たまに近くに居たりすると、会話が気になって、思考回路が乱され・ストレスを感じさせる人がいる。
彼は、30代だが、妙にカッコ付けたダイナミックで大げさなしゃべり方を、周囲がうるさいほどの声でする。
こういうタイプは、地方から出てきた人に多い。
「げーのーじん」と呼ばれている人にも多い。
まあ、よくあることではある。
ただ、それより心配に思うのが、彼のしゃべり方が、彼の過去の上司にウリ2つなこと。
反射神経と呼ばれるものや、サブリミナルな刷り込みの存在は知っている。
単なる影響ならよく受けることではあるが。。。
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過去読んだ「サブリミナル・マインド」という本はとても面白いものだったが、反面怖いものでもあった。
神田正輝・若い頃の高島礼子が出ていた映画「さまよえる脳髄」を同時に思い出した。
映画は、サブリミナルと殺人が絡む話しなのだが、行動と言動の不一致がキーとなった不気味なB級ホラーだった。
ユング等々の研究も含めた、無意識という領域の不可思議さ。。。。
本人が意識で認識するより前に、肉体が「おのずと」行動するというのは事実。
この今叩いているキーボードの文字も、
「A=あ」がこの位置で・「E=え」がこの位置だなあ・・・などと考えてから叩いているわけではない。
既に無意識下に刷り込まれてしまった何かは、すでに本人すらも掌握・解釈不能な領域に入り込んでしまい、うごめいているのだ。
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話しは、逸脱する。
自分が持つ森田療法の医学書の一冊で、継承者である鈴木知準と森田療法の体験者との対話の中、雑念恐怖というくだりを思い起こした。
この本は、1986年の自殺未遂直前に、ふらふら歩いた神保町の三省堂本店で手に入れたもの。
雑念恐怖とは、頭の中でさまざまなものが湧いて湧いて止まらない・・・そういうことを「取り払おうとする」神経症。
誰にもある、ごく普通のことなのだが、それが許せないで、取り払えるまで悩みぬく、袋小路に入ってしまう類の病。
強迫神経症の中で潔癖症が、手がすりむけても手を洗い続けないと「気が済まない」のと同類。
ここで、鈴木知準はこんなことを言っていたような記憶がある。
・・・「カラダを動かし『今に行入(こうにゅう)』していくうちに、雑念は心の底流を流れて行き、次の地点へと自然に移り変わっていく。
雑念は流れていく。だから、そこに取り合っていてはいけない。いくら気にしたくても気にして強迫行動に出てはいけない。
目の前のやるべきことに、行入していきなさい。」
森田療法は、森田正馬が作り出した神経症に対する行動療法。
西洋医学にはない・東洋ならではの思考回路が生み出した手法。
上にあるような「人なら誰にもよくあること」を流せない人に対しては、行動を習慣として身心にプログラムとしてインプットすることで、神経症症状をクリンチして回避セヨ、と説く。
この森田療法については、多くを学んだ。
しかし・・・。
行動療法、とコトバにするのはカンタンだが、実際は異なる。
時には避けている「恐怖突入」などを含めて、リアルに必死にならなければ峠を越えることは出来ない。悟りに近い鍛錬(ディシプリン)が無いと越えられない。
まるで「根性論」のようであるが、生きるなんてものは、そんなもの。キレイごとで済むわけが無い。
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話しは戻る。
森田療法はあくまで神経症レベルの話しに過ぎない。
上記のサブリミナル・マインドや脳障害などとは、わずかにしか接近する部分は無い。
最初に戻って、過去の上司にウリ2つなしゃべり方をする「彼」だが、見ていて他人事では済まない部分がある。
例えば、とある外部の職場とお付き合いして、日々電話などしたり応答をしていると、同じ場所で働いているのは幾人も居るのに、
みんな言動・行動が、あるいは、話し方のトーンやイントネーションが微妙に似通っているのを体験してしまうことがある。
空気感染のように、サブリミナルな領域で、異なる人が「同期化」するのを目撃すると、気味が悪いものである。
だが、そういうことが起きているのは真実。
気が付かないあいだに、サブリミナル世界は、その人の多くの領域を覆っている。
あるいは、世界もそういうものに覆われているとも言える。