こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年7月7日 木曜日 夜 ボブ・ディラン『ライク・ア・ローリングストーン』’65

2011-07-07 23:02:02 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
織姫と彦星が天の川で1年に一度だけの逢瀬をする夜。

矢野顕子さんの「ごはんができたよ。」という懐かしい曲のことを思い出す。
アッコちゃんにしか作れない曲。



そこで、幸せな人にも不幸な人にも、どんな人の上にも、同じように・同等に・夜は降るというというような歌詞があったと思う。
どんな坂を転がる石の状況でも、それでも、そんな一筋の希望。

「・・・八百屋のみいちゃんにも お医者さんちのあっこちゃんにも
静かに夜は来る みんなの上に来る

甘ったれのふうちゃんにも 鼻ったれのかずちゃんにも
静かに夜は来る みんなの上に来る」

「・・・義なるものの上にも 不義なる者の上にも
静かに夜は来る みんなの上に来る

いい人の上にも 悪い人の上にも
静かに夜は来る みんなの上に来る」(「ごはんができたよ」By矢野顕子)

***

「Like a Rolling Stone(転がる石のように)」 作詞・作曲・歌:ボブ・ディラン


『Once upon a time you dressed so fine
You threw the bums a dime in your prime, didn't you?
People'd call, say, "Beware doll, you're bound to fall"
You thought they were all kiddin' you
You used to laugh about
Everybody that was hangin' out
Now you don't talk so loud
Now you don't seem so proud
About having to be scrounging for your next meal.
How does it feel
How does it feel
To be without a home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?
You've gone to the finest school all right, Miss Lonely
But you know you only used to get juiced in it
And nobody has ever taught you how to like on the street
And now you find gonna have to get used to it
You said you'd never compromise
With the mystery tramp, but now you realize
He's not selling any alibis
As you stare into the vacuum of his eyes
And ask him do you want to make a deal?
How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?
You never turned around to see the frowns on the jugglers
and the clowns
When they all did tricks for you
You never understood that it ain't no good
You shouldn't let other people get your kicks for you
You used to ride on the chrome horse with your diplomat
Who carried on his shoulder a Siamese cat
Ain't it hard when you discover that
He really wasn't where is't at
After he took from you everything he could steal.
How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?
Princess on the steeple and all the pretty people
They're drinkin' thinkin' that they got it made
Exchanging all kinds of precious gifts
But you'd better lift your diamond ring, you'd better
pawn it babe
You used to be so amused
At Napoleon in rags and the language that he used.
Go to him now, he calls you, you can't refuse
When you got nothing, you got nothing to lose
You're invisible now, you got not secrets to conceal.
How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?』



『昔、君は奇麗な服を着て、良いときは乞食にコインを投げただろう。
人が「気をつけろ、落ちるよ」と言っても、冗談だと思っただろう。
前は笑っていた・・・・ブラブラしている人を。

今はそんなに声をあげない。
今はそんなにプライドも高そうでない。
次の食事をかき集めるときにはね。

どんな気分だい?
どんな気分だい?

家がなくて、全く知られていない人のように、転がる石ころのようにいるのは。



一番良い学校にいったね、淋しいお嬢さん。
そこでは甘やかされただけだった。
路地で生きるためのすべは教えてもらえなかった。
だけど今は、これに慣れないといけないことに気づいたね。

謎のトラップには妥協はしないと言ってた。
だけど今は気づいたろ。
アリバイを売ってはくれない彼の空虚な目を見つめながら。
取引をしようと言いながら。

どんな気分だい?
どんな気分だい?

ひとりぼっちで家路もなく、全く知られていない人のように、転がる石ころのようにいるのは。


ジャグラーとピエロ達のしかめ面を見るために振り返ったことはなかっただろう。
皆降りてきて君のために手品をしてくれたとき、それがダメだとは分からなかっただろう。

他人に楽しさを任せてはいけないこと。
前は君の外交官とクロムの馬に乗っただろう。
彼の肩にはシャム猫を乗せて。
彼がいたのは違う場所と分かったときは大変だっただろう。
彼は、盗めるものはすべて持っていったね。

どんな気分だい?
どんな気分だい?

ひとりぼっちで家路もなく、全く知られていない人のように、転がる石ころのようにいるのは。


先塔の上のプリンセスと奇麗な人たち。
彼らは飲んで、すべて大丈夫だと思っている。
貴重なプレゼントを受け渡し。

だけど今はダイアモンドの指輪を質屋に持っていった方がいいね。
昔は笑っていたのに、おんぼろ服のナポレオンと彼の言葉に。
彼のところに行ってこい、彼が呼んでる、断れないだろう。
何もないときは、何も失えないのさ。
君は透明なんだ、隠す秘密もないのさ。

どんな気分だい?
どんな気分だい?

