■ぐるぐる回る
今日は、まだ旅の疲れが取れぬまま漂った。
日中の仕事のさなか、頭の中を鳥肌実せんせいの会話がエンドレスに流れていた。
当初は、あくまでお笑いの延長線上で右翼的な発言スタイルを取っていた鳥肌せんせい。
・・・・ところが、今ではお笑いでも芝居でもなく、本物の真性右翼におおむね変態した鳥肌せんせい。
もはや、逆戻りは出来ない。
鳥肌せんせいの「行くところまで行くしかない。退路は絶たれた。」まま、本物へと突き進む様は、自分が愛するものの一部。
今日、頭の中をぐるぐると回っていたのは、2004年ごろ、鳥肌さんのCDで聴いていた初期のスタイルのコトバたち。
当時、42歳厄年男の設定だった鳥肌さんは、山崎パン工場内のサンドイッチ班・ピクルス担当として「朝の6時から朝の6時まで(=24時間)」働いていた。
あの頃の、鳥肌さんのルサンチマン発言は、今でも新鮮で、ニーチェじゃないが「人間的な、あまりに人間的」に私の体内をぐるぐる回る。
「ああ、今日も、単純作業のお出ましだ。」
「きゅうりは2枚だと、あれほど言っただろう!」
「巨大なジャムパンが攻めてくる。」
「オレはなあ契約社員なんだよ。。。。年下のくせに、アゴで使いやがってぇ。」
「尊敬するアーチストは、池田大作です。」
「休憩時間には、アムーウェイの勧誘に努めております。」
「土日は創価学会員と殴り合っております。」
そんなくだりが、頭の中をめぐりめぐる日。。。
■「空気」
話しを移す。
もしも、災害・事故・病気をまのがれて生きることが出来たとしても、何年生きられるか?
という未来予測は不可能。
ならば、如何にして、自分と大事な人との残り少ない時間を大事にするか?
それしか無い。
家族旅行から帰った私の思念は、さらにその念を強めた。
旅行帰りの翌日のお勤め。
朝から「ひとびとの振る舞い」を見て、「相変わらず、しょーもないなぁ・・・・・」とつぶやき・思わず苦笑。
距離を置いて見える者たちは、何か大きな勘違いをしたまま生きているように映る。
違和感を覚える。
まだ読めてはいないが有名な山本七平の著作「空気の研究」、近時ハヤった「KY(空気読めない)」なるコトバ。
「は~い右に曲がってぇ~」「は~い、今度は左にぃ~」・・・
インストラクターとのエアロビクスのように「は~い、ワン・ツー、ワン・ツー・・・」。
目に映る者たちが、周囲の空気次第でしか動けない烏合に見えてしまう日。
良い意味で、楽で効果を産むような・・・positiveな生きる方向への動きならまだしも、どうも彼らはそんなことまで考えている気配は無い。
■三人称「彼・彼女」
「わたし」にとって、しょせん他人以上の存在では無い人。
そんな他人は、彼らにとっても他人である「わたし」の命を保証しない。
むしろ、ああだのこうだの「わたし」の命を削る目的としか思えない方法で、小じゅうとのように口うるさい。
他人にしか過ぎないのに。
そういう者ばかりで形成された組織なり社会。
幸福だった「あのころ」とは異なって、実はハラの中には、誰も周囲が仲間だなんていう馬鹿な意識を思っては居ないはず。。。
と思うが、未だに構成員=仲間と勘違いした時代錯誤者が居たりする。
ごく一部の親しい仲間以外は、当たり前だが=(イコール)居ても居なくても良い登場人物・ボトルネック抱えた人だったり・・・。
六人部屋の病室に入ってしまって、単に同じ部屋割りになったときみたいに。
他人が身近に居るときに、体内が発する不愉快・不快感。
いっぽう、電話で他部門や外の人と会話を交わしたり・そこへ訪問して話すことは、お互いの歩を進めることであり、不快感はない。
そこで萌芽した何か小さいものは、最終的に影響効果が「ご利益」として還元される可能性があり、努めてそこには熱心たろうとする。
彼らとは仲間という意識が芽生え。/その一方で、近くに居る者への違和感を感じるちぐはぐ。
■「空気」×「彼・彼女」=「珍妙空間」
単に偶然同じ部屋割りなだけなのに、気が狂い「勘違いした他人」は、勘違いしたまま暗黙の了解を越えて「構成員だから・・・」と、他人の身内が亡くなれば、本人に会った事すらないのに、土足で他人の葬儀にジャマしに上がりこみ、不遜にも焼香をして、酒や食い物を飲食ちらかして帰っていく。まるで盗っ人みたいに。酒を呑みに来て去っていく者も多い。
元々、葬儀・結婚式含む冠婚葬祭とは、血が繋がった親戚縁者・友人・身近な者だけで行うもの。それ以外は関係が無かった。
しかし、他人の身内の葬儀にでかい迷惑花輪やら、結婚式の仲人だの・・・筋違いはなはだしい「余計なお世話」が頻繁に発生する。
そこに家族的融和が実現しているならまだしも。頼む方も頼む方だが。
まるで新興宗教や細木数子が、勝手に他人家系のDNAに介入してくるのと似ている。
