今、ウクライナは、西の欧州連合(EU)か東のロシアか、どちらに付くのかをめぐって、大混乱の状況にあります。
とくに、クリミア自治政府が、ウクライナからの独立を宣言してロシアへの併合を求め、ロシアも編入を決定したことで、事態はさらに他の南東地域まで広がって内戦が起こるかもしれない状態になってきています。政治情勢だけでなく、経済状態も深刻そうで、国が東西に分裂する危機をも孕んでいます。
かつて、80年代のウクライナから放送していた「ラジオ・キエフ」です。
ソ連邦時代は、極東中継の英語放送をしていましたので、リトアニアの「ラジオ・ヴィルニウス」と同様に、良く聴こえていました。アメリカやカナダ向けなのは、多くの人たちが過去に移民として渡っていった理由からではと思ったりしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/4a/485bca1774d83b2d65ee3bc026d60781.jpg)
1983年にいただいたカードは、スラビッチホテルと市内を流れるドニプロ(ドニエプル)川沿いの高層団地の夜景のカードでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/f0/3d0b14bbd75e337973fa2ca0a8fbe387.jpg)
もう一つは、スポーツセンターと中央競技場とラスホテルで、サッカーが盛んなようで、地元のダイナモチームの写真が使われています。
いずれも細長いカードで、二つ折りになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/14/00daa23d4145aedccf9979184000b217.jpg)
1985年のは、馬に乗る女性像のベリカードです。石を彫って、色付けされた作品で、フォークアート博物館に所蔵されているものです。
キエフのマリインスキー宮殿の写真です。美しい建物で、ロシア女帝エリザヴェータの命令によってキエフ宮殿として、1755年に建立されたそうです。1870年に改装された時、皇后マリア・アレクサンドロヴナを記念するために改名され、今は迎賓館になっているようです。
1986年のは、中部の街・カニフにある映画館で、横長のカードです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/16/cd1c368da5bc6679fea8437474f1d27d.jpg)
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もう1枚は、ヴェルホーヴナ・ラーダ(最高議会)と呼ばれている、ウクライナの国会議事堂の写真です。この議事堂の隣には、マリインスキー宮殿があります。
1987年受信のベリカードで、マフラーのような織物製品の絵ハガキカードです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/27/8f2a0a580f31915cfc2fbe8afe9467c0.jpg)
ガラス工芸品の水差しです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/61/efa98f83de620ccbd4abfda03712c0d8.jpg)
同じく、ヤギをかたどったガラス工芸品で、飾り物です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c8/e57401c48b7e09d3375dae9c94a93fce.jpg)
この3枚、いずれも北西部の都市・リヴィウ(レンベルク、ルヴフ、リヴォフとも)にある工場で作られた工芸製品、という説明です。これらは、普通カードの2倍の大きさです。
この市がいろいろな地名で呼ばれるのは、各時代により、その言語圏の国家によって支配されたことがあるからで、第2次世界大戦後はソ連邦に属してもウクライナの民族文化の中心都市の一つとして、ロシア化への抵抗の牙城となっていたそうです。
キエフにあるモニュメントです。市を創ったとされる伝説上の創建者、デレヴリャーネ(ドレヴリャーネ)族の女性クィーイと三人兄弟妹(シュテーク、ホルィーウ、ルィービヂ)の像です。クィーイの名前から採られたのが、キエフ(クィーイィウ)の由来です。
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1988年のは、高層団地、プーシキンの像、ラスホテルと、キエフ市内の風景写真が使われています。
1990年のは、横長のカードで、どこかの建物と記念碑です。記念碑の前には、花輪などが飾られていますので、戦没者? を追悼する碑なのかもしれません。
1991年のは、局のマークと文様になっています。この年にソ連邦の崩壊に伴い、ウクライナとして独立しました。
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1992年のは、サボワ橋のたもとの本屋という題の絵です。アポリナリー・ミハイロヴィチ・ヴァスネツォフという画家が描いた水彩画です。兄のヴィクトルも著名な画家で、その指導を受けて、1900年からペテルブルク帝国美術アカデミーに奉職し、ロシア美術家連盟の創設に尽力したようです。
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1993年のは、民族衣装を着た女性の絵です。昔のウクライナでは髪型、帽子、頭の花飾りなどで、お金持ちかどうか、どこの地方出身か、結婚か未婚かなどが判断できたそうです。未婚女性は花飾り、結婚している女性はスカーフで髪を隠すのが、一般的だったようです。
「ラジオ・キエフ」から、「ラジオ・ウクライナ」の表示になりました。
1994年のカードです。何が書いてあるのかわかりませんが、二つ折りのメッセージカードを使ったものです。
