地上波テレビを見ない、NHKはうんぬんかんぬん・・・そう言いながら。
NHKの持つある部分の力は理解しつつも、公共放送・受信料必須という姿勢に反感を抱く一方。
ただ、両親が次第に八十代を迎える中、実家でたまたま見た朝の連続ドラマ。
十月から始まった「カーネーション」。
それに惹かれてやまなかった。
これには、お金を払っても良いと思っている。
一体、なんなのだろう。この気持ち。
***
昨年「ゲゲゲの女房」にお袋さんがハマり、毎日、BS・地上波朝、昼と三回視る中、家族で集まった際に、兄がお袋さんへの贈り物に、総集編をDVDに収めてプレゼントした。
それを五人で囲みながら見た日。
水木しげるの実話を題材にしたドラマ。
自分が、かつて営業していた武蔵野の自然と匂い残る調布。
実家の中は、ゲゲゲの鬼太郎のグッズであふれかえっていた。
***
そして、今回の「カーネーション」は、コシノジュンコら妖怪ベム三姉妹、ではなく、その産みの母の苦労を描いた大正から昭和への岸和田が舞台。
その母を演じるは、「萌の朱雀」でデビューした尾野真千子。
彼女の芝居は、別段上手では無いし、決して美人ではないのだが、三十にも関わらず初々しさの残る好感を持つ雰囲気を湛えている。
時にユーモラスに、時には可愛く・美しい。
周囲を囲む人々と小さな街のざわめきへの温かみ。
自分が大阪時代の五年のうちの最後の五年目は、それまでコテコテの大阪市内の渦に居た所から一変して、南大阪地区、つまり堺市から細長く下る岬町までの広範囲の営業エリアへと移された。
それはまたもや未知の世界であったが、四年目に結婚破局・大失恋と阪神淡路大震災を経験した自分には、今思えば何の導きか?分からないが、あえて想い出多き市内から引き離した。
そこで出会った自然や風景、市内とは異なった人々の異なった暮らしと言葉と世界に惹かれた。
ずいぶんとぶきっちょだけども、今思えば優しい人々との出会いがあった。
まるで開拓者の如く営業車を縦横に走らせながら、PLの塔が見える場所で風景に浸ったり、海岸線で海を見たり・・・。
そんな中で偶然、岸和田の無骨な織り元の社長と偶然の出会いをして「お店を出したい」という希望を二十代の自分が聞き、一緒に悩み・設計士でも無いのにお店のパース・絵を描き・店員に育つ同世代の人に自分なりの知る知識を教えながら、数箇月を経て、そのお店はオープンした。
まるで自分の店のように喜び、写真を撮り、自然と自分の仕事の商品も沢山売れた。
四年目の絶望は心の底に大きなキズを残していたが、それでも救いがあった。
そういう流れが、まさか一年で終わり、東京に戻らねばならないとは、その時には思いもしなかった。
社長の行く岸和田の海沿いの小料理屋で、よくほかの協力会社の営業仲間と漁で上がったシャコや刺身をたんまりごちそうになった。
大酒をくらい・沸かした湯であげたてのシャコをみんなでハサミを入れながら食べた記憶。
(今では御法度だが)酔いながら、梅田近くのマンションまでたらたらと運転をして帰った夜の路。
***
朝の連続ドラマというのは、よく(兄曰く)学芸会みたいなもの・・
その程度の芝居なのかもしれない。
また、昭和の過去からやめる訳にも行かずに続いている面がある。
ただ「ゲゲゲの女房」が大ヒットを飛ばして、「まさかの」水木しげるブームとなったように、また、実家では再度「カーネーション」ブームが起きたように・・
これらは、過去あったものをなで返しているだけのものとも違うように思える。
個人的な体験・経験で惹かれているのは当然だが、どうやらそれだけではない。
映画「三丁目の夕日」がヒットしたように、行き先に希望が見えない「今」という時代に、ゲゲゲの女房もカーネーションも似たような「過去の」暗い時代や苦労や貧しさがあるにも関わらず、その先にほんのりと「明日が視える」、そういう過ぎ去った時代のあかりに自分を照らそうとしているのだ、そう自分は解釈する。
***
またもや一日三回「カーネーション」を見るお袋さんは『むかし、ミシンを踏んで洋裁をやっていた頃の懐かしさがこみ上げる』と言っていた。
思えば、自分が幼児の頃、毎晩、近隣の嫁入り前のお姉さんたちに「先生」と呼ばれながら、仕事場で服をみんなに教え・縫っていた母の姿。
夜も寝ずに徹夜でラジオを聴きながら、翌朝までに仕上げなければならない服に、ミシンを踏んでいた音と姿が甦る。
洋裁学校に通い、ファッションの世界に生きようとしていたのも知らず、そこに夢中だったがゆえに、相手にされず・あずけられた周囲の育ての親にダダをこねていた幼児の自分。
ドラマ「カーネーション」の世界・岸和田には、それぞれの想い出が交錯する。
PS:いまやネットでもMEGAVIDEOで「カーネーション」が見られる。
昼休みの職場でもこれを見ている。
大正から昭和へのとある岸和田で・先進を作ったとあるド偉い母の物語に、微笑みながら見ることが、今の自分の少ない希望でもある。
