上嵯峨や魚屋ありて秋の蝿
松根東洋城
秋の蝿売られし牛につきゆけり
野本マサ子
この頃のへりしと思ふ蝿を打つ
三橋加珠代
焼跡の検証すまず秋の蝿
藤田子角
神馬灰色秋蝿に眼をしばたたき
長谷川朝風
※ 秋の蝿・秋蝿・残る蝿
八、九月の残暑のきびしいころは、蝿はまだ多く、さかんに飛びまわっているが、気温が下がるにしたがって、数が減ってくる。十月にはいると、めっきり減り、飛び方も力がなく、なんとなく弱々しく見える。
→蝿(夏)
【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】
※わが友に贈る※
学会の役職は
同志に尽くす責任職。
新任のリーダーは
友の幸福勝利へ
誠実と率先の行動を!
2015年8月26日
※☆*寸 鉄*☆※
会長(SGI)の人間主義に共感ー韓国区庁長。人間対人間の対話。そこに友誼の道
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北陸の日。誓願の天地に舞う青年群頼もし。勇敢に広布の新章節を開け
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会合に集えない多忙な友をどう励ますか。人材発掘。育成こそ幹部(リーダー)の使命
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若々しい生命で一生を送れる人は最も偉大ー恩師。さあ爽快な勤行から出発
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児童へのネット犯罪が増加。閲覧制限やルール作り等、保護者が意識高く
※名字の言※
「駅」を舞台に、池田名誉会長と同志の出会いのドラマなどを描く、本紙の「広布駅物語」が好評である
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「馬偏」であることから分かるように、かつて駅は、街道の主要な場所にあって、馬を乗り換えたり宿泊したりするために設けられた「宿駅」を指した。リレー形式の長距離走を「駅伝」というが、これも宿駅を中継して公文書などを送り届ける駅伝制度に由来する。明治時代に鉄道が導入された際、この宿駅から転じて、列車が停車する場所を「駅」と呼ぶようになったという
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旅客や貨物を扱うための停車場にすぎなかった駅にも近年、イメージに変化が見られる。“人々が活発に往来し、にぎわう”こと自体に価値が見だされ、駅構内の商業施設である“駅ナカ”や、駅で開くコンサート“駅コン”などが注目される
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快適なドライブを応援し、地域活性化の拠点ともなる「道の駅」も、90年代から整備が進み、全国で千ヶ所を超えている
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世代、性別、職業など、あらゆる差異を超えた友が集まり、しばしの語らいの中で決意を新たにし、それぞれの使命の場所へ出発するーー思えば、学会の座談会も、“地域の希望のステーション”とはいえまいか。今週、各地で開かれる座談会から、地域広布へ走りだそう!
【聖教新聞:2015年8月26日(水)付】
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教 学 入 門
世界宗教の仏法を学ぶ
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第1部 日蓮大聖人の仏法(1)
【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】
--御生涯の教えーー
[3] 一生成仏と広宣流布
(1) 一生成仏
煩悩即菩提・生死即涅槃
即身成仏の法理を、別な角度から表したのが「煩悩即菩提」「生死即涅槃」です。
小乗教と呼ばれる諸経典では、苦悩の原因は自分自身の煩悩にあると説き、苦悩を解決するには煩悩を消滅させる以外にはないとして、多くの戒律を守り修業を積み重ねて解脱(覚りによる苦悩からの解放)を求めました。
しかし、煩悩を完全になくした境地として、身心を消滅させ、この世に再び生まれないことを目指す生き方は、結局、生命自体を否定することになります。
権大乗教と呼ばれる諸経典では、小乗教を実践する二乗や、悪人・女性の成仏を否定します。
実質的には小乗教と同じく、凡夫と仏の間に乗り越えがたい断絶がある考え方です。
仏についても、阿弥陀仏や大日如来など、人間を超越し、現実世界から遊離した別世界に住む架空の仏を説きます。
凡夫が仏に成るためには、いくつもの生(せい)の間、仏の覚りの境地を一部分ずつ順次に学んで修業し、身に付けていかなければならないと説きます。
また、偉大な仏には自分の力ではなれないと考え、仏の絶対的な力で救われることを強調する考えも現れます。
これに対して法華経では、慈悲と智慧に満ちた仏の境地が、あらゆる衆生に本来的に具わっていて、それを開き顕すことによって成仏できることが明かされました。(つづく)
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