何かとてつもないワナにはまっていた。
過去のインディーズ、サブカルチャー。
大きな流れの流通に呑み込まれるのを拒否した記憶はいずこ?
本流の流れに従順に飼い慣らされるのを否定・無視すると言いつつ。
生まれたインターネット世界ですらも、こんにちでは、1つの流れがその中に出来てしまった。
そういう中に、自分も呑み込まれていた。
どうやら、今の自分に大事なのは、ケータイをいじることでもなく、情報にめざとくなることでもない。
誰も見向きもしない神保町の片隅で眠っている本を開いてみたり。
ゴミ屋敷の残骸の中に見つけたモノをムシメガネで、しげしげと眺めて何かを発見したり。
そんな類のことのようだ。
といいつつも、時間の多くは社会に掌握されている。
拘束から逸脱することには矛盾がある。
とりあえず出来うることは、権力闘争に明け暮れる人々を冷視しつつ、自分を進むこと。
分担分のことはちゃっちゃと、文句インネン付けられないよう、はようやって・・
イノチまで取られないようにせえへんとな。
男気だの・・熱意だの・・マインドだの・・
よくわからんうんちくゴネる、笑っちゃうアホが居るが、笑うしかない。
そこ、まで言うなら、あなたイノチ掛けるんですね?
そう尋ねれば、彼らの語る芝居は用意周到。
しょせんは芝居で、酒飲んでバクチして仲間でつるんでいるだけ。
そういう近くの毒を笑って流せ。
山椒魚は水辺に住むが、夜になると、ジャマの居ない夜間飛行に出る。
飛行だから空という訳でもない。夜の闇の波間に漂うだけ。
刻の流れは早いもの。
YMOの「テクノデリック」が発売されてから、今日で30年目の夜を向かえた。
■YMO 「灯」(Light in darkness)
1981年11月21日発売「テクノデリック」より■