和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

小説「新・人間革命」

2015年08月21日 20時02分04秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月21日(金)より転載】

【勝利島27】

 浜畑マツエは、島で推されて、掃除、洗濯、食事等の世話をする家庭奉仕員として働いていた。彼女の心配り、仕事への熱心さは、次第に高く評価されていった。
 やがて、“浜畑さんのやっている宗教なら”と、信心する人が増えていった。彼女の周りには、いつも談笑の輪が広がった。
 大ブロック担当員である浜畑の担当範囲には、隣の戸島、日振島も含まれていた。このうち日振島に行く船は一日一便で、嘉島発午後二時、日振島着同四時半。帰りの船が出るのは翌日である。船はよく揺れる。年末、天候の悪化で、船が一週間ほど、欠航になったこともあった。
 大きな会合は、本土の宇和島で行われた。船便の関係で、夜の会合に出席するにも、午前中に島を発たなければならない。また、会合が終わると、戻りの船はなく、翌日、帰ることになる。それだけに彼女は、せっかく宇和島に来たのだから、すべてを吸収して帰ろうと、求道心を燃え上がらせた。
 小さな島では、一人の人の影響が極めて大きい。一人の決意、姿、振る舞いが、広宣流布を決定づけていく。そして、一つの困難の壁を破れば、一挙に学会理解が進むこともある。
 浜畑の存在は、島の広布の一大推進力となっていったのである。
 わが地域の広宣流布は、わが手で成し遂げるしかない。それが、自分の使命である――そう自覚した同志が、次々と誕生したことによって、離島広布は加速度的に進んできたのだ。これは、いかなる地域にあっても、永遠不変の原理といってよい。
 また、嘉島には、本土の宇和島からも、よく幹部が激励に通っている。使命の自覚といっても、そこには、同志の励ましや指導といった触発が不可欠である。
 種を蒔いても、放っておいたのでは、鳥に食べられたり、朽ち果てたりしていく。
 丹精を込め、こまやかな激励の手を、徹底して差し伸べていくなかで、種は苗となり、一人立つ真正の勇者が育っていくのだ。

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