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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

メタとメタのメタを経た後の「ベタ」

2009年11月23日 | 美術
平川恒太、高田冬彦「道徳」展のイベントが昨晩あった。
(ぜひ、まだご覧になっていない方は見に行ってみて下さい)

21才くらい彼らのような世代とつき合うと独特のスタンスを感じることがある。
近代哲学(ex.カント)のようなベタなメタ(普遍的なメタの立場があるとする思考)でもなく、
現代哲学(ex.ニーチェ)のようなメタなメタ(普遍的なメタに対して批評的な立場をとる相対主義的思考)でもなく、
ベタなメタでもメタなメタでもない、といって単純なベタでもない、メタのメタを経た後の「ベタ」が彼らの立場なのか?と感じる。

「道徳」展というタイトルの「ベタ」さは、ぼくにとっては、だから、単なるベタではない。
「こうしなさい」の道徳でも、「いろんな意見があっていいよね」の道徳でもない、そうした価値観を一旦括弧入れした後に、現場に介入して、そこでもう一度自分たちの生き方を考える、結果きわめて基本的な姿勢をとっている。そんなところに置かれたのが彼らのタイトル、道徳なのだろう。

こうした、メタでもメタのメタでもない、だから結果として「ベタ」に見える表現に興味がある。遠藤一郎は、ぼくにとってそういう作家だ。快快はぼくにとってそういう作家だ。


今朝は80分走。でたらめに走りたいだけ走って、「こんくらいかな?」と思ったところで引き返してくる。「き・も・ち・いー」と小さく絶叫してしまう。


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