こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年11月9日 水曜日 リハビリ・暮らし 今こうしていられること、そのもの

2011-11-09 21:03:03 | 雑記帳

ウルリッヒ・シュナウスのアルバム「グッド・バイ」のジャケット。
つい太宰治の最終作品「グッド・バイ」を思い出してしまう。

昨夜、コチャコ・お袋さんへ会うため、実家に泊まり・ラジオを聴きながら寝ていると、暗闇に自分の名をうめく、苦しい声にうなされて起きた。
夢半分でうつろに起きて廊下に出ると、お袋さんがゆかに横になって苦しんでいた。

両足が吊った、とのことで、痛み止めの薬をまさぐり探して、水と共に渡して飲んでもらった。
数十分で「だいじょうぶだ」と言って寝床に再び向かった。
本当にだいじょうぶなのかの心配は、夜の中消えなかった。

取り残された自分は、睡眠薬服用後に起こされたのもあり、眠るに眠れなくなった。
昔あった事柄や嫌な経験が頭の中を駆け巡って、収まらなくなった。
親の見たこと無い苦しい声と表情と姿を見て、死がよぎったのも1つにあった。

朝、大して眠れないまま、ひどい抑鬱感に襲われつつ、何とか電車に乗った。

***

仕事場に向かい、そこで出会った、適当なことをしている人々が許せなくて、電話で・メールで・・「おかしいじゃないですか」と、とめどもなく何もかもが許せなくなった。
昨夜と同じ興奮状態と悲劇的感情が抑えられない。

トイレで映る顔に、ぼんやりと「死」相がにじむ。目の下にクマ。

***

そんな折、ケータイで、コトバ探しをしていたら、Q&Aに、コトバのかけらを見い出した。
自分に気になった箇所だけ抜粋する。
「頑張る」というコトバは、一切好まないが。


Q:死にたくなる時、皆さんはどうやって踏みとどまりますか? 夜、一人でベランダに立って色々と考えてしまいます。

Aさん:お願いですから死ぬのは止めてください。生きていてば、必ず楽しいことがあります。
楽しいことありましたでしょう。今は、一番苦しい時期なだけです。頑張って乗り越えるのが、人間の英知です。

ここで踏ん張れば、また上がっていくことが必ずできます。人間の生きる目的は「幸福」の追求です。
死は、それに値しません。死んだら、全てが「無」になるだけです。
思い出も、夢も、家族・友人達との交流も、何もかも無くなってしまいます。

死ぬのはいつの日か、お迎えが必ずやってきます。それまでは、頑張って、頑張って、さらに頑張って生きてください。


Bさん:自分に価値があるから生きる、無いから死ぬ、ではなく、生き抜く事に価値があります。また死んで楽になることはありません。
無になると思っていたのにあいかわらず自分の意識が存在しパニックに陥り暗闇に閉じこもり何度も自殺をくり返す事になります。
「何で生き抜かなかったのか」という後悔がずっと続くと思います。

私も自殺を決意し、向こうの入り口に行くまで信じる事ができませんでした。ですが、私は亡くなっていた可能性も高かったと思います。
何もこれ以上苦しむ道を選ばなくても楽に生きれる方法を考えた方がいいと思うのですが・・・。
もしも決行してしまい「本当だった」と気づいても遅いのです。そんな後悔の道は歩んでほしくないのです。


Cさん:死ぬのは、寿命がくれば嫌でもいつでもお迎えがやってきます。それまでは、精一杯頑張って生きようと決心しています。


Dさん:自分は死ねないから生きている、好きな音楽を聴いて、時々美味しいもの食べて、ほんの少し美しい映画を休日に見る楽しみがあれば、それでいいではありませんか。
そのためには、少し働けばいいのです。そう思えば楽ではありませんか。
死ぬなんて、馬鹿馬鹿しいです。プライドも捨てて、ありのままで生きていけばいいではありませんか。


Eさん:ひっそりと黙々と仕事をこなして、生きること、そのほうが、世の中の人はありがたいのですよ。


Fさん:以前に友人が自殺してしまいました。死んでしまったら本当に何もしてあげられないし、二度と逢えないのだと思い知りました。
やり場のない悲しみでした。質問者さまにもご家族、お友達がいらしゃると思います。ご自分を大切になさってください。


Gさん:気持ちは分かりますが、仕事が見つかれば全て解決でしょうか。
衣食住は人間にとって大切なものではありますが、それが満たされれば人はALL OKなのでしょうか。

何のために働くのかと聞かれれば生きるためだと言う。ならば働くのは生きるための手段にすぎないはず。
生きるのが主で働くのは従のはず。なのに仕事が無いから死ぬとはこれいかに。
仕事のために生きるのか、生きるために仕事をするのかちょっと考えてみたらどうでしょうか。

***

自分には、Dさんのコトバが響いた。とはいえ、その通りにはいかないが。
何が正解かはわからないけれども、スキマから漏れる1つの光のように感じる。
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2011年11月9日 水曜日 リハビリ・写真 御茶ノ水・秋(4日)

2011-11-09 07:34:53 | 写真日和
先週金曜日は、なかなか行けなかった順天堂へ。
頚椎ヘルニアの絶え間ない痛みがぶり返してきていたことと、クスリが切れたのもある。


朝の御茶ノ水駅。


朝の聖橋。
少しガスっている。


朝の光が反射している。


予約をすると、まずは外で一服する。
WHO影響のタバコ狩りプロパガンダ・ポスターは、このありさま。
怨念がヤキとなって入ったアーティスティックな作品。


抑鬱がひどい場面があると貞子先生に話すと、処方箋を変えてくれた。
先生はよくうつろになり、首を前に垂れて沈み込むことがある。
「先生も大変だけど、余りコンを詰めないように。」
どちらが患者かわからない。そういう関係にまでなれた。
先生は「大丈夫」と少し顔を緩める。

ペイン科では、ヘルニアがときに頭痛にまで行くことがあると言うと、頓服を出してくれた。


駅前通りのディスク・ユニオン。
早めの昼食を摂る。


画材屋さんのLEMON。聖橋の絵が飾ってあった。


駅前通りに日が優しく差す。
古本屋さんの店頭でおじさんが本を見ている。


駅前に咲く、朝顔。


ニコライ堂。


この日は、25度近い暑さ。
アイスコーヒーを呑み、仕事場に向かう。


向かう道では、昼間の公園にたたずむ人々。


仕事ばかりでは息詰まるので、屋上に出てみると夕暮れ空が美しい。


夕暮れをよぎっていく飛行船の灯り。
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