こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年7月29日 金曜日夏のフェイバリッツ・28イーノ「ダンウィッチ・ビーチ・オータム1960」'82.5

2011-07-29 23:00:00 | 音楽帳
昨日に続いてイーノの「オン・ランド」。



ブライアン・イーノという人の知性と才能というのに憧れて・感化された中学・高校生時代。
ウルトラヴォックス、ディーヴォ、デヴィッド・ボウイ、トーキングヘッズをプロデュースし、自らではアンビエントという音楽を提唱し・多くの革命的作品を創ってきたイーノ。

彼が音楽を創る過程での思考方法に興味が膨らんだ。
単純に人々が集まってセッションする中から音楽を産むという惰性的流れとは無縁の知性と思考方法による音楽の組み立て方。
偶発性の持つ力を借りるあたり、ユング的要素もあった。
時にユニークに、時には実にアヴァンギャルドな方法論で、此岸から目標とした彼岸へ到達しうる魔術師にイーノは思えた。

雑誌でイーノを見つけると盛んに読み込んだ。
単なる音楽家ではない。
あらゆる意味で、生きるヒントをイーノが与えてくれた。



また、この1982年夏にはFM東京の夜の「サントリー・サウンドマーケット」という番組で一週間ぶっ通しでブライアン・イーノの特集が組まれて録音し、そこに集中していた。
そこで録音したインタビュー・テープを編集して、まるで説法を聴くかのごとく、テープが伸びるまで聴いた。



当時、ニューヨークはマンハッタンのマンションに住んでいたイーノ。
彼へ独占インタビューを行ったのが立川直樹氏。

音楽に対して、どのようなアイデアとプロセスで創っていくかのヒントがたくさん発見できた貴重なインタビューだった。



さくりんさんにも言ったが、あるコンセプトを最初に置き、それに対してヒントとなるようなモノを配置しながら音創りをしつつ、その進行状況を俯瞰的に確認しながら「これは良い方向に進んでいる、と確信出来るか、泥沼にはまって行っているか、という冷静な視点が必要。軌道修正を加えつつ、目標となる地点に向かっているかどうかで、駄目なら、その曲はばっさり捨て去る勇気を持つこと。」そんなこともイーノの創作法の一部。



音楽はジグソーパズルでは無いので、完成という形が何かは短絡的にはいかない。
よく納期間際になってしまい、トラックダウン段階で音を埋めて行ってしまうことが、その曲のナイーヴな良さを殺してしまうことがある。
そういう発想ではない。
創る途中、荒削りな形であっても、視えない領域に踏み出した瞬間で作業を終えること。
そういう無に潜むエネルギーを信じること。
いじりたくても、そこで完了すること。



「オン・ランド」でイーノはマンハッタンという都市の喧騒と病んだ都市空間とを相対しつつ、ドリーミーな安らげるエア・スポットを創ろうとしていたのが分かる。

「オン・ランド」には、たぶん彼の「とある」想い出なのだろうが、B面最後に「ダンウィッチ・ビーチ・オータム1960」という美しい曲がある。

今夜は、都市東京の夜に、この曲を聴く。



とはいえ80年代特殊都市東京の闇はすでにもう、この東京には存在しないが。。。。
コメント (2)
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