バブル後、どん底まで没落した日本・やっとカネが尽きたお陰で、近時は、そういった勘違い者を排除・お断りする傾向はあるし、自分も一切お断り。
もし、自分の身近にそういうことが起きたら、一生の「仲間(グル)」「友人」「身内」と認識する者以外は塩をかけて追い返すしかない。
何のために働くか?=それは生活費のため「だけ」。
それ以上もそれ以下も、何も無い。
そんなドライが正しいことなのに、まだ日本人はウェットな「空気」や他人に引きづられる。
ただ、一定時間拘束されるからには、楽しい方が良いし・やったことが報われた方が良いし・良い事が多くあった方が良い。
また、拘束されながらも主体的に動けば、学ぶことも多くあり。それだけのこと。それ以外、自分には意味が無い。
■「忘れてええんかい?」-Forget Year Party-
先週金曜日「大忘年会」とやらが唐突に出現した。自分は「NO」と断った。
というのも、用事があり・もてなす先客が居るから。
土曜日~日曜日の家族旅行は既に予約されており、金曜日の夜は親の準備の手伝いも元々あった。
心の中で「だいたいが数日前になって、さあ大忘年会ですよお」と表明する女へ理解不能と疑問符。
「いろいろあった1年ですが、皆さま、1年を振り返りながら楽しくのみましょう!!(幹事:KY)」
「いろいろあった1年って、何だよ?ネエちゃん。それで済ますんかいな。お気楽やねぇ。」
3・11後の日々の混乱の中での地道な人々の苦労も知らない。
3・11当時居なかった4月からの新人ネエちゃん。
そんな者に、そういうセリフを言われる覚えはない。
冗談にもならん、と頭の栓が切れた。
3・11発生前からあった(いつかのための)危機管理マニュアルなるモノもリアルな現実の前で、何の役にも立たないコトが見事に証明されてしまった2011年という年。
そういう年に「年末だから・・」という誘い・結ばれてなど居ない糸の者に付き合う「ナゾの日本人」的世界(外国から理解されない)の中に入るほど、自分も人で無しではない。
同席するVIPの好み中心にしか飲・食・場所を考えない女子幹事。しかし、それでも何も言われないのは、女に何かを言うと面倒な取り巻きが居ることに拠るだけ。ハチの巣をつつくようなもの。
女子力なる、あまり聴いたことの無いコトバを言っている人を見たことがあるが、昨今世間で呼ばれているのは、どういう意味なんだろうか?
意味を調べたこともなく、テレビ番組も選んでしか見ないので、最近のコトバには無知なのだが。
ただ、見た目はどう引いて冷静に見ても、自分の目には、キャバクラ・風俗の延長線上にしか映らない。
■「オシャレな方々」
最近、20代、30代と言った、自分より若い世代が、コビへつらう場面を見ることが身近に多くなった。
自分は(関わると単純に面倒なだけの陰湿女以外は)じかに「こうした方が良いんじゃないの」と言うようにしている。
「まだ、20代、30代の段階から、そんな折れ曲がり方してたらどうないすんねん」と思いながら。
今年は、見事・あっぱれなことがあった。
聖職者と打合せした議事録を、同席した30代後輩が書いた。
配布されたものには、自分が話したくだりは全部カットされ、聖職者に都合の良い部分だけで仕上げられていた。
フィクションの世界。
「お前は情けないヤツだなあ。30代にして、偽造議事録か。。。。自分が何を言いたいかは分かるだろう?
今度から録音機器持ち込むのでヨロシク。」
正直、社会の中に居ると役にも立たないアイデア、明白な三文芝居に、案外コロリとだまされる「見るチカラ」の無い人がたくさん居るものだ、と感じることが多い。
童話の「裸の王様」じゃないが、みんな笑いをこらえているのに、安っぽいモノや考えが道の真ん中を、堂々と平気なツラ下げて歩いていたりする。
・・・・これを世間の現場に展開してみると、マンガとしか言いようの無い状態。
しかし「そんなものだ」とサブリミナルに刷り込まれていたりするケースも多いようだ。
(ちなみに、マンガとは日本が作った偉大なカルチャーということを理解した上での言い回し)
●優しいフリや如何にも他人を気遣ったようなフリを、見せる人の居るところでのみ指導や差配を見せる人。
●電話での会話で、都合の良いエッセンスの部分だけ、周囲に聞こえるように大声でしゃべる人。
しゃれにしては、キツすぎる事象は、あげていくと尽きない。。。。
***
明日が分からぬ時代。
自分が日々意識しているのは、生活費をもらうに課せられたに相対するミッションを果たすことに集中する、それのみ。
といっても、それが十分出来ているとは思っては居ないが。
しかし、それ以外の「空気」だの「結束」だのを強要されるのは、筋が違う。
私は、お勤めで死ぬつもりはない。
もっと大事なものがある。さらに残り時間さえも少ないかのだから。。。