椎名林檎が歌うテーマ曲と、冒頭のミシンと人形の映像がまた泣ける。
NHKの持つある部分の力は理解しつつも、公共放送・受信料必須という姿勢に反感を抱く一方。
ただ、両親が次第に八十代を迎える中、実家でたまたま見た朝の連続ドラマ。
十月から始まった「カーネーション」。
それに惹かれてやまなかった。
これには、お金を払っても良いと思っている。
一体、なんなのだろう。この気持ち。
***
昨年「ゲゲゲの女房」にお袋さんがハマり、毎日、BS・地上波朝、昼と三回視る中、家族で集まった際に、兄がお袋さんへの贈り物に、総集編をDVDに収めてプレゼントした。
それを五人で囲みながら見た日。
水木しげるの実話を題材にしたドラマ。
自分が、かつて営業していた武蔵野の自然と匂い残る調布。
実家の中は、ゲゲゲの鬼太郎のグッズであふれかえっていた。
***
そして、今回の「カーネーション」は、コシノジュンコら妖怪ベム三姉妹、ではなく、その産みの母の苦労を描いた大正から昭和への岸和田が舞台。
その母を演じるは、「萌の朱雀」でデビューした尾野真千子。
彼女の芝居は、別段上手では無いし、決して美人ではないのだが、三十にも関わらず初々しさの残る好感を持つ雰囲気を湛えている。
時にユーモラスに、時には可愛く・美しい。
周囲を囲む人々と小さな街のざわめきへの温かみ。
自分が大阪時代の五年のうちの最後の五年目は、それまでコテコテの大阪市内の渦に居た所から一変して、南大阪地区、つまり堺市から細長く下る岬町までの広範囲の営業エリアへと移された。
それはまたもや未知の世界であったが、四年目に結婚破局・大失恋と阪神淡路大震災を経験した自分には、今思えば何の導きか?分からないが、あえて想い出多き市内から引き離した。
そこで出会った自然や風景、市内とは異なった人々の異なった暮らしと言葉と世界に惹かれた。
ずいぶんとぶきっちょだけども、今思えば優しい人々との出会いがあった。
まるで開拓者の如く営業車を縦横に走らせながら、PLの塔が見える場所で風景に浸ったり、海岸線で海を見たり・・・。
そんな中で偶然、岸和田の無骨な織り元の社長と偶然の出会いをして「お店を出したい」という希望を二十代の自分が聞き、一緒に悩み・設計士でも無いのにお店のパース・絵を描き・店員に育つ同世代の人に自分なりの知る知識を教えながら、数箇月を経て、そのお店はオープンした。
まるで自分の店のように喜び、写真を撮り、自然と自分の仕事の商品も沢山売れた。
四年目の絶望は心の底に大きなキズを残していたが、それでも救いがあった。
そういう流れが、まさか一年で終わり、東京に戻らねばならないとは、その時には思いもしなかった。
社長の行く岸和田の海沿いの小料理屋で、よくほかの協力会社の営業仲間と漁で上がったシャコや刺身をたんまりごちそうになった。
大酒をくらい・沸かした湯であげたてのシャコをみんなでハサミを入れながら食べた記憶。
(今では御法度だが)酔いながら、梅田近くのマンションまでたらたらと運転をして帰った夜の路。
***
朝の連続ドラマというのは、よく(兄曰く)学芸会みたいなもの・・
その程度の芝居なのかもしれない。
また、昭和の過去からやめる訳にも行かずに続いている面がある。
ただ「ゲゲゲの女房」が大ヒットを飛ばして、「まさかの」水木しげるブームとなったように、また、実家では再度「カーネーション」ブームが起きたように・・
これらは、過去あったものをなで返しているだけのものとも違うように思える。
個人的な体験・経験で惹かれているのは当然だが、どうやらそれだけではない。
映画「三丁目の夕日」がヒットしたように、行き先に希望が見えない「今」という時代に、ゲゲゲの女房もカーネーションも似たような「過去の」暗い時代や苦労や貧しさがあるにも関わらず、その先にほんのりと「明日が視える」、そういう過ぎ去った時代のあかりに自分を照らそうとしているのだ、そう自分は解釈する。
***
またもや一日三回「カーネーション」を見るお袋さんは『むかし、ミシンを踏んで洋裁をやっていた頃の懐かしさがこみ上げる』と言っていた。
思えば、自分が幼児の頃、毎晩、近隣の嫁入り前のお姉さんたちに「先生」と呼ばれながら、仕事場で服をみんなに教え・縫っていた母の姿。
夜も寝ずに徹夜でラジオを聴きながら、翌朝までに仕上げなければならない服に、ミシンを踏んでいた音と姿が甦る。
洋裁学校に通い、ファッションの世界に生きようとしていたのも知らず、そこに夢中だったがゆえに、相手にされず・あずけられた周囲の育ての親にダダをこねていた幼児の自分。
ドラマ「カーネーション」の世界・岸和田には、それぞれの想い出が交錯する。
PS:いまやネットでもMEGAVIDEOで「カーネーション」が見られる。
昼休みの職場でもこれを見ている。
大正から昭和へのとある岸和田で・先進を作ったとあるド偉い母の物語に、微笑みながら見ることが、今の自分の少ない希望でもある。
椎名林檎が歌うテーマ曲と、冒頭のミシンと人形の映像がまた泣ける。