こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年12月10日 土曜日 山椒魚の夜間飛行 とある拾夜 - ピンク・フロイドへの追憶 -

2011-12-10 18:58:32 | 想い出かたちんば
ピンク・フロイドを初めて知ったのは、中学1年生・12歳、1979年のことだった。

小学生から中学の制服生活に変わる中、人間自体が大きく変化するさまに驚きとショックを隠せぬまま・・・
「帰宅部」だった自分が、毎週土曜日通りで七輪で魚を焼く三ノ輪の風景に戻りつつ、FM東京のラジオ「ポップス・ベスト10」を聞いていた。
そこでトップ10に入った、2枚組アルバム「ザ・ウォール」からのシングルカット「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」。


その後、洋楽LPレコードの再発とか、TDKやマクセルのカセットテープなどのプレゼントでLPレコードが抽選で当たる企画のパンフレットで、過去のピンク・フロイドのアルバムジャケットをよく眺めていた。
当時は、とにかく情報が少なくて、小さい写真でも貴重なものだった。
時代を象徴した工場の煙突に向かって動物たちが飛んでいく「アニマルズ」・・・・。

中学2年生になって、歌詞レコード屋さんでレコードを借りてはカセットテープに録音したシリーズがたんまりある、大して仲が良い訳ではない同級生の家に行って、色んな音楽を聴かせてもらった。
その中の1つにピンク・フロイドもあった。

唯一の兄弟の6つ上の兄とは年の差=精神の差もあり、いがみ合っていたが、それが寄り添うように歩み寄ったのが1981年・中学3年生の夏以降だった。
1981年夏に、親の事情で生まれ育った三ノ輪から引き離され、当時まだこうもりが飛ぶ異国の地=「だ」埼玉に転居させられた。
周囲に知る人も居らず、いなかの地にぼうぜんとしつつ、孤独を深めていった。
そんなさなか、受験生は、兄に勉強を教わる・・・と言っては、夜な夜な時間を取って指針を乞うようになるなか、話しは次第に勉強から音楽の話になっていった。
そういう夜が続いた。

そこで、イーノの一連アルバム、過去のボウイやロキシーのアルバム、そして、ピンク・フロイドの「狂気(ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン)」を借りて聴くことが出来たのだった。
YMOとニューウエイヴ中心の自分の音楽世界から、次第に色んな広がりが生まれていった。

兄は、それとは別にお手製のセレクションカセットを作ってくれた。
ツェッペリン、イエス、キング・クリムソン、EL&P、そして、ピンク・フロイドなどの入ったカセットテープ。
そこに納められたA面1曲目の「ウエルカム・トゥ・ザ・マシーン」。
この曲は、その当時よりも、次第に刻を経るごとに、自分の身に迫ってきた名曲である。

90年代にジ・オーブがこの曲をリミックスしていたが、フロイドというのはそういったムーヴメントの主役にも影響を及ぼしていた。

1981年の当時、「時空の舞踏」なるフロイドのベスト盤が出て購入した。
ここには、「ウエルカム・トゥ・ザ・マシーン」は入っていないが、「狂ったダイヤモンド」という曲が大好きになった。
ポップスバンドでもあるまいに、ピンク・フロイドに「ベスト盤?」というのも、笑われるような事態だが、この時期にはレコード会社側の単なる戦略で、ブロンディだのなんだの・・・多くのベスト盤がぞくぞくと発売された。

ちなみに「時空の舞踏」に収録された曲は以下の通り。

A面
1-吹けよ風、呼べよ嵐
2-マネー
3-シープ
B面
1-狂ったダイヤモンド
2-あなたがここにいてほしい
3-アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール

この後「炎~あなたがここにいてほしい」を聴くことになる。「ウエルカム・トゥ・ザ・マシーン」「狂ったダイヤモンド」「あなたがここにいてほしい」と・・・全てが入っていることも「えらい」ことだが、ジャケットの写真にかなりなショックを覚えたのは事実だった。

・・・・そんなときから相当の「タイム」を経て、ネット時代になって初めて「ウエルカム・トゥ・ザ・マシーン」にMTVが存在していたことを知るが、この曲の重さとMTVなる存在の不一致が実に奇妙かつ不気味である。

■pink floyd 「welcome to the machine」■


PS:今夜の不気味な月夜。

最近、月と雲の姿がおかしい。体内感覚としておかしく感じる。
コメント
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