こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年11月20日 火曜日 B.E.F.「ウイチタ・ラインマン」'82

2012-11-20 21:02:05 | クロスオーバーイレブン
ヒューマン・リーグ「DARE」。
テクノ/エレクトロニクス音楽でありながら、かつポップスとしても大ヒットを飛ばした数少ないアルバム。



しかし、アーチストもぼくらのような凡人でも、ある日・ある時とシンクロしたことで精華・頂点を極めると、
その成功は、逆に足をひっぱるレッテルとなる。
そして、後々までひきずる不幸にとらわれることとなる。

ヒューマン・リーグもシングル「愛の残り火」がイギリス&アメリカまでヒットし「過ぎた」アダは、その後に跳ね返ってくる。
聴く者は、同じニュアンスの音を求めて、さらなる期待がつのり、アーチスト側にそれを超えるだけの作品を強いる。

フィリップ・オーキーが、その後、そういった問答の繰り返しにうんざりして、ブチ切れて、やさぐれて、
「お前らは、『DARE』のパート2が欲しいんだろうっ!」とどなるにいたる。
その心境は、じつによくわかる。

ロキシー・ミュージック/ブライアン・フェリーが「アヴァロン」という奇跡を生んでしまったことも、
YMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」が、日本のどこに行っても掛かっている異常な状況も、
おなじこと。

ただし、YMOのみは、それをも超えて、新たな地平・地点を生み出したのは例外中の例外ですが。

***

1981年は、ヒューマン・リーグも聴きながら、その一方では、
ヒューマン・リーグを脱退した2人が、ヴォーカルを誘い、3人で新たにつくった「ヘヴン17」も好んで聴いていた。
ヘヴン17はホワイト・ファンクの可能性を追求し、ほかにはない音像を生み出した。

ヒューマン・リーグほどはヒットしなかったが、音楽的には豊かな世界。

ヘヴン17のアルバムには、「B.E.F.」とレコードレーベルのようなマークがあった。
「B.E.F.」の実体は、ヒューマン・リーグを脱退した2人だったが、
じぶんはそこに、実験にいどんでいくニュー・ウエイヴの心意気と精神を感じていた。

***

1982年。
B.E.F.は過去の名曲を、プロデューサーとして、さまざまなゲストを参加させ、リメイク。
その名も「ポップス黄金狂時代」という作品を発表した。



ステキなジャケットで欲しいLPレコードの1枚だったが、当時、毎月毎月、怒涛のように欲しいLPレコードのうず。
・・・結果的には、買えないままだった。

もっぱら、このアルバムの曲も、やはりクロスオーバーイレブンでのエアチェック頼みだった。

夜な夜な地下生活者のように、自室のつくえにヘッドフォンをした、静寂が支配する闇夜。
そこで出会った「ウイチタ・ラインマン」。
この曲が持つ静けさ、こころにしみる切ないラヴソングに感動した。

カセットテープでしか、この曲を聴けなかった自分は、このテープをいくども聴いて過ごしてきた。

やっと、数年前に中古CDショップで、「ポップス黄金狂時代」そのものイコールではないが、
B.E.F.の編集盤を手に入れることが出来た。

***

CDの高音質で聴く「ウイチタ・ラインマン」の素晴らしさには、
歳を経て再度出会えた、時の不思議なめぐりあわせを感じる。

■B.E.F.「ウイチタ・ラインマン」'82■


『ぼくは この街で 電話線の保守の仕事をしている
メイン道路を 車で 走らせながら
一日中 ずっと 回線がおかしな場所はないかなあ・・・と目をくばらせている

電話線を伝って 聞こえる声
ノイズの中からでも その声を聞きわける
こんなふうに ウィチタ市の電話線作業員のじぶんは 電話線をつないでいる

ぼくには ささやかな休暇が 必要なことは わかっている
でも 雨は降りそうもなく
雪が南下してきたとしても ここには届かない

ぼくには きみが必要なんだ
きみが 思っている以上に
いつもきみが 欲しいと思っている
そして ウィチタ市の電話線作業員のじぶんは 電話線を黙々とつないでいる・・・』
コメント (6)
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