先に、安倍晋三「極右」首相の意向を受けて、政府・自民党が提出した集団的自衛権行使容認をめぐる「与党協議」における公明党の「抵抗」もついに終わった、実に残念だと書き、その記事に関して石井(透)三がm「戦後最悪な威嚇」とコメントしてくれたことに関して、その時は、僕の記憶では例えば、「60年安保闘争」時の、安倍晋三首相のお祖父さん(岸信介)が率いていた内閣の方がもっと「悪い内閣」だったのではないか、という思いもあり、返事を書かなかったのだが、先週後半から週末に掛けての自民党(政府)と公明党の動きを見ていると、石井さんの断言は「正しかった」と確信を持つようになった。
それというのも、先週土曜日の新聞が一斉に報じたが、集団的自衛権行使容認に関して、政府(国家安全保障局)が「想定問答集」を、まだ「閣議決定」前なのに用意しており、その「想定問答集」の中身を読むと、これまでの「10回」に及ぶ与党協議は何だったのか、国民をだますための「茶番」でしかなかったではないか、と強く思ったからに他ならない。つまり、「平和の党」という看板を掲げる公明党に、僕だけでなく国民全体が(公明との支持者や創価学会員たちも)「騙されていた」ということである。
ともかく、「想定問答集」は、初めから安倍「極右」首相の意向に沿って、日本国憲法の「平和主義」など端から考えず、ひたすら「戦争のできる国」にするにはどうしたらいいかだけを推し進める目的にしたもので、安倍首相が記者会見で美辞麗句を並べて「国民の命と暮らしを守る」などと言っていたが、そんなのは全くの「嘘っぱち」で、ただ「アメリカ」に追随し、「世界の警察」としてその疲弊度をたかめてきたアメリカを「助ける」ために、闇雲に我が国を「戦争のできる国」をしようとするものだったのである。
その意味では、自公連立政権を支える自民党、公明党の執行部(幹部たち、当然そこには創価学会の幹部たちも含まれるだろう)にとって、与党協議は国民の目を欺くための「隠れ蓑(カムフラージュ)」で、集団的自衛権行使容認は安倍首相が記者会見した時点で自公の間ですでに「既定事実」だったということである。
だから、石井さんが現在の自公内閣を「戦後最悪内閣」というのは、その通りだと言わざるを得ないのである。
しかし、そんな「戦後最悪内閣」を作ってしまったのは、僕ら日本国民であること、そのことも忘れるわけにはいかない。このままでは、繰り返して言うが、「徴兵制」はすぐであり、日本の若者たちが戦場に出掛けていって、(アメリカの要請に従って)「敵国人」を殺し、また自分たちも殺されることになる。若者が「殺し・殺される」戦場に狩り出されたとき、「国のため」だからといって、若者を戦場に送り出した者たちがエアコンの効いた部屋でおいしいものを食べ、旨い酒を飲んでいることを想像してみれば、たとえ「甘い」と言われようが、「殺すな!」という反戦(平和)思想がいかに大切な僕らの論理と倫理であるかが分かるだろう。
それにしても、「平和と民主主義」の戦後に育ってきた日本の若者たち(就中、自民党の若手や公明党の青年たち)は、集団的自衛権行使容認「反対」の狼煙をどうして上げないのだろうか。僕としては、君たちの子供が、孫が戦場に狩り出されるかも知れないというのに、「沈黙は罪だ!」と言いたい。
それというのも、先週土曜日の新聞が一斉に報じたが、集団的自衛権行使容認に関して、政府(国家安全保障局)が「想定問答集」を、まだ「閣議決定」前なのに用意しており、その「想定問答集」の中身を読むと、これまでの「10回」に及ぶ与党協議は何だったのか、国民をだますための「茶番」でしかなかったではないか、と強く思ったからに他ならない。つまり、「平和の党」という看板を掲げる公明党に、僕だけでなく国民全体が(公明との支持者や創価学会員たちも)「騙されていた」ということである。
ともかく、「想定問答集」は、初めから安倍「極右」首相の意向に沿って、日本国憲法の「平和主義」など端から考えず、ひたすら「戦争のできる国」にするにはどうしたらいいかだけを推し進める目的にしたもので、安倍首相が記者会見で美辞麗句を並べて「国民の命と暮らしを守る」などと言っていたが、そんなのは全くの「嘘っぱち」で、ただ「アメリカ」に追随し、「世界の警察」としてその疲弊度をたかめてきたアメリカを「助ける」ために、闇雲に我が国を「戦争のできる国」をしようとするものだったのである。
その意味では、自公連立政権を支える自民党、公明党の執行部(幹部たち、当然そこには創価学会の幹部たちも含まれるだろう)にとって、与党協議は国民の目を欺くための「隠れ蓑(カムフラージュ)」で、集団的自衛権行使容認は安倍首相が記者会見した時点で自公の間ですでに「既定事実」だったということである。
だから、石井さんが現在の自公内閣を「戦後最悪内閣」というのは、その通りだと言わざるを得ないのである。
しかし、そんな「戦後最悪内閣」を作ってしまったのは、僕ら日本国民であること、そのことも忘れるわけにはいかない。このままでは、繰り返して言うが、「徴兵制」はすぐであり、日本の若者たちが戦場に出掛けていって、(アメリカの要請に従って)「敵国人」を殺し、また自分たちも殺されることになる。若者が「殺し・殺される」戦場に狩り出されたとき、「国のため」だからといって、若者を戦場に送り出した者たちがエアコンの効いた部屋でおいしいものを食べ、旨い酒を飲んでいることを想像してみれば、たとえ「甘い」と言われようが、「殺すな!」という反戦(平和)思想がいかに大切な僕らの論理と倫理であるかが分かるだろう。
それにしても、「平和と民主主義」の戦後に育ってきた日本の若者たち(就中、自民党の若手や公明党の青年たち)は、集団的自衛権行使容認「反対」の狼煙をどうして上げないのだろうか。僕としては、君たちの子供が、孫が戦場に狩り出されるかも知れないというのに、「沈黙は罪だ!」と言いたい。