歩こう会初参加
小生の住む町内会には「歩こう会」と言う同好会があるのですが、今迄一度も参加したことがありませんでした。
今年初めての歩こう会の行き先は諏訪神社です。諏訪神社の本宮諏訪大社は小生が生まれて終戦まで住んでいた長野県の諏訪にあります。
諏訪大社は諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもち,全国にその末社が約25,000社もあります。
諏訪大社の有名なお祭りには、7年目毎の寅と申の年に行われている御柱(おんばしら)祭があり
諏訪大社の上社、下社それぞれに山から樹齢200年程の樅の直径約1m、長さ約17m、重さ10tにもなる巨木を8本切り出し
上社は約20km、下社は約12kmの街道を、木遣りに合わせて人力のみで里曳きを行い
その後各お宮の四隅に「御柱」として巨木を曳建てる祭りです。

諏訪大社の最大の神事であり,桓武天皇の御代の804年から信濃国一国をあげて奉仕がなされ盛大に行われる様になり
勇壮さと熱狂的ぶりで天下の大祭としても全国に知られています。
里
申の年れの小生運よく諏訪大社の御柱祭には2度里曳きに参加出来ました。

今迄小生が知っていた柏の諏訪神社は、我が家から車で20分程の柏市役所の傍にある社でそれ程大きな社でもなく
その周囲で散策に適した場所も思い浮かばないので、何処を歩くのかちょっと心配でした。

所が訪れた諏訪神社は柏市内にはあったのですが、我が家から車で40分程にある初めて知った諏訪神社で
境内も諏訪大社にも負けない広い神社でびっくりしました。


今回訪れた諏訪神社が何故柏にあるかを調べると、この諏訪神社の創建は平安時代のはじめ、大和国から高市皇子
(後の天武天皇になられた大海人皇子の第一皇子)の後裔となる部族たちが新天地を求めて
この下総国(しもうさのくに・現在の千葉県北部と茨城県の一部)の大堀川のほとり、
森も水も豊かな地で肥沃なこの地に移住し田畑を墾き農業を営んで集落を形成したときに遡ぼります。
移住してきた人々は、新しい土地の心のよりどころとして
移住の途中一行は陸路諏訪大社に詣って開拓の加護を祈り御神額をいただいてきました。
これがここ諏訪神社の創めで記録によると807年のことです。
以来諏訪神社は住民の信仰の中心となり、昨平成18年には御鎮座からちょうど1200年を迎えた歴史の神社でした。
以下神社の写真を掲載させて頂きます。
第一鳥居の手前道路添には諏訪神社と書かれた石碑があります。

第一鳥居の手前左には「おすわさま」と書かれた石碑、その隣に神馬、そしてその前に狛犬があります。
なお境内神殿の手前両側には銅製の狛犬がありますが、ここは石の狛犬が一つだけです。

また神馬があり、これは後出する境内の中にある八幡太郎義家の献馬の像の馬があることを示す像の様です。



句碑には「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」と書かれています。
その1終わり
小生の住む町内会には「歩こう会」と言う同好会があるのですが、今迄一度も参加したことがありませんでした。
今年初めての歩こう会の行き先は諏訪神社です。諏訪神社の本宮諏訪大社は小生が生まれて終戦まで住んでいた長野県の諏訪にあります。
諏訪大社は諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもち,全国にその末社が約25,000社もあります。
諏訪大社の有名なお祭りには、7年目毎の寅と申の年に行われている御柱(おんばしら)祭があり
諏訪大社の上社、下社それぞれに山から樹齢200年程の樅の直径約1m、長さ約17m、重さ10tにもなる巨木を8本切り出し
上社は約20km、下社は約12kmの街道を、木遣りに合わせて人力のみで里曳きを行い
その後各お宮の四隅に「御柱」として巨木を曳建てる祭りです。

御柱の巨木(借用写真)
諏訪大社の最大の神事であり,桓武天皇の御代の804年から信濃国一国をあげて奉仕がなされ盛大に行われる様になり
勇壮さと熱狂的ぶりで天下の大祭としても全国に知られています。

里曳きの様子(借用写真)
申の年れの小生運よく諏訪大社の御柱祭には2度里曳きに参加出来ました。

神社内に建てられた御柱
今回訪れた諏訪神社
今迄小生が知っていた柏の諏訪神社は、我が家から車で20分程の柏市役所の傍にある社でそれ程大きな社でもなく
その周囲で散策に適した場所も思い浮かばないので、何処を歩くのかちょっと心配でした。

市役所付近の諏訪神社
所が訪れた諏訪神社は柏市内にはあったのですが、我が家から車で40分程にある初めて知った諏訪神社で
境内も諏訪大社にも負けない広い神社でびっくりしました。

柏の諏訪神社の境内図

諏訪大社春宮の境内図
諏訪神社が柏にあるわけ
今回訪れた諏訪神社が何故柏にあるかを調べると、この諏訪神社の創建は平安時代のはじめ、大和国から高市皇子
(後の天武天皇になられた大海人皇子の第一皇子)の後裔となる部族たちが新天地を求めて
この下総国(しもうさのくに・現在の千葉県北部と茨城県の一部)の大堀川のほとり、
森も水も豊かな地で肥沃なこの地に移住し田畑を墾き農業を営んで集落を形成したときに遡ぼります。
移住してきた人々は、新しい土地の心のよりどころとして
移住の途中一行は陸路諏訪大社に詣って開拓の加護を祈り御神額をいただいてきました。
これがここ諏訪神社の創めで記録によると807年のことです。
以来諏訪神社は住民の信仰の中心となり、昨平成18年には御鎮座からちょうど1200年を迎えた歴史の神社でした。
以下神社の写真を掲載させて頂きます。
諏訪神社の写真
入り口の第一鳥居付近
第一鳥居の手前道路添には諏訪神社と書かれた石碑があります。

諏訪神社と書かれた石碑
第一鳥居の手前左には「おすわさま」と書かれた石碑、その隣に神馬、そしてその前に狛犬があります。
なお境内神殿の手前両側には銅製の狛犬がありますが、ここは石の狛犬が一つだけです。

第一鳥居左の石碑・狛犬・神馬とお仲間
また神馬があり、これは後出する境内の中にある八幡太郎義家の献馬の像の馬があることを示す像の様です。

神馬像
第二鳥居付近

第二鳥居
山上憶良歌碑

山上憶良歌碑
句碑には「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」と書かれています。
その1終わり