(岐阜県美濃加茂市 2002年8月31日) 五十一番目の太田宿は、中山道難所の一つ、木曽川を渡る「太田の渡し」がある宿場であり、飛騨街道の分岐点でもあった。また、この地には尾張藩代官所もあり、手代を務めていた坪内平之進の子は小説家の坪内逍遥である。 今も所々、当時の建物が残り、脇本陣林家住宅は重要文化財に指定されている。 今回は太田本町の町並み、槍ヶ岳に初登頂したという僧播隆の墓のある祐泉寺、酒蔵の街道筋を漫ろ歩き、木曽川を渡り可児へ向かった。 (関連記事:太田宿平成十九年 伏見宿 鵜沼宿 西穂高千石)
ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
コメント利用規約に同意する
フォロー中フォローするフォローする