こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年12月29日 木曜日 山椒魚の夜間飛行 とある拾玖夜 - 師走の断層写真 -

2011-12-29 22:10:01 | 写真日和
MRI所見:・・C5/6・C6/7椎間板のbulgingを認める。あきらかな神経孔・脊柱管の狭窄。
「かたちんばの2011年のセルフ・ポートレイト」
カンカンに沸かした湯で緑茶を入れるが、すぐ冷える。そんなさぶい冬になった。
さぶいと頚椎ヘルニアの痛みが強くなる。
お風呂を沸かして入り、ぬくぬくになるが、それも早々にカラダのぬくもりも消えてしまい、痛みが復活してくる。
よって、鎮痛剤を服用。そして、ビールを呑んでごまかす。

TBSラジオをひねると「2011年おっさんニュース」なるものが放送されている。
ビビる大木&ピエール瀧がゲスト。昼のキラ・キラの流れ。
面白くて癒される。

飲酒運転をしている所、警官が検問。そこで、おっさんは車を降り、うんこを口の周りに塗りたくり、匂いでごまかせるだろうとしたが捕まったとのこと。
笑いがドカンドカン来る「現実にあった」事件に満ちているが、イタい。。。

痛いと汚いで始まってしまったが、師走の瞬間断面のごく一部を・・・。


スカイ・ツリーも灯りが点滅するまでの夜に至った。


実家の出窓にヒョイと乗る軽やかなコチャコ。


岩本町のカギ屋さん。


エレクトリック・アニマル。


冬の朝の陰影。


ショット・バーでの角ハイボール。


クロちゃんも元気に年を越せそうである。


朝の空に不気味な雲。


ドラマ「カーネーション」は、今週ついに昭和45年8月15日を迎えた。


主人公を演じる尾野真千子さんについては失礼なことを過去に言ってしまったのでお詫びと訂正。
美人では無いが・・× → 表情豊かなかわいい人です〇
芝居はうまくはないが・・× → うまい〇
ベタ惚れです。

というほど、このドラマと尾野真千子さんには癒され、惹きつけられ続けている。


冬の花。




温度が下がり寒くなるに従い、風景には陰陽が生まれ・空気が澄むことに従い色があざやかになる。


実家付近では可愛がられているミルクちゃん=通称ミーちゃん。
ミーちゃんも無事、今年を越えられそうである。


キジトラちゃんも。


朝のたゆたう雲。空を突き刺す冬の樹。






日本橋に向かう道のイルミネーション。


今度行ってみたいとずっと思っている浅草のネコ・カフェ。


昭和の匂いを残してくれている地下鉄浅草駅の地下道。


看板は「節電中」。


喫茶店で、店員が描いたと思われる2012年の干支である龍。
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2011年12月28日 水曜日 山椒魚の夜間飛行 とある拾捌夜 - キング・クリムソン「レッド」 -

2011-12-29 00:53:17 | 音楽帳
さくりんさんへ
こちらは22:42日本橋から銀座線に乗り、帰る。
仕事場の納会に元々参加すること自体にうんざりして18:00脱出。
過去一緒に仕事していた女史とお酒~お茶を飲み、長話をして別れました。
ちなみに、このクレバーな女史との何ら疑惑の関係は1%も無し。
長年働いてきた同志として、様々な話を久々に。。。
気が付けば4時間半も経ってしてしまいました。

帰り道、うろうろ酒を買い・雑貨を買い・・・23:35帰宅。
さくりんさんには悪いですが、これにて今年の「お勤め」は終了させて頂きます。
これにて閉店です。

***

ネコに関して。
まみちゃんを失ってから、私は明らかに堕ちていた。
そんなところに、2011年は、コチャコさんの3・11後の不思議な変態に出会った年でした。
「彼女=コチャコ」との不思議な付き合いが15年目にして生まれた年。
コチャコも自分も、お互い淋しい中、何かがそこに生じたような感覚。
かつては思わなかったコチャコへの愛情が今はあり、コチャコの自由なありさまに癒された年でもありました。


***

申し訳ないですが、一足先に「一時休戦」に入った自分。
23:35家にとぼとぼたどり着く。
ようけえらいことあった年も、残り三日。

崩壊寸前のマイVAIOちゃんは、立ち上げから安定するのに1時間を要する。
やっと軌道に乗る。

内心には、未だしょせん日々は365分の1日。
明日も、しょせんは365分の1日。
クリスマスは別として、年末を向かえたという気はしない。

***

「お勤め」を終えた夜中、聴くは怒りに近い表現のキング・クリムソンの「レッド」。



2011年12月。
キング・クリムソンを聴いているうちに、自分が固執していた70年代終わりから80年代中盤とは一体何だったのだろうかという沈黙に、近時至る。

1969年から1974年、各々のアルバム・ジャケットはお馴染みのデザインだったが、当時避難轟々だった「ディシプリン」でキング・クリムソンのリスナーデビューをした自分がちゃんと向き合ったものはファーストの「クリムソンキングの宮殿」のみだった。
あとは、クリムソンの様々な経緯を知らぬままに聴いた、渋谷陽一のサウンドストリートで組まれた80年代のクリムソン特集。

渋谷陽一が過去のキング・クリムソンを掛けること自体、それは番組の終焉を意味していた。
(ちなみに最終回は、レッドツェッペリンだった。)
その中で掛かり、好きになった曲「レッド」。
それを2011年12月、改めて聴いて伝わって来る響き、そして意味合い。

■King Crimson 「Red」■

常に目指すものに諦めや妥協を許さず、メンバーという「人間関係」などというくだらないものも無視し、音楽内容を常に変化させ・前進させつつ、突き進んだロバート・フリップ先生がたどり着いた最終地点。
「決して許さない」という意志が音と化した曲。

相手が人か?神か?世間か?事象か?
いずれにしても、内心の芯を貫く「決して許さない」。
持つ内包された心情が、単なる怒りの単純表現では無い形で、この世(此岸<こがん>)に裂け目(キャズム)という形で表出するクリエイティヴな表現。
目指すべきは、こんな偉大な「レッド」のようでありたい。
コメント (6)
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