にした長編『軍曹かく戦わず』(05年 第18回)を読み直し、そして改めて「戦争」や「戦争文学」について考え、原稿を書いていたのである。
 この作業と国会において与野党の「安保法制」をめぐる論戦が始まったことが重なり、国会議員=政治家連中が発する言葉の余りの「軽さ」やその「詭弁」ぶりにあきれ、自分が書いている「戦争文学は語る」の言葉=表現をより説得的なものにしなければ、と気を遣い、自分がこのブログで彼ら(安倍「極右」首相をはじめ自公政治家たち)を批判することの意味を考えざるを得なかった。「安保法制」をめぐる論議が、余りにも国会(国民)を無視した「初めに結論ありき」――つまり、国民無視の安倍首相が先の訪米中にアメリカ議会においてそこでスピーチできることに有頂天になり、「安保法制」はあなた方の期待に添えるよう8月までに成立させると言いきってしまい、その結果今国会における「安保法制」論議は形骸化せざるを得ないという状況にあるということ――であることに、発言(批判)することの虚しさを痛感していたのである。 つまり、マスコミ・ジャーナリズムが警鐘を鳴らしているように、今国会で議論されている「安保法制」は、実質的には「憲法(第9条及び前文の精神)改正」であり、戦後70年にわたって築いてきた「平和と民主主義」を基底とする社会の「大転換」であるにも関わらず、余りにも国民の多くがそのことに「無関心」であり、「経済=物質的な豊かさ」しか求めていないように見えることに、正直言って苛立ち続けてきた、ということでもある。各種世論調査が伝える「安保法制論議は慎重に」という意見が多数を占めながら、安倍政権の支持率は相変わらず「50%」近いという現実に、「戦争文学は語る」執筆のために読んだ1930年代に関する資料から得られるものとが、余りにも酷似にしている、ということが、「虚しさ」を助長していた、とも言える。
 さらに言えば、そのような世論調査の相反する結果は、先月から始まった「解放」への連載コラム(「状況への異論・反論・抗論」、月1回9枚ほど)の第二回目で取り上げた「原発再稼働」に関する問題にも共通するもので、原発再稼働にはフクシマの反省に基づいて「60%以上」の国民が反対しているにもかかわらず、原子力規制委員会は次々と「再稼働」を許可するような決定を行い、その原発を抱えた自治体は電力会社と共に、その規制委員会の決定を歓迎する。フクシマのような大事故が二度と起こらないなどと誰も保証しておらず、また高濃度放射能汚染物質(使用済み核燃料など)の最終処分場も目処の付かない状態にあるにもかかわらず、である。人間の生命や将来のことなど何も考えない「経済優先主義」、このことも考えれば考えるほどに虚しくなる。 ということで、この20日余りは「虚しさ」との戦いだったのだが、先日ある人に会って>、「虚しさ=ニヒリズム」に浸っているのは、「自己満足に過ぎず」「格好付けすぎ」だと気付かされた
 明日から、また地道に己の信じることを続けていこう