ひとりぼっちで家路もなく、全く知られていない人のように、転がる石ころのようにいるのは。

(和訳:「JETS」より引用)
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2011年7月7日 木曜日 夏のフェイバリッツ・10 アンテナ「カミノ・デル・ソル」'84.5

2011-07-07 07:50:04 | 音楽帳
幼い頃から土曜日の夜というのはワクワクしたものだが、それも中心となる核と周辺を配置された世界あってのものだった。
まだ、それは「紅白歌合戦」だの何だの・・・批判しながらも、相対するものが成立しえた時代のことであった。

しかし、その後、この世界は、予定外・予想外の動きをする。
まるで東京電力様の福島原子力発電機1号機~6号機と同じで。

資本主義の頭に「超」が付くほどに加速化をしてしまい、その暴走装置を止められなくなり、街の再開発、土地転がし、地域社会の崩壊、核家族化の末に、暴走機関車が速度を極限まで上げた。
そして、1989年に「バブル崩壊」という目に見える形で大破する。

その後は、ひたすら下落を20年以上続ける自殺者大国となった。
すべての民が浮遊する難民と化した2011年。



80年代初頭以降、カルチャー(枠組み)を東京のサブカルチャーが揶揄し、相対する文化を形成し、崩壊させていく戦いの頃は、私の幸福時代だったのかもしれない。

世界の文化が、東京を中心にして回っていたのだから。

まさに快感そのものだったが、そういう元気も1987年以降ずるずると自分の崩壊とともに、ボーダーレスをとうに超えて、全部が分解され、個・個・個・個・・・・がどう繋がったり/切れたり・・・所詮はその程度のことを20数年繰り返してきただけだ。

***

1982年6月に土曜日の夜中3時に始まったFM東京の「スタジオテクノポリス27」(DJ:ピーター・バラカン&矢野顕子)は、途中でアッコちゃんが居なくなってピーター独りのDJとなり、さらにスポンサーまで降りてしまい、そういう末に最終回を迎えた。

確か、最後の曲はアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー(Lets Stay Together)」だったような気がする。



そして、「スタジオテクノポリス27」が終わり、続いた番組が「FMトランスミッション/バリケード(スポンサー:JUN MEN)」だった。

その境目を忘れてしまったが、第一回目の(1)立花ハジメの「テッキー君とキップルちゃん」に入っている機械音で出来たテーマ曲「バリケードのテーマ」~(2)アート・オブ・ノイズ「モーメンツ・イン・ラヴ」~(3)YESの「Leave it」のトレヴァーホーンがMIXした12インチの「ハロー・グッバイ・ミックス」ヴァージョンの流れを聴いて、言葉にある『イスから転げ落ちる』をまでも通り越して「このテクノの変遷の果てはどんな未来に繋がっていくのだろう」という驚愕と恐怖と「それでも乗りかかった船だから降りるわけにはいかない」思いを抱いて、動揺していた記憶がある。



***

結果、なかなか夜中3時だから、そこまで起きているのは難しかったが、このめったには聴けない最先端のニュー・ウエイヴの輸入盤を淡々と語りも無く紹介する「FMトランスミッション/バリケード」を録音し聴いた。

録音したカセットテープはかなり消してしまったが、今残るうちの1つがコレ。



書いてある紙から、A面は1984年5月26日に録音、B面は1985年4月に録音とわかる。



このカセットテープは、よく高校生の夏には聴いた。
すでに聴いて知っている曲も混じってはいたが、1つの流れを成しており、それは貴重なテープだった。



***



そんなわけで、ボブ彦のように「そんな曲は歌えねえんだよ!」と激怒するばかりではない面も必要かと。。。。

アンテナの「カミノ・デル・ソル」を紹介する。
日和っているようにも思われるだろうが、それは今の時代にアンテナに対して言えることで、当時はそういう穢れた存在では無かった。
いとおしい音楽だった。

■Camino Del Sol■

夏の木漏れ日が満たす、このイラストのジャケットの美しさは、今でも愛している。

アンテナは、クレプスキュール・レーベルから出てきた女性3人のユニットで、最初の12インチをジョン・フォックス(ウルトラヴォックス)がプロデュースするなど、完璧なニュー・ウェイヴそのものだったが。。。。



どういう訳か、80年代後半になると、イザベル・アンテナという1人となり、女子大生やオシャレ好き系の不愉快な連中が集うカフェ・バーでかかる音楽に成り果てた。
まあ、そういう段階で、当然自分は見捨てたのではあるが。。。。

