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認証と定義と恐さと

2020-08-21 | 本,TV,歌,人物など

昨日の日経新聞に、恐ろしい?記事が2つ載ってました。以下、人によっては強い不安を感じるかもなので、ご注意ください…。

上は、SARS-CoV-2に対するワクチンは、認証基準の半分クリアすればOKで、かつ、どんな副作用が起ころうが、責任は摂取した国の政府がとる、と、法改正するとの記事です。安全性等確認のための治験期間を従来の1/5程度にして、もう実際に予防接種として投与しながら、実質、治験する…ということかと。これだけでも、既に恐ろしいです。

もはや、抗体は数ヶ月程度しか保持されない(インフルエンザ程度で、個体の存続をおびやかすほどのウィルスでない)可能性が高くなってきて(と、私個人では思ってます)、そのためのワクチンに、これだけただあせって獲得に走るのは、私には、自分では不安を払拭する方策を持ち得ず、トイレットペーパーの買い占めに走るのと同じことに思えます。今のような感染状況が無期限に続く(気温や湿度でSARS-CoV-2は弱まることは無く、抗体が無くなるたびに何度も感染する)と、私個人では思っているから…かもですが。

しかし、もう未知のワクチンを購入してしまったので、この国の仕組みとして、購入した以上、その購入を正当化するために、ワクチンの予防接種を業種などと関連づけて強制する、ことが十分想像されます。購入した数量を考えると、国民の半分以上の人を使って、壮大な人体実験を行うのと同義に感じます。挙句に、国が補償するといっても、副作用の数が多くなればなるほど、一人当たりの補償はどんどん小さくなる訳で、恐ろしや…です。


もう一つは、「重症者」の定義です。国と都の定義が違うのは、あまりよろしくないですが、都が "途中で定義を変更した" ということが、もっと不安感を煽ります。そういう "見かけ上の数字を少なくしないといけない" という状況が都内では起こってきている、という意味と同義なのかと思います。自分たちに都合の良い数字を作り出す(操作する)のに慣れて(麻痺)してしまった人たちは、客観的な数字を出さなくする行為自体が、数字を見る方の不安感を大いに膨らませることを、分からなくなってしまってるのだろうと思います。表面上で見せてる数字を眺めて、そうなんだとそのまま受け止める人は、現実そんなに多くないものです。

で、もっと恐いのは、COVID-19の「重症度」が、病者側の状態ではなく、医療機器の使用状況から判断されている、ということです。この判断基準は、この新聞記事からだけなので、もっと確かめたいですがネット上では無理そうですが…。つまり、「重症者」数には、医療機器の数という数字上の "上限" がある、ということで、国の基準ならICU病床数、都の基準ならECMOの数、以上の「重症者」数は計上されることはない、ということかと。

つまり、「重症者」数を少なく見せるためには、ICU病床数やECMO数を増やさなければいい、という判断がされ得る可能性があるということで、それは都合良く、医療整備費等の費用軽減と合致したりもして、恐ろしいです。どちらも逼迫した4月を踏まえて、数を増やしているハズなのですが、この4ヶ月でどれくらい増えたのかは、確かめるのはネット上では無理そうです…。

本来、「重症」等の重症度の判断は、傷病者の "生理学的評価" と "症状等" からのみ判断されるのもので、治療に使用している医療機器等の側で、判断されるのものではないハズです。厚生労働省も、救急搬送などの時の「重症度」判断は、そう定めているようですから。

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このような、不安に駆られて、それを覆い隠すだけのような動きが多いので、COVID-19の「指定感染症」としての扱いを、根絶すること(あり得ないと私個人では思ってます)から、共存してくしかない中で、感染して発症した場合の充分な対処方策を整えていく、という方向にならいものかと、私個人は思うのですが。

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