「フィルハーモニー」「What Me Worry?」「H」「改造への躍動」「Avalon」「On Land」・・等々を聴いていた1982年夏から、たかが2年離れただけの1984年の夏には、すでにYMOは跡形も無くなっていた。
「坂本龍一のサウンドストリート」も「YENレーベル」も続いていては居たが、YMO無き世界に、私自身の方がバランスを崩し・座標軸を失い途方に暮れていた気がする。
そうは言えども「何か、新しいものをください。。。」と、日々、ニュー・ウエィヴの進む水の流れを追いかけ、まみれていた。
必死だった。
フェルトが、今までのシングルを集めた形で「毛氈」というアルバムを国内発売したのが、1984年1月。
アルバムを買ったのは、それから少し時間を置いてだった気がする。
買うと、そのアルバム・レビューを幸宏が書いていた。
1984年・高校2年生の夏。
日に日に文武両道でやせ細っていく心身の中、土曜日にエアコンが効いた部屋で、夏雲が流れていくのをイスに座って、日が沈むまでの「空のショー」を見ながら、ひたすらイーノの一連のアンビエント・ミュージック、フェルト、ドゥルティ・コラム、ミカド、トンプソンツインズを聴く時間を大事にしていた。
骨に染みるとはこのことか?というくらいに、疲労困憊した身心は、彼らに癒された。
フェルトの「毛氈」の中でも、カセットテープに落として、一番聴いた曲が「ニューイングランドの説教師」。
チェリーレッドレーベルのフェルト。
片方で、金をたんまり投入したカス音楽が世間を席巻する中、そういう音楽に「NO」を言いながら、数人で寄り集まってバンドを創り、静かな、本当に静かなギター・ソングを仲間で創っていた彼らの方が断然、自分のココロに響き、癒してくれた。
この曲も、私にとっては、数十年来の夏の定番となっている。
本当は、日の差す日中にかけるべき曲。