中面は、さまざまな民族衣装を着た男性、着飾った女性の写真が使われています。
その後は、「ラジオ・ウクライナ・インターナショナル」と局名が変わったように思いますが、聴いたことがありません。
このところ連日、ウクライナ情勢がニュースで伝えられています。ここにきて、前途多難。ウクライナを境に、かつての東西対立による冷戦構造に戻るのか、気になるところです。
とくに、クリミア自治政府が、ウクライナからの独立を宣言してロシアへの併合を求め、ロシアも編入を決定したことで、事態はさらに他の南東地域まで広がって内戦が起こるかもしれない状態になってきています。政治情勢だけでなく、経済状態も深刻そうで、国が東西に分裂する危機をも孕んでいます。
かつて、80年代のウクライナから放送していた「ラジオ・キエフ」です。
ソ連邦時代は、極東中継の英語放送をしていましたので、リトアニアの「ラジオ・ヴィルニウス」と同様に、良く聴こえていました。アメリカやカナダ向けなのは、多くの人たちが過去に移民として渡っていった理由からではと思ったりしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/4a/485bca1774d83b2d65ee3bc026d60781.jpg)
1983年にいただいたカードは、スラビッチホテルと市内を流れるドニプロ(ドニエプル)川沿いの高層団地の夜景のカードでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/f0/3d0b14bbd75e337973fa2ca0a8fbe387.jpg)
もう一つは、スポーツセンターと中央競技場とラスホテルで、サッカーが盛んなようで、地元のダイナモチームの写真が使われています。
いずれも細長いカードで、二つ折りになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/14/00daa23d4145aedccf9979184000b217.jpg)
1985年のは、馬に乗る女性像のベリカードです。石を彫って、色付けされた作品で、フォークアート博物館に所蔵されているものです。
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1986年のは、中部の街・カニフにある映画館で、横長のカードです。
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もう1枚は、ヴェルホーヴナ・ラーダ(最高議会)と呼ばれている、ウクライナの国会議事堂の写真です。この議事堂の隣には、マリインスキー宮殿があります。
1987年受信のベリカードで、マフラーのような織物製品の絵ハガキカードです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/27/8f2a0a580f31915cfc2fbe8afe9467c0.jpg)
ガラス工芸品の水差しです。
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同じく、ヤギをかたどったガラス工芸品で、飾り物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c8/e57401c48b7e09d3375dae9c94a93fce.jpg)
この3枚、いずれも北西部の都市・リヴィウ(レンベルク、ルヴフ、リヴォフとも)にある工場で作られた工芸製品、という説明です。これらは、普通カードの2倍の大きさです。
この市がいろいろな地名で呼ばれるのは、各時代により、その言語圏の国家によって支配されたことがあるからで、第2次世界大戦後はソ連邦に属してもウクライナの民族文化の中心都市の一つとして、ロシア化への抵抗の牙城となっていたそうです。
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1988年のは、高層団地、プーシキンの像、ラスホテルと、キエフ市内の風景写真が使われています。
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1990年のは、横長のカードで、どこかの建物と記念碑です。記念碑の前には、花輪などが飾られていますので、戦没者? を追悼する碑なのかもしれません。
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1991年のは、局のマークと文様になっています。この年にソ連邦の崩壊に伴い、ウクライナとして独立しました。
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1992年のは、サボワ橋のたもとの本屋という題の絵です。アポリナリー・ミハイロヴィチ・ヴァスネツォフという画家が描いた水彩画です。兄のヴィクトルも著名な画家で、その指導を受けて、1900年からペテルブルク帝国美術アカデミーに奉職し、ロシア美術家連盟の創設に尽力したようです。
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1993年のは、民族衣装を着た女性の絵です。昔のウクライナでは髪型、帽子、頭の花飾りなどで、お金持ちかどうか、どこの地方出身か、結婚か未婚かなどが判断できたそうです。未婚女性は花飾り、結婚している女性はスカーフで髪を隠すのが、一般的だったようです。
「ラジオ・キエフ」から、「ラジオ・ウクライナ」の表示になりました。
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その後は、「ラジオ・ウクライナ・インターナショナル」と局名が変わったように思いますが、聴いたことがありません。
このところ連日、ウクライナ情勢がニュースで伝えられています。ここにきて、前途多難。ウクライナを境に、かつての東西対立による冷戦構造に戻るのか、気になるところです。