flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

長篠 天神山陣地

2008-04-04 00:00:37 | 城郭・城下町

(愛知県新城市長篠字碁石)
 医王寺山の南、大通寺山の西に位置する天神山は、天正三年(1575)長篠の戦いの際に、一条信龍、土屋昌次、真田信綱、昌輝兄弟ら兵二千人が陣を構えたところである。この戦いによって昌次、信綱、昌輝は戦死した。
 陣地跡に建つ、長篠荏柄天神社は、下総国木野崎城(千葉県野田市)の一色氏が、一色氏発祥に程近いこの地に移り、旧領地に勧請した荏柄天神社をこの地に移したのだという。また、現在の社殿は元禄十一年(1698)に建てられたものであり、市指定文化財となっている。更に、参道石段百二十三段の内、八十八段は木野崎から運んだものといい、鰐口(金鼓)は「下総国河辺庄大福田郷荏柄山天福寺天神宮御宝前、天文九庚子五月三日、作者太田右衛門二郎宣定」の銘がある。
 社伝には、一色数馬直興が元禄十一年に天神社を移した。と伝わっているが、直興は室町時代の人物であり、また、数馬は、天正十八年(1590)木野崎城落城の際、自害している。長篠の戦いの際、既に天神山と呼ばれていることから、鰐口の年代の頃には、既にこの地に移されていたとみるのが妥当ではないだろうか。
   

(関連記事:長篠城跡試掘調査 野牛郭 鳶ヶ巣山 姥ヶ懐 中山 君ヶ伏床 久間山 舟津

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする