こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年11月29日 木曜日 Fra Lippo Lippi  「A Small Mercy」'83

2012-11-29 21:28:43 | 音楽帳

まだコートは着ていない。

寒さに強くあろうとするのも、ひとつの鍛錬。
例年は、年が明けてからが勝負。そして、2月が最も寒い。
「11月の今から、この程度の寒さにヘタっていたら・もたないよ。」
そう じぶんに、言いきかせる。

と言いながらも、コートの代用として、昨日からヒートテックを下着として着て、ネックウォーマーを首に付けた。

首は神経が集中する場所。
夏の猛暑に首にひんやりネクタイのようなものがあるように、冬は首を温めることがカラダには効果的な方法。
特に頸椎ヘルニアに悩まされるじぶんには、最適。

***

まわりは「冬のような寒さ」「もう冬ですね」と言うが、じぶんは否定する。
それは過去からずっとおなじ。

まだ晩秋という認識。

たしかに冬には向かっては居るのだが、紅葉はまだ散りきってはいないし、暖かい日には散歩にも難はない。
それに、手がかじかむこともない。

***

フラ・リッポ・リッピに初めてであったのは、1983年末~1984年の早い時期。
最初、雑誌「フールズメイト」の掲載記事で読み、なによりもジャケットの写真の美しさに惹かれた。
彼らのセカンドアルバム「スモール・マーシーズ(Small Mercies)」。

その中の曲を初めて聴いたのは「FMトランスミッション/バリケード」。
エアチェックした『A Small Mercy』。

■Fra Lippo Lippi 「A Small Mercy」'83■


あまりにもジャケット写真と音のイメージ一致に安堵した。
あの晩秋~冬のじぶんの中の心象風景に、このアルバムも刻印されている。



放送では、フィリップ・グラス、ジャン・リュック・ポンティ、ドゥルティ・コラム、ダニエル・ダックスなどと掛かった記憶。

***

『A Small Mercy』の甘ったるいピアノは、じぶんの体内感覚において、微妙なラインに立っていた。
へたをするとイージーリスニング系が取るスタンスの、過剰な甘さの方に傾きかけそうになる。
そのギリギリのライン、ニューウェイヴとの境界線にそのピアノの旋律はあった。

イージーリスニング側に落ちてしまわなかったのは、キーボードの天空への響きがあったゆえだった。

ジャケット写真にもあるように、そのキーボードの音には、
彼らの故郷であるノルウェーの閑散とした自然の風景と・そこに住まう人々を包む世界の・祈りのチューンがじぶんの耳には聴こえた。

この曲も、じぶんにとっては、この季節には聴く定番曲である。

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<夜の雑考>
無視をして過ごそうとは思いながらも・・・・目の前で見たくもない事象が横行する日常。

「ここ」はキャバクラ?
「あなた」はAKBのヒト?
そう勘違いしてもなんらおかしくない、
ねじまがった時空に出会う。

仕事や社会という公的場面でも。
女であることを、最大限「武器」として利用する。
たくましき女たち。
そんな選択を取らない人には迷惑しかないが。

夜の職業/昼の企業勤め人に境目はなく、カラダやソソリを切り売りして生きている女がわんさか。
そんなアニマルワンダーランド。

保険会社=公的詐欺の使い捨てセールスレディの特権として、良く例に挙げられる「カラダで契約を取り付ける」原始的世界。
それは、特定業種のみの手法ではない。

なにもカラダを実際に・カンタンに・・・売る/買う・の関係に持っていく必要はない。
世間には、大人になっても、このじぶんを含めて、精神的童貞男子はうんざりするほどいるのだから。
そうでなければ、あんなAKBごときの「アコギ」そのものの商売が成立するわけがない。

双方があたかも「付き合える」ような、
それが実現しそうな、
「脈がありそうな」コナを振りまいて・・・・
導いていきながらも、いたぶりながら、先に先にと引き伸ばしつつ、他人を利用する手法。
こんなものは、極めてありていな方法ではあるが、キャバクラと同じ手法が生きている。

***

一方、ITの取扱いがカンタンになり、一般人の自由度が、高まった流れの中。
広告代理店でも、もはや使わない、古~い・古~い手法で、企業の中でお芝居を演じるモノたち。
大企業ではもはや通用しない使い古しの手法も、小さな世界ではまだ通用したりする。

そんなやすっぽくレベルの低い「表面的ウソ・プレゼン」を使う選択を選ぶ「若い」同年代の野蛮さに日々触れながら、
「2012年のお笑いレベルだな・・・」「くさくて、カラダにじんましんが出そうだ・・・」と身悶える。

しかし、それに対して「はーっ」と、安易に感嘆して応答する者(グル?サクラ?)どもの構図。
政治世界で・今繰り広げられている「某だれかさん」の「使い古されたプロパガンダ」と同じようなもの。

目くらましや愚行が繰り広げられる、実にバカバカしい広場。
「ここは、何世紀の何の時代ですか?」
じぶんは、どうやらタイムワープしてしまったらしくて、
広場に集まっている1人に、そう聞いてみる。

女子力とかプレゼン力とかリーダーしっぷとか、「世間」は言っているが。。。。
外国のヒトに尋ねられても、わかりやすく回答出来るように言い換えるならば、
「この様相は、ザックリ言えば、SEX(Y)の力と詐欺能力が『世間』を牛耳(ぎゅうじ)る、ってぇことですよ。」

***

そんなじぶんは、お地蔵さんや道祖神さんのような境地に至りたいが、
こーんなものを目の前にしてしまうと、つい元々左のひたいにある青スジが、より一層浮き立ってしまいがちな日常。

モラル・ハラスメントとは言うものの。。。。
患者というのに、野に放たれて・罪の意識すらないまま、世に「一般人」と呼ばれて過ごしているサイコパスたち。
かれらの言行は、モラル・ハラスメントとして定義・記載される定型パターンを越えている。
どこにも書いちゃあいない。そこからも合法的に逸脱出来るよう、巧妙な悪魔心理が組み立てられていく。

わたしは、憤怒や殺意を内包しながら、沈黙する。
音楽を頓服用の鎮静剤として持ちながら歩き、そんな周囲に同化せずに生きる。
そんな道だけが、ただあれば良いのだが。

道は曲がりくねっており、そこいらじゅうにトラップが仕掛けられている。

そして、まだまだ世捨て人になりきれない、じぶんの邪心が邪魔をする。
どうせ、エイリアンのくせをして。

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