こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年11月1日 木曜日 夜の雑考

2012-11-01 22:01:50 | 写真日和


■霜月(しもつき)のはじまり
本日より11月になりました。
あちこちで、師走に向かった動きがざわついてきました。

しかし実は、10月から既に師走への流れはありました。
まだハロウィーンのグッズが売られている横には、既にクリスマス用品、そして年賀状受け付け。。。。
暑さが長引いた影響で、秋物が販売不振だったお店は、あらゆる手を並べているのかもしれません。

あれだけ悲惨を極めた猛暑も、何かとても遠くのことに思えます。
寒い一日でした。



■食事とカラダ
最近、昼に食事を摂ると、必ずその後の午後しばらくが、極めて調子悪くなる。
そんな事を日々繰り返していながら、無意識下におさえよう。。。
その働きが、言語化させないようにさせて来ました。

かつて・・・「一日三食」なる概念は、歴史で見ればここ最近になって「あたかも」常識のようにされているだけで、根拠は無い。
そう書きました。

今もその考えに変わりはありません。
バイオリズムへの影響も避けては通れないのでしょうが、カラダが要求もしていない大事な「食」を、無理してまで一日三回する必要はないと思います。



さて、問題の昼の食事に戻ります。。。

私は、支配層の「早メシ=仕事がデキル!v(‘▽’)v。。。キラッ。。。」という時代錯誤の「妄信」おぢさん世代とは異なり、極めてゆるりゆるりなる速度でしか食べられません。
ようく若い頃、食べ方にまで説教を食らったものです。

「おまえは、ヤギじゃあるまいに。クチでウンコ作ってんのかあ!」。
(この汚いコトバを吐いたのは、「妄信」おぢさんではなく・そのコバンザメ20代ゴマすり先輩でしたが。)

このペースの合わなさが、「他人」との外食が嫌な一要因でもあります。
お互いの呼吸が分かり合える・好きな人(私にとっての身内)たちと、会話を交えながらの外食は楽しいですが。。。

2012年においては、昼も夜も、無理強いするヤカラとの外食は一切しない。
それが、やっとたどり着いた自分の今の、譲れない暮らし方です。

昼は、余計な気を使わないように、外でお弁当を買い、同僚とニュースなどなどを見ながら、マイペースで食べます。

(ちなみに、朝はお茶とお水しか摂りません。内から食を欲しないし、ぐったりして摂る気が無い、と言った方が正しいでしょうか。)



食後の午後に、調子が悪くなる事象。そのナゾ。
自分は、こう考えています。

人という生命体は、「食」を外部から内蔵に入れると、それ以降、それまでキープしていた身体バランスを崩すのではないか?

さらに悪化するケースとしては、一定時間の間隔を持たずにしょっちゅう「食」を取り入れること。
それ自体は自殺行為であり、「食」で身体を破壊する行為なのかもしれません。



これも、私のみの勘であり、単なる妄想かもしれませんが。。。

自分は、カラダが要求するアラートに従って、必要最小限だけの何かを口にいれるだけで十分なのです。
しかし、そんな中、午後の調子悪さには困ったものです。
夕方になると、フラットから上方に向かいますが。

■シエスタ
海外のいくつかの地域では、シエスタという昼休みが習慣化されています。
実にクレヴァーでウィットに富んだ、上手な生き方・時間の過ごし方だと思います。

今の日本企業に、そのような「やわらかい」発想が、まったく期待出来ない中では、自分のイノチは自分で守る・という自己防衛しかありません。

こちらは、手続きを待っているほど優雅ではないのですから。。。



自分の午後の調子悪さの特徴を言うと、どんよりした全身の倦怠感・どーしようもないだるさ。
(2年前の肝機能障害時、一日中抜けなかった魔物と同じ)

そして、そこから引きだれる睡魔、仕事が手に付かず・脳が回らない。
それらから浮かび上がる「もう、駄目だ。横になりたい。」という想い。



今、すぐやれることとして実行しているのは、
トイレの個室に座って「用をたす」のと同時に、目をつむってしばらくじっと無になること。
数分でも違う方角に身体が向かうことがあります。

また、自席には座れど、脳を馬鹿にすること。
かわいくて仕方がない、リラックマのカレンダーをじいっと眺めること。
目を傷めるパソコンを避けて、ノートやメモ紙とエンピツで「とりとめがなくても・生産性がなくても良いのだ」、
そう切り替えて、メモやいたづら書きをすること。
落ち着きを戻すには、小さな世界をうろうろすること。



・・・また、時には「どうせ、そんな時間帯には何も進まないのだ」とバッサリあきらめ、他のフロアーや部署に勝手に出向いて「営業訪問」では無いですが、仕事に関連する話を振りながらも、雑談をしながらなんてことない中からチカラをもらうこと。
(書きながら・・・まるで、昔の近所の奥さんたちが、昼に寄り合っている姿が浮かびましたが[笑])
それでも、どうにもならないときには、横になれる場所を探して、数分の仮眠を取る。



シエスタというやわらかなる発想。
一方には、21世紀になってまで「政界はヒトごと・別の世界」と言えたものじゃない、化石化した思考・ならわしが多くを支配した、古い企業風土が覆う日本。
「単なるなまけじゃないか」という硬直言語でしか捉えられない人の多い世界に、シエスタなど定着しないのでしょうね。



「オモテとウラ」といえば、自分より上の世代に「ウケた」日本人をとらまえた概念。
そんな古い概念が、数十年が経っても、何1つ変わらず生きている。
そんな不可思議さは、三島由紀夫が残した予言が、そのまま現実化した事象同様、不可避な何かを感じさせます。

表面的な安っぽいごまかし・つくろいや体裁ばかりを気にして、中身ゼロ。
悪しき一部の利権者・世襲制・同族継承・・・&取り巻き犬たち。
彼らが支配する世界では、自殺者が減る見込みはなさそうに思います。

私は、そんな濁流の巻き沿いを喰らいたくはありません。
よって、一人シエスタを進めようと思う次第であります。
それは、サボタージュではなく、極めて前向きでポジティヴな志向と考えます。

注:シエスタ=昼寝、と勘違いする人がいますが、そうではありません。
時間帯に合った、心身の在り方というものがある。
そういう思想の1つ、と自分は捉えています。



■The Makers of the Dead Travel Fast 「Into the Arc」■
コメント
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