「墜落の新事実」と言われても、私は事故に関しては音声CVRを何度か聞いただけだったので「旧事実」さえ詳しくは知らない。胡散臭さを感じたが、出版社は名の知れた河出書房新社だし、著者は元日航客室乗務員で、4人の生存者のうちの落合さん(非番の客室乗務員)と同期、さらには東大大学院博士課程修了だと言うし、ともかく読んでみた。すると先ず墜落現場での落合さん視点の場面が再現されており、「ガーガーガーン」(異常事態発生時の衝撃音)、「バリバリバリ」(近づくヘリの爆音)、「ゴーゴー」、「バババー」(ヘリのホバリング音)だの、私の苦手とするオノマトペの波状攻撃に思わず萎えた。しかし再現された様子は事実に基づいているとのことで、生存者の証言によれば、墜落(18時56分)後からしばらくは周囲に多くの生存者がいたらしい。
読み進むと著者の青山透子氏は当初、「一部の過激な陰謀説・・・が再調査への道を妨げている・・・ミサイルという言葉すら不愉快」だったという。同感である。が、氏は現場である群馬県上野村や飛行経路における目撃証言を得、資料を分析した結果、事故調査委員会発表の事故原因(1987年)に疑念を持つに至った。
様々な事実、証言等から著書がたどり着いた仮説は過激そのものである。それは「自衛隊の訓練中の誤射による垂直尾翼損傷」という、長年にわたり燻る陰謀論に加え、なんと墜落現場での火炎放射器の使用が疑われるという。
さすがにそれはないだろうと感じたが、それを示唆する根拠(現場の遺物から検出されたベンゼン)があるという。
こうして陰謀論に触れた私はその真偽を明らかにし、自分なりに納得したくなり、ネット情報や他の書籍を漁り始めた。
そして、陰謀論の総本山、牙城、金字塔、バイブルらしき書籍に手を伸ばした。角田四郎著、「疑惑」である。
火炎放射器に関しても充分な証拠が存在します。
グロは難しそうなので、上げませんが、一式30kg
でしかも、使用時間は15分なので機体で現場に乗
り着ける必要があります。
使用時間は、19:30から18:20です。
燃料タンクの無い機首部分の火災が酷いと現場
上空を周回して、観察したパイロットが証言して
おります。
アントヌッチ氏の証言も、火炎放射器使用中です
から、証言は鵜呑みに出来ません。
19:05のファントム偵察機が、スクランブルして
ますが、火炎放射器使用中を観察していた可能性
が高いのです。
「両神山の方向に19時30分から50分の間、
火が見えた」との情報が捜索関係者に寄せ
られています。
19:30から火炎放射器の大規模な使用が、
20:20頃迄、為されたと思われます。
B707-135RC (RC/T), Rivet Dandy
機体番号 55-3121が、生存者に気が付か
れぬ様に不時着して火炎放射器を使用し
たと思われます。
航空自街隊 林 彰三佐が、日航
123便墜落事故の日深夜のCB
C・JNNニュースの取材に応じる。
午後9時前「山の南東斜面、約5千
フィートの位置で山林火災の様に
炎上中の物が見えた」
「100m四方の航空機の形に近い
航空機その物は確認して無い」
「もう中央部は、大分下火になって
周辺部分で特に機首部分と思われる
部分で発生が強かったと思われます」
燃料タンクとは無縁の
機首部分が強かったとは?
初めの生存者4名は、機体から離れ
焼かれるのを免れたと思われます。