この初期のアンテナは素朴で新鮮だった。
当時の新星堂が(エライ)このクレプスキュール・レーベルの入手しづらい12インチ等を採算度外視で輸入販売していた。
アンテナ、ドゥルティ・コラム、ペイル・ファウンテンズ、ミカド、ポール・ヘイグ・・・・み~んな新星堂のお陰だった。

ただし、それは今の新星堂とは違う。
まあ、もう少しで新星堂もタワーレコードもつぶれるか撤退を余儀なくされるだろうが。
残るのは、JANISや神保町のタクトみたいな筋金が通った店くらいになるはずだ。
ほとんどのCDショップは、確実に潰れる。
コメント (4)
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2011年7月6日 水曜日 深夜 『生き地獄』を生きる

2011-07-07 00:21:16 | 雑記帳
22:26なんとか電車に乗り込む。
自分の能力不足に落ち込みつつ。

リモートで、下書き済みだった記事をアップする。

この落ち込みの源泉は、鬼畜父の血で、兄同様、DNAに刻まれた気の弱さにたどり着く。

かつて素浪人時代ノイローゼの果て、分裂病の症状と自殺未遂と行方不明の手前側で、既に結婚し実家を離れていた兄に最後の挨拶に行った際、つい全部吐露してしまった。



その時、兄が言った言葉を今でも覚えている。

『人生、負けが込んで来たら、とことん底まで落ちていく』

つまり、なんとか『凌げ』『かわせ』『死守しろ』ということを説得された。

最後に『お前が、明日何処に行こうと止めない。ただ、お前が望むような世界は既にもう無いんだよ』

そう言われた。

大好きな、みうらじゅんの名作映画『アイデン&ティティ』のラストソングにもなっている、ボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリングストーン」【転がる石のように】を連想する。



あの曲は、ボブ・ディランだから歌えたメッセージ。
それは、無頼派の、作家で言えば色川武大さんのように骨太な心身を持ち合わせた人の曲。

兄は(出雲の寺の息子の田舎者ゆえ)当時エリート絶対主義者だった鬼畜父との壮絶なる闘いを、アクロバットに「東大なんて屁みたいなもの」という証明と父を超えるべく道を歩き、実際超えて行った筋金入りの無頼派。

そんな逞しい兄に『凌げ』『かわせ』『死守しろ』といわれても、ひ弱な心身の自分には真似は出来っこ無いじゃないか…
そういう絶望があった。

性根と血においては、兄と私は同じだったが、既にその素浪人のハタチの時点で、2人の間には天と地くらい生きた道に埋めようの無い乖離が、がっしり事実として現存した。

その事実を踏まえつつ、彼の後ろ姿を追う事の無い『我が道』を歩かねばならないという意識を再度新たにしたが、何もかもが悪い方向に転がり、空転する闘いを相当した。

武の道・右翼・やくざな接触も含め、様々な壁に何度も何度もぶつかりながら、こぶしがぶつかり潰れるにつれ亀の甲羅のように固くなるように、多少の自己鍛練は積んだものの、胎内の奥底には未だ鬱を抱えた気が弱い小人が住まう。

その小人がたびたび、顔を出す。

1986年末から1987年頭にかけて、居なくなった兄の部屋の膨大な量の本棚から、精神学者小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』という本を盗み読んだ。

小此木さんは、文中で『カイロ 紫のバラ』という外国の映画を引用した。

この映画は、一見して楽しい映画だったが、実に切ない映画だった。
おぼろげな記憶だけで語る。

実生活で困難な状況にあった女性が映画館の暗がりでやっと安堵し、映画を一人食い入るように見るうち、スクリーンの中に入ってしまい、男性と楽しい時間を過ごす。
最後のシーンでは、元の世界に戻らざるを得ず、眼をうるませながら映画のエンドロールを見るところで終わる。



この映画を小此木さんはモラトリアムを語る一つのテキストとしていた。

このテーマは、ロキシーの『AVALON』、その後のブライアン・フェリーの音楽とも重なる。

かつて、イジメで自殺した子が残した遺書にあった『このままでは、生き地獄になってしまう』という言葉が、ずっと脳裏に焼き付いている。

高倉健さんが、中学か高校で公演会をした際に言った言葉もよぎる。
『皆さんのような歳とは違って、こんな歳になると「良い事」に出会うなど本当に少ない。
「良い事」より圧倒的に「悪い事」ばかり。
だけど、たまに「良い事」がある。
それがあるから、僕はなんとか生きている。』



今の自分もそのようなおももちで生きている。
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