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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

錦会

2005年04月29日 | Weblog
という日本舞踊のグループの公演にはせ参じる(4/29)。

朝起きると、ちょっと喉が痛い。あれ、いまごろ風邪か?季節の変わり目は苦手なのだけれど、最近はそういうこと忘れるくらい健康だったのに。まあまあ、ちょうどよく、十日ほどの休みがはじまった。

さあでは休みらしい休み、ということで、おのぼりさん気分で半蔵門の国立劇場へ。

いやあ、久しぶりに(二年ぶりか、あとで自分の日記で調べてみよう)見ました日本舞踊、やっぱりいいですね。腰と背中ががっちり固まって、板入れているみたいにそこはずっしり安定しているのだけれど、その分、手や首や足などの微妙な動きがとても魅力的な愛嬌あるものに感じられる(この公演にさそってくださった、そしてこの日記にも時々登場するカント研究者「名古屋嬢」Tさんは、この会で週二回も稽古に励む裏の面もある方なのですが、彼女曰く板のように見えて、背中は柔軟に動いているのだそう、それは気づかなかった、またその分肩は完全に固定なのだという)。

微妙な首の動きなどは、「踊り」と言うよりも「仕草」という気がして、御作法などの延長線上に踊りはあるわけだよな、と思いつつ、微妙だけれど、それを置いておいたら、なんかストリートダンスのロボット系のダンスにも遠からず似ていると思えてきた。??かもしれませんが、風の音で目覚めてしまって昨日の夜中みていた、「少年チャンプルー」というダ・パンプの番組、そこでやっているストリート系の踊りのラッシュに、引きつけられてなぜか見ていた訳なのです。速い強いシンプルな動きがストリートな人たちのダンスの「味」だとすれば、日本舞踊(例えば、花柳基)の踊りは、微妙な丸っこい故に実は複雑な「味」で、でも「味」という点では同じくおいしいわけで(カラムーチョもすまし汁もおいしい味という意味では同じではないか、ただおいしいのは場広いレンジのどこに重点を置くかの違いだけじゃないか)、おいしさを単純にどんなものでも分け隔てなく快楽してしまう強欲なぼくからしてみれば、どっちにも等しくダンスの快楽を感じる、故に似たもの同じものに見えるのだ。そして、規則に対する身体の這わせ方、「キメ」を重視する点、音楽重視の点、衣裳などでかっこつける感じなどにも共通点がある。にてんじゃん、というわけなのだ。

でも、ストリートの若いダンスが早さと強さをシンプルな線で押し通そうとするのに対して、一見日本舞踊は、ゆったりと微妙な線をゆっくり引いているように見えるけれど、いい踊り手の踊りは、体のさまざまなところに気が利いているので、実は相当速く見える。細かい歯車がぎゅんぎゅん動いている、ただそこに激しいノイズが立てられていないだけ、というかね。

国立劇場は、客席の雰囲気がまたよくて、のんびりとでもところどころ集中してみるといった観客の注意と散漫の具合が面白い。真っ暗にしないし。おしゃべり好きなおばさまたちのたたずまいは、バリで小さな村の祭りを見に行った時のことを思い出させる。そこでは、客席までもが確かに見所になっていた、ぽつんと二人日本人のぼくたちだけじゃなくて、彼らにとっても。そう思うと異国気分で、お食事処「十八番(おはこ)」へ、エビフライ定食を食す。まさに、東京見物(ロスト・イン・トランスレーション)気分。

ちょっと体調が悪いので、ビールはやめて(Aは相変わらず赤ら顔になってるが)、『タイガー&ドラゴン』を見ていると、どん太のセリフで(師匠をたしなめる一言)、「あめえよあめえよMAXコーヒーだよ!」ってうあ、クドカン、つぼつぼヒットだよ!でも、日本中でこのネタで笑えるのは、ごく一部地域の連中だけだあって!


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