Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ダンス・ヒストリー・ツアー(バレエ・ダンスの歴史をたどる旅)

2006年03月12日 | Weblog
というものを、日本女子体育大学で行うという情報が今朝入り、夕方千歳烏山に。

近年、「にちじょ」出身というひとがコンテンポラリーダンスの世界で増えているのは気になっていた。その
にちじょ」ではいったいどんな教育が行われているのか。そもそも「ダンス」と「教育」の問題というのは、それ自体大きな問題であり、一種の矛盾をはらんだ関係にあるものとさえ言いうる。さて、、、そういう思いも込みで見たので、1時間半の企画を通して「ダンス虎の穴」にちじょ編を見ることになった、ということも出来る。

タイトルにもあるように、西洋のダンス史を学生たちが会場を変えながら踊っていく。つくりは横浜ダンス界隈みたいだ。最初は、ルネサンスのダンス、ノヴェールの朗読にダンスが絡む、ロマンティック・バレエ、プティパの『ラ・バヤデール』、フォーキン『瀕死の白鳥』、ベジャール『火の鳥』と続く。形式的にはこういった名だたる作品の振り付けを教えるんだな、と思った。ただし、その振りがもっている意味というか文化というか趣味というかまでは十分に学生たちに浸透していないのかもしれない。まだまだ外側から型押しされている、風にしか見えない。けれども、ダンスを理論的にではなく振りそのものから理解していくスタンスはぼくにとっては新鮮で、興味深かった。

それで後半、ピンクの三人が『牧神の午後』をバックにいつものままに踊る。もうぼくは彼女たちのことを「こパンダ」としてしか見られなくなっている、のですが、その「こパンダ」的傍若無人をこういう場所でも平気でやっている感じが、ま、とても痛快でした。

最後の演目では、高野美和子、牧琢弥、高橋春香がピナ・バウシュの『カフェ・ミューラー』をやってみる。狭いこともあるし、客が近くにいることもあって、椅子を片づける男の真剣振りが発揮出来ぬまま、必然生ぬるい感じになってしまったのだが、その分、ピナ・バウシュ作品であるために必要なものが浮き彫りになった、ということも出来る。こういう実際に踊ってみるというやり方でバウシュとつきあう、というのは、いろいろと分かることもあるのだろうな、と踊れないぼくからすればなんともうらやましかった。

ライヴでダンス史を概観するというアイディアは、かなり面白かったし、ダンスに興味をもち始めた初学者にとっては、継続していけば十分魅力的な企画になりうるだろう。アカデミズムの場がダンスの世界にどういった貢献をしうるのかという点からして、ありうる形のひとつ、とも思った。今回は、宣伝がほとんどなかった内輪的企画ではあったけれど、次回以降(がもしあれば)是非、宣伝をしてお客を集めてもらいたい。またそうなれば、真剣味もまた違ってくると思うし。

帰ってあらためて外出、町田でお好み焼きを食す。烏山や町田に行く時にもずっと昨日の『夢の城』のことが頭から離れない。なにやらそういう空気感をもっている若者が目の前に現れると、辛い気持ちになる。夢の城の世界が「夢」なんかじゃなくひとつの紛れもない現実だと思わされるからだろう。引きずる作品だ。その点ではすごい、近年すばぬけて引きずる作品だ。しばらくこの辛い気持ちは消えないだろう。