ダンスを他の芸術ジャンルに匹敵するものにしようと考える場合、方法として理知的なものへと高めると言うことがあるだろう。ぼくは、それに、端的に反対する。ダンスが狂気でないならば、ぼくはダンスを見ることを止める。というか、人がダンスと言っているものを捨ててぼくの思うダンスだけを愛好する。
最近、少し時間に余裕が出来て、土方巽のことを考えている。『土方巽全集』をゆっくりめくり、メモを取る(あるいは、土方の反映としか思えない『人造人間キカイダー』の悪の首領、プロフェッサー・ギルや『恐怖奇形人形』のことを考えたりしている)。すると、彼がどうにか確保しようとしたものが、ダンスの狂気であることが分かってくる。狂気が不在のダンスは切ない。破綻とか錯乱とか不安とかが足りない、そこへ前のめり突っ込む瞬間のないダンスは切ない。
写真は土方ではなく、最近の仮面ライダー・ショーに登場しているギル。ちなみにギル率いる悪の軍団の名は「ダーク」。
「子供というのは、欲望がいっぱいあるし、感情だけをささえに生きているために、できるだけはぐれたものにであおうとする。ところが大きくなるにしたがって、自分のはぐれているものをおろそかにして、他人との約束ごとに自分を順応させる。それではぐれていない、と過信してしまう。飼いならされてしまうわけですね。」(『土方巽全集』より)
「肉体というのは、テクノロジーの発達などによっていつも犯されつづけている。キコリとステップの国のソ連のバレー団でも西欧のバレー団以上に人工化されてしまった。ところが日本人の肉体というのは独特の空間をもっていて、犯されにくいですね。」「人間というのは、自分の一個の肉体の中にはぐれているものにであえないばっかりに、何か外側に思想でも欲望でもいいから外在化して納得したい。しかし、そういうとき、日本人の肉体というものを、けんめいにこらえながら熟視すれば、そのはぐれたものにであっていたのではないか、ということをマジメに考えるんです。」(『土方巽全集』より)
最近、少し時間に余裕が出来て、土方巽のことを考えている。『土方巽全集』をゆっくりめくり、メモを取る(あるいは、土方の反映としか思えない『人造人間キカイダー』の悪の首領、プロフェッサー・ギルや『恐怖奇形人形』のことを考えたりしている)。すると、彼がどうにか確保しようとしたものが、ダンスの狂気であることが分かってくる。狂気が不在のダンスは切ない。破綻とか錯乱とか不安とかが足りない、そこへ前のめり突っ込む瞬間のないダンスは切ない。
写真は土方ではなく、最近の仮面ライダー・ショーに登場しているギル。ちなみにギル率いる悪の軍団の名は「ダーク」。
「子供というのは、欲望がいっぱいあるし、感情だけをささえに生きているために、できるだけはぐれたものにであおうとする。ところが大きくなるにしたがって、自分のはぐれているものをおろそかにして、他人との約束ごとに自分を順応させる。それではぐれていない、と過信してしまう。飼いならされてしまうわけですね。」(『土方巽全集』より)
「肉体というのは、テクノロジーの発達などによっていつも犯されつづけている。キコリとステップの国のソ連のバレー団でも西欧のバレー団以上に人工化されてしまった。ところが日本人の肉体というのは独特の空間をもっていて、犯されにくいですね。」「人間というのは、自分の一個の肉体の中にはぐれているものにであえないばっかりに、何か外側に思想でも欲望でもいいから外在化して納得したい。しかし、そういうとき、日本人の肉体というものを、けんめいにこらえながら熟視すれば、そのはぐれたものにであっていたのではないか、ということをマジメに考えるんです。」(『土方巽全集』より)