「クスコ」と言って「ああ、あれね」とわかる人は、80年代の同世代人。
当時は、ジャズからフュージョン・・・そしてクロスオーヴァーというサウンドの流れとは別に、イージー・リスニングというカテゴリーがあった。
ボク自身の体感では、要は「ジェット・ストリーム」でかかる曲、ポール・モーリアなどの印象が強いが、あらゆる場所で音が鳴り止まないことになったのは80年代が起点。
誰も希望しないのに、音が無い静けさを理解しないのが始まったのは80年代。
昔からの歴史において、静けさ・音の無い世界・間に対しての独特の文化をもった日本だったが、それをくつがえしてしまったのも80年代以降の資本主義・消費文化。
デヴィッド・シルヴィアンやブライアン・イーノがあこがれた京都の石庭の静寂。
沈黙にこそ隠れたエネルギーがあると悟る人々とは別に、そこと切断された、眠らない365日メリーゴーランドを繰り返す都市。
どこに行っても、その場の誤魔化すために音楽が奏でられていた。
喫茶店、スーパー、さまざまなショップ・・・。
沈黙に耐えられない・気まずいと思ってしまう深層心理が、この病気の要因。
中島義道がこのことを本に書いていたが。
***
当時、今のように有線放送で垂れ流しを出来ない中、喫茶店でかかっていたのが、いわゆるイージー・リスニング。
バック・ブラウンド・ミュージック(BGM)とも言われた。
1980年、どこに行ってもYMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」がかかっているというのは革命だったが、それを揶揄したちんけな「音楽評論家」なる者は「YMOはBGMみたいなもんだ」と言い、その挑発に細野さんはある意味怒りを込めて、あえて1981年の作品に「BGM」というタイトルを皮肉を込めて付けた。
***
クスコというユニットは、こういう流れにおいて、アンビエントでもミューザックでもない「イージー・リスニング」を奏でていた。
何枚アルバムを出そうが、ジャケットは楽園の海や空の青い風景だったが、延々とつまらない曲、まさにイージーな音楽を出し続けた。
ビリー・コブハムとは天と地の違う音楽の存在。
当然、血気盛んな自分らは馬鹿にした存在だった。
MZ師とよくクスコの話をすると「あの頃は、最低の音楽として、よく馬鹿にしていたなあ」と想い出を語る。
MZ師が、石丸電気で当時買い物をしたら、そのおまけにLPレコードが1枚付いてきたが、それがクスコだったという。
もらっても困るプレゼント、それがクスコだった。
***
そういう存在のクスコだったが、1曲だけ自分は好きな曲がある。
それが「ロマンティック・ハワイ」である。
ひょっとすると「この曲、聴いたことがある」という人が居るかもしれない。
大きな時代の流れのうねりを超えて(というかクスコには時代性すらも無縁だが)、お恥ずかしながら、この「ロマンティック・ハワイ」は今のボクの夏の定番の1曲となっている。
この曲に自分が出会った1984年の放送とは「ジェット・ストリーム」ではなく、「クロスオーヴァー・イレブン」だった。
この曲は、自分の中で、当時、タンジェリン・ドリームも「流氷の詩(うた)」というアルバムで南極(or北極?)のイメージ・ドローイングのような素晴らしいアルバムを発表したが、そのアルバムともオーヴァーラップする。
当時は、ジャズからフュージョン・・・そしてクロスオーヴァーというサウンドの流れとは別に、イージー・リスニングというカテゴリーがあった。
ボク自身の体感では、要は「ジェット・ストリーム」でかかる曲、ポール・モーリアなどの印象が強いが、あらゆる場所で音が鳴り止まないことになったのは80年代が起点。
誰も希望しないのに、音が無い静けさを理解しないのが始まったのは80年代。
昔からの歴史において、静けさ・音の無い世界・間に対しての独特の文化をもった日本だったが、それをくつがえしてしまったのも80年代以降の資本主義・消費文化。
デヴィッド・シルヴィアンやブライアン・イーノがあこがれた京都の石庭の静寂。
沈黙にこそ隠れたエネルギーがあると悟る人々とは別に、そこと切断された、眠らない365日メリーゴーランドを繰り返す都市。
どこに行っても、その場の誤魔化すために音楽が奏でられていた。
喫茶店、スーパー、さまざまなショップ・・・。
沈黙に耐えられない・気まずいと思ってしまう深層心理が、この病気の要因。
中島義道がこのことを本に書いていたが。
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当時、今のように有線放送で垂れ流しを出来ない中、喫茶店でかかっていたのが、いわゆるイージー・リスニング。
バック・ブラウンド・ミュージック(BGM)とも言われた。
1980年、どこに行ってもYMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」がかかっているというのは革命だったが、それを揶揄したちんけな「音楽評論家」なる者は「YMOはBGMみたいなもんだ」と言い、その挑発に細野さんはある意味怒りを込めて、あえて1981年の作品に「BGM」というタイトルを皮肉を込めて付けた。
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クスコというユニットは、こういう流れにおいて、アンビエントでもミューザックでもない「イージー・リスニング」を奏でていた。
何枚アルバムを出そうが、ジャケットは楽園の海や空の青い風景だったが、延々とつまらない曲、まさにイージーな音楽を出し続けた。
ビリー・コブハムとは天と地の違う音楽の存在。
当然、血気盛んな自分らは馬鹿にした存在だった。
MZ師とよくクスコの話をすると「あの頃は、最低の音楽として、よく馬鹿にしていたなあ」と想い出を語る。
MZ師が、石丸電気で当時買い物をしたら、そのおまけにLPレコードが1枚付いてきたが、それがクスコだったという。
もらっても困るプレゼント、それがクスコだった。
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そういう存在のクスコだったが、1曲だけ自分は好きな曲がある。
それが「ロマンティック・ハワイ」である。
ひょっとすると「この曲、聴いたことがある」という人が居るかもしれない。
大きな時代の流れのうねりを超えて(というかクスコには時代性すらも無縁だが)、お恥ずかしながら、この「ロマンティック・ハワイ」は今のボクの夏の定番の1曲となっている。
この曲に自分が出会った1984年の放送とは「ジェット・ストリーム」ではなく、「クロスオーヴァー・イレブン」だった。
この曲は、自分の中で、当時、タンジェリン・ドリームも「流氷の詩(うた)」というアルバムで南極(or北極?)のイメージ・ドローイングのような素晴らしいアルバムを発表したが、そのアルバムともオーヴァーラップする。