今年は1995年のオウム真理教によるサリン散布事件から30年でドラマとかやってますが、あんなに頭の良い若者が大勢入信して犯罪まで犯してしまったのは、やっぱり勉強ばかりの純粋培養による、科学や理屈で説明できない事象に対する免疫の無さという面も確かにあるんではないかと思います。同時に、以前読書感想としてブログにも書きました(Asahara wasn't blind; he drove a car)が、同情を禁じ得ない気もします。
私は大学受験勉強中、近所の書店で一種の睡眠学習みたいなことを紹介した本に出会いました。それによればクラシック、特にバッハなどのバロック音楽を聴くと「脳波がα波」になりやすいらしく、それを利用した英単語の記憶法が紹介されており、カセットテープに自分で英単語とその日本語訳をバロック音楽をBGMに録音してリラックスした状態で聞くと効率よく記憶できるとあり、実際テープを作って試しました。録音にあたっては単調だとただ眠くなるだけらしく、声の質を3種類くらい(ささやき、普通、大き目等)使い分けました。効果は覚えていませんが、多分それなりにあっただろうと思います。さらにその本によれば「座禅瞑想中の高僧はα波を出している」らしく、それはリラックスしていると同時に集中しているという、例えばコマが高速で回転して安定しており、傍から見れば止まっているように見える状態だと説明されていました。
私はなるほどと思い禅に興味を持ち始め、上京して大学入学、一年で新聞奨学生を辞めた後、禅やニューエイジ関連の本を読み始め、クリシュナムルティなんかの本を高円寺辺りにあったニューエイジ専門書店で買って読んだり、座禅会に参加したり、仏教の専門書店で「六祖檀経」という禅の本を買って読みかじったり、解説書を読んで自分のアパートの一室で座禅を組んだりしていました。
一時期は1週間くらい、毎日3時間くらい座禅したことがあり、その時は最後の頃何か頭に突き抜けるような感覚があり、外に出ると物がやたらと明るくハッキリと見え、多分実際に目も大きく開いていたのでしょう、ESS(英語サークル)の友人に会うと「目がパッチリしている」と言われました。その時は気分も充実して自信にあふれ、本当に「矢でも鉄砲でも持ってこい!」みたいな、「いつでもどこでも何が起きても誰が相手であろうとも、絶対に自分らしくいられる」という、妙な自信が漲っていました。実際、直後にレンタルビデオ屋でアダルトコーナーを眺めていたらチンピラみたいなオッサンが「見えねえんだよ!」みたいに絡んできましたが、私はもう10000%以上そのオッサンが気にならないというかアウトオブ眼中、本当に屁とも何とも思わなかったのでこれ以上ないほど完全に意識から除外して無視して引き続き無念無想の境地でエロビデオを眺めていると、そのオッサンは「スイマセン・・・」と、なんだかションボリした感じで私に言ったのでした。多分、私が何か精神的にアブナイ、気持ち悪い奴に見えたのではないかと思います。そんな私の「神秘体験」に基づく自信はすぐに雲散霧消したように思います。
要するに誰でも少し真剣に瞑想や座禅をやれば何らかの精神的変化が実感できるのであり、そんなものは一種の異常心理、思い込みであり、悟りでもなんでもなく、私の場合は心の曇りが多少減った結果、雑念・妄想が少なく倫理的・道徳的で心清らかな人々が普段見ている世界を垣間見れたということでしょう。つまり私の感じたのは多分単に雑念・妄想が減っただけで、禅で言う「魔境」ですらない。それを知らない純粋培養君たちは麻原彰晃という、壮大な勘違いと強烈なエゴに凝り固まった特異な人物に出会って圧倒され、グルの指導に従って少し修行すると実際何かを感じたがために妄信したのではないか?麻原彰晃はもちろん私なんかより桁違いに修行してそれなりに何かを得た、と感じたんでしょうが、それでも多分私の体験に毛の生えたようなものだろうと思います。
結局私はほとんど興味本位で座禅をやり、今でも時々思い出したようにやる「野狐禅」ですが、それでもやると頭がスッキリして集中力が高まる気がするのは事実です。たとえば英語が聞き取り易くなるし、疲労が減るし、雑踏で人をスイスイ避けられるし、とにかく迷いと雑念が減ります。そして三日坊主で元の木阿弥、しかし数か月経つとあの頭の軽さを思い出して再開するというパターン。まあある意味、これは「心のお風呂」であり、心は体同様垢が溜まってきますから時々洗うのは悪くないのかも。なので、真剣に、たとえば出家でもして修行すれば、「悟り」という、多分想像するにある意味動物的な、今の瞬間だけに集中して、妄想に振り回されない状態に達して安住することはできるんだろうと思います。
誰でも程度の差こそあれ、物質以外の精神的な何かを求めており、だから宗教や占いや儀式、ヨガ、神秘主義、その他諸々のオカルト、スピリチュアルがある。新聞によれば現在でもオウムの後継団体に入信する若者が結構いるそうですが、孤独や悩みを抱えていれば何かにすがりたくなるでしょう。ひょっとして子供のころから伝統的な宗教に触れる機会がなかったのでは?キリスト教は分かりませんが、仏教、ヨガ等、心のマニュアルが太古の昔からあることを知れば、少しは客観的に新興宗教の教祖や組織を見ることができるんではないかと思います。
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